第154話 初めての遠征3
「アレン、時間だ」
「うん……?ああ、もう朝か……」
「異常なし。幸い、何事もなかったよ」
「そうか……くぁあ……。ティアを起こして、準備が済んだら出る」
「水はそこに汲んで置いておいたから使いなよ。エクトルさんたちも起き始めてるから、早めにね」
「ああ、ありがとな」
テントの外へ出て行くクリスを見送る頃には寝ぼけた意識がはっきりしてきた。
甘くて、その何倍も苦い昨夜の記憶も取り戻し、俺は寝床から起き上がる。
鏡はないので自分の姿を見下ろす。
防具は着込んだまま寝ていたので着替える必要はない代わりに体の節々が痛い。
クリスが用意してくれたタライの水を掬って口の中をすすぎ、もう一度掬って顔を洗う。
これで身支度は終了だ。
野営後であることを考えれば、多少の寝ぐせは許容範囲だろう。
「ティア、朝だ。起きてくれ」
無防備な寝顔をさらすティアの肩を優しく揺すると、彼女はすぐに目を覚ました。
昨日までの俺なら少し悪戯するかどうかを迷ったかもしれない。
今は固い決意を胸に、依頼の成功と安全の確保だけを考える。
「身支度が済んだら出てきてくれ。朝食の後、撤収作業をしながらパーティ内で少し打ち合わせをする。それが終わったら小休止して出発だ」
まだ少し寝ぼけた様子のティアにスケジュールを言い渡し、テントを出た。
(ここから先、依頼完了まで妥協はしない……)
狙いが積み荷かエクトルたちかはわからないが、一度失敗したから諦めるということもないだろう。
もう一度仕掛けてくる可能性は低くないはず。
そのときこそは――――
「『黎明』の力、奴らに思い知らせてやる」
商隊は昨日と同様、一列に並んで西へと向かった。
俺たちの配置も見た目上は昨日と変わらない。
俺の横にいるティアも真剣な表情を崩すことはなく、その両手は愛用のワンドに添えられている。
昨日はうたた寝を決め込んだネルでさえ、真面目に周囲の警戒を行っていた。
各自が神経を研ぎ澄ませ、不測の事態に備えていた。
「ありがたいことですが、そこまで厳重に警戒なさらずとも……。昨夜とて、アレンさんたちのおかげで被害なく撃退に成功したではありませんか」
その真剣さは、困り顔のエクトルに指摘されるほどだった。
それでも俺たちが気を抜くことはない。
襲撃者の数はこちらより多く、技量も連携も極めて優秀。
さらに所属も目的も不明となれば警戒を怠ることなど不可能だ。
そうしている間に風景は移り変わり、森の木々が街道に迫る要注意地点に差し掛かった。
木々が邪魔になって前方の見通しが悪い。
盗賊の待ち伏せに適した場所であるため、警戒を緩められない状況が続く。
しかし、そんな状況や俺たちの意気込みに反して、日が高くなっても商隊の進路を妨げるものが現れることはなかった。
盗賊どころか魔獣の一匹すら出てこない。
目的地のひとつ手前の街を通り過ぎ、大きな岩がごろごろと点在している川辺で昼休憩をとるに至っても、変わらず平穏そのものだ。
「ねえ、本当に来るの?」
パーティ内で最も堪え性がないネルが耐えかねて愚痴を漏らした。
サンドイッチをかじり、スープで飲み込むだけという普段と比べて質素な昼食も、ネルの苛立ちに一役買っていると思われる。
サンドイッチには新鮮な具材が使われているし温かいスープが付くだけ恵まれているのだが、普段の俺たちの食事事情を踏まえれば大抵の食事は質素に感じてしまう。
「あの、よろしければ……」
ネルの様子を見かねたわけではないだろうが、エクトルの部下が昼食用のおかずをお裾分けにやってきた。
それを見たネルが、パッと顔を輝かせる。
「あら、よろしいの――――」
「せっかくですが」
俺はネルの言葉に被せるように続けた。
「メンバーの食事の管理も私の仕事でして。お気持ちだけいただいておきます」
エクトルの部下は申し出を断られると思っていなかったのだろう。
好意的な返事をしようとしたネルに助けを求めるように視線を向けると、それを受けたネルが食い下がってきた。
