第134話 閑話:とある冒険者の物語




 うわばみの巣。

 常連からは単に『巣』とも呼ばれる食堂兼酒場で、俺たちは数日振りの酒を楽しんでいた。

 冒険者ギルドの南隣に立地するこの店は依頼報酬として受け取った金を使うのに本当に良い場所だ。

 今日もまた、日も沈まないうちから酒盛りを始める冒険者が2組。

 そのうちの1組が俺たちだった。


「それじゃ、我ら『疾風』の依頼達成を祝して――――乾杯!!」

「かんぱーい!」

「乾杯」


 パーティのリーダーであるハンスの音頭に合わせて3つのジョッキが打ち鳴らされる。

 俺たち『疾風』は4人パーティだから現状一人足りないのだが、当人は用があるから後で合流すると言い残し別行動をとっていた。

 騎士団からの依頼がどうたらこうたらと言っていたから、騎士団詰所にでも向かったのだろう。

 

「カミラは騎士団詰所だっけー?イケメンな騎士様とデートかもよ?行かせちゃってよかったの、カイ?」

「ああ?あんな愛想のない女にお上品な騎士サマが食いつくかっての」

「そんなこと言って、本当は心配なくせに!カミラは胸大きいから、欲情した騎士様に襲われちゃったりして……?強引に言い寄られて組み伏せられて……キャーーッ!!」

「もう酒が回ったのかよ、ロッテ……。ほんとお前、普段から十分ウザいのに酒が入るとウザさがどどまるところを知らないよな」

「あー、カイが酷いこと言ったー!ハンスー、慰めて!」

「はいはい。ロッテはいい子だね」

「甘やかすなよ……」


 俺たち4人は領内の村で生まれ育った幼馴染だ。

 数年前、冒険者になるためにこの都市を訪れて以来、この都市をホームとして活動を続けている。

 恋人関係にあるハンスとロッテに砂糖を吐きたくなるような光景を見せられるのも、もう慣れたものだった。

 

 しかし、余りものである俺とカミラが恋人関係であるかというとそうではない。

 互いに意識はしているとは思うのだが、お互い素直な性格はしていないからどうしても幼馴染から先には進まない。

 ずるずるとここまで来てしまい、もう正直諦めかけている。

 別にカミラ以外にも美人はいくらでもいることだし、今更がっつくつもりもなかった。


「そういえばさっ、久しぶりに妖精さんを見たんだよー!すっごく可愛かった!」


 全員揃うまで待つなどという遠慮はとうの昔にどこかへ消え去っており、一人欠けたままでも俺たちの酒盛りは進む。

 話題が酔っ払ったロッテの気分次第でコロコロと移り変わり、無秩序に蛇行するのもいつものことだ。


(妖精か……。たしかにここ最近見かけるようになったが、今日は何だか慌ただしかったな)


 普段はのんびり箒やハタキを振り回している家妖精たちが、まとまって大通りを走っているのを見かけた。

 1組だけなら偶然だと思うが、わずかな時間で3~4組も見かけたので、どこかで家妖精の集会でもあったのかもしれない。


「ああ、俺も見たよ。裏路地で箒を動かしてた。家妖精って家から出ないものだと思ってたけど……家妖精だよね、あの子たち」

「掃除道具持ってたし多分そうだろ。てか、どうせ魔法で掃除するのに箒だのハタキだのを動かしてるのはなんでなんだろうな?」

「うんうん!私が見かけたときもさー、東通りのパン屋さんの窓にハタキをかけててさ!可愛いから『偉いね!』って言ってお菓子あげたらさ、にっこり笑ってお辞儀されちゃってさー!もう我慢できずにぎゅうううって抱きしめちゃったよ!そしたら逃げられちゃったけど……」

 

