第143話 閑話:とある宮廷魔術師の物語4




「笑いすぎですよ、師匠」


 宮廷にある私の執務室にて。

 仕事の手が止まるほど大笑いする私を、呆れ顔のヴィルマが窘めた。


「くっくっく……。ああ、すまんな、ヴィルマ」


 たしかに少しばかり笑いすぎた。

 自分の執務室で私のほかには愛弟子と信用できる側仕えしかいないとはいえ、このような仕草は日頃から注意しておかなければ、ふとした拍子に出てしまうものだ。

 ここは素直に弟子の忠告に従うことにしよう。

 

「はあ……。しかし、こんなに笑ったのは久しぶりだ」

「そんなに面白いですか?」

「あのクソ狸が詫びをいれてきたのだぞ?面白くないわけがなかろう」


 私は手にとって眺めていた親書を指ではじいた。

 上質な紙に神経質な文字で綴られているのは私をだ。

 差出人は迷宮都市の領主であり、敵対派閥の要でもある公爵本人。

 宮廷で顔を合わせれば笑顔を浮かべて嫌味を言い合う仲であり、間違っても頭を下げることはない間柄だ。

 この親書が私に届いたのは先月のこと。

 そして、この親書の差出人が婉曲な表現ながらも謝罪の言葉を吐いたのはつい先ほどのことだった。


「リリーさん、ずいぶんと派手にやっているようですね」


 私が上機嫌である理由。

 クソ狸が私に面会を申し込み、謝罪を述べた理由。


 ヴィルマが手に取っている妹弟子からの報告書に、その一部が記されていた。


 宮廷魔術師の任務として帝国内を飛び回っている以上は定期的な報告が必要だと説得して、最低でも月に1度は提出させている報告書。

 宮廷魔術師に任命されて以降ほとんど帝都に戻らないリリーだったが、私が繰り返し言い含めた成果か、簡潔な報告が月に一度、私の下に届けられている。


 先月分の報告が届いたのが数日前。

 飾り気のない安物の紙片に淡々と綴られる報告は、そのどれもが私を驚かせるに足るものだった。


「リリーさんの報告書、非礼を働いたを処刑したなんて書いてありますけど……」

「そうだな」

「そういえば先月、迷宮都市の公爵騎士団の施設で大規模な火災が発生したとか……」

「そうらしいな」

「リリーさん、今はまだ迷宮都市に滞在中でしたよね?」

「そのようだな」

「……一体、何が起きているんです?」


 妹弟子を心配して眉を下げる姉弟子の心労を和らげるため、私はデスクの引き出しから二通の封筒を取り出しヴィルマへと放った。

 私の手を離れた封筒がヒラヒラと舞い、床に落ちる――――と思いきや、絨毯に触れる直前で不自然にフワリと舞い上がった封筒はそのままヴィルマの手中に収まった。


「これは?」

「前回分と前々回分だ。それ読めば、私が大笑いした理由もわかるだろうさ」


 二通の封筒から報告書を取り出したヴィルマは日付の古い方の報告書から目を通し始める。

 ハラリ、ハラリと紙の捲られる音がするたびに、彼女の目は大きく見開かれていった。






 リリー・エーレンベルク。

 帝国史上最年少で宮廷魔術師を拝命した才女であり、私の弟子である。


 リリーが弟子入りしたのは、彼女が11歳の頃だった。

 辺境の孤児院に住まう意中の少年を守るための力を手に入れるという確固たる目的を持っていた彼女は、私が集めたヒナたちに交じって精力的に魔術の修練に取り組み、その中で瞬く間に頭角を現した。

 未だ15歳という若さながらその実力はすでに姉弟子であるヴィルマに迫っており、彼女が魔術師として成熟した暁には居並ぶ宮廷魔術師の誰よりも強くなると期待されている。

 彼女は少年を守る力だけでなく帝国宮廷魔術師としての地位と名誉をも手中に収め、これから先の輝かしい人生を少年とともに歩んでいく――――はずだった。


 彼女が描いた夢想は欲に目がくらんだ愚物によって、あっさりと引き裂かれた。

 たった数か月間、支援金が途絶えただけで資金難に陥り、よりにもよって支援の理由である少年を奴隷商に売り払うという愚行を犯した孤児院の院長は、激昂したリリーの手によってすでに人生を終えている。

