第155話 初めての遠征4




 最後の休憩を終えた商隊は順調に行程を消化し、護衛依頼の終着点へと近づいていく。

 日はとうに天辺を通り過ぎて高度を落とし、降り注ぐ光の色に橙色が混じり始めた。


「この調子なら予定通り、日没までには街に着きそうです」


 エクトルが安堵して笑う。

 空の感じからすると、日没まで2時間といったところ。

 代わり映えしない不親切な風景は俺に現在地を教えてはくれないが、今日の朝方に通り過ぎた街から進んだ時間と日の傾き具合から推測すれば、前の街から目的地までの行程の7割くらいのところまで来ていると思われた。

 

「今回も無事に済んだようで。少し早いですがお礼を申し上げます」

「気が早いですよ。エクトルさん」

「はははっ!そうですね、これは失礼を」

 

 そう返しながらも、すでにエクトルは油断しきっている。


(昨夜の襲撃があったばかりだってのに……)


 こうも楽観的になれるのは場数を踏んでいるからか、それとも俺たちを信頼してくれているからか。

 嬉しいようなもどかしいような微妙な気持ちで前方に視線をやると、ちょうど後ろを向いていたネルと目が合った。

 不機嫌そうに視線を逸らすかと思いきや、俺を見つめたまま得意げに笑っている。

 今にも「やっぱり盗賊なんて来なかったじゃない!」なんて言い出しそうな憎たらしい顔だ。

 いや、このまま目的地にたどり着いたら間違いなく言うだろう。

 こいつはそういう女なのだと、俺はこの1か月でよく理解している。


(まあ、それが悪いわけじゃないけどな……)


 ネルのしたり顔を我慢するだけで安全に報酬がもらえるなら、その程度のことは我慢してみせよう。

 盗賊も魔獣も出ないに越したことはないのだから。


 そんな甘いことを考えたからだろうか。


 残念ながら、俺の懸念は現実のものとなった。


「――――!!」


 前方を警戒していたクリスが何かを叫び、先頭の荷馬車が動きを止めた。

 それに合わせて後続も停止。


「ここで、か……」


 舌打ちをひとつ。

 双眼鏡を片手にこちらへ駆けてくるクリスを待ちながら、周囲の状況を手早く確認する。

 

 前方には街道が続いている。

 ただし、クリスとネルが乗る先頭の馬車のすぐ近くから緩やかに左にカーブしており、街道の続く先は森の木々に隠されている。


 右手には相変わらず川。

 街道からの距離は70メートルあるかないかといったところ。

 西へ進むにつれて川幅は徐々に狭くなっているとはいえ、まだ大河と呼ばれるだけの川幅が残っている。

 小舟が動き回るくらいは造作もない。


 左手には森。

 街道からの距離は目算で100メートルをやや超える程度。

 川から森の方に行くほど緩やかに高くなる地形で、熟練の射手が木立に身を潜めていたなら一方的に撃たれる位置関係だ。


 つまり、地形は俺たちにとって極めて不利。


「前方800に馬車が1台!それと、そこから南側、森に近い位置に盗賊らしい集団がいる!」

「馬車?盗賊の狙いはこの商隊じゃないのか?」

「おそらく。もっとも、『今のところは』という但し書きがつくけどね」


 奪えるものは奪う。

 盗賊というのは、そういう連中だ。


「クリスとティアは左右の警戒を」

「わかった!」

「はい!」


 クリスから双眼鏡を受け取った俺は荷台から飛び降り、先頭の荷馬車へと駆ける。

 辿り着くと荷台の屋根に駆け上がり、双眼鏡を通して前方を確認した。


(馬車……あった!)


 左側に曲がって森に吸い込まれていく街道の先。

 馬で牽引するタイプの通常の馬車がこちら向きに停車していた。


 2頭の馬は射殺されたようで倒れたまま動かない。

 荷馬車の御者台には商人と思しき人影がひとつ。

 荷馬車の周囲に展開している3つの影は護衛の冒険者だろうか。

 2つは盗賊から荷馬車を守るように、もう1つは商人と思しき影を守るように位置取っていた。


 それと対峙するように、少し離れたところにいる2人はおそらく盗賊。

 片方は武器を手にしていないところを見ると、冒険者に降伏を呼び掛けているのかもしれない。

 さらに森に近いところには盗賊の本隊と思しき集団が見えた。


(盗賊の数が多いな。昨日の連中か……?)


 そうであるなら、盗賊側の練度は高めに見積もる必要がある。

 そして数の上でも2倍か3倍、あるいはそれ以上の戦力差だ。

 このまま放置すれば蹂躙されるのは時間の問題と思われた。


「貸しなさい」

「あ、こら!」


 ネルが俺から双眼鏡をひったくる。

 こんなときまで、と思いながらネルから双眼鏡を取り返そうとすると――――


「護衛3人、盗賊前衛2人、盗賊後衛……9、10、11人ね。後衛は全員弓持ちだけど、魔法使いがいない保証はないわ」

「……見えるのか?」


 俺がのぞいたとき、人数までは確認できなかった。

 森の木々によって視認性が悪い状況で、ずいぶんと具体的な報告だ。


「はあ、なにが?」

「いや……見えてるならいいんだ。盗賊側に移動手段はありそうか?」

「んー……森の中に馬が複数。数はわからない……あ!」

「どうした?」

「向こうもこっちに気づいてる。その割には動きがないけど……目の前の獲物が優先ってことかも」

「そうか。となると、時間がないな」


 こちらから向こうが見えると言うことは、向こうからもこちらが見えると言うことだ。

 発見されたこと自体は仕方がない。

 

