第158話 勝利の宴




「これも……これも、あなたの差し金ですか!!リヴァロル!!」


 エクトルたちの荷馬車が合流した途端、アリーナは激しい剣幕で彼らに詰め寄った。

 クリスに視線で対応を問われ、どう対応したものかと思いながらも、物理的な危険はなさそうだと判断した俺はひとまず様子見に徹する。

 ただ、手が出たときに備えて少しだけエクトルとアリーナに近づいた。


「落ち着いてください、グレスラーさん。あなたは何か誤解をしています」

「何をぬけぬけと!!そう言って優しい顔をしながら私たちを追い込んでおいて、よくも!!」

「それも誤解です。私たちにはあなたたちと上手く付き合っていく用意がありました」

「あなたたちにとってはそうでしょうね!!私たちに首輪をつけて、さぞや上手い商売になるでしょう!!」


 アリーナがエクトルとの距離をさらに詰める。

 もう一歩踏み出せば頬を引っ叩くこともできそうな距離だ。


「落ち着いてください。あなたを力づくで取り抑えたいとは思いません」

「――――ッ!!」


 はっとしたように背後を振り返る。

 アリーナの視線の先に居るのは俺たち『黎明』だった。


 俺たちがエクトルに雇われた冒険者であることは先ほどアリーナに伝えている。

 彼女の目には俺たちが彼女を抑えるための暴力に見えていることだろう。

 しかし、先ほどまでは仲良くやっていた相手から敵意を込もった視線を向けられるのは中々に気まずい。

 少しでも場の緊張を緩和しようと、俺はエクトルに話を振った。

 

「あー……。エクトルさん、お知り合いで?」

「ええ。グレスラーさんは今回の護衛依頼の目的地である街で細工師を営んでいる方でして。腕がいいと評判で、我々も彼女の作品を扱いたいと交渉していたところでした」

「交渉が、聞いて呆れるわ……」


 怒りを押し殺して、アリーナが吐き捨てた。

 

 場に沈黙が落ちる。

 両者とも口を開かないので、再び俺が口火を切る羽目になる。


「いろいろ事情があるようですが、とにかく西の街に向かいませんか?このままでは日が暮れてしまいます。アリーナさんも一度街に戻られてはどうですか?こんな時間から護衛なしに移動するのは危険でしょう」

「それは……」

「馬は盗賊たちが持っていたものがありますから、2頭差し上げます。私たちについてくれば街までの危険はありません」

「…………」


 アリーナの見定めるような視線を真っ向から受け止める。

 しばらく見つめ合った後、彼女は視線を落として呟いた。


「わかりました。お願いします……」


 そう告げた彼女は、悄然と自分の荷馬車へと戻っていった。

 何かを諦めたような後ろ姿が、俺の心に小さな棘のように引っかかっていた。






 そこから西の街までの道中はさしたる危険もなく、俺たちは無事に依頼を終えることができた。

 到着は日没ギリギリだったが、多少のトラブルは商隊の常だとエクトルは笑った。


「大変に頼もしいパーティでした。今後も期待させてください」

「私たちでよければ、依頼をお待ちしてます」


 依頼票にサインをもらい、最後に握手を交わす。

 ここからエクトルたちはさらに西の街へ旅を続けることになるが、そのための冒険者の手配は彼の商売仲間がすでに整えているという。

 大商会の組織力を思い知らされる話だ。


「しかし、本当に気前がいいね。まさか僕たちの宿まで用意してくれるとは思わなかったよ」

「若く勇敢な冒険者と仲良くなるための、ちょっとしたサービスですよ」

「ありがたく頂戴しますわ」


 クリスとネルが言うとおり、エクトルは俺たちの宿まで世話してくれた。

 この街では2番目にランクの高い宿だそうで、なんと個室に浴室が付いているという。


 しかも、エクトルのサービスはそれだけではない。

 集めた盗賊の首や装備品、そして馬を相場より高く買い取ってくれたし、生け捕りにした盗賊の引き渡し手続まで引き受けてくれた。

 おかげで俺たちは面倒な手続きに煩わされることなく、好きなときにこの街を出ることができる。

 サービスされるばかりでは悪いから、明日の朝、彼らの出立を見送るくらいのことはした方がいいかもしれない。


 別れの挨拶を交わし、エクトルたちは去った。

 

 その場に残されたのは俺たち『黎明』と――――


「アレンさん、先ほどは取り乱してしまい申し訳ありませんでした」


 アリーナは気落ちした顔で深々と頭を下げた。


「いえ……。怖い思いをしたのですし、仕方のないことです。あまり気を落とさないでください」

「はい……。本当に、申し訳ありません」


 何度も頭を下げるアリーナを宥め、彼女とも別れを告げた。

 しかし、馬の手綱を取りながらとぼとぼと街並みに消えていくアリーナの後ろ姿に、どうしようもなく不安を感じてしまう。

 

「アレンさん、行きましょう」

「ああ、そうだな……」


 後ろ髪を引かれるような思いを振り払って、俺は仲間と共に今宵の宿へと向かった。


 気落ちしてばかりもいられない。

 なにせ、これから『黎明』の初遠征成功を祝した打ち上げが行われるのだから。

 

