第165話 帰るまでが遠征1
浴衣姿から下着姿に、下着姿から見慣れた白いローブ姿に。
着替えたティアが、俺の隣に戻ってきた。
着替えの途中で脱衣所に行けばよかったと気づいたらしく、少し頬が赤くなっているのはご愛敬。
腕が密着するほど近くに腰を下ろし、頭を俺の肩に預けて安堵の吐息を漏らした。
そんなティアに、俺は興味本位で一つの質問を投げかけた。
「なあ、本当に他意はない素朴な疑問なんだが……寝るときも下着をつけてるのか?」
「…………。えっと……?」
「あ、いやそっちじゃなくて。寝るとき苦しくないのかなって」
「え?ああ、こっちですか」
ティアが固く閉じた太股の上で両手を重ねて本気で困り始めていたので、俺は自分の胸をトントンと叩いて誤解を解く。
着替えを眺めているとき、綺麗な髪の隙間から背中の紐が見え隠れしていたので気になっていたのだ。
「普段は、寝るときに外します。ただ、遠征中は付けたまま寝た方がいいとネルが言ったので」
「ネルが?」
「はい。その……ケダモノが来るかもしれないから、と……」
「…………」
背後で身じろぎする毛布の膨らみを睨みつける。
何てことを言ってくれるのだ、こいつは。
(今回は結果オーライか……)
ネルが余計なことを言わなかったら、ティアの豊かな膨らみは侵入者たちの視線に晒されただろう。
少し触れられただけでああなってしまうほど貞操観念が高いティアだ。
そうなっていたら――――もう考えたくもない。
本当に無事で良かったと安堵しつつ、ティアを抱き寄せて膝の下に手を差し入れ、横抱きにした。
「もう遅い。そろそろ寝る時間だ」
俺はお姫様を抱え、ネルの隣まで連れて行った。
しかし――――
「ティア?」
「嫌です」
しかし、お姫様は俺の首をがっちりホールドしたまま放してくれない。
「明日もあるんだ。寝不足で集中力が落ちたら、またさっきみたいなことになりかねない」
「それは嫌です。だから、アレンさんも一緒に寝ましょう」
「うーん……」
俺の言うことにここまで抵抗するティアは珍しい。
やはり恐怖が残っているのかもしれない。
もしそうだとしたら、俺が添い寝するだけでティアの不安が軽くなるのだとしたら。
男として、あるいはティアを怯えさせた贖罪として、それくらいはすべきだろう。
「わかった。それなら向こうのベッドに行こう」
俺は反対側のベッドに視線を向け、ティアを再び抱き上げようと力を込めた。
しかし、ティアは首を横に振る。
「それだとネルが不安がります。ここで一緒に寝ましょう」
「それじゃ狭いだろ……」
この部屋のベッドは2人用だ。
すでにネルが陣取り、もう半分しかスペースがないベッドを見下ろす。
すると、ティアの言葉に押されるように毛布の膨らみがもぞもぞと奥の方に動いた。
ご丁寧に枕までずらしてくれている。
「これで大丈夫ですね!」
「…………」
なんだかんだ言ってネルも不安なのだろうか。
あるいはティアのわがままを叶えようとしているだけだろうか。
いずれにせよ、そうまでされては断ることはできなかった。
「ふふっ」
先に毛布の中に入ったティアは俺に左腕を広げさせ、その中に収まるとぎゅっと抱き着いてきた。
幸せそうな様子に、思わず笑みがこぼれる。
しばらくの間もぞもぞと動いて落ち着ける体勢を探していた彼女は、肩の近くに頭を乗せると間もなく寝息を立て始めた。
やはり疲労が溜まっていたのだろう。
せめて朝までは、ゆっくりと心を休めてほしい。
ティアの寝息を聞いていると、釣られてまぶたが重くなる。
ぼんやりとした頭がそれを受け入れるか振り払うか迷っているうちに、俺も深い眠りに落ちていた。
◇ ◇ ◇
翌朝の早朝、俺たちは街の西門を訪れていた。
日が昇ったばかりの街はすでに動き出しており、人や荷を乗せた馬車が何台か西門を通ってさらに西へと旅立っていく。
そんな中、彼らの商隊も護衛の冒険者たちを伴って西門へとやってきた。
他の商隊と合流すると聞いていたにもかかわらず、隊の規模は昨日と変わらない。
しかし、全てが同じではない。
変わっていたのは彼らの積み荷。
少しでも多くの荷を運べるよう効率化した荷台に不自然に空けられた領域が、異様な雰囲気を纏っている。
きっと積み込む予定の荷物が届かなかったのだろう。
「おはようございます、エクトルさん」
「おお!アレンさん、おはようございます!もしやわざわざ見送りに来てくださったのですか?これは嬉しいことです!」
たった今、俺たちに気が付いた風を装った商人たちが、魔導馬車の御者台から降りて歓迎の声を上げた。
その様子から悪意を感じることはできない。
この笑顔に騙された冒険者が、一体どれだけいるのだろうか。
