第159話 震える夜
高価なワインを堪能し、4人のうち2人が沈んだところで打ち上げはお開きとなった。
明日の起床時間を示し合わせることもできなかったので適当な時間に声をかけるとだけネルに伝え、ネルはティアを背負い、俺はクリスを担いで部屋に戻った。
クリスをベッドに転がして毛布を掛けてやると、俺は簡単にでも剣の手入れをしておこうと思い、手入れ道具を探して荷物袋の中を漁る。
見つけたそれをベッドに放り『スレイヤ』を抱え、俺自身もベッドに腰掛けた。
ポーチからきめの細かい布を取り出してから、ずしりと重い幅広の長剣を膝に乗せ、鞘から引き抜くと――――
「あん……?」
鞘から顔を出したのは、綺麗に磨かれた『スレイヤ』の刃だった。
淡い青みがかった美しい銀色が部屋の明かりを反射して煌めいている。
「ああ、先に磨いておいたんだったか……?」
ダメだ。
どうやら俺も相当酔っているらしい。
酔いを自覚した途端、頭がクラクラしてきた。
「寝るか……」
依頼が完了した日くらい、だらけたってバチは当たらないだろう。
剣をベッドの横に寝かせ、その上にポーチを落とし、歯を磨いてベッドに潜る。
「おやすみ」
多分聞いていないだろう相棒にひと声かけて、明かりを消して目を閉じた。
目を閉じてから結構な時間が過ぎる。
俺は未だ、夢の世界に旅立つことができずにいた。
(眠れない……)
眼が冴えているわけではない。
相変わらず頭がクラクラするし、全身に怠さがある。
これほど酔っぱらったのはいつ以来かわからないほど酒に溺れたから、怠さを感じること自体は仕方がない。
しかし、泥酔しているならばそろそろ意識が落ちてもいい頃合いだ。
(昨日の睡眠が中途半端だったからかなあ……)
今、何時だろうか。
あまり眠るのが遅くなると明日の起床時間にも影響する。
懐中時計を取り出そうとポーチに伸ばした手が震える。
いくら何でも羽目を外しすぎた。
流石にこれは反省が必要だ。
明日になったら、少し仲間たちと飲み方を相談しよう。
そう思いながらゆっくり腕を動かし、再びポーチを手繰り寄せようとして――――俺はポーチを取り落とした。
「……ぁ?」
ポーチを掴もうとした手に力が入らなかった。
手が震えているだけではない。
これは痺れているのだ。
寝相が悪くてとか、そういうことではない。
幼い頃、ラウラの悪戯で飲まされたことがある。
これはたしか、麻痺毒の症状だ。
ぞわりと身の毛がよだち、頭の中が真っ白になる。
誰が。
それは、わからない。
いつ。
そんなの、決まっている。
酒や料理の中に、毒が盛られていたのだ。
「う……うい……っ!」
クリスの名を呼ぼうとして、舌が回らないことに今更気づかされる。
これは本当に洒落にならない。
即死するタイプの毒でないということは、俺たちをすぐに殺す気はないのだろう。
だが、麻痺毒の効果は長くても一晩は続かない。
つまり俺たちに毒を盛った連中は、そう時間を置かずに仕掛けてくるということだ。
(毒を盛るなら効果時間は把握してるはず!なら、敵が来る前に症状が改善する可能性はない……!)
麻痺毒が回った状態で敵と向かい合うことになる。
いや、この状態では向かい合うことすらできないだろう。
戦えない状態で一方的に弄られるか、捕らわれるか。
ロクな目に合わないことだけは間違いない。
(くそがっ!!俺は、俺は……何度繰り返せばっ!!!)
自分自身に怒りが抑えられない。
依頼完了まで妥協はしない。
そんなのは当たり前だ、大前提だ。
それだけでは足りなかった。
おうちに帰るまでが遠足だと、齢一桁の子どもでさえ知っているというのに。
(何か……、何か手はないのか!?)
飲んだ酒は違うが全員が同じ料理を食べた。
毒を盛る側として考えれば全員が口に入れるものに毒を盛るだろう。
ならば、仲間たちからの助けは期待薄だ。
(そもそも、起きているのは俺だけなのか!?)
クリスが起きているなら何か反応があっていいはずだが、耳をすませても聞こえてくるのは寝息だけだった。
やはりダメだ。
もう、この窮地から脱するには俺がどうにかするしかないのだ。
(<強化魔法>は……ダメだ、上手くいかない!)
自分の手足を動かすように滑らかに操作できるはずの魔力は、まるで痺れた手足のように鈍い反応を返すのみ。
体は動かなくても魔法は使えるのでは――――そんな微かな希望さえ潰えた。
しかし、それでも諦めず足掻く俺の脳は、新たにひとつの希望を捻り出した。
(そうだ!<リジェネレーション>!!)
