第150話 お留守番フロル




 遠征の打ち合わせがなし崩しで解散になった後、俺は日が沈む前に消耗品の補充や装備の確認を行った。

 特にジークムント戦を原因とする防具の損耗は著しく、ガントレットとグリーブは修理で済んだものの、ただの鉄屑と評すべき状態になった胸当ては買い替えるしかなかった。

 都市内の防具屋を全て回っても丁度良い物が見つからなかったため、つなぎで鉄製の既製品を購入。

 貯蓄が2千万デルを超えていることを考えると、次回は装備のオーダーメイドも選択肢に入るだろう。

 興味本位で西通りの防具屋にオーダーメイドの相場を尋ねたところ、C級冒険者の多くが世話になる鋼鉄製で一式100万から、エンチャントと相性が良い素材で付与効果付きであれば一式500万から上は青天井とのことだ。


(金銭感覚が壊れるなあ……)


 だが、今は通帳の数字を増やすことよりも自分の安全を確保すること、そして経験を蓄積することが重要な時期だ。

 より良い装備の獲得に金を惜しんではいられない。


(装備にかける金をケチっているつもりはないんだが……。今回の遠征が終わったら、防具一式の更新も考えよう)

 

 そんなことを考えながら、俺は帰路に着いたのだった。

 





 そして、その日の夜。

 俺は消耗品や装備よりも大切な準備を行うべく、リビングでフロルと向かい合っていた。


 フロルをソファーに座らせて俺自身も隣に腰掛け、フロルの目を見て語り掛ける。


「フロル、今日の昼間の話し合いは聞いてたな?」


 フロルはソファーの上で正座したままフルフルと首を横に振る。

 仕草の意味するところは当然否定なのだろうが、フロルは俺たちが話し合いをしているとき、台所とリビングを行ったり来たりしていたのだから話を聞いていないはずはない。


 そのままじっとフロルの目を見つめ続けると、やはりというか、間もなくフロルの視線が泳ぎ始めた。

 俺は仕草の意味を察してため息を吐き、フロルが聞きたくない話を明確に告げた。


「フロル……俺は明日から5日ほど留守にする。トラブルがあれば、もっと長くなるかもしれない」


 ようやく現実を受け入れる気になったのか、フロルの目にじわっと涙が浮かんだ。

 どうしようもないことだが罪悪感が湧いてくる。


 だが、長期の外出は俺が冒険者である以上、避けて通れないことだ。


「これからも度々こういうことがあると思う。フロルには俺がいないことに慣れてもらわなくちゃいけない」

 

 俺がいなくて寂しい思いをする――――ということもないではないのだろうが、おそらくフロルにとって切実なのは食事の問題だ。

 家妖精であるフロルを連れて歩くことはできない。

 ならば、俺が屋敷に居るうちに食い溜めしてもらうほかないのだ。


 俺の服の裾を摘まみ涙目で俺を見上げるフロルの髪を撫で、とりあえず今日の食事を始めるように指示してお茶を濁した。


「はあ……」


 脇腹に抱き着いたフロルに魔力を吸われる感覚は慣れたもの。

 気にも留めずにフロルの用意してくれたツマミを肴に、お気に入りの果実酒でのどを湿らせる。

 それで、愚痴を抑えることができなかった。


「なんだか俺も遠征行きたくなくなってきたな……」


 これではネルを笑えたものではない。

 期待するように俺を見上げているフロルが視線の端に映っても、俺はその期待に応えることができないのだ。

 不用意な言葉でフロルに余計な期待を持たせてしまったことを後悔しながらも、酒に酔った頭は詫びにもならない願望を垂れ流す。


「俺が屋敷にいないときも、お前に魔力をやれたらいいんだけどな」


 そうこぼしながらフロルの髪を撫でようとした手は――――フロルの両手にしっかりと掴まれていた。


「おお……?」


 俺はフロルの予想外の反応に驚いた。

 なんとフロルは俺の両手を掴むために食事を中断したのだ。

 これは今までのフロルの行動を考れば、あり得ないと言っても過言ではないことだった。


 何よりも食事が大好きなフロルが食事中に、食事を中断してまで俺の手を掴んでいる。

 いや、掴んでいるというよりも捕まえているという表現の方が正しいかもしれない。

 さして力も込められていないにもかかわらず、この手を絶対に放さないという執念すら感じられるのだから、もう俺には何が何だかわからない。


「ど、どうした?」

 

