第127話 ××シアイ5




 地面に転がる俺の腹に拳を叩き込むために、膝を曲げて上半身を傾け、不安定な姿勢をとっていたジークムント。


 そんな体勢では化け物の如き戦士とて、ただの案山子になり下がる。


 俺が気力を振り絞って突き上げた剣は、ジークムントが体を庇うために差し出した左腕を防具ごと貫き、さらに鎧を穿って脇腹に深々と突き立った。

 

 脇腹と左腕を強引に引き抜き、過剰なほどに大きく距離を取ったジークムント。

 その脇腹と左腕から滴り落ちる鮮血は、俺の剣がついにジークムントに深手を与えたことを意味していた。


(俺の力だって、化け物に通用するんだ……)


 俺はゆっくりと体を起こして立ち上がり、体の調子を確かめる。

 限界を超えて行使した<強化魔法>に耐えられなかったのか、右腕からズキズキと痛みが伝わってくるが動かせないほどではない。

 ジークムントの拳の直撃を受けた胸の痛みも幾分か治まってきた。

 痛覚が麻痺しているのかもしれないが、今はそれで十分だ。


(はは……)


 まだ戦える。

 それを確認すると、表情が緩んでいくのがわかった。

 

 遥か格上の相手に歓喜が、じわりと体中に染み渡っていく。

 高揚する気持ちが抑えられない。

 それどころか、体の奥から無限の力が湧きあがるような錯覚まで感じている。

 自然と、口から笑いが零れていた。


「ははは……、あははははっ!最後の最後でお粗末じゃないか、ジークムントっ!!得意気に垂れた<結界魔法>の講釈は空耳だったか!?」


 ジークムントの表情が歪む。

 俺の言葉に怒りを示したわけではない。

 俺が与えた傷が、ジークムントの表情を歪めているのだ。


 痛んだ右腕の代わりに左腕を存分に広げ、俺はジークムントを挑発する。

 まだ、このを終わらせるわけにはいかない。

 

「く、はは…………、まさか、これしきの手傷を負わせたくらいで、勝った気になっているのではなかろうな!?」


 流れ続ける血は止まる気配がない。

 にもかかわらず、ジークムントもここで終わる気はないようだ。

 化け物のような強さを誇るジークムントとて、これほどの傷では先ほどまでのような機敏な動きはできないだろうに、何がジークムントを戦いに駆り立てるのか。

 それを俺が知る術はない。


 しかし、それでいい。

 


「その忠告はあんたにこそくれてやるよ!手傷を負わせる前から勝利宣言なんて、間抜けのやることだからなぁっ!!」

「ふはっ、ふはははははっ!!威勢のいいことだ!!そうでなくてはっ!!」


 俺の口汚い挑発に怒りを示すこともなく再び狂喜したジークムントは、貫かれた左腕の防具を投げ捨て、声を張り上げた。


「待たせたな、冒険者アレン!さあ、第三ラウンドを始めるぞ!!」


 俺とジークムントの距離は、互いの射程より遥かに遠い。

 ゆっくり、じっくり、俺たちは相手との間合いを詰めた。


「ジークムント様!!!」


 そんな俺たちの歩みを遮る者がいた。

 ジークムントの副官の騎士だ。


「なんだ、試合中だぞ?」


 戦意に水を差されたジークムントが、心底嫌そうに副官に応える。


「試合どころではありません!重症ではありませんか!!」


 副官はジークムントの傷を心配していた。

 この化け物がこの程度のケガで死ぬわけがないと思うが、たしかに一般人だったら生死に関わるような重傷だ。


「問題ない。下がれ」


 本人も同意見らしい。

 血が滴る左腕を振って、試合会場から出て行くように命じている。


 しかし、副官も簡単には引き下がらない。


「おふざけはもうおやめください!試合など、もう中止にすべきです!」


 それは困る。

 俺は抗議の声をあげようとして――――


「ふざっけるなあああっ!!!!!」


 訓練場から音が消えた。

 この試合を観戦する全ての者が、ジークムントの発する怒りに飲まれて言葉を失った。

 

「中止!?中止だと!!?馬鹿を言うな!!冗談ではないぞ!!」


 ここまで狂気じみた言動は見せても決して怒りは見せなかったジークムントが、副官の言葉に激昂した。

 怒りを露わにしたジークムントが発する怒声は、気の弱い者なら失神するのではないかと思うほどだ。


「私が、この戦いを!死闘を!!どれだけ待ち望んだと思っているのだっ!!ようやく、ようやく見つけたのだ!!まだ戦いは終わっていない!!いや、ここからではないかっ!!」


 副官は体が竦んでいる。

 怒りの矛先が向いていない者たちですら、凍り付いたように動きを止めた。


「中止などさせない!!絶対に認めない!!戦いは続けるぞ!!ああ、どんな手を使ってでもだ!!!」


 ジークムントの本性が露わになった。

 その目は血走り、狂気で濁っている。

 

 もはや、この戦いを止めることはできない。

 そう確信させるだけの光景がそこにはあった。


(ああ、好都合だ……)


 ジークムントが発する狂気も今だけはありがたい。

 そう思っているのは、きっと俺だけだ。


(ジークムントは、危険だ……)


 この男は戦いのためなら何でもする。

 本人が主張するとおり、望む戦いを実現するためにはどんな手だって使うのだろう。


 そしてジークムントは、俺と戦うためにティアを利用することを覚えてしまった。

 俺と戦うために、ティアを人質にすることが有効だと知られてしまった。


 だから俺は、この戦いをのままで終わらせるわけにはいかないのだ。


 ジークムントが騒いだおかげで、俺の気分の高揚はいくらか治まった。

 その一方で、体の奥から湧き出す力は留まるところを知らない。

 酷使した右腕の痛みすら、いつのまにか消え去った。

 今なら心は冷静に、体は限界を超えて、戦いに臨むことができる。


 まさに、最高の状態だった。


「ッ!?」


 副官が跳ねるようにこちらを見た。

 試合会場を囲む騎士たちの中にも、こちらを振り向く者が数多くいる。

 それほど大きな声を出したつもりはなかったのに、物音ひとつない静かな空間は俺の声を思ったよりも遠くまで届けたようだ。


 視線を集めたことなど気にも留めず、俺は右手に握った『スレイヤ』を地面に引き摺りながら、ジークムントの方へと足を動かす。


「ジークムントには、戦い続ける意思がある」


 『スレイヤ』が地面を削る音が、カラカラと響く。


「俺にも、戦いを続ける意思がある」


 それはまるで、観客を遠ざける警告のように。


「だから――――」


 <強化魔法>をかけ直して剣を持ち上げた剣を、空に掲げて両手で振り下ろす。

 剣の軌跡は、俺の視界の中に佇むジークムントを両断した。



 理解が追い付かないのか、それとも理解したくないのか。

 副官は言葉を返さない。


 それでも構わない。

 邪魔さえしなければ、それでよかった。

 

 互いの距離は試合開始時より少々短い。

 これ以上、いたずらに距離を詰めることはできない。

 俺もジークムントも、もう副官を見ていない。

 まだは終わっていないのだから、互いが見るべき相手はお互いだけだ。


 再び音を出す物がなくなって、静寂が場を支配する。

 ジークムントは視線を俺から外さないまま、片膝を曲げて砂を拾い直し、構えを取った。


 それを見届けた俺は注目を集めるために、剣を握ったまま両腕を広げる。

 そしてこの場にいる全ての者に聞かせるように、俺は静かに宣言した。



 邪魔をするな。


 黙って見ていろ。


 俺とジークムント、そのどちらかが地に臥すまで――――



 この殺は、終わらせない。



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