第117話 しかし、まわりこまれてしまった!
善は急げ。
これが果たして善なのかという疑問はさておいて、各々準備を整えた俺たちはティアの案内に従って北西区域を歩いていた。
ぽかぽかと気持ち良い陽射しは普段なら眠気を誘うところだが、今日は朝からいろいろあったから睡魔に負けるようなこともない。
奇しくも、西通りから北に抜けるルートは先日のデートでティアを送った道のりそのままで、自然とあのときのことを思い出してしまう。
チラリと窺う彼女の頬が赤みを帯びている理由も、多分そういうことなのだろう。
そんなティアだが、今は俺と腕を組んで歩いたりはしていない。
別に先ほどのやり取りで気まずくなったからということではなく、単純にこの場にクリスがいるからだ。
彼女が積極的になるのは大抵俺と二人きりのときだけで、そういう分別がつくところもティアのいいところだ。
あるいは、親友の一大事を前に気を引き締めているというのも理由のひとつかもしれないが。
「それで?3対3といってもいろいろやり方があると思うが、そのあたりはどうなんだ?」
俺もティアに倣って頭を仕事モードに切り替え、詳しい状況を確認していく。
「詳しいことは決まってないよ。ネルちゃんが帝都に行っちゃうのが3日後だということ、護衛3人に勝てたら婚約を取りやめるということ、ただそれだけだね」
「またお前は適当なことを……」
「仕方ないじゃないか。あまり強引にことを進めて衛士を呼ばれたら困るから、ある程度の言質をとった段階で退くしかなかったんだよ」
「クリスさん、十分強引でしたよ……」
普段はさほど浅慮というわけではないクリスが、ネルが絡むと非常に残念な子になる。
いつぞや冒険者ギルドとの契約のときも痛い目にあったはずなのに、まだ懲りていないらしい。
(もう少し時間があると思ったが、これは案外マズいかもしれないな……)
いきなり自分の敷地に押し入って娘の婚約を取り下げろという男に、まともに対応する親などいない。
勝負とやらもその場しのぎのウソである可能性が高い。
俺は大きくひとつ溜息を吐くと、相棒を悲惨な未来から守るために少しだけ気を引き締める。
もし、俺がネルの親の立場であれば――――
「急ぐぞ」
「うん?」
「ティア、抱き上げる」
「え……きゃ!?」
俺は通行人にぶつからないように注意しながらも、結構な速度で北西区域の路地を駆けて行く。
後ろから追いついてきたクリスは、まだ状況を把握できておらずに困惑していた。
「アレン!急にどうしたんだい!?今日は話し合いだけで戦うかどうかもわからないのに!」
「いいから走れ!時間がないって言ったのはお前だろ、クリス!」
説明する時間が惜しい。
俺の予想が外れていたら、そのときは笑い話で済む。
「アレンさん、こっちじゃないです!!ネルの家は今通り過ぎました!」
「いや、これでいい!」
「え!?」
「アレン、キミはどこへ向かってるんだ!!」
クリスの声に苛立ちが混じる。
視線を下げると、ティアの表情からも不安が感じ取れた。
急いだほうがいいとはいえ、向かう先も知らされずに走らされるのはたしかに辛いものがある。
そう思い直した俺は、走る速度を落とさずに、クリスにも聞こえるよう声を張り上げた。
「クリス、俺たちが向かうべきはネルの家じゃない!」
「じゃあ、どこへ!?」
俺はクリスの方を振り向きもせず、目の前に現れた都市有数の巨大施設を見据え、答えを告げた。
「飛空船の発着場だ!」
飛空船の発着場にたどり着いた俺は、見知った馬車が見つからないか丁寧に調べるよう、クリスとティアに指示を出した。
サイズは制限されるものの、政庁で許可を得ることを条件に都市内で馬車を走らせることは認められている。
裕福な商家なら許可を得ることも難しくはないだろうし、婚約を嫌がる少女が自分で飛空船の発着場まで歩くわけはないのだから、きっと馬車を使うはずだ。
目的地を告げた段階で、二人とも俺が想定する状況に思い至ったようで、真剣な表情で馬車の停留所へと駆けて行った。
その間、俺は巡回の衛士を捕まえて今日の様子を尋ねるとともに、自分たちの友人が誘拐されたかもしれないという情報を入れておく。
飛空船の発着場は領主の管理下にあるから、騒ぎになったときの影響を少しでも小さくするための行動だったのだが――――
(なんとか話だけは聞いてくれたが、これは期待薄だ……)
残念ながら衛士の反応は芳しくなかった。
もともと騎士や衛士などの職業に就く者にとって、冒険者というのは身勝手な根無し草というイメージが強い。
彼らに信用してもらうには、それなりの努力が必要だ。