「エクトルさんに紹介していただいた宿でのもてなしは、私たちにとって印象深いものでしたから。どうしてもお礼をしなければと思って、こうして待っていたんですよ」
「そんな、とんでもない。お礼なんて結構ですとも」
護衛依頼を完遂した冒険者と依頼者の間で行われるのんびりとした会話。
そこに隠された真意を、無関係の通行人が知ることはない。
「そう言わずに。この遠征を通して多くのことを経験させていただきましたから、どうかこれだけでも受け取っていただきたいんです」
「……これは?」
俺が差し出したのは、ひとつの大きな皮袋。
エクトルは気づいたはずだ。
これが、昨日エクトルに盗賊の首を引き渡したときに使った皮袋と同じものであることに。
そして――――その皮袋に、再び中身が詰まっていることに。
「昨夜、無粋にも宿を襲撃したならず者がおりまして、私たちが全て始末しました。昨日の者たちの首とあわせて、いくらかの足しになればと思いまして。ああ、私たち以外の客や宿の者たちに大事はなかったようですから、どうかご安心を」
「おや、そんなことが……。それは何と言いますか、アレンさんには申し訳ないことをしてしまいました」
エクトルはずしりと重い皮袋を護衛に引き渡すと、神妙に頭を下げた。
エクトルの部下たちも、それにならって頭を下げる。
彼ら演技は見上げたもので、とても尻尾を出してくれそうにない。
しかし、彼らは気づいているだろうか。
彼らの背後で荷を守る護衛の冒険者たちの顔が、緊張と恐怖で強張っているということに。
「お気になさらず。ただ、ひとつ残念なことをお耳に入れなければなりません」
俺は気にした様子も見せず、会話を続ける。
ここまでは前置きに過ぎない。
本題はここからだ。
「昨日エクトルさんたちの要請で盗賊から救出したアリーナさんですが……、彼女が宿を襲撃したならず者を率いていたんです」
「そんな!何かの間違いではないのですか!?」
「残念ですが……」
「そう、ですか……」
驚いて言葉を失う商人と、恩を仇で返されたことを悲しむ冒険者の図。
手前味噌だが、俺の演技も捨てたものではないと思う。
もちろん、エクトルの演技と比べられたら大根役者もいいところだろうが。
「彼女は、今……?」
遠慮がちに尋ねるエクトルに、俺も申し訳ない気持ちを前面に出して応じる。
「今ではこうして落ち着いていますが、昨夜は私も突然の夜襲で昂ってしまいまして……。恥ずかしながら、できればお別れもご遠慮いただきたい惨状ですよ。宿の部屋も酷く汚してしまいまして、宿の主人には本当に申し訳ないと思っている次第です」
「いえ……仕方ないこと、ですね。それだけのことを、彼女はしてしまったのですから……」
「ご理解いただきありがとうございます。ところで、ひとつ伺ってもよろしいですか?」
少しだけ、声のトーンを真剣なものに変えた。
「はい、どういったことでしょうか?」
それでもエクトルの反応は変わらない。
まだ、彼の仮面を剥がすには足りないようだ。
それならそれで構わない。
俺は予定どおり、淡々と話を続けるだけだ。
「実は昨夜、彼女を弄んでいるときに興味深い話を聞いたのです。なんでも、私の襲撃を指示した黒幕が別にいて、彼女はそれに従っていただけなんだとか。その黒幕というのが、なんとこの街に影響力を持つ商人だそうで、エクトルさんに心当たりがないか聞いてみようと思っていたんですよ」
「そうだったのですか……。残念ですが、私に心当たりはありません。アレンさんを襲う動機のある商人など想像もつきませんし、影響力のある商人というのも、少なくはありませんので」
「そうですか、それは残念です」
「お力になれずに申し訳ありません。では、私はそろそろ――――」
「ああ、もうひとつ」
暇を告げようとするエクトルの言葉を遮って、俺はエクトルを呼び止める。
まだ、逃がすわけには行かないのだ。
「実は、私たちもこれから交易都市に向かうことにしたんです。どうでしょう、また私たちを雇いませんか?」
「おや……それはまた急な話ですね」
「予定では、このまま帰るつもりだったのですが、もう少し稼ぎたいと思いまして。エクトルさんたちも、不安ではありませんか?」
「不安、ですか?」
「ええ、だって――――」
俺は笑った。
作り笑いなどでは断じてない、本心からの笑顔だ。
だって、昨日から楽しみで仕方なかったのだ。
「護衛も商人も、誰彼構わず皆殺しにする……、そんな恐ろしい盗賊が出るような気がするんですよ」
俺の言葉を聞いたエクトルが、どのような顔をするだろうかと。
「………………」
俺の期待に反して、エクトルの表情は変わらなかった。
しかし、それはエクトルが動揺していないことを意味するものではない。