俺が習得した新たなスキル。
<リジェネレーション>は常時発動型のスキルだ。
俺の状態がどうであれ、その効果を発揮してくれる可能性が高い。
たしか状態異常にも若干の効果があると聞いたはず。
(状態異常回復のスキルが、状態異常になると無力化されるなんてことないはずだろ!!頼む、治れ、治ってくれっ!!)
ポーチに手を伸ばしながら自分自身の新たな力に一心不乱に念じる。
この祈りに意味があるかどうかはわからない。
それでも祈らずにはいられなかった。
(もう、喪いたくない……!!)
いつか仲間を喪うかもしれないという可能性は、パーティを組むと決めたときに受け入れた。
(もう、後悔したくない……!!)
だが、俺たちは新たな一歩を踏み出したばかりだ。
そのときを迎えるには、まだ早すぎるだろう。
(絶対に、諦めるものか……!!)
俺が仲間たちを守るのだ。
こんなことで、大切な仲間たちを奪われるわけにはいかないのだ。
(うおおおおああああっ!!!)
ベッドから差し出した右手の指をポーチに付いているリングに引っ掛け、全力で持ち上げる。
少しずつ、少しずつ。
指から零れ落ちないように、ゆっくりと引き上げていき――――
「――――ッ!!」
ついに、ポーチをベッドに引き上げることに成功した。
俺は思い通りに動かない両手で何とかポーチを口元に寄せると、留め金を口でくわえてポーチの口を開いていく。
(頼む……あってくれ……!)
月明かりで照らされるポーチの中身。
専用のホルダーに挿さった3本のポーションが、危機的な状況を脱するための唯一の鍵だった。
最後に交換したのがいつだったか。
どこにどの効果を持つポーションを挿したのか。
使う機会がなかったから、もう覚えていない。
しかし、記憶を辿れば3本のポーションのうち2本は傷薬で、最後の1本は毒消しのはずだ。
安価な毒消しが俺の体を蝕む麻痺毒を完全に打ち消してくれるかどうかはわからない。
それでも今は、このポーションがしか頼れるものがなかった。
(一本目……)
試験管のような小瓶にコルクで封をしたポーション。
内部の液体の変質を防ぐため、ポーチのホルダーは小瓶全体を覆い隠しており、小瓶の中身はホルダーから取り出すまで確認できない。
手が震えてポーション瓶が上手く掴めない。
じれったくなるほど長い時間をかけて、俺は小瓶を取り出した。
その中身は――――透き通るような赤色だった。
(くっ!これじゃない……!)
毒消しのポーションは、いかにも苦そうな濁った緑色。
透き通るような赤色は傷薬――――ケガをしたときに服用する自然治癒力を高めるポーションの特徴だ。
(次こそ……)
最初に取り出したのは向かって右端のポーション。
これは残念ながらハズレだった。
ならば次に選ぶべきは左端のポーションだ。
余程の考えなしかひねくれ者でもなければ同じ効果のポーションは並べてセットするだろう。
3本中2本が傷薬なら真ん中は傷薬である可能性が非常に高い。
つまり、右端がハズレならば――――
(毒消しは左端だ!)
小瓶に手を伸ばす。
4分の1ほど抜ければあとは簡単に抜けてくれる小瓶は、完全にホルダーに収まっている状態では中々外に出てくれようとしない。
ホルダーの内側に付いている滑り止めが邪魔をする。
本来ならポーション瓶の破損防止に役立つ機能が今だけは恨めしい。
俺は何度も手を滑らせながら、1本目よりも長い時間をかけて左端のポーションを引き抜いた。
「う……あ…………」
思わず声が漏れた。
小瓶の中の液体の色は――――透き通る赤。
左端のポーションも、傷薬だった。
(なん、で……!?)
一刻を争うこの状況で、どうしてこうなってしまうのか。
運任せでさえ3分の1。
2回目なら2分の1で勝てるにもかかわらず、続けざまに希望を取り逃してしまう己の不運を呪う。
そのとき、不意にある考えが頭をよぎった。
(まさか…………)
月光があたらない部屋の隅から、底なしの闇が這い寄ってくるような錯覚。
平衡感覚を失ったかと思うほど悪化する動揺と震え。
頭をかすめた恐ろしい可能性は、俺の心臓を鷲掴みにした。
(まさか、毒消しが入ってない……?)
俺は毒消しポーションを用意していたはずだ。
しかし、もはやいつセットしたかも思い出せないほど古い記憶を、どうして信じることができるというのか。
傷薬、毒消し、傷薬と互い違いにセットした可能性。
毒消しをセットし忘れた可能性。
普通ならどちらも考えにくい。
それでも思考は絶望に侵食され、嫌な想像が止まらなかった。
(早く……早く……!)
