第124話 第三試合2
まずは手堅く様子見から。
体中にゆっくりと魔力を行き渡らせ<強化魔法>をほどほどに行使した俺は、どっしりと構えるジークムントに正面から斬りかかった。
回避することも簡単だろうに敢えて盾で受けようとするジークムントに対し、こちらもフェイントを混ぜることもなく袈裟斬りを放つ。
ギインッ、とけたたましく響く金属音。
初撃は大盾によって完璧に防がれた。
ジークムントは俺の剣を受け流すことすらせず、その盾でしっかりと受け止めて完全に勢いを殺しきった。
その視線に興味や関心の色はあれども、油断は一切混じっていない。
(まあ、そう簡単にはいかないか……)
俺の剣は、その見た目よりもずっと重い。
俺のような平凡な体格の人間が振り回す剣としては想像できないくらいに重い。
もしかしたら想定外の圧力に耐えられず、体勢を崩してそのまま――――なんてことも考えたのだが、やはり甘かったようだ。
ジークムントの反撃を警戒しながらも、俺は次々と攻撃を繰り出した。
正面からの突き、右から左への斬り払い、上段からの打ち下ろし――――
それらは全て初撃と同様に完全に防がれ、ジークムントに傷を負わせることはできていない。
ただ、そのことを焦る気持ちはなく、俺は極めて冷静に戦闘を続けていた。
俺はジークムントを本気で打倒しようなんて思っていないのだから。
(副団長様には悪いが、ガチで戦うわけには行かないんだ……。ガチでやって勝てるかどうかは、まあアレだが)
領主騎士団で副団長まで務める剣士に興味を持たれたというのは、それに伴う多大な迷惑を横に置いておけば一人の冒険者として誇らしいことだ。
この試合も、もしかすると剣の修業の一環として善意でやってくれているのかもしれず、そうならば真正面から挑んで敗北しても俺にとっては良い経験になるだろう。
俺はジークムントに注意を向けながら、試合場を囲む騎士たちの反応を探ってみる。
ティアのときは相手が女性従騎士だったからか、一部を除いては興味本位で観戦している者が多いように感じた。
クリスのときは正騎士が負けたことに苛立つ者もいたが、序盤の剣戟が拮抗していたこともあって、勝敗は剣の性能差によるものと解釈している者が多いように感じた。
そして、今――――俺の周りにいる騎士たちから伝わる感情の多くは、俺に相対するジークムントへの尊敬や憧憬のみで、焦りや苛立ちなどは感じられない。
誰もがジークムントの勝利を確信しているからだ。
彼らにとってこれは対等な勝負ではなく稽古のようなものであり、その興味は勝負の行く末ではなくジークムントの技量や俺がどこまで抗えるかというところに向けられている。
この状況で俺が全力で戦い、万が一にでも副団長を打倒してしまったら。
俺たちを襲う理不尽な感情はどれほどのものになるだろうか。
空気が険悪になり、嫌な感情を向けられるだけで済むならいい。
しかし、おそらくそれだけでは済まないだろう。
これだけの騎士に見られているのだから、結果が領主に知られる可能性だって低くはない。
自慢の騎士団のナンバー2がC級冒険者ごときに敗れたと聞いた領主が上機嫌になるわけもなく、どのような形でしっぺ返しがくるかなど考えただけで恐ろしい。
もちろん、俺とジークムントの戦力差に関する彼らの認識は的確だ。
今は<強化魔法>を加減しながら身体を全力で動かすことで最大出力を誤魔化しているが、おそらく全力を繰り出したとしても、正面からではどうにもならない。
俺とジークムントの間には、それくらいの力の差が実際に存在する。
しかし、その一方で――――俺には切り札があることも事実だ。
絶対に通じると断言はできないが、一度目ならばジークムント相手ですらなんとかなるのではないかと思える初見殺しが、俺にはある。
(あっさり負けてしまえばティアを悲しませる。かといって、万が一勝ってしまえば領主の不興を買う……)
そんな板挟みの状況におかれた俺が選ぶべき最善策は、善戦して負けること。
切り札は、切らないから切り札なのだ。
こんな人の多いところで、しかも何も懸かっていない訓練の如き戦いで使っていいものではない。
(俺もクリスのことを言えたもんじゃないなあ……)
クリスには出し惜しみするなと言っておいて、自分自身はこの有様だ。
きっと今、クリスはさぞかし不満げな顔をしていることだろう。
幸いジークムントは俺の実力を見極めるためか、俺の剣撃を避ける素振りはなく反撃もおざなりになっている。
切り札を使わずに善戦を演じるには都合の良い状況だ。
(そろそろ行くか!)
