第115話 喜びも悲しみも




 コーネリア・クライネルト。

 愛称はネル。


 ゆるやかにウェーブを描くプラチナブロンドの髪。

 透き通るような白い肌。

 鈴を転がすような澄んだ声音。

 意志の強そうな赤い瞳。

 人形のように整った容姿を持つ少女だ。


 北西区域の裕福な商家の娘として生を受け、不自由なく育ち、ティアと組んで冒険者をやっていた。

 しかし、昨年暮れの魔獣迎撃戦において重傷を負い、クリスが冒険者ギルドとの取引で得た最高級ポーションで命を取り留めるも長期間の静養を余儀なくされる。

 さらに、道楽と思って娘の好きなようにさせていた彼女の両親が娘のケガを受けて態度を硬化させ、現在、彼女は自宅で軟禁状況に置かれているらしい。


 そんな彼女はティアの親友であり――――そして、クリスの想い人であった。




「ああ、飛び蹴りのことか」

「うん、もうそれでいいよ……」


 ネルについての説明を一通り聞いた俺が発した言葉に、クリスが諦めたようにため息を吐いた。

 相棒の片想い相手を悪し様に言いたくはないが、俺が彼女と言葉を交わしたのは暴漢に間違えられて一方的に攻撃を加えられたときのただ一度のみ。

 これ以外の感想が出てこないのは仕方のないことだった。


「で、そのネルがどうしたって?時間がないなんて言うわりには、ずいぶんとのんびりしてたようだが」

「いや、だって…………………………まあ、それは置いておこうよ」

「なんだそりゃ……」

「とにかく!!ネルちゃんを助けるために手を貸してほしいんだ」


 歯切れの悪いことを言うクリスを訝るが、本人はそれどころではないようだ。

 俺としてもさっさと話を進めたいところなので、本人が言いたくないなら追及はしない。


「ネルちゃん、家から外に出してもらえないのはケガが完治するまでは仕方ないと思ってたんだけど。どうやら、いつのまにか婚約させられそうになってるみたいなんだ……」


 クリスが沈痛な面持ちで、ようやく本題を口にした。

 なるほど、クリスがやけに焦っているのはそういうことだったのか。


「させられそうっていうと、政略結婚なのか?」

「うん……。相手は帝都にある中規模の商会を運営する商人の息子らしい。まだ当人同士は会ってもいないのに、互いの親の間では決定事項になってるみたい。しかも、婚約したらすぐにネルちゃんを帝都に送り出す予定だって……」

「さっきから『みたい』とか『らしい』とかばかりだが、情報源はどこなんだ?」

「あ、それは私です」


 クリスの説明を黙って聞いていたティアが片手を挙げた。

 そういえば、ティアはネルの家に居候していたのだった。

 同じ家で暮らしているティアがもたらす情報なら、確度の高いものと考えていいだろう。


「それで、助けると言うのは?まさか誘拐する気じゃないだろうな?」

「最悪はそれも考えてるかな」

「それはまた物騒な……」

「もちろん最後の手段だよ。できれば正攻法で彼女の婚約を阻止したい」

「正攻法?そんなものがあるのか?」


 婚約を阻止する正攻法とは。

 半信半疑な俺に対して、しかし、クリスは力強く頷いた。


「実は、さっきネルちゃんの家に突撃してきたところなんだ。ネルちゃんを婚約させないでほしいって丁寧に頼み込んだら、僕の熱意に負けたご両親が条件付きで婚約を取り下げてくれることになったんだよ」

