第112話 新たな日常9
「――――ということがあったんだよ」
ずいぶん長いこと待たせてしまったクリスと合流し、俺たちは歓楽街へと向かった。
クリスと合流した時点で食事には少し早い時間だったため、一件目の店では軽く飲んだだけで早々にいつもの娼館を訪ねてお楽しみの時間。
正直なところ時間帯の問題だけでなく、昨日今日と悶々とする出来事が続いたために我慢の限界だったという理由も多分に含まれるが、ともあれ今は娼館の前で再度合流したクリスとともに酒場に入って本格的に飲み始めたばかりだった。
「なるほどなあ……。俺はてっきり、お前が剣にものを言わせてあいつらを従えてるのかと思ったが、そういうことだったのか」
「アレン、キミは僕を何だと思ってるんだい……?」
今の話題はなぜかクリスと面識のあった、土下座男と愉快な仲間たちのことだ。
どうやらクリスは俺が屋敷に引きこもっている期間、ソロで冒険者活動を行うだけでなく、ギルド裏の訓練場を積極的に活用して対人戦の訓練をしていたらしい。
挑発的な言葉で冒険者を集め、模擬戦を繰り返し、挑戦者を次々と返り討ちにしていく中でああいった手合いが増えてしまったとか。
冒険者は強い方が偉いという脳筋思考のやつが多いから、そうなるのも納得だ。
「はははっ、細かいことは気にするな」
「それ、細かいことかな?」
「細かいことだろ。しかし、C級冒険者複数相手に模擬戦なんてよくやるよ。もうこの都市の冒険者で一番強いんじゃないのか?」
クリスの話によるとC級冒険者相手ですら、相手が複数で挑んできたとき以外は全勝だったという。
しかも、C級冒険者複数を相手取っても勝つことがあったというから驚きだ。
この都市を本拠にする冒険者の中にB級以上はいないはずだから、実質的にクリスが都市最強の冒険者ということになるのではないか。
もちろん、前衛と後衛を単純に比べることはできないから、あくまで前衛の枠の中でということになるだろうが。
「僕が都市最強の冒険者だ、なんて主張する気はないよ。少なくとも、キミに勝つまでは、ね」
一瞬、クリスの優しげな表情が挑発的なものに変わる。
先ほどのギルドマスターが見せた獰猛な雰囲気には程遠いが、それでもクリスがあまり見せない一面に、俺は少しの間あっけにとられてしまった。
「なんてね。僕じゃ、まだキミに勝てないことは十分に理解してるよ。けど、たまに訓練に付き合ってもらえると嬉しいかな」
「あー、それは構わないが……少しばかり過大評価されてるようだな。やる気を削ぐようで悪いが、俺とお前が一対一で戦えばお前の方が強いと思うぞ?」
剣士同士の戦いで、<剣術>スキルの有無は圧倒的な戦力差を生む。
接近すれば技量が違いすぎて戦いにならないため、<剣術>スキルを持たない俺が<剣術>スキルを持つクリスに勝つためには一撃離脱を繰り返すか武器破壊を狙うかのいずれかしかない。
俺の<強化魔法>と重量のある得物はそのどちらにも適しているから、並みの相手なら何とかなるのだろうが――――ここでクリスの<アラート>が邪魔になる。
<強化魔法>を行使すればクリスよりずっと速く動けるとはいえ、急停止や小回りまで比例して速くなるわけではないのだから高い成功率は望めない。
よって、俺の勝ち目が小さいという評価は妥当なものだ。
「それはないよ。僕のカンがそう言ってるから、間違いない」
「そうか……?まあ、お前のカンが言うならそうなのかもな」
別にムキになって否定することでもないため、半信半疑ながらもお茶を濁す。
丁度、料理が運ばれてきた。
今日は珍しく魚料理がオススメと看板に出ていたので、それを一皿頼んでクリスと分け合うことにしていた。
メインはいつものごとく肉料理で、クリスはワイン、俺はエールというところも相変わらず。本当は果実酒の方が好みだが、この店に置いてあるものは舌に合わなかった。
「まあ、そんな話は置いておいて。早くアレンの話を聞かせてくれないかい?いろいろと報告があるはずだろう?」
「おお、そうだった!いや、本当に大変だったんだぞ……。俺の苦労話、じっくり聞いてもらおうか」
「ああ、もちろんだとも!」
さて、まずは何から話そうか。
酒も料理も時間もたっぷりあることだし、順を追って話した方が聞く方も聞きやすいだろう。
「まず、これは朝の出来事なんだが――――」
