第136話 閑話:A_fairytale_5




 マスターが家から出なくなった日から、しばらく経ったある日の深夜。

 私は以前から考えていたある計画を実行に移すことを決意して、全ての妖精をエントランスホールに集めた。


「本当に、よろしいのですか?」


 その中の一人、妖精の中で最も言葉が堪能な妖精が静かに問う。

 桃色の髪を長く伸ばしてメイド服を纏う、少女の姿をした家妖精――――名はシエルという。

 私がそう名付けた。


「心配?」


 今更、計画を中止しようとは思わない。

 しかし計画の準備に大きな役割を果たした彼女の言葉なら、耳を傾ける価値はある。


「フロル様のしようとしていることは、家妖精にとって一般的な行動とはいえません。私たちのせいでフロル様に大きな負担が掛かるのではと」

「皆のためになるのは確かだけれど。私の目的はあくまでマスターが安心して暮らせる環境を整えることだから。それに、今の私なら成功するって、なんとなくわかるから大丈夫」

「フロル様がそうおっしゃるなら」


 シエルの表情は乏しい。

 今の問答に満足したのか、それとも不満があるのか、私にはわからない。

 今の彼女にとっては「私が良いと言うから良い。」が答えなのだろう。

 

(もう少し、自由に意見を言ってくれたらいいのに)


 不思議なもので、集めた妖精の大半が家妖精であったにもかかわらず、その成長は十人十色。

 シエルは会話や交渉に特化して成長を遂げた家妖精だ。

 レアスキルであるらしい<アナリシス>という非常に便利なスキルまで習得しており、スキルを活用して妖精たちの素質の確認に大きな役割を果たしている。


 人間と話すことができない私にとって彼女の能力は本当に心強い。

 それだけでなく、調べ物や知識の確認など、彼女を頼る機会は日に日に増えていった。

 今では私の補佐と妖精たちのまとめ役を兼ねる実質的なナンバー2だ。

 

 あとは、私が判断や行動を誤ったときに私を諫めるくらいの自主性があれば、と思ってしまうのは贅沢だろうか。


(それも、この計画が上手くいけば実現の見込みがでてくるはず)


 今から行うことは、妖精たちの成長を強力に促進するだろう。

 その中で彼女もより一層の成長を遂げてくれればいいと思った。


「フロルさまにまかせておけば、ぜんぶ大丈夫だよ!」

「うん、きっと大丈夫、ですよね?」


 シエルと比べると、少しばかり舌足らずな声が聞こえた。


 片方は明るく元気な声で思考放棄を宣言する、薄緑色の髪を短くそろえた少年のような少女――――名はココル。

 シエルと対照的に物理的な戦闘能力に素質を全振りしたような家妖精だ。

 能天気で最低限の家事しかできない彼女だけれど、今後はその戦闘能力が役に立つ状況も出てくると思う。

 マスターの安全を支えるために、戦闘要員はいくら居ても困らない。


 もう片方はココルに同意しながらも自信のなさが透けて見える、水色の髪を左右でくくった少女らしい少女――――名はメリル。

 こちらは魔法的な戦闘能力の素質にあふれる家妖精で、おどおどした性格を反映してか<レーダー>という索敵系レアスキルを習得していた。

 マスターの安全をより確実なものにするために、是が非でも鍛えたい。


 そのために、やはりこの計画の実施は必要不可欠だ。

 

「さあ、おしゃべりはおしまい。始めるから、異変があったら教えて」

「「「はい」」」


 三者三様の返事を最後に、小声でおしゃべりに興じていた妖精たちが一斉に沈黙した。


 私は目を閉じて、私の支配領域を把握する。

 

 私の支配領域。

 言うまでもなく、私が仕えるマスターの屋敷がそのまま私の領域だ。


 私に限らず多くの家妖精が、自分が住む家、あるいは自らが仕える主の住居を領域として支配する。

 別に特別の理由があるわけではない。

 家から出たがらない家妖精の本能が、自分の活動範囲を支配領域として自然に選択するのだ。


 私もそうだった。

 いつのまにか、この屋敷を自らの領域として支配していた。

 

 しかし――――


(やっぱり、間違いない)


 家妖精の支配領域がひとつの建物に限定されるわけではない。

 私が望めば、より広い領域を支配することができる。


 今から私が行うのは支配領域の拡張だ。

 

 あまりに広い領域は維持するだけで大きな負担となる。

 非力な家妖精では維持コストが吸収できる魔力を超過してしまい、存在が消滅してしまう可能性だって否定できない。


(けれど……。私なら、できる)