俺を訝しむ衛士にC級の冒険者カードを示して渋々ながらも話を聞いてもらったが、この様子ではD級以下なら門前払いだったかもしれない。
(極力騒ぎにならないように事を治めたいもんだ)
一目散に駆けてきたとはいえ、ネルがここに来ている可能性はそこまで高くない。
ネル一家が準備もなしにすぐに帝都に出発することも簡単ではないだろうし、バタバタしていることを相手の家に知られるのも本意ではないだろう。
先にこちらへ足を向けたのは、家に押しかけてあれやこれや騒いでいる間に帝都に逃げられないための保険的な意味合いが強く、クリスとネルが馬車を見つけられないようなら適当なところで切り上げてネルの家に――――
「――――を放せ!!!」
俺の希望的観測も虚しく、よく知った声が飛空船発着場に響き渡った。
声のした方に視線を向けると、そこには10人程度の人影が見える。
何事かと人が集まり始めており、巡回中の衛士が騒ぎを収めるために小走りで駆けて行った。
現場まで少し距離があるが、騒ぎの現場近くに3台ほどの馬車が停まっているのが見える。
「さて、どうしたもんかね……」
愚痴をこぼしながら、俺も現場へ向かって歩き出した。
「どういうことだ!!僕があなたの護衛たちに勝つことができれば、ネルちゃんの婚約は取りやめにすると言ったじゃないか!約束が違う!」
「うるさい!なぜ私がお前のようなゴミとの約束など守らねばならない!」
「なんだと!?」
「クリスさん、落ち着いてください!」
現場に到着すると、クリスとティアはすでに相手と言い争いを始めていた。
クリスと言い争う、ネルの父親と思しき太った男。
それを守るように展開する武装した私兵が5人。
最後に、両手両足を拘束され、さらには猿ぐつわを噛まされた上で地面に転がっている少女が1人。
間違いなくクリスが想いを寄せる狂暴な飛び蹴り女だった。
俺は急いでクリスやティアに加勢する――――ことはせずに、野次馬と一緒に事態を見守ることを選んだ。
位置取りは念のためクリスたちの反対側、相手を挟むように背後をとっておく。
「彼女はお前の所有物ではない!今すぐ彼女を解放しろ!」
「ふん、冒険者風情が知った口を。上流階級に生まれた娘にとって結婚は家を繁栄させるための義務だ。これまで散々わがままを許してやったのだから当然だろう」
野次馬が集まってきたことに気が付いたネルの父親は、その口調を幾分落ち着いたものに変えたようだ。
その野次馬の反応を観察すると、ネルの父親へ向く視線は冷たいものよりも同情的なものが多い。
これが西通りなら話は変わっただろうが、ここは領主の管理下にある飛空船発着場。
そもそも飛空船の利用客は富裕層ばかりだから、ネルの父親の言い分に馴染みのある者が多くを占めている。
娘の四肢を拘束する乱暴さから、クリスも一定の支持を得ているようだが、それも劣勢を覆すほどではない。
「だからと言って、こんな奴隷のような扱いが許されるものか!」
「私とて本意ではない。しかし、少しばかり乱暴な娘に育ってしまってね。私の教育が至らなかったようで、恥ずかしい限りだ」
ネルの父親は唇を噛み、沈痛な面持ちで自分の不徳を悔いている。
傍らで唸り声を上げる娘と父親を見比べて、父親に同情する人がさらに増えた。
(飛び蹴りも自分の状況が理解できているなら、もう少し同情を引けるように振舞えばいいものを……)
人の話も聞かずに飛び蹴りかますような奴には無理な相談か。
飛び蹴りの協力を得ることは早々に諦め、父親と言い合いを続けるクリスの方に視線を戻す。
クリスは周囲の雰囲気から自らの不利を察しているようだが、有効な手立てを見つけられずにいる。
あのままでは万策尽きて剣を抜くまでそう時間はかからないだろう。
クリスが我慢していられるうちに、事態をうまく収拾する手立てを用意しなければならない。
(さて、どうするか……)
想定した最悪の事態は免れたが、いまだ予断を許さない状況だ。
まず、ネルの父親がやっていることは非道であっても違法ではないのだから、それを責めてもクリスの目的は果たされない。
クリスとの口約束を破ったということも大した問題にはならない。
つまり、ネルの父親の非を責めるだけでは事態は解決しないのだ。
当面の目標はネルの父親に勝負の約束を果たさせること。
ネルの父親が勝負を受けざるを得ない状況に追い込むことが必要だ。
しかし、俺たちより口も頭も回るだろう商人相手にそんなことができるだろうか。
「悪党め!ネルちゃんを放せ!!」
野次馬たちから悲鳴と歓声が上がる。
手立てを探して周囲を泳いでいた視線を戻すと、クリスが剣を抜いていた。
(……あの馬鹿、釣られやがった!)