「――――というわけで、俺はあの後ギルドマスターにやられちまったわけだ」
朝、フィーネによって別室に連行されたこと。
フィーネの先輩に説教されたこと。
服屋でプレゼントを贈ったこと。
屋敷でからかわれたこと。
ギルドでのこと。
ネグリジェと休憩室の件を始めとしていくつかの点をぼかしたり伏せたりしながらも、俺は今日の出来事を語り終えた。
にもかかわらず、クリスの表情はすぐれない。
なんだか聞きたいこととは別の話を聞かされたような微妙な顔をしていた。
「なんだ?わかりにくかったか?それとも話が長すぎたか?」
酒が入ってるから話が長くなるのはご愛敬だ。
話が伝わらなかったなら、是非とも補足説明をさせてほしい。
「いや、話はわかりやすかったよ。話が長いのも別にいいんだけど……」
「その割には不満そうじゃないか」
クリスに続きを促しながら、魚の揚げ物をフォークでつつく。
尻尾を口にくわえてはモシャモシャと口の中に運んでいき、頭だけになったら小皿に乗せる。
頭は食べない。あれは苦いから苦手なのだ。
ちなみに、クリスは頭だけでなく尻尾も食べない。
尻尾と頭をナイフで切り分け、中指より一回り大きい程度の魚をぶつ切りにして一口ずつ口に運んでいる。
クリスは魚料理を飲み込むと、少し言葉を選ぶように視線を彷徨わせてから、申し訳なさそうに口を開いた。
「僕はてっきり、ティアちゃんとのデートの話を聞かせてくれるのかと思ったんだ」
俺は肉料理を口に運ぶ手を止め、代わりにクリスの言葉を咀嚼して飲み込んだ。
「…………ああ、なるほど。そもそも話題が違うと」
結構な時間をかけて話したのに、なかなか残念な感想である。
「というかさっきの話からすると、アレンは受付嬢のフィーネちゃんとデートしたんだよね?」
「いや、あれはそんなんじゃなくてだな……」
「一緒に食事して、服屋で服をプレゼントして、家に連れて行く。これがデートじゃなかったら、一体何がデートだっていうのさ?」
「……そう言われると返す言葉がない、か?」
そうか。
俺は今日、フィーネとデートしたのか。
ティアとのお出かけは最初からデートのつもりでいたから違和感なく受け入れられた。
一方、フィーネとのお出かけは彼女の心のケアと俺からのお詫びという側面が強く、浮ついた目的ではなかったから、デートだとクリスに言われるまではそういう意識がなかった。
「しかも、屋敷に連れ込んでいい雰囲気になった」
「いい雰囲気になったように見せかけて、実際はからかわれただけ、だな」
思い出したら悔しくなってきた。
休憩室でのことといい、フィーネは思わせぶりが過ぎる。
男の純情を弄んでくれたこと、きっちりと後悔させてやらねばなるまい。
もちろん、フィーネを泣かせてしまわないよう、ほどほどに。
「アレン、普通の感性を持った女性は、好きでもない男の家に一人で行ったりしないと思うよ。例えば僕がティアちゃんやフィーネちゃんを誘ったって、絶対についてこない。断言してもいい」
「いや、ティアはほら……多分勘違いされるようなことをしないようにしてるんだろうし、フィーネはそもそも家に呼ぶほどクリスと親しくないだろ」
「ああ、それはそうかもしれないんだけど、言いたいのはそうじゃなくて……」
クリスは言いたいことが伝わらないもどかしさに頭を掻き、天井を見上げて言葉を探している。
その間、俺は給仕を呼びとめて、クリスの分も酒を頼んでおく。
なお、今日の払いは俺持ちだ。
あれだけ待たせてしまったのだから仕方がない。
「つまり僕が言いたいのは、女性は男の家についていく時点で多少なりとも覚悟が必要なのに、そのうえ男を誘惑する素振りを見せるなんてことはあり得ないってことだよ。例外は、本当に襲われてもいい相手のときだけだ。フィーネちゃんは、アレンがフリに迷わず食いついたら、そのままアレンに身を任せる気だったんじゃないかって、僕は思うよ」
言葉をまとめたクリスが、言いたいことを一息で言い切った。
追加で運ばれてきたワインのグラスを一気に傾け、満足そうにしている。
「つまり、俺が迷ったから引いた結果がからかいだと?」
「そういうことだね」
なるほど、言わんとしていることはわかる。
全員がそうだとは思わないが、男の家で男と二人きりになる状況は親しい相手でもなければ避けたいと思う女が多いはず。