 情報が漏れたときの保険として私がどの孤児を保護したいのかを明確にしなかったことも原因のひとつであるが、それを後悔しても少年は戻ってはこない。

 それ以来、彼女は少年を探すため――建前では帝国内の治安維持のため――に各地を巡る旅を続けていた。


 しかし、世の中は彼女の事情を斟酌してくれる者ばかりではない。

 折しも帝国は皇帝派と貴族派が国内を二分する派閥争いの真っ最中。

 皇帝派である私の弟子であり当然皇帝派に所属していると目されるリリーが、貴族派の領主が治める地で歓迎されるはずもない。


 その上、貴族派が輪をかけてリリーを疎ましく思う出来事があった。

 事の発端はリリーが旅の途中で行き掛けの駄賃に大規模な盗賊団を討伐したこと。

 その盗賊団には迷宮都市を治める貴族派重鎮の公爵と黒い繋がりがあるという噂があったのだが、彼女はそんな噂を知ってか知らずか盗賊たちをアジトごと焼き払ったらしい。


 盗賊を討伐したことに対して面と向かって文句を言うわけにもいかない公爵は、リリーに対してちょっとした嫌がらせを実行した。


 例えば立ち寄った村の宿に、彼女の宿泊を断るよう圧力をかける。

 例えば立ち寄った街の代官が、彼女に無理難題を吹っ掛ける。

 例えば迷宮都市に入るときに、常識では考えられないほど長時間の審査を行う。


 される側としては忌々しいことだが、改まって報復する程ではない。

 相手が貴族の最上位である公爵であればなおさらだ。

 それが公爵を含む一般的な貴族の感覚なのだろう。


 彼女の旅を妨害するということが、彼女にとってどういう意味を持つのか。

 それを知らなかった公爵は大きな代償を支払うことになった。


 リリーが迷宮都市に入った翌日未明のこと。

 迷宮都市に点在する公爵家騎士団の施設のひとつが大火に見舞われた。

 幸い人的被害はなかったが、建物は全焼するという大惨事。

 迷宮都市の治安維持機構は、火の回り方からこの火災を放火と断定した。


 彼らはすぐさま犯人捜しを開始し、当然のようにリリーが犯人候補に挙がった。

 調査のために同行を求められたリリーがこれを拒否したことで、彼女の捕縛のために騎士の小隊が投入されることとなった。

 リリーがそこらの魔術師ならばこれで終わりだ。

 公爵は敵対勢力に所属する魔術師を捕縛して皇帝派を攻撃する口実を手に入れ、事を収める対価としていくつかの利権を要求する。

 公爵が描いた青写真は、きっとこんなところだろう。


 しかし、現実はそうはならなかった。

 彼女の捕縛のために投入された騎士たちが、帰還することはなかったのだ。


 公爵は困惑したことだろう。

 もしリリーが犯人だとしたら、彼女はちょっとした嫌がらせの報復に公爵家の騎士を殺害したことになる。

 気が狂っているとしか思えない凶行だった。

 そのような暴挙を決して許すわけにはいかないと考えるのは公爵として当然だった。


 公爵はリリーを捕えるため、万全を期して騎士の大部隊を動かした。

 一人の魔術師を捕えるために動員する兵力としては過剰も過剰。

 それでもリリーの危険度を高く評価した公爵は、動員数を減らすべきという家臣からの進言を聞き入れなかったという。


 しかし、結果的に公爵の決断は誤りだった。

 騎士の大部隊をもってすら、リリーを止めることはできなかったのだ。

 

 そしてその翌日、さらに2か所の騎士団詰所が焼け落ちて多くの騎士が亡くなったことで、公爵は方針の転換を迫られた。

 公爵の手元に残る戦力はリリーが迷宮都市を訪れてから減り続け、2千の騎士で構成された騎士団もその数を大幅に減らした。

 公爵は自前の騎士団を温存し、冒険者を使ってリリーを消耗させる作戦に出た。


 ところが迷宮都市の冒険者ギルドも愚かではなかった。

 彼らは帝国各地に広がる冒険者ギルド同士の情報網により、放火犯が宮廷魔術師であることだけでなく、この戦いが皇帝派と貴族派の代理戦争という側面を持っている――実際はそこまで大袈裟なものではなかったが――ことまで把握していた。

 迷宮都市の冒険者ギルドは騒動に巻き込まれることを避けるため、B級以上の冒険者は指名依頼によって他の都市か迷宮奥深くに派遣し、C級以下の冒険者には両者の争いに関わらないよう通達すると、厳正中立を決め込んだ。

