第164話 それぞれの恐怖2
俺は少しでもティアを安心させようと彼女に笑顔を向けながら、その様子を真剣に観察した。
先ほどネルを泣かせてしまったばかりだ。
パーティのリーダーとして、これ以上の失態を重ねるわけにはいかなかった。
ティアが今夜の出来事で傷ついていることは疑いようもない。
それを一瞬で癒すことまでを望みはしないが、せめて傷を抉るような言動は避け、今夜はゆっくりと心と体を休めてもらいたかった。
ティアの表情を注意深く観察すると、やはり彼女の表情には怯えが混じっていた。
残念なことに、俺に近づくことを躊躇しているようにも見える。
今までのティアには見られなかった反応だ。
これが意味するところは――――
(男が怖くなった、か……)
無理もない。
自分よりずっと体の大きい男に2人掛かりで抑え付けられ、衣服を裂かれ、凌辱されようとしていたのだ。
俺とあれらが違うとわかっていても、すぐに本能的な恐怖を克服することは難しいだろう。
それでもティアはおそるおそる俺に近づこうとしていた。
怯えを押し隠し、無理にでも笑って、俺に触れようとしていた。
そんなティアを見ていられなくて、俺は手の動きでティアを制した。
「…………アレン、さん?」
「ティア、焦らなくていいんだ」
「焦り、ですか?」
こうした何気ない会話の最中でも、彼女の怯えが強くなるのだ。
先ほどはティアの無事に感極まって強く抱きしめてしまったが、やはりこれ以上はやめておいた方がよさそうだ。
「疲れただろう?無理せず、ネルの隣でゆっくり休んでくれ」
ネルが丸まっている横を叩き、俺自身は反対側のベッドに移るためにティアの横を素通りする。
なるべくティアを怯えさせないようにゆっくり、そしてティアに近づきすぎないように。
しかし、ティアの反応は俺の予想を裏切るものだった。
「アレンさん、待ってください!もう大丈夫ですから!ちゃんとシャワーも浴びて、体も洗ったんです!!」
「ッ!?」
ティアはあろうことか俺の進路を遮り、俺に詰め寄ってきた。
「大丈夫です!ほら、ここも、ここも!一生懸命洗いました!!」
必死に同じ言葉を繰り返すティアは、浴衣の袖をまくって両手首を見せる。
ティアの言葉に釣られて、俺はそこに視線を落とした。
「――――ッ!」
それを見て、俺は息を飲んだ。
ティアの綺麗な白い肌にくっきりと浮かび上がる紫色の手形。
男たちに強い力で握られた場所が内出血を起こして、酷い痣になっていた。
髪が逆立ち、思わず奥歯に力がこもる。
これを為した生ゴミにすら劣るクズ共に、俺の怒りを叩きつけてやらなければ――――そう考えたところで我に返った。
(いや、そうだった……。もう、どうしようもないことだ……)
ティアを怖がらせないよう、自分自身に言い聞かせる。
怒りをぶつける相手はもうどこにもいない。
もう全員、この手で骸に変えてしまった。
「ふー……」
俺はわずかな時間で冷静さを取り戻した。
それは裏を返せば、わずかな時間でも冷静さを失っていたことだ。
だから俺は、ティアが豹変した瞬間を見逃してしまった。
「そんな……そんな目で、見ないでください……!」
「え……?」
俺は我に返り、視線を上げた。
そして、そのあまりの変わりように凍り付いた。
必死――――彼女の様子は、そう表現するほかない。
普段の柔らかくて眩しい笑顔も、穏やかな優しい声も失われた。
得体のしれない何かが、彼女を変質させてしまっていた。
「もう大丈夫です!だから、待ってください!!」
「ティア、落ち着いてくれ。今日はもう休め……な?」
「嫌です!!絶対に嫌です!!お願いです!もう大丈夫ですから!!」
ティアは何かに憑りつかれたように大丈夫だと繰り返したが、俺の目には全くそうは見えない。
彼女が俺に何を伝えたいのかもわからず、困惑ばかりが募る。
それでも、ティアは繰り返した。
「もう、大丈夫です!私は大丈夫ですから!!」
「ティア、わかったから!今日はもう――――」
俺はティアが精神的な疲労から混乱しているのだと思った。
だから、彼女の両肩を掴んで無理にでもベッドに押し込もうとした。
すると――――
「放してくださいっ!!!」
「ッ!!」
ティアが、俺の手を打ち払った。
俺がそれを理解するまで、数秒の時間が必要だった。
腕にわずかな痛み。
そして、俺の心にはそれを遥かに超える激痛が走った。
「お願いですから!私の言葉を聞いてください!」
「ティア……」
胸の前で祈るように手を合わせるティアは、俺だけを見つめている。