 ひとりで勝手に盛り上がって勝手に盛り下がるロッテの頭を、ハンスが仕方ないと笑いながら撫でる。

 本当に見慣れた光景だ。

 あまりにも見慣れた光景だったから、そこに一人足りないことが浮き彫りになって、よせばいいのに、ついつい思ったことを口に出してしまった。


「そういえば、カミラ遅いな」

「なになにー?やっぱりカミラが気になるの?」

「いや、別に――――」

「気になるならもう迎えに行くしかないよ!ついでに情熱的に告白してきちゃいなよ!!」

「ほんとうぜえ……。そういえば俺も家妖精を見たんだが、南通りのここより少し北に行ったとこで掃除しててな――――」

「あ、話を逸らしたー!!」

「……マチューの野郎が剣振り回して追っかけてた。多分家妖精の魔石狙いだったんだろうな。家妖精は路地の奥の方に逃げて行ったが、かわいそうなことするもんだ」


 話をそらすために適当に家妖精の話を繋いだが、案の定ロッテに見破られて大声で割り込まれた。

 それでもめげずに話を続けた俺をハンスがくつくつと笑う。

 

 本当に余計なことを言った。

 そう後悔したときには、もう遅いのだ。


 だから――――俺の話に食いついたロッテに、俺もハンスも驚いてしまった。


「え?それで、カイはどうしたの?」


 ロッテが急に真顔になった。


「うん?俺が何だって?」

「妖精さんがマチューに追いかけられてたんでしょ?カイはどうしたの?まさか、そのまま見捨てたの?」

「いや、見捨てたって……。そのときはちょっと急いでてな。それにあんな奴に関わりたくもないし」


 マチューは、端的に言えば嫌な奴だ。

 自分より強い奴には媚びへつらい、自分より弱い奴には傲慢に振舞う。

 C級に昇格してからは絡まれることも少なくなったが、嫌な気分にさせられたことは一度や二度ではない。

 

「ひどい!信じられない!ほんっとにサイテー!」

「なんだよいきなり……」

「ロッテ、少し落ち着いて……」

「だってそうでしょう!?マチューみたいな奴に追いかけられてる妖精さんがその後どんな目に合うかわかってるじゃない!どうして助けてあげないの!?」

「お前らを待たせてたんだよ!遅れたら怒るじゃねーか!」

「ちゃんとした理由なら怒らないわよ!!」


 絶対にウソだ。

 仮に家妖精を助けた結果として待ち合わせに遅れたとしても、ロッテとカミラから暴言を雨あられと投げつけられるに違いない。

 女ってのは本当に理不尽の塊なのだとつくづく思う。


 しかし、理不尽な奴に「お前は理不尽な奴だ!」と言っても火に油を注ぐだけ。

 ロッテの理不尽な怒りを鎮めるためには、ロッテが納得できるような話をしなければならない。

 幸い家妖精の話はバッドエンドではないから、続きを話してやったら機嫌も直るだろう。


「まあ待てよ。この話には続きがあるんだ」

「なによ……。妖精さんが酷い目に合う話なんて聞きたくないんだけど」

「いやいや、ここからが笑いどころさ。お前らとの打ち合わせを済ませて解散した後な。その家妖精とマチューを見た路地の前をたまたま通ったんだ。そしたら……くくくっ」

「何笑ってるの!早く話しなさいよ!」


 そのときの光景を思い出すと思わずに笑いがこぼれてしまう。

 そんな俺の様子にロッテの機嫌がさらに悪化してしまった。

 今のは俺が悪かったか。


「悪い悪い……。路地を見たらさ、なんかマチューの野郎が縄でぐるぐる巻きに縛られて、家妖精たちに運ばれてきたところだったんだよ。そんでゴミでも捨てるみたいに無造作に大通りに転がされてさ……そんときのマチューの野郎の顔が、なんか諦めたような無表情でさ、ほんと傑作だったんだ!」

「ぶほっ!げほっ……」


 マチューに追い詰められたと思われていた家妖精の逆転劇。

 予想外の展開に酒をむせてゲホゲホやりだしたロッテをにやにや眺めつつ、もちろん追撃の手は緩めない。


「マチューのやつ、家妖精が路地の奥に消えたら『誰か助けろ!縄をほどけ!』って通行人に対して騒ぎ出してさ。日頃の行いが悪いから当然誰も助けようとしなかったんだが、そしたらマチューと俺の目があったのよ……。そんとき俺がどうしたと思う?」

「な、なによ……。焦らさないで言いなさいよ……」


 続きを催促するロッテ。

 その頬はにやけ笑いを堪えきれず、ふるふると震えている。


 興が乗った俺は椅子から立ち上がり、大げさなジェスチャーでそのときの言葉を再現してやった。

 