「リーダー、せっかくのご厚意ですよ?お断りするのはかえって失礼ではありませんか?」
「いえ、そんな、失礼だなんて。ただ、昨夜のお礼の意味もありますし……実を言うと、エクトルから礼をして来るようにと……。どうか、少しだけでも……」
「だそうですよ、リーダー。あまり依頼主を困らせるのは感心しませんわ」
「………………」
周囲を見回し、昼食をとっているはずのエクトルを探す。
しかし、荷馬車か岩か、点在する障害物のせいで彼の姿はここから見えなくなっていた。
(ここを動いてエクトルのところまで行けば、この人の顔を潰すことになるか……)
困ったような笑みを浮かべるエクトルの部下の様子を観察し、余所行き微笑みを浮かべながらも目が笑っていないネルを一瞥する。
「……わかりました、ありがたく頂戴します。エクトルさんによろしくお伝えください」
「いえ、とんでもありません。それと、もう一つだけよろしいですか?」
「なんでしょうか?」
焼いた肉に味を付けた料理を大皿で受け取りながら、少しだけ真面目なトーンになった彼に聞き返すと、彼は背筋を正して言葉を続けた。
「昨夜我々を襲撃した盗賊は相当な手練れだったと聞いております。それをアレンさんがほぼ独力で撃退されたとか……。改めてお礼と、先日の顔合わせで実力を疑うようなことを申し上げたこと、心よりお詫びさせてください」
そう言うと、彼は深く頭を下げた。
(そういえば、この人だったっけ……)
俺とネルの公表スキルを比較して俺の実力を疑問視していたエクトルの部下だ。
「自分の命を預ける相手ですから、選択に慎重さが必要になるのは当然のことです。むしろそれがあなたの仕事と言っても過言ではないでしょう。ですから、どうかお気になさらず」
「……お気遣い、本当に感謝します」
もう一度深く頭を下げて、エクトルの部下は去っていった。
彼の背中が遠くなると、彼から受け取った大皿に視線を落とす。
一口大にスライスした肉をあぶり、香辛料の芳醇な香りがするソースを贅沢にかけた一品だ。
肉はともかく、高価スパイスがふんだんに使われているところを見ると、これは彼らの昼食のお裾分けではなく純粋にお礼として用意したものなのかもしれない。
「あんなにいい人を疑うなんて、本当にかわいそう……」
聞えよがしに嘆くネルは俺から大皿をひったくると、肉を一切れ口に放り込む。
「あ、おい――――」
「あんたは食べたくないんでしょ?ティアは食べる?」
「うーん、私はあまりお腹空いてないのでやめておきます」
「そう?じゃあ全部あたしのものね」
たっぷりとソースを付けた肉をサンドイッチの具材にしてかぶりつく。
満面の笑みを浮かべているところを見るに、味はお気に召したようだ。
「あれ?僕のは?」
「あたしにくれるんでしょ?」
「うん、あげる。味わって食べてね」
「はーい」
それでいいのか。
憐れむような視線を受けたクリスは、悪びれもせず肩をすくめた。
「アレンが食べるなって言ったんじゃないか」
「いや、まあ、それはそうなんだが……」
言いたいのはそういうことではないのだが、口に出しても詮無いことだ。
喉元まで出かかっていたそれをスパイスの香りに釣られた唾液と一緒に飲み込んだ。
恋に盲目なクリスはさておき。
(たしかにあの様子なら、ネルの言うことも的外れじゃない……)
エクトルの部下を観察したが、あれは本心からの謝罪だったように見えた。
そうだとしたらお礼の品に変なものが入っているわけもなく、俺は単に失礼を働いたということになる。
(俺が、間違ってるのか……?)
会う人全員を信じていれば、いつか痛い目に合うのは明らかだ。
しかし、会う人誰もを疑えばやはり辛い目を見ることになる。
人を見る目には自信がある――――なんて言えるほど目が肥えているわけでもない俺は、どうするのが正解なのか。
今はまだ、わからなかった。
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