「せっかくのお祝いです!楽しまなきゃ損ですよ?」

「……ああ、そうだな!」


 俺の手を引くティアの笑顔につられ、気づけば俺も笑っていた。



 

 街の目抜き通りにある宿は、どこか日本の旅館を思わせる独特の造りをしており、簡単に見つけることができた。

 宿の受付で鍵を受け取るとき宿の大旦那が挨拶に出てきたのだが、なんでもエクトルから精一杯もてなすよう頼まれたらしく、今晩は料理長が腕を振るうと約束してくれた。

 料理に期待が膨らむ一方で、俺たちはエクトルの顔の広さにまたしても驚かされることになった。


 その後は女将に部屋まで案内してもらった。

 宿は2階建てで、俺たちにあてがわれた部屋は2階の奥の広々とした部屋だ。

 気を利かせてくれたのか、2人部屋が2つ。

 音が外に聞こえにくいから酒盛りで大騒ぎしても大丈夫だというが、旅館にある防音性に優れた部屋となれば本来の用途は別にあるのは間違いない。

 うちのパーティにそれを理解できない人間はいなかったため、クリスは微笑み、ティアは赤面し、ネルは不機嫌になるなど、それぞれ個性豊かな反応を見せた。

 結果的にネルが強硬に主張したことで――俺も元々そうするつもりだったが――男女別に部屋を利用することに決まった。

 俺たちは集合時間を決めてゆっくりと入浴を済ませると、1階にある宴会用の個室に集まった。


 そして約束の時間。

 俺の隣にティア、クリスの隣にネル。

 向かい合って並び、横長の席に腰を下ろす。


「それじゃ、俺たち『黎明』の初遠征、その成功を――――」

「お疲れ様さまー!カンパーイ!」

「「カンパーイ!」」

「お前ら…………」


 乾杯の音頭をネルに横取りされて溜息を吐く。

 最近溜息の数がグッと増えたのは気のせいではないはずだ。

 その半分くらいはネルが原因である気がして、美味しそうにワインをあおるネルを恨めしく思ってしまう。


 しかし、そんな不満も今だけは忘れよう。


「アレンさん、お疲れ様でした!さあ、いっぱい飲んでくださいね」

「ありがとう。ティアもお疲れ様」


 雰囲気のいい静かな個室。

 高級宿の料理人が腕によりをかけた料理の数々。

 浴衣のような衣装を纏った美しい少女の酌と、味わい深い果実酒。

 

 これで満足できなければ嘘だろう。


「ティアはお茶か?酒は飲めないんだっけ?」

「お酒は嫌いじゃないんですけど、あまり強くないので控えてるんです」

「せっかくの機会なんだ。少しだけどうだ?」

「ふふっ、アレンさんに勧められては仕方ないですね」


 俺が注文した果実酒をグラスに半分ほど注いでやると、ティアもちびちびと舐めるように酒を飲み始めた。


「あ、飲みやすくておいしいですね!」

「だろ?俺はワインよりこっちの方が好きなんだ」

「では、もう一杯いかがですか?」

「ああ、頼む…………おっと」


 なみなみと注がれた果実酒がグラスからこぼれないように口を付ける。

 こんなに美味しい酒をこぼすことなんて、そんなもったいないことは許されない。


「注ぎ過ぎちゃいました。ふふ……」


 早くも目がとろんとしてきたティアが果実酒の瓶を抱えて微笑んだ。

 そんなティアを見て、俺も細かいことはいいかと思い直した。


「まったく、アレンはワインの良さを知らないからそんなことを言うんだよ」

「なんだと?」


 甘い果実酒を楽しんでいると、正面に陣取るワイン党から聞き捨てならない言葉が放たれた。

 そればかりか、そいつはボトルを片手に産地がどうとか年代がどうとか、聞きたくもない講釈を垂れ始める。


「――――というわけで、このワインは最高級品とまではいかないけど、中々に味わい深いワインなんだ。これを飲まないなんて、人生損してると言っても過言ではない…………そんなわけでネルちゃん、こっちもどうだい?」

「………………」


 何かと思えば、ネルを酔わせて口説くための前置きだったようだ。

 それがわかると争う気も失せてしまう。


(第一、そんな見え見えの誘いにこいつが乗るわけが……)


 そう思いながら料理を摘まんでいると、意外にもネルの反応は好意的なものだった。


「せっかくだし、少しちょうだい」

「もちろん!」

 

 クリスは慣れた手つきでボトルを傾け、ネルのグラスにワインを注いだ。

 ネルの方も注がれたワインを口には運ばずに香りを楽しんでいるところを見ると、こちらもワインは飲み慣れているのかもしれない。


「あら、良い香り……。味も結構好みかも」

「そうだろう?さあ、せっかくの機会だ、どんどん楽しもう!」

「注がれるばかりじゃ悪いから、あたしも注いであげる」

「本当かい?ネルちゃんに注いでもらえるなんて光栄だね」

 

 いつもクリスを邪険にしているネルはどこへ行ったのか。

 そう思いながら二人のやり取りを見つめていると、ふとネルの口元がにやけていることに気が付いた。


(ああ、なるほど……)