「『助けが必要なんだな!?わかった、冒険者ギルドに居る奴全員連れて来てやるぜ!!』」

「ぶはっ!!あっははははっ!ちょっと、お腹痛いんだけど!!」

「ぷくくっ……、カイもロッテもひどいなあ、くくっ……それで、その後はどうなったの?」

「ああ、宣言通り暇してた奴全員連れてって、マチューの野郎を助けてやったぜ…………しばらくマチュー野郎を囲んでニヤニヤ眺めて馬鹿にした後でな!」

「ひっどーい!カイってば、サイテー!!でもいい気味だから許してあげるー!!」


 マチューの醜態に大笑いするロッテ。

 機嫌は完全に直ったようだ。


「マチューも災難だね。昨日も他の冒険者と揉めて大恥かいたって聞いたのに」

「お?なんだなんだ、面白そうな話じゃねーか!ああ、わかった!新顔に喧嘩売って返り討ちにされたんだろ?」

「えー、じゃあ私はー、髪が燃えて禿げ……あ、やっぱりみんなの前で泣きながら土下座!!どう!?」

「うわ、えげつねぇ……血も涙もねぇ……」

「なによー!カイも大差ないでしょう!?」

 

 嫌われ者のマチューは大恥をかきました。

 さて、何があったでしょうか。


 ハンスから出されたお題に、俺とロッテはこうなればいいのにという願望全開の回答を提出した。

 にやにや笑いながら話を催促する俺たちに、しかし、ハンスは驚いた顔をする。

 そんな反応が返ってくるとは思わず、キョトンとする俺とロッテ。


「お、その反応は……」

「え、どっち!?どっちが正解!?」


 思わず前のめりになる俺たちに、ハンスは満を持して正解を披露した。


「…………二人とも正解」

「はあ!?マジかよ!!」

「うわーい!やったー!!」

「マチューの日頃の行いに乾杯!……って、いやどういう状況だよ?何が起きたらそんなことになるんだ?」

「やっぱりそう思う?俺も実際に見たわけじゃなくて知り合いに聞いた話なんだけど――――」


 冒険者ギルドの受付嬢にちょっかいをかけ、その受付嬢を贔屓にする冒険者によって壁に叩きつけられ、多くの冒険者たちが見守るなか、泣きながら頭を床に打ち付けるようにして謝罪させられたという。

 もはや公開処刑以外の何物でもない。

 あまりにあんまりな顛末に、ロッテは大口を開けて笑い続けていた。


「ところで、その相手の冒険者ってのは誰なんだ?」

「えーと……そうだ、アレンって言ったかな」

「アレン?どこかで聞いたような……。あ……」


 いつだったか、路地裏で冒険者の女に強引に迫っていた奴がアレンといったはずだ。

 魔獣絡みの騒動のときに殿を務めたとも聞いたが、俺にとっては女に乱暴を働くクズ男という印象の方が強い。

 今でも、あのとき女は本当に襲われていたのではないかと思っているのだが――――


(あれは女自身に否定されちまったからなあ……)


 納得できなかった心境を思い出し、少しだけもやもやしてしまった。


「あーはっはっはっは!もうダメ、お腹痛い、笑い死ぬー!!」


 よほどツボに入ったのだろう。

 バンバンとテーブルを叩いて爆笑し続けるロッテに、給仕が迷惑そうな視線を向けていた。

 いくら粗野な冒険者に慣れた酒場とはいっても流石に騒ぎすぎた。


「騒いで悪かった。さっきと同じ酒をそれぞれ追加で頼む」


 詫び代わりに酒を追加する。


「お前もいい加減抑えろよ……」

「あー、ごめんごめん……ぷくく……」

「まあまあ、久しぶりの酒盛りなんだし少しくらいいいじゃないか」

「少しって言葉、今度辞書で引いとけよ」


 ロッテの醜態に呆れつつグラスに口をつけ、特に理由もなく酒場の入り口の方に目を向けた――――そのときだった。


 何かに怯えた様子のカミラが、力ない足取りで酒場に現れたのは。


「カミラッ!!どうした!?」

「えっ!?」

「カイ、どうし――――」


 突然大声を上げた俺に驚くハンスとロッテに目もくれず、俺はカミラに駆け寄った。


「おい、何があった!?」

「あ……カイ…………」


 弱々しい声。

 ふと、ロッテの戯言が脳裏を掠める。


『カミラは胸大きいから、欲情した騎士様に襲われちゃったりして……?強引に言い寄られて組み伏せられて……』

  