 今考えるべきは俺たちの対応だ。

 距離を考えると向こうが馬を使うなら猶予はほとんどなく、今すぐにでもあれらと戦うか引き返すかを選ばなければならない。

 このあたりに数十人規模の盗賊団がいるという話は聞かないから、森の近くにいる奴らが全員射手ならば人数的に昨夜の連中である可能性は十分に考えられる。

 その練度を思い出せば、地続きの場所にいるとはいえ鎧袖一触とはいかないだろう。


「アレンさん、勝てますか?」


 気づけば商隊の全員が先頭の馬車の近くに集まっていた。

 緊張した面持ちでエクトルが俺に問う。


 俺は少し間をおいて、答えを口にした。


「負けるつもりはありません。ただ、盗賊の人数が少なくとも13人で馬もあるようです。向こうの出方次第ですが、距離を保ったまま矢を射かけ続けるような攻め方をされた場合、積み荷やエクトルさんたちの安全を完全に保証することは困難です」

「そうですか……」


 エクトルは腕を組んで瞑目する。

 そんな中、エクトルの部下の一人が声を上げた。

 昼休憩のとき、料理を差し入れてくれた彼だった。


「あの荷馬車……私の知り合いの商人のものによく似ています。もし勝てるならば、どうか助けてはいただけないでしょうか……?」


 拳を握りしめ、震える声で懇願する。

 エクトルに視線を向けると、彼も決心したように力強く頷いた。


「アレンさん、お願いします!どうか彼らを救っていただきたい!」


 エクトルの発言を受けて、全員の視線が俺に集中した。


(さて……)

 

 俺は皆の視線を受け流し、行動方針を決めるために戦場を見つめた。


 現在、『黎明』はエクトルから依頼を受けている。

 その依頼主が行けと言うのだから行くしかない――――というわけではないのが難しいところだ。


 当然ながら、パーティの指揮権は依然として俺にある。

 それに俺たちの仕事はエクトルたちを護衛することであって、出会った敵全てを排除することではない。

 多少の悪評とエクトルとの今後の取引を諦めれば、要請を拒否することも十分に可能な状況だ。

 

 まだ荷を諦めれば逃走も選択肢に入る位置。

 必要もないのに数的劣勢の戦場に突っ込むのは愚行。

 しかも目的はエクトルたちの安全の確保ではなくエクトルたちの知人の救助である。

 明らかに依頼の趣旨から外れている。 


「アレン」


 沈黙を破り、クリスが声を上げる。

 頼りになる相棒は口の端を上げて笑っていた。


「慎重な決断が求められる場面だ。急かさないでくれ」

「そんなこと言って……。もう結論は出たんだろう?」

「……どうしてそう思う?」

「だってアレン、笑ってるじゃないか」


 言われて、左手を頬に当てる。


 なるほど。


 たしかに俺は、笑っていた。


「大丈夫ですよ、アレンさん。どうか私たちを信じてください」

「そうそう。僕らだって、あのときとは違うってことを見せてあげるよ」

「たかだか13人の盗賊にうだうだ悩まないで。恥ずかしいでしょ」


 ティアが胸の前でワンドを握りしめ、旺盛な戦意を示した。

 クリスが剣を抜き、自信に溢れた表情を見せた。

 ネルが矢筒と短槍を背負い、弓を片手に髪をかき上げた。


 そんな仲間たちを見て、俺は自らの笑みがますます深まるのを自覚した。


「ははっ!まあ、やられっぱなしは柄じゃないよな!」


 借りは返さないといけない。

 勝ち逃げなんて、絶対に許してはならない。


 そして、それ以上に――――


(久しぶりに……最高に状況じゃないか!)


 俺の中の英雄見習いが目を覚まし、今こそ己が価値を示せと叫んでいた。


「エクトルさんたちは周囲を警戒しつつ、戦場から距離をとってください。いざとなったら積み荷を捨ててでも離脱を優先するようにお願いします」

「わかりました。どうか、ご武運を!」


 俺は頷き、エクトルに背を向けた。

 

「行くぞ!!盗賊を殲滅して商人を助け出す!!」

「はいっ!」

「よし!」

「ふん!」


 掛け声に呼応した仲間たちが、追い風のように俺の背を押す。

 俺たちは遥か前方の荷馬車に向かって駆けだした。

 

 戦場までの800メートル。

 足の遅いティアに合わせ、指示を出しながら駆け抜けても数分の距離だ。


 その間、盗賊と護衛の交渉は進展がなかったようで、俺たちの接近を受けた盗賊の前衛はこちらを警戒するように少しだけ距離を取る。

 一方、森に近いところにいた盗賊の後衛が木立から数歩踏み出して弓を構えた。


 圧倒的な戦力差が生み出した停滞は引き波のように消えていき、代わって緊迫感が戦場に押し寄せる。


 俺たちも盗賊への警戒感を強めながら速度は決して緩めない。

 俺たちと護衛の距離が近くなると、盗賊を警戒していた護衛の片割れが俺たちを歓迎するように手を挙げた。

 俺はそれに応えるように、自らのパーティ名を高らかに宣言する。


「C級パーティ、『黎明』だ!」

「ありがてえ!!歓迎するぜ!!」


 絶体絶命から生還が望める展開になったことで、護衛と思しき男が破顔する。


 俺たちの先頭を走るクリスが護衛たちに接近すると――――そのまま速度を上げ、護衛に向かって踏み込んだ。


「え……?なっ――――」


 驚愕の表情を浮かべたまま身構える猶予すらなかった。

 

 クリスの剣が閃き、護衛の首が宙を舞った。



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