 フロルは俺の両手をフロルの胸の高さで捕まえたまま、じっと俺を見つめている。

 俺の指示を待っているときの状態に似ているような気もするが、今回ばかりはフロルの意図がわからない。


 この屋敷の中でフロルに許していないことなんてほとんどないというのに、一体何を求めているのか。

 俺は少し靄がかかったような思考で先ほどの会話を思い出しながら、しばらく黙考する。


 そして俺は、ひとつの可能性を探り当てた。

 

 そんなことができるのかという純粋な疑問はあるが、それは今日のクリスのポーチの件でもう懲りている。

 迷うくらいなら、させてみればいいのだ。


 俺はフロルと視線を合わせた。

 単純に俺が推測したことに許可を与える言葉を発しようとして、その言葉を


(いや、せっかくの機会だ……)


 もっとフロルに自由を与えよう。

 立派な家妖精として成長を続けるフロルが、逐一俺の許可を得ずとも仕事をこなすことができるように。


 もっとフロルに裁量を与えよう。

 フロル自身が考えるとおりに、その本分を果たすことができるように。


 そう思った俺は言葉を選んだ末、フロルに告げた。


「フロル……俺はお前を信用している。だからお前は、


 フロルが目を見開いた。

 求めたものよりもずっと大きな裁量を与えられたことに驚いたのだろう。


 そして、その驚きが歓喜に変わるのにそう時間はかからなかった。


 与えた自由と裁量は信頼の証。

 仕事を認められる喜びは人間でも家妖精でも変わらないはずだ。


 フロルは満面の笑みを浮かべ、両手で掴んだ俺の手に額を当てるように頭を下げた。

 

 その瞬間――――


「――――ッ!?」


 視界が眩い光に包まれて、俺は意識を手放した。





 ◇ ◇ ◇





「………………。くあぁ……」

 

 気が付いたら朝になっていた。

 大あくびをして目をこすりながら周囲を見渡す。

 俺は自室のベッドに寝かされており、時計の針もいつもと同じ時間を指している。

 ベッド横のテーブルに用意された冷たいおしぼりで顔を洗い、同じく用意された水を一口飲むと、寝ぼけた頭に昨夜の記憶が戻ってくる。


「昨日は……。たしかフロルに手を掴まれて、それから……」


 それから、どうしたのだったか。

 思い出せずになんとなくフロルに捕まれていた右手を見た。


「お……?」


 そこには見覚えのないものがあった。

 右手の甲に深い青色の模様――――より直截に言えば、紋章とでも言うべき図柄が描かれている。

 意味するところはわからないが俺の中二心をくすぐる意匠。

 色合いが俺の好きな色であることもポイントが高い。

 

 なんでこんなことになっているのか。

 それはわからない。


 誰がこれをやったのか。

 それは明白だった。


 ガチャリ。


 俺が起床したことに気づいた我が家の家妖精が執務室の重厚な扉を開け、いつものように長いスカートの裾を摘まんでお辞儀をする。

 そして、いつものようにこちらに寄って来て、俺が使ったおしぼりを回収――――しない。


 扉の近くに立ったまま、にっこりと笑うフロル。

 そのとき右手の紋章が淡く光り、続いて覚えのある感覚が訪れた。


「魔力が……?」


 どうやらフロルは俺に触れずとも魔力を吸収できるようになったようだ。

 

「流石はフロルだな。この調子で留守番もよろしく頼む」


 俺は近づいてきたフロルの頭を撫でた。

 両手を胸の前で握ったフロルはそれに応えるように、やる気に溢れた表情で頷いた。


 フロルの深い青色の瞳に、もう涙はなかった。



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