傷薬と同様、毒消しにも即効性はない。
最後の1本が毒消しであっても、そしてそれが麻痺毒に効果のあるものであっても、それが効力を発揮するまでは相応の時間を必要とする。
焦燥感にかられ、手に汗が滲む。
ポーションの小瓶がヌルヌルと滑り、手につかない。
(焦るな!落ち着け!)
宿の廊下から何者かの足音が聞こえてくる。
それは、まだ幻聴だ。
しかし、それはいつまで幻聴であってくれるだろうか。
夜空に浮かぶ月もポーチの中で時を刻み続ける懐中時計も、俺に時刻を教えてはくれない。
部屋の戸が破壊され、武装した敵に踏み込まれる未来。
次の朝日が昇る前に必ず訪れるであろう最悪の未来。
それが訪れるのは、次の瞬間でも不思議ではないのだ。
(くっ……!)
指でポーションを取り出すことを諦めた俺は、ポーチに顔を近づけ小瓶に直接噛みついた。
コルクを抜いて中身を零してしまわないように、ホルダーからわずかに覗く小瓶に歯を立てて、小瓶を上へ上へと動かしていく。
何度も失敗しながら、小瓶を唾液で汚しながら、俺は足掻き続けた。
そして、小瓶の位置がホルダーの拘束が緩くなるところまで上がったとき――――
「ふっ……!」
ホルダーから一気に引き抜いた。
ベッド上に落ちるポーションの小瓶。
中に入っている液体の色。
「あ……ああ…………」
透明。
小瓶の中に入った液体の色は、まるで水のように透き通る無色だった。
しかし――――
(違う……。これは、水なんかじゃない…………)
ただの水がポーションホルダーに挿さっているわけがない。
事あるごとに俺に噛みついてくるネルだって、こんな命にかかわるような悪戯はしない。
ティアが気を利かせた拍子に何かと取り違えたにしたって、俺の持ち物をいじるなら必ず一言ある。
クリスは俺のポーションとどうにかしようなんて考えすらしないはず。
なら、誰がやったのか。
心当たりは、ひとつだけだ。
(フロル…………)
フロルなら、やってくれるのだろう。
俺に命じられずともいつのまにか新しいものに替えられている屋敷の消耗品の数々を思えば、古くなったポーションを替えるくらいのこと、フロルにとっては当然のことなのだ。
そして、俺を際限なく堕落させようとする家妖精が、毒消しの代わりに水を入れるなんてドジを踏むわけがない。
それに、この色は見覚えがあった。
それは俺がクリスと出会って共に依頼をこなし、泥酔して帰宅した夜のこと。
フロルが俺に差し出したグラスに入っていた液体。
俺が『酔い覚ましの水』だと思ったものが、まさにこの色をしていた。
でも、きっと違ったのだ。
フロルが毒消しの代わりに用意したものなら、それがただの酔い覚ましなどではあるはずがない。
酔い覚ましは、その薬が持つ効果の一部でしかなかった。
きっと、この小瓶の中身は――――
(状態異常回復薬……!!)
右手の甲にある紋様が目に入って、ジワリと涙がこみ上げてきた。
遠く離れた屋敷からでも、間抜けな主の窮地を救ってくれる可愛い妖精を想う。
屋敷を空けて今夜で丸2日。
今頃、誰もいない屋敷で何をしているだろうか。
しっかり留守番できているだろうか。
(いや、留守番なんて、しっかりやるに決まってるか……)
ここまでできる家妖精の仕事を疑うなんて、俺みたいな間抜けな主に許されることではない。
俺が心配するべきは、そんなことではなく――――
(4人で無事にこの危機を切り抜けて、屋敷に帰り着いたそのときは……。何かご褒美を考えてやらなきゃな……)
好きなだけ食事をさせるのは当然として。
それだけではなく、気持ちを形にしようと思った。
そのためにも――――
(ありがとうな、フロル……)
枕とポーチでポーションの小瓶を挟んだまま慎重にコルクを抜き、中身を一気に喉に流し込む。
怠さ、震え、痺れ。
陰鬱とした気持ちさえもが、瞬時に消え去った。
そして――――
「すう…………はあ…………」
残されたのは、煮え滾るような怒りだった。
敵を許すな。
仇為す者を殺せ。
絶望から解き放たれた心が咆哮する。
俺の仲間を奪おうとした何者かに向けられるどす黒い感情が、絶望と恐怖に代わって体の隅々に行き渡った。
「…………」
激しい殺意に抗う理由は見当たらない。
突き動かされるままに、『スレイヤ』の柄を握った。
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