加えて、家に誘われてついて行くことをオーケーの合図と思っている人も男女問わず一定数いるので、誘われたからと言って誰にでもほいほいついて行くような奴はそのうちに痛い目を見ることになる。
しかし、フィーネと俺の関係は通常の男女のそれとは少し事情が異なる。
なにせ、彼女とは俺が10歳の頃からの付き合いだ。
俺が都市を離れるまでの間はそれこそ数日と置かずに顔を合わせていたのだから、その他大勢の男と同列に扱われているということはおそらくないだろうし、家について行くことのハードルだって比例して低くなっているに違いない。
そう思うのだが――――
「…………あー、別にそうとも限らないんじゃないか?」
それをクリスに言うことができない。
それを言ってしまえば、フィーネと長い付き合いである理由を話さなければならなくなる。
クリスとも長い付き合いになりそうだから折を見て話さなければいけないと思っているが、少なくとも酒の席で言うことではない。
「はあ……。キミは本当に女泣かせだね、アレン」
「お前に言われたくはないな」
お前のようなイケメンに言われたくはない。
本当に、心からそう思う。
「それと、いい加減屋敷に招待してくれてもいいんじゃないかい?それとも、僕がキミを探すためにどれだけの時間を費やしたか聞きたいのかい?」
クリスが恨みがましい目で俺を見ている。
きっとパーティメンバーである自分たちよりもフィーネを先に屋敷に招待したことが不服なのだろう。
正式にパーティを組んだ以上、ギルドでばったり遭遇することを期待して活動するのも無理があり、どこかに拠点を置く必要性も理解できる。
俺の屋敷は、場所も広さもおあつらえ向きだ。
「なら、この後屋敷で飲みなおすか?酒は持ち込みになるがツマミは出せるぞ」
「それはいいね!酒はその辺で調達しよう!ツマミっていうのは、料理の上手いメイドでも雇ってるのかい?」
「いや、家妖精だ。西通りの料亭にも引けを取らない上等な料理を出してくれるから、期待してくれ」
「それは楽しみだ!そうそう、家妖精と言えば、この前南東区域の路地で家妖精を見かけたよ。この辺りで野良の妖精は珍しいよね」
俺たちは引き上げる準備をしながら会話を続けた。
クリスの言うとおり、この地域は妖精が育ちにくい環境だったはずだ。
妖精の生育環境について知識を求めていた俺は、少しばかりその話が気になった。
「ちなみに容姿はどんなだった?」
「たしか、メイドが着るような意匠の服を着たこれくらいの女の子で、薄いピンク色の髪で、あとは箒を持ってたね」
「そうか。ウチのより育ってるみたいだな」
クリスが示した家妖精の背丈は、俺の胸のあたりだった。
立って向かい合うと俺のヘソの辺りに顔がくるフロルよりも、大分育っていると言える。
髪の色も違うから、完全に別人だろう。
「そういえばクリス、そいつが家妖精だってどうやって判断したんだ?」
「魔法を使って路地を掃除してたからね。そんなことをするのは家妖精くらいだよ」
「なるほどな」
何か見分け方があるのかと思ったが、そういうことか。
俺たちは残った酒をぐいっと一息に飲み干すと、支払いを済ませて店を出た。
酒場に隣接する酒屋で俺は果実酒、クリスは白ワインを購入して南通りを北へ向かい、ほどなくして南東区域の路地へと折れる。
余談だが、まさにこの路地が、クリスが家妖精を見かけた場所であるらしい。
「南東区域というのは危ないところだと聞いたけれど、大丈夫なのかい?」
「大通りから100メートルくらいまでは衛士の巡回があるから大丈夫だ。そこから奥に行くのはお勧めしない」
「気を付けておこう。アレンの屋敷は……あれかな?たしかに目立つね」
木造平屋が多い地域で頭一つ抜け出た屋敷を早々に発見したクリス。
フィーネのように驚くこともないのは大きな家に慣れているからか。
期待した反応がないことを少しだけ残念に思いながら、屋敷へ向かって足を進める。
そして、俺たちが屋敷の前に差し掛かった丁度そのとき――――
「――――ッ!?アレン!!」
突然の大声に、咄嗟に剣を抜き放った。
「どうした!?賊か!?」
クリスの背後に回って後方を警戒する。
酒が入っていて頭の回転は鈍いが、足がふらつくほどではない。
(まさか、あの女が仕返しに来たか?)