 この都市の騎士たちは厳しく統制されている。

 素行が悪い奴がいないわけではないが、昼間から詰所の中で無体を働くようなことが許されるほど騎士団の上は甘くない。

 

 そう理解していても、最悪の想像が頭の中で膨らんでしまう。


「ちょっとカイ!とりあえず座らせてあげたら?」

「あ、ああ……そうだな」


 ロッテに促された俺は、カミラの体を俺が座っていた長椅子の奥に押し込み、俺自身も隣に座った。

 カミラは不安げな表情でされるがまま。

 いつもの強気で愛想のないカミラは見る影もなかった。


「おつかれさま。まずは水でも飲んで落ち着いてね」

「…………ありがと」


 冷たい水がカミラの喉を潤していく。

 ゆっくりと時間をかけてグラス半分ほどの水を飲んだ頃には、幾分顔色がマシになってきたように見えた。

 しかし、それはあくまで酒場に着いたときの状態と比べればであって、依然としてグラスを持つ両手は震えたままだ。


「それで、どうしたのカミラ?詰所で何かあったの?」


 頃合いを見計らってロッテが本題を切り出すと、カミラは目を閉じて、言葉を選ぶようにぽつぽつと話し始めた。


「うん、ちょっと……。いや、ちょっとじゃなくて、すごく、怖い思いをした、のかな?」

「おい、大丈夫かよ。他人事みたいな言い方しやがって」

「だって、他人事なんだもの……。そう、私は関係ない……私は大丈夫……」


 自分に大丈夫だと言い聞かせている奴が、本当に大丈夫だったためしはない。

 ハンスとロッテも同感だったのか、2人の表情が険しくなる。


 しかし、そんな俺たちの心配をよそに、カミラの様子は彼女の言葉どおり本当に快方に向かっているようだった。


「ごめん、心配させたね。みんなの顔見たら落ち着いてきた。本当に大丈夫だから」


 そう言って微笑んで見せるカミラ。

 グラスを持つ手は、もう震えていなかった。

 どうやら取り返しのつかないような事態に陥ったわけではないらしい。

 そんなカミラの様子を見て、俺は心の中でほっと胸をなでおろした。

 

「ったく……驚かすなよ。何事かと思ったぞ……」

「ほんとだよ。まあ、俺としてはカイの慌てぶりの方がびっくりだったけどね」

「なんでだよ」

「ほんとにねー。カミラのことが心配なカイが必死すぎてにやにやしちゃうんだけどー」

「はあ?」

「あ、そういえばカミラのこと見つけるのもすごく早かったよね?もしかして、カミラが早く来ないかなーってずっと外見てたんじゃないのー?」

「ちげーよ!ただなんとなく外の方を見たらカミラがいただけだ!」

「つまりカイの本能がカミラを見つけ出したってことね!」

「いやあ、良い話だね」

「おまえらな……」


 カミラが落ち着いたのを良いことに、ロッテが俺を囃し立てる。

 しかも、普段は静観して笑っているハンスまでもが、それに同調した。

 話を逸らすためのネタはさっき使ってしまい、2人の気を引けるようなちょうどいいネタの手持ちはない。


 となれば――――


「で、結局何があったんだ?カミラ」


 安易な逃げ道。

 今、最も気になっていることを話題にすることで、難を逃れようと試みる。


 しかし、口に出してから正面の2人の様子を窺ったところで、俺は自分の失敗を理解した。


(あ、もしかしてカミラの気を紛らわそうと……)

 

 そこにあったのは俺を責める2組の視線。

 ハンスは仕方ないと苦笑するようなものだったが、一方ロッテのそれは今にも舌打ちしそうなほどに強烈だった。

 言葉はなくとも、「空気読め!」「使えない!」「役立たず!」とロッテの罵倒が頭の中で勝手に再生されるほどだ。

 そんな罵倒も今回ばかりは甘んじて受け入れるしかない。

 俺が2人の気遣いを台無しにしてしまったのは事実なのだから。


「もう……大丈夫だって言ってるのに」


 そして、そんな無言のやり取りもカミラには筒抜けだ。

 幼馴染の絆は伊達ではない。


「やっぱりバレちゃうか」

「あははー……」


 気遣いがバレバレになったロッテが気恥ずかしそうに笑い、そんなロッテを見てカミラも微笑む。


 いつもどおりの『疾風』が、そこにあった。

 

