第126話 第三試合4




「ぐっ……、らあっ!!」


 ジークムントが繰り出す小さなジャブの痛みに耐えつつ、俺は剣を素早く振り抜いた。

 しかし、剣先がジークムントに触れることはない。

 すでにジークムントは俺の剣の射程から逃れた後だった。


 何度目かもわからない展開が、また繰り返された。


「でかい図体して、本当にすばしっこいな……」


 俺が吐き出した軽口に、ジークムントはにやりと笑うだけで言葉を返さない。


 左手に握った砂を使って右拳を打ち込む。

 右手に握った砂を使って左拳を打ち込む。

 距離をとって砂を拾う。


 先ほどから繰り返される単純なパターンは、そのあまりの速さゆえに回避も反撃も許さない。

 こちらも防御を重視しているために致命的な一発はもらっていないが、それでもジャブまで防ぐことはできず、じわじわと体力を削られていた。


(まったく隙が無い、疲れた気配も見せない。どうなってんだ、この化け物め……!)


 俺は自身の引き出しの少なさを痛感していた。

 小さなジャブによって蓄積したダメージ以上に、手詰まり感が俺の集中力を削っていく。

 このまま続けても、先にこちらが削りきられることは明らかだった。


 これだけのリーチ差があっても有利は取れない。

 得意の持久戦ですら、ジークムントに届きそうにない。


 しかし、ではどうすればいいのか。


(何か……何か打つ手は……!)


 答えを探しながらも攻防は続く。

 そして俺は、またひとつ傷を増やした。


「手詰まりかね?なら、次で終わりにしよう」

「流石は副団長様、ずいぶんな自信だな。俺なんて拳ひとつでいつでも沈められるってか?」


 実際にやろうと思えばできるのかもしれない。

 そう思いながらも、俺は精一杯の虚勢を張る。


 しかし、ジークムントの返答は俺の予想よりさらに良くないものだった。


「いや、時間切れということだ。当然、掛け金は没収させてもらおう」

「ッ!?てめえ、ジークムント!!」

「嫌なら、全身全霊の一撃を見せてみろ」


 そう告げると、ジークムントは拳を構えて俺を待つ。

 視線はいまだ鋭く、相手が集中力も体力も十分に残していることは明らかだ。


(遠い……)


 彼我の物理的距離は、試合開始時よりも広がっている。

 これだけ戦技に差があるのだから、ジークムントが間合いを広くとる意味なんてないだろうに。

 この距離が俺とジークムントの実力差を表しているように見えてしまう。


 歯噛みしながら、俺はゆっくりと踏み出した。


(だが、このままではきっとジークムントには届かない……)


 <強化魔法>は最初から8割以上の出力で行使していた。

 全力に引き上げたからといって大幅に身体能力や剣速が上昇するわけではない。

 この剣をジークムントに届かせるためには、それだけではない何かが必要だ。


 このまま無策で挑めば、きっとティアを失ってしまう。

 涙を堪えながら無理やり笑顔を作る彼女がネルの父親に連れて行かれる。

 そんな最悪の未来予想図が俺の胸を締め付ける。

 ジークムントを倒すために踏み出したつもりの一歩で、俺は処刑台の階段を上がっているのではないか。

 そんな思いが俺の心を侵していく。


 きっとこれは、俺の二度目の人生の重大な分岐点なのだ。

 クリスとともに最初の黒鬼を退治したときのように。

 あるいはティアを大蛇から守ったときのように。

 この勝負に敗れれば、俺はもう英雄を目指すことはできないだろう。


 もう俺は十分過ぎるほどに喪っている。

 これ以上は耐えられない。

 ティアを失っても、きっとは生きていける。

 代わりには、ここで死を迎えるだろう。


 思考は沈む。

 しかし、俺の足は止められない。


(このままじゃダメなんだ……。何か……何か手はないのか……)


 俺は転生者だ。

 そのアドバンテージを活かして、英雄になるために16年余りを生きてきた。

 幼い頃から剣を振ってきたし、魔力の底上げを怠ることもなかった。

 スキルという才能には恵まれなかったが、それでもできる限りの努力を積み上げてきたのだ。

 右往左往しながらも、ここまで歩き続けてきたのだ。


(なのに、これが最期……?)