 ネルの考えを理解して、俺は内心で合掌した。


 ネルが次々とグラスを空けるのは酒に対する自信の表れ。

 同じ数だけグラスを空けさせられるクリスは酔いが回っているのがよく分かるのに、ネルの様子は飲み始めた頃と大差ない。

 これではクリスがネルを酔わせてお持ち帰りなんて成立するはずもなかった。


(外に投げ捨てられないようにだけ気を付けておくか……)


 下心満載で目当ての女に酒を注ぎ、飲み負けて身ぐるみ剥がれるのは自業自得とも言える。

 それでも、下着姿で目抜き通りに転がされるのは流石に忍びない。


「アレンさん、どこを見てるんですかー?」

「おっと」


 向かい側のやり取りに気を取られていると、隣からティアがしな垂れかかってきた。

 両手で大事そうに抱えたグラスに、俺が注いだ酒はもう残っていない。


「アレンさん、もう一杯だけ、いただけませんかー?」

「おう。一杯だけと言わず、好きなだけ飲んでくれ」

「ありがとうございますー!」


 今度は先ほどより多めに注いでやると、ティアは嬉しそうにグラスを傾けた。


 料理と会話を楽しみながら、俺も酒をあおる。

 グラスの中身がなくなりかけたところで、すかさず酌をしてくれるティアの気配りが嬉しい。


(なんか、いいな……。こういうの……)


 行儀が悪いと口うるさく窘める者もいない空間。

 俺は片肘ついて仲間たちの様子を眺めていた。


 とろんとした目でお酒と料理を少しずつ味わい、時折こちらに微笑みかけるティア。

 両手にボトルとグラスを持って奮闘するも、ネルに敵わず轟沈寸前のクリス。

 ワイングラスを片手にクリスをあしらい、上機嫌に笑うネル。


 守るべき日常がここにある。


 なんと素晴らしいことだろうか。


(…………俺も酔っぱらってるのなあ)


 心の中とはいえ、割と恥ずかしいことを考えてしまった。

 頭を振り、酔いを醒まそうと水を一口含む。


 そんなとき、個室の戸が控えめに叩かれた。


「ん……、どうぞ……?」

「失礼します」


 引き戸を少しだけ開けて姿を見せたのは、先ほど俺たちを部屋に案内してくれた女将だった。


「『黎明』の皆様に贈り物が届いております」

「……贈り物?」


 4人で顔を見合わせる。

 心当たりがある者はいないようで、またエクトルのサービスかと思いながら贈り主を問う。


「アリーナ・グレスラーと名乗る女性からです。言伝も預かっております」

「その人はなんと?」

「『本日のお礼とお詫びに。とっておきを贈るので皆さんで少しずつ楽しんでほしい』とのことです」


 女将が差し出したのは小さなワインボトルだった。

 とっておきというからには良い物なのかもしれないが、あいにく俺はワインのことはさっぱりだ。


「クリス」

「ああ、まかぁえれうえ」

「…………」


 まったく任せられそうにないクリスにボトルを渡していいものかと逡巡していると、いつのまにか背後に回っていたネルが俺からボトルを掠め取っていった。


「あ、これは期待できそう」


 ネルが上機嫌に笑う。

 どうやら彼女は贈られた酒について知っているようだ。


「そんなに良いものなのか?」

「今なら8万デルから10万デルってとこ」

「マジか」


 そんな高い酒、もらっていいのだろうか。


「よろしければ、グラスを用意してお注ぎしましょうか?」

「僕にまかえれうえ!ヒック!」

「あー……、そうですね。お願いします」


 すでに出来上がってるのが二人いることを考えれば、宿側で用意してもらった方が安全だろう。

 ネルも同感だったのか、俺の言葉に従って素直にボトルを女将に手渡した。


 一本で大銀貨1枚と等価のワインなんて、ワイン党でない俺ですら期待してしまう。

 クリスに任せて床に飲ませてやるのはもったいない。

 

 ほどなくして、女将が4つのグラスを運んできた。


「お酒が回っている方もいらっしゃるようでしたので、倒れにくいものをお持ちしました」

「お気遣いありがとうございます」


 ポンと小気味よい音を響かせてボトルを開けた女将は、ひとつずつ丁寧な手つきでワインを注いでいく。

 グラスを全員に配り、ボトルを俺の脇に差し出すと優雅にお辞儀をして去っていった。


 俺は全員がグラスを手に持ったことを確認すると、グラスを掲げた。


「さあ、アリーナさんからお上品なワインが――――」

「カンパーイ!」

「「カンパーイ!」」

「ああ、知ってたよ!絶対やると思ったよ!!」


 笑い声があふれる中、全員でグラスをあおる。


 ネルとクリスは高価なワインにご満悦。

 ティアは味がよくわからないのか、首をかしげながら舐めるように少しずつ飲んでいた。

 

 俺はというと――――


(うん……。上品と言われると、上品な気がしてくるような味だな……?)


 次にアリーナに会うことがあれば、美味しいワインをありがとうと伝えようと思った。



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