なのに――――
(こんなこと、一度だってなかったのに……)
俺の言葉が彼女に届かない。
彼女の言葉も、俺に届いてはいない。
俺は、もうどうすればいいのかわからなかった。
混乱の極致にある俺に、それでも彼女は何かを伝えようと叫ぶのだ。
「アレンさんのおかげで純潔は守られました!!本当に見られたくないところだって、見られずに済みました!!触れられてしまったところはありますけど、しっかり洗いました!!痣だってしばらくすれば消えます!!」
「ティアの言うとおりだ。だから――――」
「だからっ!!!!!」
彼女は俺の言葉に被せるように絶叫し、咳き込んだ。
喉を傷めてしまったのか、そこから先の言葉は中々続かなかった。
華奢な両肩を上下させ何度も荒い息を吐くティアを、俺は黙って見ていることしかできない。
振り払われた手は行き場を失って、宙を彷徨うばかりだ。
少しして、ついにポタポタと音を立てて、床に水滴が落ちた。
大粒の涙がティアの頬を伝って、彼女の足元に小さな池を作っていく。
(ああ……)
それを見た俺は、思ってしまった。
(もう、終わりだ……)
全てを諦めて天を仰ごうとした、その寸前――――
「だから…………」
両手を握りしめて俯くティアの口から、掠れた言葉を聞いた。
「きた……ものを…………私を、見ないで……」
小さな呟きは、確かに俺の耳に届いた。
「…………」
時間をかけて彼女の言葉を噛み砕き、その意味を理解したとき。
俺の頭は真っ白になった。
「ティア、お前……」
俺はようやく理解した。
“大丈夫”の意味も、ティアを変えてしまった得体のしれない何かの正体も。
全てを理解した俺の中で、愛おしさと情けなさが混じり合い、鼻の奥がツンとなる。
「…………」
一刻も早く、ティアに大丈夫だと言ってやりたかった。
けれど、茹だった頭では、それを上手く伝える言葉を見つけられない。
考えるより先に、身体が動いた。
「――――ッ!?」
俺は強引に、ティアの唇を奪った。
数秒か、十数秒か。
涙で塩気のある唇を味わい、強張るティアの体の力が抜けたときを見計らって、彼女の体をベッドに突き飛ばす。
「きゃっ!?」
彼女の混乱が収まらないうちに、俺は彼女の上にのしかかった。
腕を掴んで頭の上で抑え付け、再び唇を奪う。
ティアの体が驚きと困惑から強張ったことに気づきながら、構わず彼女を貪った。
ゆっくり唇を離すと、唾液が糸を引いた。
「動くな」
身じろぎするティアの耳元で、彼女に命じる。
お願いではなく命令。
彼女の意思を尊重するわけではない。
誰かに求められたわけでもない。
ただ俺の意思を押し通すために、俺は自分勝手な言葉を彼女に突きつけた。
「…………」
ティアは、体の力を抜いて目を閉じた。
それを見届けると、俺は両手を使って彼女の柔らかな肌に触れていった。
腕に、手首に、太股に。
頬に、耳に、髪に、首筋に。
浴衣をはだけさせ、肩に、腹に、そして胸元に。
下着が覆い隠しているわずかな部分を除いて、彼女の体のあらゆる場所を、俺の両手がまさぐった。
「…………ッ」
ティアの体が何度も跳ねそうになり、その度に彼女は自力でそれを抑え込んだ。
俺の手を払いのけることもない。
今の彼女にとって、これはきっと必要な儀式なのだ。
「ふう……」
思いつく限りの場所をまさぐって、途中からは彼女の反応を楽しむ余裕を得ていた俺は、それに満足すると再び彼女の両腕を抑え付け、彼女を見下ろしていた。
ティアの呼吸は荒く、目には涙が浮かぶ。
なんだか良くない趣味に覚めそうになる自分から目を逸らし、俺は最後の仕上げのために彼女に顔を近づける。
「ッ!」
鎖骨の下に軽く口づけ、首筋に顔をうずめる。
昨夜と同じように彼女を抑え付け、何度も息を吸ってその匂いを堪能した。
最後に大きく深呼吸して、ついでとばかりにぺろりと首筋を舐めて、俺はようやく顔を上げた。
されるがままに弄ばれ、ティアはそれでも文句ひとつ言わなかった。
ただ、俺の言葉を待っている。
怯えと期待が入り混じり、跳ねる鼓動が俺にまで伝わってくるようだ。
(おっと、こうしてる場合じゃなかった……)
つい本来の目的から逸れてしまいそうになるが、あまり待たせてはティアがかわいそうだ。
俺は優しく笑いかけ、ティアに結果を告げた。
「柔らかい肌も、綺麗な髪も、甘い匂いも……全部俺の知ってるティアのままだった。だから、もう大丈夫だよ、ティア」
最後にもう一度触れるだけの口づけをして、ティアの両腕を解放した。