ネルの父親を見ると、してやったりという表情。
おそらくクリスを暴発させるためにわざと煽っていたのだろう。
あちらの視点では相手は冒険者の少年1人と居候の少女1人で、自分には武装した私兵が5人もついているのだから、先に向こうが剣を抜いたという事実さえあれば、どうにでも事態を収拾できる――――と考えてもおかしくない。
「お前たち、あの暴漢を無力化しろ。腕の一本くらいは落としてもいい」
ネルの父親の指示を受けて、彼の周囲を固めていた私兵たちが扇状に広がる。
その様子を満足そうに一瞥すると、次にネルの父親はティアに対して視線を向けた。
「それとティアナ、お前はこっちに来るんだ。あれだけ恩を受けておきながら、私に武器を向けるつもりはないのだろう?」
「私は…………」
ティアは言いよどみ、明らかに迷っている様子だ。
彼女の置かれた状況を思えば無理もない。
最初は勝負に勝てばネルの婚約を阻止できるという話だったのに、いつのまにか実力行使をせざるを得ない状況に追い込まれてしまった。
ネルの父親とティアの仲が良好とは思えないが、それでも自分が世話になっている相手に武器を向けるのは難しい。
「ふん、役立たずめ……。これは仕置きが必要だな」
ネルの父親の視線が好色なものに変わり、ティアの表情が強張る。
イラッとしたせいで思わず愛剣の柄に手が伸びてしまったが、どうやって事態を収拾するか、まだ考えがまとまっていない。
うかつに動くことはできなかった。
「かかれ!ティアナに傷はつけるなよ!」
そうこうしているうちに、戦闘が始まってしまった。
5人の私兵が、連携しつつクリスに斬りかかる。
しかし――――
「ぐっ!?」
一人。
「ぎっ!?」
二人。
「っ!?」
三人。
「うがっ!?」
四人。
クリスは見惚れるような身のこなしで、一人ひとり確実に私兵たちを打倒していった。
剣の刃を立てずに胴を打ち据え、迫りくる剣をひらりと躱し、その勢いのまま鼻っ面に蹴りを叩き込む。
まるで演武を見ているような錯覚に陥るほどの流麗な動きの末、最後の一人を残してクリスは剣を鞘に納めた。
全力は出しておらず、相手を一人も殺していない。
誰の目から見ても完勝だった。
「ゴロツキ一人相手に何をしている!!さっさと叩きのめしてしまえ!!」
ネルの父親は一人残された私兵に向かって、罵声を浴びせる。
しかし、私兵は剣を構えたまま動けない。
私兵たちの連携が拙かったわけではない。
私兵たちが特別弱かったわけでもない。
ただ、都市の冒険者相手に無敗を誇るクリスを倒すには、彼らでは役者不足だったというだけの話だ。
「すげー……」
「素敵……」
「あれほどの腕前だ。きっと有名な騎士なのでは?」
(おっと、なんだか空気が……?)