 マスターの下で力を蓄え、家妖精として成長した私なら。

 膨大な魔力量を誇るマスターと契約し、その魔力の大半を使用することを許された私ならば、家妖精の本能に負けたりしない。


 屋敷と庭を取り囲む石材の壁と金属製の柵。

 私の支配が見えない壁にぶつかり、それを――――


「越えた」


 私がポツリと呟くと周囲が騒めいた。

 シエルの「静かに。」という一言で、再び沈黙が下りる。


 私は柵の外の気配を慎重に探った。


「妖精も、精霊もいない」


 風の精霊に調べてもらった結果、この都市に自らの支配領域を確立している妖精や精霊は両手の指の数にも満たないことがわかっている。

 そして、その領域をすべて合わせても、この都市全体の1割程度であることも。

 マスターと出会う前の私を散々に苦しめた妖精や精霊が住みにくい環境は、今は私の味方となって領域拡張を後押しする。


「予定どおり、行けるところまで一気に進める。作戦開始」


 周囲の妖精たちが屋敷から飛び出した。


 ココル、メリル、初期から屋敷に居た妖精たち、屋敷に来たのは最近でも比較的優れた能力を持つ妖精たち、その数20余り。

 屋敷を出る恐怖に抗うことができる程度に成長した家妖精たちが、新たな私の支配領域を盤石なものにするために、屋敷の柵を越えて夜闇の中を駆け抜ける。

 

『おやしきのまわり、問題なしです!』

『妖精もせいれいも、いません!』

『そのまま、すすみます』


 私の支配領域内でしか使えないはずの繋がりを介して、外に出た妖精たちの状況が伝わってくる。


『おやしきのまえ、いじょうありません』

『おやしきのうらにわ、だれもいません』


 屋敷の敷地外に出ることは難しく、庭で周囲を警戒している妖精たちも平常どおり。

 順調に支配領域を拡張できている証拠だった。


 しかし、やはり限界は訪れる。


『あっ、おおきなみちで、とまります。ここはフロルさまのちからがないです』

『こちらも、おおきなみちです。ここからさきは、すこしむずかしいです』


 屋敷に残ったシエルが都市の地図を広げて示してくれる。

 私の感覚と突き合わせると、私の支配は南通りと東通りを越えられなかったようだ。

 

「やっぱり、他の誰の支配領域でなくても家がない場所は支配しにくいみたい」

「私たちは家妖精ですから。これだけの広さを支配するだけでも素晴らしい成果です」


 シエルが都市の地図に4つの印をつけた。

 拡張した支配領域の四隅。

 それはちょうど、南東区域をさらに四分割した区画の1つ、都市の中央に近い部分だった。


 都市全体のおよそ16分の1。

 それが私の新たな領域だ。


「でも、ここからが本番」

「……本当に、よろしいのですか?」


 シエルがもう一度尋ねる。

 先ほどは問題ないと言い切ったけれど、正直なところ、ここから先はあまり自信がない。


 しかし、領域拡張はすでに実行された。

 ここで止まれば広大な領域は私の魔力を喰らい続け、私を大幅に弱体化させるだろう。

 もう、引き返すことはできなかった。


「マスターの命令には違反してない。それに、マスターの命令の趣旨にも沿ってるはず」


『目立つことは控えめに!家から出るのも知らない人を入れるのもダメ!!マスターは絶対に守る!!!』


 エプロンのポケットに入れていつも持ち歩いている手帳を開く。

 拙いなりに丁寧に書かれた文字を、ゆっくりとなぞった。


「目立つ行動は。私は屋敷から出てない。それに今回の計画は、マスターの生活をより安全なものにするために必要なこと」


 だから、

 

『準備できました!』

『こちらも、大丈夫です』

『おーけー、です』

『できましたー』


 方々に散った妖精たちから、準備が整ったと知らせが届いた。

 

「急がないと。あまり時間をかけたら、外に出た子たちが見つかっちゃうかもしれない」


 この魔法を失敗することは許されない。

 言葉を話して外を出歩く妖精を一般化するという私の悲願も、今はまだお預けだ。


 マスターが目を覚まさないよう、静かに2階の廊下を歩く。

 目指すのはマスターの部屋ではなく、その向かいにある書庫でもなく、そのさらに奥にある隠し扉。

 