浴衣の前を閉じて適当に帯を結び、彼女の上から少しだけ腰をずらしてベッドの上に腰を下ろした途端――――
「う、うわああああっ!!」
「おっと……」
今度は俺がティアに押し倒された。
泣きじゃくるティアの髪を撫で、優しく抱きしめながら周囲に視線を向ける。
毛布の膨らみは時々身じろぎするだけで大きな変化はない。
一方のクリスは、こちらを見ていない振りをして廊下の方を睨みつけながら、「なんでそうなるんだ?」と言いたげな表情を隠しきれていなかった。
(傍から見れば、俺がやりたい放題してただけだしな……)
ティアの怯えを消し去るために必要なことだった。
彼女は汚れてなんていないということを。
手に痣があったって、強引に触れたいくらい魅力的だということを。
彼女に誤解の余地なく理解させるためには、これが最も確実で手っ取り早い方法だった。
ついでに、俺の独占欲も十分に満たされた。
(しかし、まさかなあ……)
男に襲われて怖い思いをした少女が、まさか俺の心情を気にして怯えていたなんて思いもしなかった。
――――汚いものを見るような目で、私を見ないで。
掠れた声が脳裏に蘇る。
最悪の結末を迎えたわけでもない。
少し触れられた程度のことなのだ。
それなのに、汚されたから嫌われるかもしれないなんて。
そんなことはいいから、自分の心配をしてくれと。
思っても、言いはしないのだが。
「バカだなあ、ティアは……」
少しだけ泣きが収まってきたティアの頭を、優しく撫でる。
するとティアが少しだけ顔を上げ、泣きはらした目で俺を睨んだ。
「アレンさんが悪いんです……」
「え?」
「アレンさんが、今まで見たことないような冷たい目をするから……」
「そんなこと……あー……」
心当たりがひとつだけあった。
ティアの豹変の直前だ。
俺は彼女の両手首の痣を見て、きっと酷い顔をしていたことだろう。
当然、ティアをこんな目に会わせた奴らに怒りを燃やしていたのだが――――彼女の目にはそう映らなかったようだ。
(となると、地味にショックだなあ……)
両手首に他の男が付けた痣ができた程度のことで、彼女への興味を失う。
俺はティアから、そういう男だと思われているということだ。
彼女自身は俺に対して重すぎる想い――仲間としての信頼を含めて――を向けているのに、俺からティアへの想いは信じてもらえていないらしい。
日頃の行いを思えば当然。
そう言われてしまうと、ぐうの音も出ないのが情けない話であるが。
「アレンさんは、なんであんなに冷たい目をしていたんですか?」
「うん?」
気づけば、ティアが恨みがましい目でこちらを見ていた。
そんな視線を向けられても、拗ねたティアもかわいいという感想しか出てこない。
(なんで、といわれると……)
ティアに向けたものではないと説明した以上、答えはわかり切っている。
そう思うのだが、口に出してほしいという遠回しな催促だろうか。
ティアを見つめ返すと、少しだけ照れたように頬が染まった。
そんな彼女の様子が可愛らしく、つい焦らしたくなってしまう。
かといって「大切な仲間を傷つけられた怒りで。」なんてつまらない返しはティアを失望させるだろう。
ようやく持ち直したティアの気分を、わざわざ降下させるのはよろしくない。
そんな思考の末に、俺は答えを告げた。
「それは秘密」
「「ええ!?」」
声がハモった。
片方はもちろんティアのもの。
もう片方の声の主に向けて、俺は言った。
「なんだ、クリス?敵が来たか?」
「いや……。来てない、けど……」
「そうか。それじゃ、俺たちは休むから。引き続き警戒をよろしくな」
「ええ……?」
「ティア、悪いが浴衣は脱いで装備を着込んでくれ。何かあったらすぐ戦えるようにな」
「はい……」
ティアは不満そうな表情を隠しもせず、それでも俺の指示に従って着替えを始めた。
別にこの場で着替える必要は全くない。
そんなことに思考を向ける余裕すら失ったのか、彼女は部屋の隅に積まれた荷物の前で、着ていた浴衣をハラリと落とした。
俺はその瞬間、バッと後ろを振り向く。
クリスは「僕は見てないよ!」と言わんばかりに明後日の方向を向いていた。
じっくり数秒クリスを睨みつけて牽制してから、俺自身はティアの方を振り返る。
クリスはダメだ。
でも、俺はもうさっき散々見たのだから今更だろう。
そう自分に言い訳して、俺はティアが着替える様子を堂々と眺めていた。
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