第135話 閑話:とある元英雄見習いの物語




 英雄になりたかった。


 幼い頃に読んだ物語か、実在の冒険者か、それとも将軍か。

 きっかけはもう忘れてしまった。

 いずれにせよ優秀な弟に家を任せると、私は一振りの剣を伴にして旅に出た。


 幸運にも私は戦いの才能に恵まれていた。

 冒険者として魔獣や妖魔を討伐しながら帝国中を旅し、その過程で得た仲間と共に数多くの苦難を乗り越えた。

 気付けば首に掛けたカードにはB級の文字が記され、最上級であるA級に手が届くところまできていた。


 そして、満を持して臨んだA級への昇格試験。

 私たちは敢えて最も困難な討伐対象を選んだ。

 選択できるというだけで誰も達成したことがない馬鹿げた選択肢。

 英雄になるという志を共にする私たちは、英雄に相応しい物語を求めて迷宮の最奥を目指した。


 大迷宮の奥深く、予想よりも浅い階層で目標を確認したことは覚えている。

 私の切り札であるユニークスキルの影響か、記憶はそこで途切れてしまい、気付けば私は独り迷宮都市の治療院で生死の境を彷徨っていた。

 治療院のどこを探しても、仲間の姿を見つけることはできなかった。


 丸々一月ほどかけて怪我を完治させ、治療院から出たそのとき。

 私はようやく現実を受け入れた。


 私たちは迷宮の大妖魔に敗北した。

 私は大切な仲間を喪った。


 私は、英雄になることができなかった。






 私は迷宮都市を離れ、放浪の末に辺境都市へと辿り着いた。

 目標を見失っても冒険者以外の生き方など知らない。

 気の向くままに狩りへ赴き、気まぐれに若い冒険者を指導する――――そんな生活をしばらく続けた。


 騎士団から誘いがあったのは、そんな変わり映えしない生活を数年続けた頃だ。

 敗北者である私にも鍛えた肉体と過去に積み上げた功績が残っており、それらによって得た名声が領主の耳に届いたらしい。

 副団長職を用意され、騎士たちへの戦技指導を求められた。

 

 確固たる理由があったわけではない。

 ただ流されるままに申し出を受け、私は冒険者から騎士へと転身を果たした。


 騎士の振る舞いなど知らない私は、自身が抱く騎士のイメージのままに振舞った。

 騎士たちの目にはさぞかし滑稽に映っただろうが、彼らは私を嘲笑することもせず、むしろ尊敬の視線を向けた。

 格式ばった印象が強い騎士であるが、強さが何よりも優先されるところは冒険者と変わらなかった。


 騎士団長を含む貴族家出身の騎士たちは私のことを快く思わなかったが、領主が望んで連れてきた私を排除するほどの度胸はなかったようだ。

 毛嫌いされ陰口を叩かれたが、それを気にするほど繊細な心は持ち合わせていない。

 時が経てば業務の棲み分けも暗黙の裡に行われる。

 公の場で騎士団長を立てることを覚えてからは、そこそこ上手く付き合えるようになった。


 あの剣と出会ったのは、そんな時だった。


 普段は足を運ばない東通りの鍛冶屋を訪ねた理由は思い出せない。

 ただ、そこで店主から告げられた言葉は今でもはっきりと覚えている。


『英雄にしか使えない、とっておきの剣がある』


 英雄の剣という響きに興味を抱いた。

 それを見た瞬間、心を奪われた。

 