 




「さてと。そろそろリクエストにお応えして、今日の出来事を話そうかな」


 飲み、食い、笑い、そろそろお開きにしようかという頃。

 ほろ酔いでカットフルーツを摘まんでいたカミラが、そう切り出した。

 ここまでの様子で、カミラが普段どおりであることを確認していたから、さっきと違って止める者は誰もいない。


 一番気を遣っていたロッテだって、やっぱり気になっていたのだろう。

 酔いがまわってぼんやりしていた意識をカミラの声に集中させているのがわかる。


「そもそも、カミラは騎士団詰所に何の用事があったの?」

「ちょっと前に魔法の研究を手伝う依頼を受けてたから、途中経過の報告に。納期が明確に決まってるわけでもないし、世間話をしに行ったみたいなものだけど」


 カミラは『疾風』唯一の魔法使いだから、魔法関係の依頼だとカミラが単独で受けることも稀にある。

 以前も似たような依頼を受けたことがあったはずだ。


「今日は仲間が店で待ってるからって伝えて報告も簡単に終わらせてもらって、ちょうど相手も外に用事があるって言うから途中まで一緒に行くことになって。けど、1階に下りたら詰所の横にある訓練場が騒がしいから、何かやってるのかなって……そしたら、騎士団のジークムントさんが冒険者と試合をしてるって声が聞こえてきたの」

「へえ……」

「あのジークムントさんが冒険者と試合?珍しいこともあるんだねー」

「でも、ジークムントさんが冒険者だったころは、若手を鍛えてくれたこともあったよ」


 領主騎士団の副団長ジークムント・トレーガー。

 2年ほど前、当時B級冒険者だった彼が領主にスカウトされ騎士団幹部に据えられたとき、冒険者ギルドはその話題一色になったものだ。

 その戦闘力は圧倒的の一言で、一部では冒険者ギルドのギルドマスターであり元A級冒険者のドミニク・バルテンに匹敵すると言われている。

 

 副団長に就任してからは騎士団の戦力向上に大きな役割を果たしていると聞いていたが、そんなジークムントさんが今更冒険者と試合とは、どういう風の吹き回しだろうか。


「せっかくだから私も少しだけ見て行こうと思って訓練場に出たら、騎士さんたちも大勢集まってた。けどそこでやってたのは、試合じゃなかった」

「ふーん?なら訓練場に集まってた騎士たちは、結局何を見てたの?」

「――――あい」

「え?」


 俺は、その言葉を聞き取ることができず、反射的にカミラに聞き返していた。

 音が拾えなかったわけではない。

 ただ、拾った音に意味を与えたときに感じた違和感に、抗うことができなかっただけだ。


 カミラはそんな俺の反応に満足したように口の端を上げると、再び、そしてはっきりと、その言葉を告げた。


「コ・ロ・シ・ア・イ、だよ。ジークムントさんと冒険者が殺し合うところを大勢の騎士たちが囲んで見守ってたんだよ」

「………………」


 騎士団の訓練場で、騎士と冒険者が殺し合い。

 ポカンとする俺たち3人の顔を眺めながら、フォークに刺したカットフルーツを自分のグラスに沈めて、カミラは語り続ける。


「正確に言うと、最初は殺し合いじゃなかった。むしろ退屈なくらい普通の試合だったのに、ジークムントさんが相手を挑発したあたりから……何かが、おかしくなった」

「挑発?」

「うん。なんか女の人を巡って争ってた。ジークムントさんは、誰かの代理だったみたいで」

「わけがわからん……」

「その気持ちはよくわかるよ。実際に見てた私も何でこうなってるのかさっぱり……。最終的にジークムントさんは血まみれで相手は気絶したから、その女の人がどっちのモノになったのかはわからないけどね」


