第125話 第三試合3




 ジークムントの目が驚愕に見開かれた。

 『スレイヤ』は淡い青色の弧を描いてジークムントの大盾を斜めに両断し、さらに剣先でその鎧を傷つける。

 盾で受け止めようとしたジークムントだけでなく、受け止められると思っていた俺までバランスを崩してよろめいた。

 一瞬だけ早く立ち直ったジークムントが、大きく後退して距離をとる。

 隙を晒したのはこちらも同じだったが、ジークムントの消極的行動によって不意を突かれることなく再び攻撃態勢に移行した。


(斬った……?盾を……?)


 再び斬りかかるべくジークムントとの距離を詰める最中、あまりに予想外の展開に一周回ってクールダウンした頭の中で、信じられない切れ味を見せた愛剣に思いを馳せる。

 叩き割ったのではなく、明らかに斬った感触があった。

 もしかすると『スレイヤ』は、本当にとんでもない名剣なのかもしれない。


(いや、考え事は後回しだ!)


 思考を戦闘に引き戻すと、本来より幾分小さくなった盾が横回転で飛んでくる。


「ッ!!こんなもの――――」

「甘いのである!!」


 回避したところを狙って迫るジークムントが、この試合で初めてまともに剣を振るう。

 それでも一撃で仕留めるつもりはないということか、左から横なぎに振られる両刃の剣は寝かされており、その腹で俺を打ち据えにきた。

 回避は間に合わず、剣を合わせる猶予もない。


 だが――――


(これを待ってた!!)


 回避も防御も捨て、剣を振りかぶる。


 今こそ、切り札を切るべきタイミング。


 ジークムントの剣は俺をなぎ払う寸前にガラスが砕けるような音を立てて停止し、盾を捨てた騎士は無防備を晒した。


(死んでも、悪く思うなよ!!)


 剣を振りきることに躊躇はない。

 負ければティアを失うことになる。

 たとえ騎士殺しの汚名を着ることになっても後悔はない。


「らあああああぁ!!」


 刃は立てたまま、全力で振り切る。


 どういう反射神経をしているのか、剣を振った体勢から剣を合わせてみせたジークムントだが、それでも青い閃きは止まらない。


 キィンと金属が断ち切られる音が響き、青い剣閃は剣を犠牲にして身を庇ったジークムントの体を斬り裂いた。


「ひいっ!?」


 斬り飛ばしたジークムントの剣の上半分がネルの父親の近くに飛んでいき、場違いな悲鳴が上がる。


 しかし、そんなことを気にする者はいない。

 騎士たちはもちろんクリスたちですら、試合の成り行きを呆然と見つめていた。


「浅かったか……。だが、勝負あったようだな」


 差し込まれた剣によって幾分威力を殺されたか。

 絶好のタイミングで切り札を切っても、ジークムントに深手を負わせることはできなかった。


 それでも俺は、『スレイヤ』を肩に担いで勝利を宣言する。

 全くの無傷である俺に対し、盾と剣を失い鎧も切り裂かれたジークムントは、とても試合を続行できる状態ではない。

 実際の実力差はどうあれ、この試合の勝敗は誰の目に見ても明らかだった。


 ジークムントの様子を窺う。


 彼はさぞ驚いているだろうと思いきや、先ほどまでと変わらぬ冷静さを保っていた。

 武具を失った両手を開いたり握ったりして体の動きを確かめるような仕草を繰り返し、それが終わると視線を両手に向けたまま、ぽつりと呟く。


「何を言う……。これからが本番じゃないか……」

「は?これからって、剣も盾も無くなったのに――――」


 どうする気だ――――と言葉を継ぐことはできなかった。


 なぜなら、を忘れたジークムントが、その場で跪いたからだ。

 辺りがシンと静まり返る。

 試合を観戦していた騎士たちはあっけにとられた後に騒然とし、瞬く間に混乱が伝播していった。

 それは騎士たちだけにとどまらず、クリスたちもネルの父親も同様だ。

 領主騎士団の副団長ともあろう者が、平民のC級冒険者に対してそのような行動をとったのだから、それは当然の反応だった。


 もちろん、驚いているのは俺も同じ。

 しかし、俺が見る景色は周囲で驚いている彼らとは違うものだった。


 視線は地に向け、片膝を着き、両手は開いて体の側面に置く。

 それに近い姿勢を、俺はどこかで見たことがある。


 今生ではない。

 俺がまだ日本人として生きていたころ、学校で、あるいは陸上競技場で。


 跪く様子にも似たその姿勢を、俺は知っていた。


(なら、ジークムントの次の行動は――――ッ)