 到底認められない。


 認められるはずがない。


(一度立ち止まって、少しでも時間を稼ごう……)


 そうすべきなのに――――気づけば、足が止まってくれない。


 全身が緊張で強張り、意思が体に伝わらない。


 もはや、自分の体すら思いどおりに動かないという現実に、頭が真っ白になっていく。


(止まれ!止まれよ!!)


 もう俺はジークムントを倒す方法など考えていなかった。


 俺の意思に反して動き続ける足をどうにかして止めたい。


 俺が願うのはそれだけだった。


 こんな状態ではロクに剣も振れない。


 こんな最期は嫌だった。


 負けたくない。


 終わりたくない。


 しかし、それ以前の問題だ。


 この人生の岐路となる大勝負において、全力を出し尽くすどころか剣すら振れずに終わるなんて――――そんなのは、あまりに惨めではないか。


(止まれっ、止まれっ、止まってくれっ!!!)


 時間がゆっくりと流れ、絶望がじわりと浸透する。


(なんで、こうなる……!?)


 自分の足を止めるというたったそれだけのことが、なぜできない。


(思い出せ!今まで俺はどうやって体を動かしていた?どうやって戦っていた!?)


 難しいことではないはずだ。


 スキルも経験も必要ない。


 幼児の頃からできていたはずではないか。


 そう、簡単なことだ。


 簡単なことであるはずなのだ。


 すでに試合開始時よりもジークムントに近い。


 相手は俺を待つ姿勢を崩していない。


 しかし、仮に今この瞬間ジークムントが踏み込んできたら、俺はろくに防御姿勢すらとれないまま敗北することになるだろう。


 そんなことはわかっている。


 わかっているのに――――





 ◇ ◇ ◇





(これは、まるで走馬灯だな……)


 半ばパニックに陥っていた俺の意識が現実逃避を始めたのか、いつしか周囲には過去の情景が広がっていた。


 俺の中にいる、英雄を目指した少年。

 それが最後に見せる夢なのかもしれない。


 きっと、より効率的な訓練方法があったのだろう。

 もしかしたら、成長に悪影響を与えることも気づかずにやっていたかもしれない。

 それでもその少年は、いつも全力で夢に向かっていたのだ。




 その少年は、魔力の底上げのために孤児院の自室で魔力を垂れ流し続けた。


(最初は、魔法使いになりたいって思ってたんだっけ……)


 魔力が増えれば、いつか魔法が使えるようになると信じていた。

 実際、<強化魔法>を使えるようにはなったけれど、このころ思い描いていたのは魔獣の群れをまとめて薙ぎ払うような攻撃魔法だった。

 それが得られなくても、その少年は決して諦めなかった。

 その少年は、がむしゃらに木剣を振り続けた。


(大人から見れば、チャンバラごっこに見えただろうなあ……)


 魔法が使えるようになっても、魔法が使えるようにならなくても、近接戦闘に耐えられる程度の武術が必要だと早い頃から考えていた。

 自分に魔法の才能がないと薄々気づき始めてからは、より真剣に練習に打ち込むようになった。

 それが<剣術>と呼べるものでなかったとしても、自分の夢に近づくと信じて、少年は剣を振ることを止めなかった。




 その少年は、全身に魔力を行き渡らせる練習を続けた。


(前世で見たマンガとか参考にしたなあ……)


 面白いことに、それが意外とうまくいった。


 ラウラに言われて魔力を体の中に留めておくことを覚えると、<強化魔法>の効果は飛躍的に高まった。

 極めて高水準だった魔力量との相性は抜群で、普通は短時間しか使えない<強化魔法>も今では常時発動が当然になっている。

 決定打にはならない補助的な魔法だったが、いつか獲得するはずの切り札と合わせて戦いを彩ると確信していた。


 そのときがくると信じて、少年は訓練を止めなかった。


 そして――――


(…………<結界魔法>か)


 その少年は<結界魔法>を少しでも遠くに発動できるように、発動しては小石を投げて砕き、発動しては小石を投げて砕き、という単調な行動を延々と繰り返していた。

 