 さもありなん。

 誰か知らないが、あれほどの武人に挑めばそうなることはわかりきってただろうに、よほどその女が大切だったのだろう。


 かく言う俺とハンスも、ジークムントさんが冒険者だった頃に稽古をつけてもらったことがある。

 二人掛かりで挑んであっという間に沈められ、上級冒険者の力を思い知らされた。

 悔しい思いをしたが、今となってはいい思い出だ。


「血まみれか。まあ、ジークムントさん相手に戦えばそうなる…………あれ?ジークムントさんが勝ったんだから、その女の人はジークムントさんを代理に立てた人のモノなんじゃ?」

「ああ、そういえば……」


 血の海に沈む冒険者の前に仁王立ちする返り血を浴びたジークムントさんのイメージが勝手に頭の中に出来上がってしまい、カミラの話の矛盾点に気づくことができなかった。

 カミラは少しだけ不思議そうにした後、何かに気づいてハンスの顔にフォークを向け、俺たちの誤解を正した。


「二人とも勘違いしてる。ジークムントさんは相手の返り血で血まみれになってたわけじゃない。大怪我したのはジークムントさんの方だよ?」

「はあ!?」

「それは……。カミラを疑うわけじゃないけど……」


 信じられない。

 それがカミラを除く3人の総意だった。


「信じられないのはわかるけど、最後なんてお腹に剣が刺さって背中に貫通してたよ。刺さった瞬間は死んじゃったんじゃないかって思ったくらい。でも、倒れる直前に最後の力を振り絞って相討ちに持ち込んだのはやっぱりすごかった」

「まじか……」


 ジークムントさんは、この都市で活動する多くの冒険者にとって雲の上の存在だ。

 勝つ負ける以前に、どうやったら勝負になるのかすらわからない。

 そんなジークムントさんが相討ちに持ち込むのが精一杯だったのだとしたら、相手はきっと化け物のように強いに違いない。

 

「いや、カミラ。話はわかったけど、それならカミラが震えてた理由がわからないよ?」

「んあ……?ああ、そういえば……」


 なぜカミラの様子がおかしかったのかという話だったのだが、ジークムントさんが血まみれになった話のインパクトが強すぎて本題が置き去りになっていた。

 さっきから、どうにも注意力が散漫になっているようだ。


「うーん……。実は、正直なところよくわからない」

「なんだそりゃ……」


 あれだけ怯えていたというのに、その理由がわからないとはどういうことか。

 一番重要なところが欠けている話に思わずため息がこぼれた。


「本当だよ?戦ってたのはジークムントさんと相手の冒険者で私は関係ないし、戦いに巻き込まれるほど近くにいたわけでもない。仮に巻き込まれても、周りには大勢の騎士たちがいたから、私がケガする可能性なんてほとんどなかった。私が不安に思うことはないはずなのに――――」

 

――――ただ、


 そう呟いたカミラはそのときの情景を思い出したのか、少しだけ震えていた。


「ジークムントさんが、邪魔をしたら許さないって叫んでた。聞いたことないくらい大きな声だったから、体が竦んだ。でも、それが原因じゃない。本当に怖かったのは――――」

「ジークムントさんの相手の冒険者か?」


 俺の問いに、カミラは小さく頷いた。


「逃げ出したいのに逃げられなかった。少しでも音を立てたら……気を引いたら、ジークムントさんに向けていた殺意が私に向くんじゃないかって……。そんなはずないのに、一度そう思ったらその考えが頭の中から消えなくて、息を潜めるしかなかった。でも、戦いから目を離すこともできなくて……、試合の限度なんてとっくに超えても、ジークムントさんが斬られて血を流しても――――」

「わかった、もう十分だ」


 肩に触れて、カミラの言葉に割り込んだ。

 そのときのことを話せば話すほどカミラの様子がおかしくなる。

 やはり、これは聞き出すべきではなかったのだ。


「ありがとう、カイ。でも、大丈夫だから。こうして落ち着いてみれば、あの殺意がこちらに向くことはないんだって、冷静に考えられるから」

「そうか、ならいいんだが……」


 打ち上げもお開き。

 精神的な疲れが原因のようだし、ホームに帰ってゆっくり休ませれば回復するだろう。

 ロッテも同感だったのか、テーブルに残った食べ物をひょいひょいと摘まんで口に中に放り込みながら、のろのろと帰り支度を始めていた。

 