戦闘の間も増え続けた野次馬は、今では逃げるのも苦労しそうなほどの人だかりを形成していた。
しかも、クリスの腕前や容姿のためか、事の起こりを見ていない人々を中心にネルの父親を悪役だと見なす人が増えている。
ネルの父親もこの展開は予想外だったのか、少し慌て始めていた。
「くそっ、なんで私が!!あいつが襲ってきたんだぞ!?」
「黙れ悪党!!早くその子を解放しろ!!」
「ぐっ……この……」
実際にネルの父親の足元に縛られたネルが転がっているということが、誤解を助長している。
彼らの話を最初から聞いていた者たちはさておき、この状況からネルの父親が状況を説明しても、それを信じる人は少ないだろう。
本当にイケメンは得だ。
そんなことを思いながら、俺はネルの父親のところに歩み寄った。
「勝負あったな。あんたも思うところはあるだろうが、別に娘を取られるわけじゃない。今回の婚約は縁がなかったと思って諦めな」
「なんだ!誰だ、お前は!?」
突然登場した俺に困惑するネルの父親。
段々かわいそうになってきたが、うちの相棒の恋路のために少しだけ我慢してもらうとしよう。
俺はネルの父親に背を向け、野次馬に向けて声を張り上げた。
「聞いてくれ!俺は、この勝負の見届け人だ!この勝負は、そこに捕らわれているコーネリア・クライネルトの婚約を賭けて行われた!そちらの彼は、意に沿わぬ相手に嫁がされる少女の行く末を憂い、少女の父に勝負を挑んだのだ!」
「なっ、何を!?」
ネルの父親が背後で狼狽しているのが伝わる。
しかし、悪いが言ったもの勝ちだ。
「勝負の内容は、彼が武装した私兵3人を全て一人で倒すことができるか!!にもかかわらず、卑劣にも少女の父親は5人の私兵を用意し、彼へと差し向けた!!しかし、結果はどうだろうか!!」
身振り手振りも仰々しく、俺はクリスを正当な勝負の勝者とすべく演説を続ける。
「彼は見事、一人も殺すことなく、4人の私兵を打倒した!!圧倒的な技量はみんなもその目に焼き付けたはずだ!!よって、彼こそが勝者だ!!」
次の瞬間、周囲から大きな歓声が上がった。
周囲の野次馬たちは口々にクリスを祝福する。
なかには口笛や怒鳴るような声など、とても富裕層とは思えない行動に出る者もいたが、どうやら客としてではなく出入りしている人間には庶民も多いらしい。
もっとも、いつのまにか野次馬の中で少数派になっていた富裕層もこの見世物を十分に楽しんだらしく、盛大な拍手でクリスを讃えていた。
多くの笑顔の中で微妙な顔をしている何人かは、最初から事態を見守っていた者なのだろう。
いつのまにか話が変わっていて腑に落ちない思いを抱えているようだが、この歓声の中で注目を浴び、聴衆に冷や水を浴びせるような話をするのは難しいはずだ。
「やってくれたな!この詐欺師が!」
歓声止まぬ中、ネルの父親が俺を罵倒する声が聞こえた。
俺はにこにこと笑顔を浮かべたまま彼に近づくと、世間話をするような態度で彼の説得を始めた。
「抵抗するなら殺す」
ネルの父親が絶句し、最後に残った私兵の顔が青くなる。
俺は笑顔を保ったまま、周囲に聞こえぬよう小声で続けた。
「冒険者ってのは実力が全てだ。わかるか?舐められたらオシマイなんだよ。だから、口約束だろうがなんだろうが、それを破るようなら容赦はできない。不用意な口約束をしてしまったあんたが悪い。死にたくないなら諦めることだ」
それだけ言うと、頬を引きつらせたネルの父親と私兵を置いてネルを担ぎ上げ、勝者の下に戦利品を運ぶ。
「ほら、しっかり抱えろよ。この考えなしめ」
「アレン……すまない、本当に助かった」
「アレンさん、ありがとうございます!」
俺は両腕でしっかりとネルを抱えたクリスと笑顔のティアを連れて、その場を悠々と立ち去る。
野次馬たちも弁えたもので、俺たちの行く先を邪魔することはない。
ネルだけが困惑した様子で、きょろきょろと周囲を見渡していた。
「騒ぎを起こしたのは貴様らだな?詰所まで来てもらおうか!」
「…………」
野次馬は避けてくれても、衛士からは逃げられない。
ああ、それくらい知ってたとも!
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