 非常に、扱いが難しい魔法だった。

 <強化魔法>と違い、自分が移動すると置き去りになってしまうから、常時使用することはできない。

 敵からの攻撃だけでなく、自分からの攻撃も通らない。

 せめて敵が衝突したときにダメージを受けるような硬質の壁なら良かったのだが、結界に物を投げつけても壁にぶつかるような感触はなく、慣性とか運動エネルギーとか、そういった物理法則を消失させるような不思議な魔法だった。


(転んで、頭から突っ込んだこともあったな……)


 結界が硬かったら、きっとひどいことになっただろう。


 正直なところ、恨んだこともあった。

 なぜ<結界魔法>なのか、と。

 こんなことを言っても仕方ないとわかっているし、<結界魔法>に救われたことがあるという事実も理解している。


 それでも、つい考えてしまうのだ。


 もし、それが<火魔法>だったら。

 俺が<強化魔法>で引き上げた身体能力を駆使して縦横無尽に戦場を駆け、無尽蔵の魔力が生み出す<火魔法>で敵を制圧する魔法使いであったなら。

 きっと、英雄と呼ぶに相応しい活躍も容易く実現しただろう。


 もし、それが<剣術>だったら。

 俺が<強化魔法>により手にした圧倒的な身体能力と剣技で敵を容易く薙ぎ払う剣士であったなら。

 やはり、英雄と呼べるだけの強さを得ることができたのだろう。


 それだけではない。

 これまで直面してきた数々の命の危機を、危機とも思わず切り抜けたに違いない。


 もしかすると――――いや、それは流石に望みすぎか。


(……こんなときまで無いものねだりか、俺は)


 もし、――――であったなら。

 そんな後悔が役に立たないことなんて、とっくの昔に知っていた。

 一度目の最期を迎えた時から、ほとんど進歩がないように思えて泣きたくなる。


 そのときだった。


 記憶の中で英雄を目指す少年が、こちらを振り返った。

 その瞳は自らの未来が栄光に彩られると信じている。

 自信満々な笑顔が俺の心にチクリと刺さった。


(やってることは、<結界魔法>に石をぶつけてるだけのくせに……)


 そんな想いが伝わったわけでもないだろうに、その少年は結界を水平に設置してわずか2段の階段を作り始めた。

 1段目に飛び乗って静止し、2段目に飛び移ろうと飛び上がる寸前に1段目が割れて体勢を崩し、尻もちをつく。

 一転、悔しそうな顔をする少年。

 1枚の結界を地面に垂直に設置すると、今度は距離を取って、その結界に向けて飛び蹴りを放った。


(何やってんだ……。いや、俺か)


 結果はお察し。

 一瞬だけ空中で静止した少年は、またしても体勢を崩して着地に失敗する。

 子どもの頃の、苛立ち紛れの衝動的な行動に文句を言っても仕方がないことはわかっている。


 しかし、どうせやるなら、こう――――





 ◇ ◇ ◇





 周囲の情景が現在に回帰し、俺の足は歩みを止めた。


(ああ、そういえばひとつだけあった……)


 もしかしたらジークムントに届くかもしれない、<結界魔法>の使い方。

 ジークムント相手に試していないだけでなく、数年ぶりに思い出したばかりで実際に試したこともないささやかな小細工。


 両手を握り、開き、体が自分の意思で動くことを確かめる。


「ははっ……」


 これがジークムントに届くと決まったわけではない。

 それどころか、無様に失敗してなすすべもなく打ち倒される可能性だって小さくない。

 それでも、先ほどまでの精神状態があまりにもひどかったせいだろうか。


 自分の体が自分の思いどおりに動く。

 ジークムントに届くかもしれない策がある。


 たったそれだけで、今の俺には十分だった。


(せっかくだから、さっきの意趣返しと行こうか)


 俺は片膝と片手を地面について、ジークムントを睨みつけた。


 一歩目から少しでもスピードが出るように、クラウチングスタートを模した構えでラストアタックに備える。


 ここに至って、初めて怪訝な表情を作ったジークムント。


 あいつに、英雄を目指した少年の――――俺の意地を見せてやろう。


「はああああああああぁっ!!!」


 気合を入れるための咆哮。


 それに合わせて、俺は全力で地面を蹴った。


 俺に使える手札の全てを重ねて、たった一撃をジークムントに叩き込むために挑む。


 一分後に体が動かなくなっても構わない。


 出し惜しみは一切なしだ。


「最後は、全力を見せてやろう!」

 