 しかしハンスだけは、まだ話を続けようとしていた。


「カミラ、すまない。その冒険者の名前はわからないか?」

「おい、ハンス……」


 俺はハンスを咎める。

 しかし、ハンスは珍しく退こうとしなかった。


「嫌なことを思い出させて悪いとは思う。けど、そんな危険な冒険者の存在を知らないままではいられないよ。この都市にいるなら、バッタリ遭遇して揉める可能性もあるんだ。その相手の情報は俺たちの生死に直結するかもしれない」

「それは……」


 ハンスの言うことは理解できる。

 俺としてはカミラに無理をさせたくない気持ちが勝るが、ハンスはパーティのリーダーとして、その責任感が勝ったのだ。


「それくらい大丈夫だよ。カイは心配しすぎ」


 そう本人に笑われては立場がない。

 照れ臭くなり頭を掻く。

 

 そんなこそばゆい雰囲気は、カミラが告げた名を聞いて一瞬で吹き飛んだ。


「冒険者の名前は、アレン。ジークムントさんが、何度も叫んでたから間違いない」

「それは……。いやはや、マチューもすごいのに喧嘩を売ったものだね」

「マチュー?なんでマチュー?」

「実は――――」


 ハンスが先ほどの話をカミラに聞かせている間、俺は背筋に走る冷たさに耐えていた。


『ピンチのところを助けたからって、その子がお前の女になるわけじゃないんだよ?』

『これだからガキは。女心ってものをまるで理解してない』

『わざわざ冒険者の子を狙ってんでしょ?』

『うわ、ほんと最低』


 脳裏に、あの日の情景がありありと蘇る。


(なんで!よりによって……!!)


 あまりにも理不尽な巡り合わせ。

 それがもたらすやり場のない焦燥が胸の中に積もっていく。


「カイ、どうしたの?」

「ッ!?いや、なんでもない」


 カミラに声をかけられて我に返る。


 俺が心配されてどうするのか。

 少し落ち着かなければ。


「本当?その割には、すごい汗かいてる」

「ほっとけよ……。ところで、そのアレンって奴について何か知ってることないか?ハンスが聞いた昨日の話に関連してでもいい。情報を共有しておこう」


 俺がアレンという冒険者と会ったのは、あの日の夜の一度きり。

 あのとき見たガキは、そこまで強そうには見えなかった。

 どうしても、この場で聞いた冒険者アレンの印象と一致しない。

 何かの間違いだという可能性を捨てられず、希望的観測を裏付ける情報を求めてハンスを頼った。


「うーん……あ、そういえば。冒険者ギルドの訓練場で何度か模擬戦した剣士のクリスだけど、クリスが待ってたリーダーってのが、そのアレンだったみたい」

「クリスってあの銀髪の?」

「そうそう、そのクリス」

「まじか……」


 クリスというのは女に好かれそうな容姿をした銀髪の剣士で、たしか今はC級に上がったはずだ。

 昨年の暮れから度々冒険者ギルドに出没して、「誰でもいいから相手をしてほしい!2人掛かりでも構わない!」なんてぶちあげたのは記憶に新しい。

 容姿や女からの人気を妬んだ冴えない冒険者たちを次々と返り討ちにして、結局2人同時に相手をしたときも含めて負けたという噂を聞かないのだから、その腕は折り紙付き。

 そんなだから、いつもソロでいたクリスを勧誘する動きは後を絶たなかったのだが、本人は「待ってる人がいる。」と言って決して取り合わなかった。

 あれほど強い剣士がこれと決めた相手ならさぞかし強い冒険者なのだろうと噂されていたのだが、今日の話を聞けば確かに納得できる。


(いや、納得してどうする!)


 実はたいしたことない冒険者だった――――そういう情報が欲しかったのに、かえって確証ができてしまった。


(この話は、しばらく黙っておこう……)


 ハンスには早めに相談しておく必要があるが、少なくとも今のカミラに聞かせるのは心労が増すばかりで良いことがないだろう。


 カミラに心配されることがないように、吐き出しそうになった溜息を呑み込む。

 仲間と共に歩くホームへの帰り道、その足取りが少しだけ重かった。



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