ここまで俺は可能な限り積極的に攻撃を加え、攻撃の後に反撃があれば大きく後ろに飛んで回避するという単調なパターンを故意に繰り返してきた。
ジークムントに俺の行動パターンを十分に刷り込んだこのタイミング――――次の反撃でパターンを変える。
(反撃を最小限の動きで回避。がら空きになるはずの脇腹を狙って一撃入れて見せる!)
俺は何度目かもわからない上段からの打ち下ろしを放ち、ジークムントの反撃を誘う。
果たして、俺の狙いどおりに反撃が行われた。
ただし、俺の剣を受けている盾を使って。
「うお!?」
ゼロ距離からさらに一歩踏み込み、腕力だけで放たれたとは思えない強力なシールドバッシュが俺を襲う。
最初から剣で受けた状態であったため衝撃はほとんどないが、それでも俺の体は大きく吹き飛ばされ、試合は仕切り直しとなってしまった。
俺は手早く息を整え、再び剣を構えてジークムントに接近を試み――――
「どうやら、貴殿は本気で戦ってはくれぬらしい」
「――――ッ!」
俺の足が止まった。
ジークムントは剣を肩に担いでおり、試合を中断する意思が見せている。
この状態で斬りかかるわけにはいかない。
「……手厳しいお言葉ですね。私なりに努力したつもりでしたが、実力不足でしたか」
動揺を悟られぬよう、俺は慎重に言葉を選ぶ。
俺の実力はジークムントに知られていない。
俺が抑えているのは<強化魔法>の出力だけで、それ以外は全力を尽くしている。
疲労もあるし、汗もかいているから、一見手を抜いているとはわからないはずなのだが。
「…………」
試合開始前の意気揚々とした雰囲気はどこへ消え去ったのか、俺と向かい合うジークムントは不機嫌さを隠そうともしない。
間違いなく、俺が手を抜いていることを確信している表情だった。
上官の不機嫌そうな様子は周囲の騎士たちにも動揺を与えたらしい。
とばっちりを恐れてか誰も口を開こうとせず、かといってこの場から去ることもできず、騎士たちは視線を彷徨わせる。
騎士団詰所の訓練場は突然の静寂に包まれた。
しばしの間、憮然と周囲を見渡していたジークムントは、ふと何かに気づいたように呟いた。
「……なるほど。勝てない、か」
「ッ!?」
そうこぼして俺に向き直ったジークムントの表情から、先ほどまでの不機嫌さは消えていた。
(狙いを読まれた……?)
こちらが勝つわけにはいかないのだと気づいてくれたのなら、もう少し状況が好転するかもしれない。
そう期待してジークムントの言葉を待つが、彼が勝負を止める様子はなかった。
さらに思案するように視線を彷徨わせたジークムントの視線が、ある一点で止まる。
そして、意地の悪い笑みを浮かべた。
「……そういえば、まだ決めていなかったのである」
「………………」
嫌な予感がする。
しかし、上位者であるジークムントの言葉に割り込むわけにもいかず、全身を緊張させながらも言葉の続きを待つことしかできない。
「貴殿が吾輩と戦ったら、飛空船発着場の件は不問にする……たしかに、吾輩はそう言ったのである。しかし、貴殿が吾輩に負けたときに何を差し出すか、という話をしていなかったことを思い出したのである」
「なっ!?この試合の勝敗に何かを賭けるなんて、俺は言った覚えはない!!」
俺は思わず声を荒げたが、ジークムントは聞く耳を持たない。
周囲の騎士たちがざわつく。
副官もジークムントの行動を読めなかったのか、動揺しているようだ。
「なに、吾輩が貴殿らから何かを奪うことはしないのである。もともと貴殿らの行動は、そこの娘を手に入れようとしたことに端を発するのだから、貴殿から何かを奪うならば、それを得るのはそこの商人となるべきである。…………そういうわけで、吾輩が勝ったときに彼らから何を奪いたいか、申し出ることを許すのである」
「は、はい……?」
ジークムントが視線と止めたある一点。
そこに居たのは、ネルの父親だった。
事態について行けずに呆然としていたところに、その場の全員の視線が集中すれば仕方ないことかもしれないが、慌てふためくその様は嘲笑を誘う。
「早く決めるのである。吾輩は、貴殿が敗北によって失うモノが、貴殿が本気で戦いたくなる程度に大切なモノであることを望むのである」
「わ、わかりました……少々お待ちください」
「ふざけるな!!話が違うぞ!!」
あらん限りの大声で叫んでも、ジークムントは止まらない。
(なんだこれは!!どうしてそんな話になる!?)