ギルドに居続けるつもりなら、ギルドマスターに睨まれてまで馬鹿をやるとは思えない。
しかしギルドをクビになっていれば、報復でチンピラをけしかけるくらいはやるかもしれなかった。
「クリス!敵はどっちだ!?」
振り向かず、暗くなった路地の先を睨みながら、クリスに問う。
返ってきた返事は、俺にとって最悪のものだった。
「キミの屋敷の中!しかも湖の妖魔よりもずっと強い!!」
「――――ッ!フロル!!!」
正門を開け、背後から呼び止めるクリスを振り切って玄関へと急ぐ。
玄関のドアノブを引くと――――鍵が掛かっていた。
「くそっ!」
懐から急いで鍵を取り出し、乱暴に鍵を開けると扉の片方を開け放つ。
飛び道具の射線に入らないよう、閉めたままの扉に身を隠しながら中を覗き込み、エントランスホールに侵入者がいないことを確認した俺は、屋敷の中に入るとそのまま扉の開いている食堂へと駆け抜けた。
「フロル!!!どこに…………フロル!」
居た。
抜き身の剣を持ち歩く俺を見て何事かと目を丸くしているが、そんなことに構ってはいられない。
俺はフロルに駆け寄って荷物のように小脇に抱えると、わき目も振らずにエントランスホールまで疾走した。
「アレン!?」
「フロル!少しだけ庭……いや、俺から離れるな!クリス、敵はどこだ!」
庭に隠れる場所はないと思い直し、自分の傍から離れないようにフロルに命じる。
二階廊下から狙い撃たれても<結界魔法>があればある程度は防ぐことができるはずだ。
「急いでくれ!!」
「わかってる!……………………あ、あれ?」
酔っているからか、クリスの反応が悪い。
自分の屋敷の中で襲撃を警戒しなければならない状況だけでも舌打ちしたい気分だというのに、これは厳しい。
「クリス!まだか!?」
「いや…………なんというか、いなくなった?」
「………………は?」
クリスの声から緊張感が失われた。
振り返ると、剣の構えも解いている。
「どういうことだ?」
「……………………」
クリスは答えない。
その視線は、俺の腰に抱き着いているフロルへと注がれていた。
「……この子がフロル。さっき言ってたウチの家妖精だ」
「え?あ、そうなんだ……」
フィーネのときの教訓を思い出してフロルを紹介するが、やはりクリスの反応は鈍い。
頼りのカンの誤作動でそれどころではないのかもしれない。
「フロル、こっちはクリス。俺の仲間だ」
「ずいぶん短い紹介だね……」
どうでもいいところに突っ込みを入れてくるクリス。
お前、今それどころではないだろう。
「フロルを育て始めてから3か月しか経ってない。あまり難しい言葉はわからないかもしれないからな」
「ああ、そういうこと……」
「敵がいなくなったなら、警戒はもういいか。悪いが表に転がした酒を回収してきてくれ」
「わかった。ビンが割れてないといいんだけどね」
「その時はまた買ってくればいいさ……フロル、驚かせて悪かったな。もう大丈夫だってさ」
フロルの頭を撫でながら、一足先に屋敷の中へと戻る。
「クリスが戻ってきたらリビングに通してくれ。俺は屋敷の中を見回ってくる」
俺はフロルにそう言いつけると、俺は剣を抜いたまま屋敷の巡回を始めたのだった。
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