怯えも、恐怖も、困惑もない。
エクトルの表情は、感情を殺しただけの不自然なものだったから。
ちなみに、怯える者が多い中でエクトルと同じく無表情を保つ者がもう一人。
遠征前の打ち合わせでは俺の実力を疑い、遠征中には食事を差し入れてくれた若い男だった。
半人前など、とんでもない。
彼はエクトルの右腕として、相応しい胆力をお持ちのようだ。
「護衛も頼りないようです。ご検討いただけませんか?」
「いえ、頼りないなど……。そんなことは……」
「本当ですか?失礼ですが、盗賊が出ると聞いただけで皆さん真っ青ですよ?街の中にいるのにこの様子では、盗賊に勝てるとはとても……」
「…………」
ここでエクトルは、初めて苦い顔になった。
きっと彼の頭の中では、いろいろな計算がなされているのだろう。
だが、この迷いはエクトルにとって致命的だ。
もし彼がこの場で用意できる手札の中に、恐ろしい盗賊に対抗できるだけのカードがあるならば、俺の申し出を迷わずに断ることができるはずなのだから。
エクトルが強気に出てこないということが、彼の手札の乏しさを証明している。
間違いない。
この街には、俺たちを抑えることができる戦力は存在しないのだ。
少しの沈黙の後、エクトルに笑顔が戻った。
「せっかくですが、お気持ちだけいただいておきたいと思います」
「…………」
意外にも、俺の提案は拒否されてしまった。
盗賊など出ないと思っているのか、それとも――――
いずれにせよ、もう話すことはなさそうだ。
「そうですか……。それは本当に残念です。では――――」
俺はエクトルに別れを告げようとすると、今度はエクトルが、それを制すように俺を呼び止めた。
「代わりに、ひとつ私から提案があります」
エクトルの右腕である部下が、荷台から運んできた皮袋をこちらに差し出した。
俺の代わりに、クリスがその皮袋を受け取る。
「不運な出来事とはいえ、私が紹介した宿で残念なことが起きてしまいました。そのことについてのお詫びの気持ちです」
ジャラジャラと、金属が擦れる音がする。
中身が全て銀貨であっても、エクトルが依頼料として支払った額よりずっと多い。
紹介した宿に不備があったことに対する詫びとしては、非常識なほどに高額だ。
袋の口を少し開けて中を覗いたクリスが、小さく頷いた。
「これは、お気遣いいただきありがとうございます。ありがたく頂戴します」
クリスの反応を確認してから、俺は柔らかく笑って頭を下げた。
「気が変わりました。やはり、私たちはこのまま本拠地に戻ることにします」
「そうですか。では、ここでお別れですね」
俺とエクトルは、しっかりと握手を交わす。
エクトルの背後で護衛の冒険者たちが安堵する中、俺はにこやかに自分たちを売り込んだ。
「次の機会を楽しみにしています。そのときは、黒幕の商人とやらの首もこの手で刎ねて見せましょう」
遅れを取り戻すために急いで西へと旅立った商隊を、俺たちはその場で見送った。
「婉曲で、まどろっこしくて、まるで商人の同士の会話みたい」
「アレンが味方でよかったねえ」
「アレンさんは、いつだって頼りになるリーダーです」
「いろいろ話もあるだろうが、まずは俺たちも出発しよう」
エクトルたちの影が見えなくなると、俺は仲間たちに声をかけた。
「クリスは食料と水を」
「わかったよ、アレン」
「ティアとネルは東門で馬車を抑えておいてくれ」
「行先は?」
「二人に任せる。帰りは急がないから次の街まででもいいし、無理がない行程で都市まで戻れる便があるならそれでも構わない」
馬車の速度はピンキリだ。
大荷物を積んだ魔導馬車が強行軍で2日掛けた行程も、早朝から高速の魔導馬車を飛ばせば1日で済むかもしれない。
土地勘のない場所では、実際に現場で判断した方がいいだろう。
「了解。行こう、ティア」
「アレンさんはどうするんですか?」
「ちょっとやることがある。そう時間はかからないと思う」
「わかりました。では、門で待ってます」
「ああ、頼む」
小走りで街に散る仲間たちを、その場に留まって見送った。
「…………ははっ」
思わず頬が緩み、小さな笑いが漏れた。
昨夜、ベッドの上で麻痺毒にのたうち回っていたとき、焦がれるほど望んだ未来がここにある。
残酷な悪意に打ち勝った俺たちの冒険は、これからも続いていく。
朝日を受けて駆けだす仲間たちの後ろ姿は、俺にそんな実感を与えてくれた。
(おっと、こうしちゃいられない……)
あまり時間をかけると、捕まえた馬車を逃してしまう。
この街でやるべき最後の用事を済ませるため、俺は足早に路地に入り旅館へと向かった。
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