ジークムントを買いかぶっていた。
戦闘狂ではあっても、道理は弁えているものと勝手に信じていた。
部下に慕われている騎士が、こんな身勝手な不条理を押し付けるとは思わなかった。
俺は悔しさを噛みしめながらネルの父親を睨みつけた。
ネルの父親は、先ほどジークムントがそうしていたように周囲に視線を彷徨わせていた。
もっとも、ここは騎士団の詰め所なのだから、周囲を見回したところで俺たちが所有するものなど見つかりはしない。
ジークムントが望む言葉を返すことができず、ネルの父親の焦りが次第に増していく。
俺はただ、その様子を見守るしかない。
(価値のあるもの……剣くらいか?いや、価値で言えばクリスの剣やポーチも危ないかもしれないが)
剣は明らかに名剣の類だし、ポーチは資産価値だけでなく実用性も相当なものだ。
容量がどの程度か不明だが、商人なら輸送コストの削減なども興味をひくポイントだろう。
そう思いながらクリスに視線をやると、ポーチの所有者である本人も同じようなことを考えたのか、微妙な顔をしてポーチに手をやっている。
「…………思いつきました!」
どうやらクリスの願いは届かなかったらしい。
クリスの方を見た直後、ネルの父親がジークムントに向き直り、媚を売るような笑みを浮かべているところを見て、俺はそう思った。
「我が娘を、私の下に取り戻すことをお許しください!」
「なっ……!!」
クリスたちは3人まとまって俺の試合を見届けている。
当然、クリスの近くにはネルもいた。
これは厳しい。
せっかくティアとクリスで勝ち取った勝利が、俺一人の敗北で帳消しになってしまう。
人間の身柄を賭けの賞品として扱うのはどういうことか――――と言いたいところだが、この批判は先ほどまでの勝負でネルの身柄を要求していた俺たちには使えない。
(ここまで来て、振り出しかよ!)
万事休す。
そう思われたとき、救いの手は意外なところから差し伸べられた。
「先ほどの勝負はすでに終わっているのである。その娘をこの試合で要求することは、流石に公平性を欠くのである」
ジークムントだった。
ネルの父親の要求を退け、呆れたように溜息を吐く。
(公平性なんてどの口が……。思っても言わないがっ!)
解せないが、こちらに有利な流れを邪魔することはない。
ネルの父親が望みを聞き届けられず慌てているのも、いい気味だった。
(しかし、ジークムントはどういうつもりだ?)
さっきのジークムントからは、俺を本気で戦わせるためなら何でもやりそうな印象すら受けた。
そしてネルの身柄は俺に本気を出すよう迫るために、うってつけの交渉材料だ。
にもかかわらず、ジークムントはこれを却下した。
まさか本気で勝負の公平性を重視したとでも言うのか。
俺は改めてジークムントの様子を窺う。
そして、確信した。
(違う……!)