 公爵と迷宮都市の冒険者ギルドは互恵関係にあるが、その絆は深くない。

 貴族同士の勢力争いに全面介入する理由など彼らにはなかった。

 結果として、公爵が利用できたのは冒険者ギルドからの通達を無視したC級以下の冒険者に限定され、リリーを消耗させるという目的を果たすことは叶わなかった。


 当てが外れた公爵が次に狙ったのは暗殺だった。

 後ろ暗いことを専門に請け負う地下組織を使い、手練れの暗殺者をリリーに差し向けた。

 暗殺の成否はリリーが生きていることから明らかだろう。

 その夜、さらに2か所の騎士団所有施設と暗殺組織の隠れ家がになった。

 

 リリーは止まらなかった。

 少年を探すため、次々と奴隷商を訪問しては従業員をその場で処刑した。

 奴隷商が用心棒として雇った冒険者も、荒事専門の傭兵も、お抱えの私兵も、リリーの魔術は区別なく焼き払う。

 彼女は猟犬のような嗅覚で関係者しか知り得ないはずの奴隷商をも探り当て、彼女に見つけられた奴隷商は悉く災禍に見舞われた。

 迷宮都市において奴隷商を本業とする商人は少ないため、商人たちはその生業に致命的な打撃を受けたわけではない。

 それでも許容できる水準を遥かに超える被害を受けた商人たちが、迷宮都市を治める公爵を頼るのは必然だった。


 公爵はこの段階になって、ようやく自身が窮地に立たされていることに気づいた。

 法も正義も権力も、それを支える暴力があって初めて機能する。

 力なき正義を掲げた者の末路を、彼はよく知っていた。

 力なき正義を数多く踏み潰してきた公爵だからこそ、自身が行使し得るあらゆる暴力がたった一人の小娘に踏みにじられるかもしれないという悪夢のような現実に、限りない恐怖をおぼえたはずだ。


 しかし、公爵に残された選択肢は多くなかった。

 宮廷に訴え出ても法を司る大臣はこちらの派閥であり、その手続が迅速に進められることは期待できない。

 リリーの処分――最低でも帝都への召喚――を行うためには、まず政治的駆け引きによって皇帝派の弱みを握る必要があった。


 帝都で政治的闘争が行われている間も、リリーによる処刑は容赦なく繰り返された。

 公爵に仕える騎士すらも非礼を働いたとして処刑の対象となり、それを咎めるために派遣した騎士すらも彼女の処刑を免れない。

 貴族待遇という特権を悪用した暴挙だが、その矛先は盗賊を始めとした罪人にも向けられているから始末に負えない。

 恵まれた容姿と最年少宮廷魔術師という肩書を有し、市民を脅かす大盗賊団を討伐したという成果を挙げたリリーはすでに迷宮都市の一般市民に好意的に受け入れられていた。

 そんなリリーが、「宮廷魔術師の役目として治安維持を行う自分に対し、公爵が身に覚えのない嫌疑をかけ、その騎士が非礼を働いた!」と声高に主張すれば、民衆にとってはそれが真実だ。