「柵を飛び越えて敷地に侵入したり、警備の人に剣を向けたり、ネルのお父さんに詰め寄ったり……。衛士を呼ばれるんじゃないかって、ひやひやしました……」

「やだなあティアちゃん、僕が法に触れるようなことをするわけないじゃないか」

「法に触れるギリギリのところまではやったんだな……。というか、敷地への侵入はセーフなのか?」

「何度か退去するよう求められた後に衛士を呼ばれたら厳しいかな。もちろん、そうなる前に話をつけたから問題ないよ」


 クリスは悪事を嫌うと思っていたのだが、案外自分には甘い性格なのだろうか。

 いや、もしかするとネルの両親が本人の意思を無視して婚約を進めたことが、クリスの中では『悪事』なのかもしれない。

 悪事を働く相手なら多少のことは許される。

 そういう考えに基づく行動と考えれば、なるほどたしかにクリスらしかった。


 まあ、それは一旦置いておこう。


「なるほど、話が見えてきた。つまり、お前はネルの家に押しかけて婚約の取り下げを迫った結果、無理難題を吹っ掛けられて逃げ帰ってきたというわけだ」

「戦略的な撤退と言ってほしいな。どの道一人足りなかったからどうしようもなかったし、婚約も3日後の予定と聞いたからね」


 物は言いようだ。


「で、肝心の条件ってのは?」

「あー、それはだね……」

「ネルのお父さんの護衛の中に凄腕の方がいらっしゃるんですが、その方と部下の2人に勝てるほど強い冒険者なら、ネルを任せてもいい、とネルのお父さんはおっしゃっていました」

「……と、いうわけなんだ」

「つまり、凄腕の護衛とやらに3対3で勝てと?」

「そういうこと。さて、アレン……ここまで聞いたのなら、僕がここに来た理由を理解してくれたよね?」


 必要人数は3人。

 そして、この場にいる人間の数もちょうど3人。

 クリスが何を言いたいのか、自ずとわかるというものだ。


 しかし、これ以上話を進める前に、俺はクリスに確認しなければならないことがあった。


「ひとついいか?」

「なんだい、アレン?」

「お前、ネルとうまくいったのか?」

「うまく……?」


 クリスは、俺が何を聞きたいのか理解していないという顔だ。

 それは、ティアの方を見ても同様だった。

 どうやら説明が足りなかったらしい。


「つまるところ、お前としては想い人が意に沿わぬ相手と無理矢理婚約させられそうだから横やりを入れたいということなんだろう?それはいいんだが、そもそもお前とネルは親しい仲になったのかってことだ。もしそうじゃないなら、相手が商会の息子からお前に変わるだけで、ネルが意に沿わない相手とくっつけられる状況は変わらないんじゃないか?」


 クリスとネルを初めて見かけたときの様子から、かれこれ3か月ほど経っている。

 しかし、それだけの時間で二人の仲が劇的に進展しているとは、俺には考えられなかった。


「別に僕らが勝ったら娘さんをくださいって話をしたわけじゃないんだ。ただ、娘さんを意に沿わない相手と今すぐくっつけるのはやめてほしいということを言っただけなんだよ」


 なるほど、一応の筋は通しているということか。

 ただ――――俺としては、それでは少し足りないと思うのだ。


「うーん……。たしかに本人の意思は尊重されるべきだろうが、それは結局のところネルの家で話し合われるべき問題だろ?お前がネルの恋人――――とまでいかなくても、ネルから好意を寄せられているならともかく、余所の家の事情に他人がクチバシ突っ込むのは、ちょっと違うんじゃないか?」


 結婚は家同士を結び付けるもの――――というのは流石にカビの生えた考え方だろうが、富裕層の一族がより繁栄するために婚姻を活用していることは、紛れもない事実。

 貴族ともなれば望んだ相手と結婚できる者の方が少ないらしい。


 その考え方を是とするか否か。

 それはネルと家族が決めることであって他人が興味本位でひっかき回していいことではない。

 もし部外者が口を挟みたいなら、少なくとも結婚式場に花嫁をさらいに乗り込むくらいの覚悟と、乗り込んだ時に花嫁に手を取ってもらえる程度の関係は必要だと、俺は思う。

 この地域の庶民には結婚式を行う習慣はないらしいので、あくまで気持ちの問題だが。


 クリスも感情的に反論しないあたり、薄々理解はしているのだ。

 こいつもどこかのお坊ちゃんなのだろうから、そういう考え方と無関係であるはずはないのだし。


「無理筋の話だということは、僕だってわかってる。でも、そこを押して頼みたい。ネルちゃん自身が選んだ相手ならともかく、僕はネルちゃんをこんなことで諦めたくないんだ」

「お前がネルを好いていることは知っているし、協力したいという気持ちもあることは事実だがな……」

「……どうしても、協力はしてくれないのかい?」

「………………」

「そう、かい……。わかった……無理を言って済まなかった」


 クリスは、顔を伏せた。

 好いた人がもうすぐ手の届かないところに行ってしまうという悔しさに耐えているのだろう。


(ひどい奴だな、俺は)