 彼我の距離が近づくと、ジークムントは体をバネのように引き絞り、右腕を引いて正拳突きの構えをとる。


 次の瞬間、圧倒的な速度でジークムントが迫る。

 

 そして、その左手からは緩やかな軌道で砂が放たれた。


 全力で突撃する俺とジークムントの拳が交差するはずのその空間に、次々と降り注ぐ結界殺し。


 その空間で、<結界魔法>は発動しない。


 俺の突進と自らの正拳の射程を見切った、少しの狂いもない完璧なタイミングだった。

 

 だからこそ――――


「――――ッ!?」


 結界が砕ける音に、ジークムントは驚愕した。


 <結界魔法>が再び発動したこと。


 己の放った正拳突きが相手を捉えることなく、何もない空間を貫いたこと。


 パラパラと砂粒が地面を叩く中――――その空を切った右腕のわずかに先で、何の前触れもなくした俺が、にやりと笑ったこと。


 次々と起きる信じがたい事実に、ジークムントほどの騎士が硬直した。


(ははっ、上手くいった!)


 バランスは崩れている。


 しかし、前のめりな姿勢も今だけはありがたい。


 たった一歩を踏み出すだけで、この剣はジークムントに届く。


 そして、その一歩を、俺は確かに踏みしめた。


 剣を弓のように引き絞り、ジークムントの胸に狙いを定める。


 ジークムントが瞬時に右腕を引いて回避を試みても、長剣の間合いから逃げるだけの猶予はない。


「「――――ッ!!!」」


 一瞬、ジークムントと視線が交差した。


 化け物じみた強さを持つ戦士の視線は、物理的な圧力すら伴って俺の心を蝕もうとする。


「らああああああぁっ!!!!」


 それでも俺は止まらない。


 ジークムントの圧力を真っ向から跳ねのけ、下から突き上げるように渾身の刺突を繰り出した。

 

 何かを抉った感触が剣から伝わる。




 その瞬間、世界が反転した。




「がっ…………あ」


 背中から突き抜けるような衝撃が肺から空気を奪い、意識が飛びかける。


 耳に届くのは、再び砂が落ちる音。

 滲む視界に映るのは、ジークムントと少しだけ雲がかかった空。


(空……?じゃあ、俺は……?)


 俺は地面に横たわり、空を見上げていた。

 ジークムントは、立って俺を見下ろしている。

 

(バカな……届かなかったのか……!?)


 ジークムントに

 そう理解するしかない状況でも、それを信じることはできなかった。


 そんな俺の心を読んだわけではないだろうに、ジークムントが嗤う。

 鎧に刻まれた新たな傷とそこから滲む赤は、俺の剣が確かに届いていたことを確信させる。


 しかし、浅い。


 浅すぎた。


「冒険者アレン!!見事!!!」


 俺との攻防が、よほど楽しかったのだろう。

 まるでお伽噺に夢中になった少年のように。

 湧きあがる高揚感を隠そうともせずに。

 興奮したジークムントは自らが勝利する未来を寿いだ。


 そして試合を終わらせる拳を叩き込むために再び右腕を引き絞る。

 鉄製の胸当てがあってもあれだけのダメージを受ける拳を、地面を背にしたまま生身で受ければ命が危うい。

 万に一つも、意識を保ってはいられないだろう。


 地面に仰向けになったまま、重い剣を持ったままの回避は極めて困難。

 剣を手放せば回避できるかもしれないが、それは俺にとって試合放棄と同義。

 俺はジークムントの拳より速い攻撃手段など持っていない。


 けれど――――


 それでも俺は不敵に笑って、もう一度、剣を握った右腕に全力を込めた。


「素晴らしい!!あの娘も貴様を恨みはしないだろう!!」


 破れかぶれの抵抗。


 そう思ったに違いない。


 最後まで抗う姿勢にジークムントは狂喜し、勝者として賛辞を送った。




 けれど、その賛辞は必要ない。




 だって、そうだろう、ジークムント。






 おまえの両手は、今、




「「――――ッ!!」」




 三度、結界は砕け――――俺の剣は静止したジークムントの右腕と交差する。




 獲物を求める『スレイヤ』の剣先は、今度こそジークムントの脇腹を深々と抉った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る