 ジークムントは、ようやく視線を上げた。

 その視線に、もはや冷静さなど残っていない。

 冷静さの代わりにそこにあったのは、歓喜だった。


 とびきり上等の獲物を目の前にした獣のような、獰猛な笑みがそこにあった。


「――――ッ」


 俺が剣を構え直すのと、ジークムントが地を蹴るのはほぼ同時。


 しかし、俺が剣を振りかぶる頃には、風のように接近したジークムントが早くも肉薄しようとしていた。


 それでも、状況は悪くない。


 戦闘技術に雲泥の差がある以上、そもそも先手を取ったところで俺が攻撃を当てることは困難だ。


 剣も盾も喪失したジークムントは、もう俺の剣を受けようとはしないだろう。


 ならば俺がジークムントに攻撃を当てるためには、をとることが最も確実――――そう考えた瞬間、ゾクリと背筋が泡立つ。


 ジークムントの反攻を前に、俺は大切なことを思い出した。


(そうだ、もう、俺は――――)


 切り札を――――をジークムントに見せてしまっている。


 俺の頬に、が当たった。


 肩にも足にも胴にも、パラパラと小さな音を立て、それは次々に降り注いだ。


 そして――――俺の<結界魔法>が発動することはなく、ジークムントの拳が俺の胸を打ち抜いた。






 殴り飛ばされ、方向もわからぬまま訓練場をしばらく転がり、最後はうつ伏せになってようやく止まる。

 クリスの怒声とティアの悲鳴が聞こえた。


 せめて剣だけは離さないという一心で『スレイヤ』の柄を握りしめていた俺は、すぐさま体を起こして体勢を立て直そうとする。


「ッ、がっ…………ぁ」


 左胸に激痛が走り、口の中は鉄の味で満たされた。

 無残にひしゃげてひび割れた金属製の胸当てが、ジークムントの拳の威力を雄弁に物語る。

 胸当て無しで直撃を受けていたら、死んでいたかもしれない。


(肋骨がイッたか……。くっそ痛え……)


 痛みには慣れていない。

 滲みそうになる涙を根性で堪えた俺は、もう使い物にならない胸当てを手早く外して放り投げ、悠々と構えをとるジークムントを睨みつける。


 ジークムントも俺から視線を外さない。

 ただ、地面に手を伸ばすと、再びを両手に握りこんだ。


 それは、ただの砂だった。


 この訓練場に敷き詰められた、サラサラと乾いた砂礫。

 相手の目を狙って振りまけば目つぶしとしては有効かもしれないが、しかし、ジークムントはこれを目つぶしとして使ったのではない。


 ジークムントの目的は<結界魔法>を封じることだった。


「<結界魔法>は別の物質が存在する場所に発動することができない。ゆえに、攻撃を仕掛ける直前に砂や液体を投擲することで発動を抑止、あるいは発動した結界を破砕することができる。<結界魔法>への対処の定石だが、まさか知らなかったのか?」

「知ってるに決まってんだろ、それくらい……」

「そうか。それは、失礼した」


 これこそが<結界魔法>が対人戦において役に立たないと言われる理由で、そして俺が<結界魔法>を切り札に理由だった。

 <結界魔法>の使用者は様々な理由から少ないが、<結界魔法>はレアスキルでもなんでもない。

 戦闘に携わる者ならその対処法を知っていて当然であり、何の策もなく二度目が通じると考えるのは浅はかだ。


(油断した、は流石に言い訳が過ぎるか……)


 砂ぐらい回避できるのではないかという期待が全くなかったと言えばウソになる。

 自分で試してみて、ほとんど成功しなかったからだ。

 

 しかし、こうなった以上は認めなければならない。

 凡ミス1回がずいぶんと高くついた。


 ジークムントの一撃は速くて重い。

 胸当てを失った今、胴体にいいのをもらえばそれで決まってしまう可能性が高い。


 そうなってしまえば、ティアは――――


(切り札を切っても勝ちきれなかったのは痛い。これ以上のミスは、絶対に許されない……!)


 剣も盾も失った騎士が、これだけの暴威を振るうというのは想定外だ。

 かくなる上は得意の持久戦に持ち込んで相手が疲労するのを待つのが上策か。


 小回りの利かない超重量の長剣は対人戦には不向きだが、その威力は折り紙つきだ。

 一撃でもクリーンヒットすれば決まるのはこちらも相手も同じ条件。


 俺は<強化魔法>の出力を少し抑え、継戦重視に切り替えた。

 相手に隙ができるまで、大振りを控えて丁寧に攻め続ける方針を貫く。


「待たせたな、ジークムント……。さあ、第二ラウンドを始めようか……!」


 仲間たちが見守る中、俺は再びジークムントに斬りかかった。




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