 幾度も力を合わせ、共に窮地を潜り抜けてきた相棒に対してこの言い様。

 隣で沈黙を続けるティアに、冷酷な人間だと思われたかもしれない。

 理屈を理解していても、感情が納得しないという経験は俺にだってある。

 世の中は、理屈だけで回っているわけではないのだから。


 しかし、それをわかっていても、俺はクリスを止めるべきだと思った。

 なぜならネルの父親が出した条件――――凄腕の護衛に勝つことであるが、これを満たしたところでネルの父親が諦める保証など全くないからだ。

 そもそもネルの父親はクリスの申し出を受ける義務などなく、相手がやっぱりやめたと言ってしまえば、それだけで話が振り出しに戻ってしまう。


 そして、これがクリスを手伝うことができない理由の最たるものであるが――――この勝負自体が、クリスを嵌めるための罠である可能性が捨てきれないのだ。


 例えば俺たちが凄腕の護衛を倒したところで、俺たちを強盗だとして衛士を呼ばれたとしよう。

 現場に到着した衛士が見るのは、武器を構えた3人の冒険者、震える商人と打倒された護衛。

 衛士たちにとって冒険者というのは税も払わずに我が物顔で通りを闊歩するチンピラのようなものなのだから、そんな状況では俺たちが強盗でないことを証明するだけで一苦労だ。

 相手は地元に根付いた商人で、こちらは根無し草の冒険者。

 単純に信用度が違いすぎる。

 だからといって、衛士たちから強引に逃げようとすれば完全にお尋ね者として扱われ、ネルを助けるどころではなくなってしまう。

 後々疑いを晴らしたところで、その頃ネルは帝都の婚約者のところに送り込まれ、婚約を済ませていることだろう。


 溜息をひとつ。

 やり切れない思いを、食べかけのサンドイッチの最期のひと口と一緒に飲み込んでいく。

 水分が乏しくなった口の中に潤いを与えるため、すっかり冷めてしまった紅茶を口に含んだ。


 そのときだった。


 クリスが徐に顔を上げて、俺――――ではなく、隣にいるティアに向かって笑いかけた。


「そうだティアちゃん、アレンが昨日どこで何をしていたか、知りたくないかい?」

「ぶほっ!?」


 俺は衝撃に耐えられず、飲み込むはずだった紅茶をふき出した。


「うわっ、アレン汚い……」

「げほっ…………クリス、てめえ、いきなり何言いやがる!!」


 フロルから渡されたタオルで口元を拭いながら、突然の暴挙に強く抗議する。

 汚れたテーブルの上を手早く片付けるフロルに感心している暇もない。


「そんなに慌ててどうしたんだい、アレン?」


 柔和な笑みを浮かべるクリスは、俺の粗相に驚いてみせる。

 その仕草は、腹黒い思惑など微塵も感じさせない完璧なものだった。


 しかし――――


「クリス、落ち着いて話そう。それはやってはならないことだ。明らかにルール違反だ」

「ルール?ああ、そういえば、このパーティのルールを決めなければならないね。そういうことを怠ったせいで、些細なことで仲違いしてしまうパーティもあると聞くし」


 白々しくも明後日の方向に返答を投げるクリスだが、今この瞬間に昨日のことを持ち出す意図は明らかだ。

 こいつはどうあっても俺を巻き込むことに決めたのだろう。

 クリスが腹をくくったことで、俺は一気に窮地に立たされた。


「そうだ、ルールとは違うかもしれないけれど、ひとつこういうのはどうだろう?パーティの方針として、『喜びも悲しみも分かち合う』なんて素敵だと思わないかい?」

「その言葉の意味は、絶対にこういうことじゃあないと思うぞ……」

「まあ、細かいことはいいじゃないか」


 全然細かいことではない、などと言っても埒が明かない。


(くそ、どうしたもんか……)