 自らの正義を証明することができず、処刑により日に日に数を減らし、士気を低下させる騎士や衛士たち。

 彼らの多くはすでに戦意を喪失しており、リリーを邪魔する者はいなくなった。


 そして、リリーが迷宮都市に到着してから1月と半分ほどが過ぎた頃。

 公爵はついにリリーという暴力に膝を屈した。


 彼女を断罪するために必要な力は、もはやどこにも残っていなかったのだ。






「…………リリーさん、本当にとんでもないですね。嫌がらせへの報復にしては、あまりにも……」


 私の語りを聞きながら報告書を読んだヴィルマが呆れたように呟いた。


「まあ、全て把握した上で常識に照らしてみれば、どちらが正義かわからないという感想は理解できる」

「わからない、ですか……」

「ああ、わからないだろう?」


 悪びれもせず言ってのける私を胡乱気に見つめるヴィルマから報告書を回収する。

 自慢の<風魔法>に乗せて飛ばすこともせず、わざわざ立ち上がって私のところまで持ってくる律儀さを、リリーも少しは見習ってくれればいいのだが。


「都市の人々に被害はなかったのですね?」

「此度の騒動に無関係の民ということであれば、そのとおりだ。騎士や冒険者なら数百人は死んでいるだろうし、奴隷商の関係者なら数える気にもならんが」


 狂気に駆られているように見えて、そういうところはしっかりと考えている。

 少年を探す旅を続けられなくなるようなマネは絶対にしないだろう。


「……奴隷になっていた人々はどうなったんですか?」

「犯罪者に拉致されていた罪なき民として、リリーが公爵に保護を要請したそうだ」

「うわあ……」


 リリーの行動は、本当の目的はどうあれ帝国内では違法である奴隷所有者の摘発と処刑という建前に適っている。

 憎くてたまらない相手の要請でも、それが適正ならば応えなければならない。

 そうしなければ敵対する我々に付け入る隙を与えることになるからだ。


「本当に容赦ないですね。それで、公爵は何と?」

「ああ、それが本題だったな」


 公爵との話し合いを思い出すと、思わず頬が緩んでしまう。

 それほどまでに楽な交渉だった。


「リリーを抑える最後の手段として私を頼って来たのさ。敵対派閥に属する私への頼み事だ。中々良い手土産を持ってきてくれたよ。もちろん、これでは足りないと言っていろいろと吹っ掛けてやったが」

「鬼ですか」

「公爵は可愛い弟子に非礼を働いたそうじゃないか。師匠として当然の行動だとも。それに……」

「……それに?」

「リリーの旅路に口出しするのなら、そのくらいでなければ割に合わん」

「…………」


 ヴィルマも知っている。

 リリーの旅の本当の目的も、それにかける執念も。


 それだけに、少年を探すリリーをどうやって別の場所に追いやるのか疑問に思っているのだろう。

 

「なに、簡単なことだ。お前が読んだ報告書にも書いてあっただろう。リリーは近々、迷宮都市を離れて別の都市で捜索を始めるそうだ」

「ああ、そういえば。…………って、まさか、師匠?」

「リリーが都市を出るなら、公爵も喜んでくれるだろう。その過程で私がリリーに何を命じていようがいまいが、関係ないことだと思わないか?」

「…………これだから貴族という人種は」

「ははっ!この程度のことはお互い様さ!」


 リリーの報告書の内容から、そろそろ別の都市に移る頃だろうと思っていた。

 公爵からの要求をのらりくらりと躱し、条件を釣り上げて時間を稼ぎながらリリーの報告を待つだけ。

 それだけで私が命じてリリーを退かせたように見える状況が出来上がり、私と皇帝派は大きな利益を得ることができる。

 本当に簡単な仕事だ。


「妹弟子が挙げた大戦果だぞ?お前ももう少し祝ってやったらどうだ」

「これを戦果というのは、少し違う気がします……」

「相変わらず頭の固い奴だ」


 しばらく雑談に興じた後で、このことを絶対に口外しないよう命じてからヴィルマを退出させた。

 ヴィルマが訪ねてくる前に淹れた紅茶はすっかり冷めてしまっており、側仕えに交換を命じると執務室の中に残された者は私ひとりになる。

 

 行儀が悪いと思いながらも、深く椅子に腰掛けて天井を見上げる。

 頭の中に渦巻くのはリリーのことだった。


(今はまだ、治安維持任務の傍ら少年を探す旅を続けている。だが……)


 その旅が終わったとき、どうなってしまうだろうか。


 旅の果て、無事に少年を発見したならばそれでいい。

 有頂天になっているであろうリリーを煽て、宥めすかし、あるいは少年の方を懐柔して、リリーに宮廷魔術師を続けさせることは難しくない。


 だが、もしも――――


(少年が見つからなかったら……。あるいは、少年の死亡を確認してしまったら……)


 辺境都市の孤児院での凶行を思い出し、身震いする。

 あのときのリリーは、自分の魔術がどの程度の被害を及ぼすのかなど考えていなかった。

 孤児院の職員も、孤児も、その周囲に住む人々も、まとめて灰になってしまうような魔術を、気持ちが昂るままに行使しようとしていたのだ。


(対策が、必要か……)


 リリーの旅が終わるのは1年後になるか、3年後になるか、はたまた10年後か。

 今はまだ、誰にもわからない。

 そしてそのとき、成長を続けるリリーを抑える力が私に残されている保証もないのだ。

 万が一、リリーが全ての希望を失って自暴自棄になったときのために、彼女を制圧するための準備をしておかなければならないだろう。

 

 大きな利益に高揚した気分はどこへやら。

 気づけば私は特大の溜息をこぼし、視線を絨毯の上で彷徨わせていた。



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