これは公平性なんて気にしている奴の顔ではない。
なら、ジークムントの狙いは一体――――
「では、娘の隣にいるティアナの身柄では、どうでしょうか……?」
一瞬、ネルの父親が発した言葉の意味が理解できず、視線がそちらに吸い寄せられた。
それを理解して、身の毛がよだつ。
反射的に視線を戻すと、ジークムントは満足げな表情を浮かべて笑っていた。
よくぞ、言い当てた。
彼の目が、そう言っていた。
「その要求を、認めるのである!!」
その一言で理解してしまった。
ジークムントは、最初からティアを人質にするつもりだったのだと。
ジークムントは――――こいつは、どうしようもなく本気なのだと。
「そんなばかな話が――――」
「試合の勝敗に人の身柄を賭けることが馬鹿な話というならば、貴殿らが勝ち取った商人の娘の身柄も、なかったことになるのである。条件としては極めて対等、そこまで理不尽な条件ではないのである!」
「ぐっ……!?」
クリスの抗議を冷静に退けながらも、その視線は俺から逸らさない。
遊びの時間を待ちきれない子どものように純粋で、楽しそうで、そして無慈悲な眼差し。
女を奪われたくなければ戦えなどと口に出すことすらなく、ただ再び武具を打ち合わせるその時を待っていた。
「ふー…………」
次々と移り変わる状況に、頭の回転がついて行かない。
クールダウンを意識して、俺は大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
完全に冷静さを取り戻せるとは思わないが、いくらか頭が回るようにしなければならない。
ここで間違えるわけにはいかないのだから。
まず、ジークムント本人の様子を窺う。
今のジークムントに騎士の面影は残っていなかった。
先ほどまでは戦闘狂の素養のある騎士という範囲でギリギリ収まっていたが、今となっては自分の欲望を何よりも優先させる――――そして、そのためにはどのような犠牲も厭わない権力者の顔をしていた。
(これはもう、何を言っても無駄だなあ……)
俺はジークムントとの交渉による解決を早々に断念した。
次に、周囲の騎士の様子を窺う。
周囲の騎士たちの多くは俺の様子を観察していた。
そして俺を見ている全員が、俺と目が合った途端に視線を逸らす。
それは副官も同じだった。
この状況に、騎士として思うところがないわけではない、ということか。
しかし――――
(内心がどうあれ、異議を唱える騎士が現れることは期待できない、か)
もしかしたら、騎士の倫理とやらに従って上官に意見してくれる者がいるかもしれないと期待したが、この様子では期待薄だ。
騎士たちの人権意識の問題か、相手が冒険者だからか、それともジークムントの影響力によるものか。
結論はでないが、結果は変わらない。
さらに俺は、視線をクリスへと向けた。
相棒は今にもネルの父親に掴みかかるのではないかという様子で相手を威嚇し、憤りを表している。
明らかに俺よりも頭に血が上っていた。
屋敷で相談している段階では、最悪の場合はネルを強奪して逃走するということも想定していたはずが、相手が凄腕の護衛を騙るチンピラから領主の騎士団に格上げされた上に相棒がこの状態。
これでは成功率が低すぎる。
(ジークムントと戦って勝つ以外に、ティアを助ける方法が見つからない……!)
思わず、助けを求めるようにティアに視線を向けてしまった。
助けを求めたいのはティアの方だろうに、何をやっているんだと我ながら思う。
もしかしたら、視線だけでも彼女に詫びておきたかったのかもしれない。
全ては不用意に勝負を受けた俺の失策が原因。
俺のせいで彼女を危険に晒している。
(ティア……)
自分の身に降りかかっている理不尽に、恐怖を感じていないはずがない。
これから自分の身に降りかかる理不尽に、絶望を感じていないはずがない。
それなのに――――
「アレンさん!頑張ってください!!」
そんな様子は欠片ほども見せずに、彼女は笑って声援を送っていた。
まるで英雄の勝利を確信するヒロインのように。
俺の勝利を全く疑っていなかった。
「ふーっ…………」
体の奥底から怒りが湧きあがってくる。
冷静さを取り繕ってでも状況を好転させる方法を探したが、そんな都合のいいものは見つからなかった。
それどころか、自分の感情を制御することすらできそうになかった。
ティアを危険に追いやった自分への怒り。
ティアを怯えさせるネルの父親への怒り。
そして何より――――
「もし吾輩がこの試合に勝ったときは、その娘を好きにすればいいのである。妾にして夜ごと伽をさせるのも、娘との交渉材料にするのも、其方の自由である」
ティアを自分の欲望の贄にした、ジークムントを許すことはできない。
「てめえの下らねえ愉しみに、ティアを巻き込むんじゃねえよ……。そんなに斬られたいなら、望み通りぶった斬ってやる!!!」
<強化魔法>は全力全開。
今度こそ本当の全力で、ジークムントに向けて剣を振りかぶった。
ジークムントはそんな俺を見て愉快そうに笑い、俺の剣を正面から受け止めようと盾を構えた。
もはや騎士団との関係も、騎士たちのプライドもどうでもよかった。
俺は振りかぶった『スレイヤ』を、ジークムントの盾を叩き割るくらいの気持ちで勢いよく振り下ろし――――
そのまま大きな抵抗もなく、ジークムントの大盾を2つに斬り裂いた。
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