 俺には時間がない。

 今は突然話がわからなくなったことでおろおろしているティアだが、困惑が収まって話に入ってくれば、俺に勝ち目はなくなってしまう。

 それまでに、なんとかクリスを言いくるめなければ。


 俺が焦りを募らせる一方、クリスはここを勝負所と踏んだのか、間を置かずに畳みかけてきた。


「そうだ、ティアちゃんだけじゃなかった」


 ティアだけじゃない。

 その言葉から予想される次の言葉は何だろうか。

 凄まじく嫌な予感――――というか確信が頭の中に浮かび上がる。


「……おい、なにを言うつもりだ」

「うん?ギルドの――――」

「くううううううりいいいいいいいいいいいいいいす!!!?」

「なんだい、アレン?」

「なんだい、じゃない!そっちは流石にシャレにならないだろ!!いい加減にしろ!!」


 フィーネとて、粗野な冒険者相手の仕事なのだから、多少のことには耐性が付いているだろう。

 昨日の土下座男の件は度が過ぎていたが、軽いセクハラなら聞き流すくらいのことはやってくれるに違いない。


 しかし、だ。

 娼館でわざわざ自分に似た女を選んで抱いてきた、なんて聞いてドン引きしない女が、果たしてこの世に存在するだろうか。

 フィーネの熱っぽい視線が、たちまちゴミを見るような目に変わる様がありありと想像できる。


(それだけじゃない……)


 視線を横に向けると、突然大声を上げた俺に驚いた様子のティアがこちらを見つめていた。

 純粋な驚きと、信頼と好意が見え隠れする視線。


 これがどんな風に変わってしまうのか、考えただけで恐ろしい。


「決心はついたかな?」

「悪魔め……」

「ネルちゃんのためなら、僕は悪魔にだってなろう」


 無駄にキザったらしいセリフが憎らしい。

 しかし、遺憾ながら勝負(?)は決してしまった。


「……衛士に追われることになる可能性も考えてるんだろうな?お前のカンは何て言ってる?」

「反応なしだよ。少なくとも、3人で事に当たれば危険は小さいと思う」

「お前のカン、そういう方面でも信頼できるんだろうな?」

「もちろん」

「そうか……」


 勝負あった。

 身から出た錆なのだから、面倒事も甘んじて受けなければならないか。


 そんな俺の様子を承諾と受け取ったのか、クリスはいつになく真剣な面持ちで深く頭を下げた。


「済まない。ひとつよろしく頼む」

「はあ……。覚えてろよ、クリス」

「受けた恩は忘れないとも。もちろん、祝勝会は僕の奢りだ」

「当然だ。高い酒をしこたま飲んでやる……」


 勝負の後のいざこざを回避できるアテがあるなら、俺とてクリスに協力することはやぶさかではない。

 例えそれが、横恋慕のような何かであってもだ。


 クリスは、大切な仲間なのだから。


「よくわかりませんが、アレンさんも協力してくれることになったんですよね?」

「ああ、そうなるな」

「ありがとうございます!私もネルが望まない相手に嫁ぐことになるのは嫌ですし、助けてあげたいと思っていたので嬉しいです」


 すっかり蚊帳の外になっていたティア。

 話の流れが読めなかったからか、俺が協力すると明言したことでほっとしたような笑顔を見せた。


「2人で話し込んでしまってすまないね」

「いえ、いいんです。では、昨日のアレンさんの様子を聞かせていただけますか?」

「………………えっ?」


 クリスの表情が固まった。

 こいつ、まさか自分で準備した爆弾の存在を忘れていたなんてことは――――


「どうして驚いているんですか?アレンさんの話、聞かせてくれるんでしたよね?」

「え?ああ、そうだった、かな?」

「はい、そうですよ?そんなに慌てて、どうかしたんですか?」


 一仕事終えたような気持ちで安堵していたクリスを襲う容赦のない追撃。

 完全に自業自得だから、俺はクリスを助けない。

 俺はクリスに協力することになったのだから、ティアを言いくるめる責任はクリスにある。


「俺はさっき起きたばかりでな。悪いが風呂に入ってくるから、その間にゆっくり話していてくれ。何かあったらフロルに言えば、多分なんとかしてくれる」

「え!?あ、アレン!?」


 俺が協力するとでも思ったのか、クリスが情けない声音で俺の名を呼ぶ。


「喜びも悲しみも分かち合うんだったな?わかってるよな、クリス」


 失敗したらさっきの話はナシだと告げ、俺は返事も聞かずに浴室へと向かう。


 食堂に残されたのは、何とか追及を躱そうとするクリスと思いのほか食い下がるティア。

 少し離れたところからは、フロルが珍しいものを観察するように彼らを見守っていた。



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