 英雄の剣をこの手に。

 朽ちた願望の残滓が、私を駆り立てた。


 私が英雄の剣を使えたなら、志半ばで斃れた仲間たちへ手向けとなるのではないか。

 私たちは分不相応な高望みの報いを受けた愚か者などではなく、あの時たしかに英雄に手が届きかけていたのだという証明になるのではないか。

 私の頭の中を占めていたのは、そんな想いだった。


 非常に重い剣だと、店主は言った。

 実際に剣を手にして、それが事実だと理解した。

 それでも自身が英雄の剣の使い手として相応しいと、この剣を振ることができると信じて疑わなかった。


 恵まれた体格。

 <剣術>と<身体強化>の習熟。

 冒険者として、騎士として過ごした日々。


 それらによって形成された確固たる自信は――――剣を振り抜いた後、無様によろけ、たたらを踏んだ瞬間、粉々に砕けて塵となった。


 そのときの心情を正確な言葉で言い表すことは難しい。

 失望、後悔、憤怒、羞恥、諦観――――そのどれでもあり、どれでもなかった。


 気付けば剣を店主に突き返し、店を出ていた。

 舌が動くにまかせて醜い言葉を吐き出したが、私の中で絶叫する何者かが謝罪を許さなかった。






 それからまた長い月日が流れた。


 鍛冶屋の一件は鋭い棘となり、未だ私の心の奥深くに刺さっていた。

 シクシクと痛む心を騙しながら私は騎士であり続けた。

 棘を抜く方法に心当たりはなく、死ぬまでこの痛みと付き合い続けるのかと嫌気がさしていた。


 だから、その剣を背負った少年に出会ったことは私にとって僥倖だった。


 その姿を捉えた瞬間、棘を抜く方法は自然と思い浮かんだ。

 私は再び朽ちた願望の残滓に駆り立てられ、心が求めるままに強権を行使した。


 かつて英雄を目指した男の最後の戦い。

 これを逃せば、証明の機会は二度と訪れない。


 手段を選ばず、道理を投げ捨て、私はそれに手を伸ばした。


 そして――――





 ◇ ◇ ◇





「気が付いたか」


 目覚めた直後。

 落ち着いた声をかけられて視線を向けると、そこにいたのは辺境都市領主ミハイル・フォン・オーバーハウゼンその人だった。

 私は失礼のないようにベッドから体を起こそうとして激痛に顔を顰めると、ミハイル様はその様子を興味深そうに眺めていた。


「ずいぶんと、手酷くやられたようだな」


 ミハイル様は私の動きを手で制しながら、今日の出来事について問われた。

 私がミハイル様に仕えてから数年間、これほどの重傷を負ったことはない。

 その理由が私闘ともなれば報告の義務が生じるのは当然だった。


 私はミハイル様が求めるままに顛末を報告した。

 職権を濫用して特定の冒険者と決闘まがいの戦いをしたことも。

 その戦いを求めた理由も。

 騎士団の副団長を拝命しながら冒険者に敗北を喫したことも。


 あれを引き分けなどと主張するつもりはない。

 勝負が決する寸前に切り札であるユニークスキルを行使し、それによって窮地を脱し、その副作用によって手酷い反撃を被ってからは最後まで劣勢を覆すことができなかった。

 致命的な攻撃を受け、勝負が決した後に相手を殴り倒すという恥を晒した。

 これ以上の無様は、堕ちた身とはいえ流石に躊躇われた。 

 

「……以上です」


 報告を終え、深く溜息を吐いた。


 流されるままに就いた副団長職もこの数年で体に馴染み、今では相応の愛着を持っている。

 それを与えてくださったミハイル様には深く感謝している。

 だからこそ、今更隠し立てなどできなかった。

 

 私の行動はミハイル様の顔に泥を塗った。


 職を解かれる覚悟はできている。

 あるいは、それ以上の罰も。


「騎士でいることが辛いか」


 進退を問われているのだということは私にも理解できた。


 本件の責任をとって職を返上する。

 そう伝えるべきなのだろう。

 

 しかし――――


「ぐっ……」


 無理をして、体を起こした。

 伝える言葉を考えれば、これくらいはせねば非礼に過ぎる。


 珍しく驚いた顔をするミハイル様に、私は返答を伝えた。


「恥を忍んで申し上げるならば、今しばらく騎士でありたいと思います」

「ほう……?その理由は?」


 舌が言うことを聞かなかった、などと誤魔化すつもりはない。

 口にした言葉も、これから口にする言葉も、偽らざる私の本心だ。


「為すべきことを為していない……。長い時間を無為に過ごしましたが、そのことにようやく気付きましたので」


 罵倒されることを覚悟して率直な想いを伝えたが、見方を変えればこれまでの自分は無駄飯喰らいであったという自白に他ならない。

 私の能力を信じ、副団長に任じたミハイル様からすれば腹立たしいことだろう。

 

 しかし、意外にもミハイル様の顔に憤怒の感情はない。

 むしろ楽しげですらあった。


「そうか。それは何よりだ」


 期待している。

 ただ一言だけ言い残して、領主閣下は部屋から立ち去った。


(私は、許されたのか……)


 一人取り残された部屋で、しばし呆然と過ごした。

 それを望んだのは自分自身であるのに、解せぬと思うのもおかしいことだ。

 

 感謝を伝えそびれたことに気づいても、伝えるべき相手はすでに執務に戻っている。

 忙しい身なれば、今から追いかけても迷惑だろう。


 此度のことは今後の働きで報いるべきだ。

 心の中で念じ、すでに見えなくなった背中に深々と頭を下げた。






 まずは武器屋の店主に謝罪しよう。

 怪我から回復して行動の自由を得た私は、そう思い立つとすぐさま東通りへと向かった。

 謝罪には遅すぎるし、今度はこちらが暴言を吐かれることになるかもしれないが、それでも構わない。

 英雄の剣がこの身に刻んだ傷を見せてやれば、店主の留飲も下がることだろう。


 あの出来事以来、東通りから足が遠のいていた。

 数年振りに訪れた東通りは様変わりしており、寂れた鍛冶屋も廃業したようだった。

 閉め切られた戸を見つめることしばし、私は一度だけ深々と頭を下げ、踵を返した。


 英雄の剣はすでに店主の手を離れている。

 ならば店主は満足したはずだ。

 英雄になれなかった私の謝罪などもはや蛇足であり、所詮はただの自己満足だ。


「――――」


 大通りの雑踏の中、背後からかつての仲間の声が聞こえた気がして足を止めた。


 振り返ることはしない。

 そんな女々しい姿を見られたら、いつか再会したときに笑われてしまう。


(今度、稽古にでも誘ってみるか……)


 思い浮かべるのは英雄の剣を振るう若い冒険者の姿。

 剣術を習い始めるには少々遅いかもしれないが、実戦に近い経験は必ず彼の糧となる。

 心底嫌っているであろう私を相手とするなら彼も躊躇なく打ち込むことができるだろうし、彼の存在は部下の騎士たちにとっても良い刺激となるだろう。


 私は英雄になれなかった。

 しかし、そんな私にも為すべきことがある。


 ならば成し遂げなくては。

 部下の騎士たちに、そして若き英雄見習いに、私の経験と技を伝えるのだ。


「これから土産話を用意する。今しばらく、待っておれ」


 大切な仲間たちに一時の別れを告げ、私は詰所への道をしっかりと踏みしめた。



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