 その先に広がるのは、屋敷の中心に位置する隠し部屋だった。


「見られたくない魔法を使うには、都合がいい」


 私をここに連れてきた人間も、きっとこの部屋を使ってをしていたのだと思う。

 私が初めてこの部屋に入ったときは、それはもう酷い光景が広がっていたのだから。


「フロル様、最終確認をお願いします」


 シエルは綺麗な装丁の本を私に差し出した。

 私をここに連れてきた人間が残したいけない魔法の本、そのうちの一冊。

 この本には、これから私が使う儀式魔法の詠唱や準備について事細かに記述されている――――らしい。

 大半のことはシエルがやってくれたから、私はあまりこの魔法に詳しくない。

 儀式魔法というものについても、詠唱以外にいろいろと準備や道具が必要な面倒な魔法という程度にしか理解していなかった。


 この分厚い本の中で私が読んだのは詠唱に関する部分だけ。

 それ以外のことは全部シエルに丸投げした。


「今から読むのは時間がかかるし、読んでもきっとわからないからシエルを信じる」

「では、フロル様の代わりにもう一度だけ確認します」

「うん。でも、手短にお願い」


 シエルに本を返した私は部屋の中をぼんやりと眺める。

 

 床には淡く光る塗料で描かれた大きな魔法陣。

 魔法陣の中、線と線が交差する部分には、いくつかの魔道具が置かれている。

 何より目立つのは、魔法陣の中心に据えられた大きな魔石だ。

 青く透き通る魔石はガラスの台座に据えられて、今も優しい光を放ち続けている。


 正直に言えば、おいしそうな魔石だった。

 もしマスターに出会う前の私がこの魔石を見つけていたら大喜びでご飯にしたことだろう。

 そうならなかったのは、今思えば幸運だった。


 あのときは、本当につらかったけれど。


「確認が終わりました」

「ありがとう」


 シエルから本を受け取った私は魔法陣の外周に座り、詠唱の記述があるページを開いて魔法陣に触れる。


 ごっそりと魔力が持っていかれる感覚に驚いた時間は一瞬。


 魔法陣が確実に起動していることを確認した私は、儀式魔法の詠唱を開始した。






「――――――――――――――――<エンハンスメント・アブソープション>」


 数ページにも渡って記された意味不明の詠唱の末、私は儀式魔法を唱えた。


 その瞬間、魔法陣の光が強くなり――――すぐに元の強さに戻ってしまった。


「…………失敗?」

「いえ、成功です。見てください」


 シエルが差したのは台座に据えられた魔石。

 よく見ないとわからないくらい小さな変化だけれど、少しずつ魔力が溜まり始めたことがわかった。


「良かった。領域と儀式魔法の維持に足りる?」

「計算上は十分に賄える見込みです」


 <エンハンスメント・アブソープション>。

 多くの妖精の基本技能である魔力吸収を直接相手に触れなくても発動できるようにして、さらにその効果範囲を拡大するという強引な儀式魔法だ。


 発動のために面倒な手順と膨大な魔力が必要であるにもかかわらず、一人から吸収できる魔力は人間に気づかれないくらいの本当に微々たる量で、しかも魔力の扱いに長けた相手には全く通用しない。


 しかし、それが数千数万と積みあがればどうなるか。


「フロル様の支配領域に紐づけて発動することで、効果範囲をより広くしていますから。領域や儀式魔法を維持するための魔力だけでなく、新しく集めた妖精たちに与える魔力の足しにもなるはずです。今後、フロル様が領域をさらに拡張することができれば、余剰の魔力を貯めておくこともできると思います」

「そう、それは楽しみ」


 これまで、私はマスターからもらった魔力を他の妖精たち全員に分け与えていた。

 しかし、妖精を育てるには多くの魔力が必要であり、いくらマスターの魔力が潤沢でもこのやり方では私の分が少なくなってしまう。


 今回の領域拡張と儀式魔法によって、この問題の解決に目処がついた。

 マスターの安全を確保するついでのこととはいえ、ついつい頬がにやけてしまう。


 そのためにも――――


「手順はわかったから、数日後にもう一回。今度は、なるべく多くの人がいる場所を」

「わかりました。ほかの精霊や妖精の領域から十分に距離をとりながら、なるべく多くの建物を支配できるよう検討します」

「お願い」






 その後、私は順調に領域を拡張し続けた。


 強力な精霊のいる領主屋敷と冒険者ギルドの近辺。


 複数の妖精が領域を構える都市の北西区域。


 を私の支配下におくことができたのは、マスターが久しぶりに屋敷の外へ出かけた日の夜のことだった。



 

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