第111話 甘くない夕暮れ




 男は緩やかな放物線を描いてロビー中央にある柱のひとつに叩きつけられ、重力に従って床に落ちる。

 多くの者があっけにとられる中、宙を飛んだ男が自分のすぐ脇を通り過ぎた少女は、いち早く我に返り、突然の凶行に及んだ俺を追及した。


「な、ギルドの中で何をするんですか!?」

「お前こそ、人の受付嬢になんてこと言ってくれるんだ?」


 多くの者には理解できないであろう会話。

 少女さえ理解できればそれでいい。


「わ、わたしは関係ありません!」

「そうか。じゃあ、俺はあの男と話すことにしよう」


 少女の横を素通り。

 すでに体を起こし、こちらに殺意を向けている男の方に向かって、俺は足を進めた。

 チラリと後ろを振り返ると、イルメラがフィーネを裏に引っ張っていくところが見えた。


 素早いフォローがありがたい。

 これで、遠慮なくこの男をボロ雑巾にできる。


「てめえ……幸運と依怙贔屓だけでC級に昇格したハリボテ野郎が、やってくれるじゃねえか!ああ!?」


 さて、こいつをどうしてくれようか。


 俺は男まで数メートルのところで立ち止まり、男を見下ろした。

 自分も泣かせたことはこの際棚上げするが、俺はフィーネを泣かされたことで頭に血がのぼっている。

 ここはギルド内だからあまり派手なこともできないが、だからと言ってなあなあで終わらせるつもりはなかった。


「お前こそ、人の受付嬢を悪し様に言うのはやめてくれないか?」

「はっ、事実を言って何が悪い!つーか、てめえもイイ思いしてる一人だろうが!それとも他のやつにはおいしい思いはさせられないってか!?」


 今度は俺の方に視線が集中する。

 好奇心、蔑み、嫉妬、羨望。

 いろいろな感情が混じっているが、断じて心地良いものではない。

 これをフィーネが浴びせていたのかと思うと、胸のあたりに黒い感情が湧きあがってくる。


「遺憾ながら、いい思いなんて何もしてないぞ?今日なんて金貨一枚分のプレゼントを贈ったってのに、イイ思いどころか下着すら見せやしない。まあ、贈り物で股開く女だとは思ってないから、別にいいんだけどな」

「き、金貨だあ……?」


 受付嬢への贈り物に金貨というのは、この男には理解できなかったのだろう。

 つかの間、呆けて言葉を忘れたこのタイミングを逃す手はない。

 俺は話をそらすため、男に向けた罵詈雑言をここぞとばかりに叩き込んだ。


「しかし、それにしても情けない男だな。稼ぐからヤらせろとか、そういうセリフは娼館で言えよ」

「なっ!?」

「なんて言うか、お前からは全然魅力が感じられないんだよな。もう、冴えない男のオーラが滲み出てるっていうか。お前が強引に言い寄ったって、靡く女はいないんじゃないか?」

「この――――」

「ウチの相棒は酒場で笑顔を振りまくだけで次々に女を釣り上げるから、今度コツでも聞かせてもらうといい。そうすれば、お前みたいなのでも少しはマシになるかもしれない…………まあ、多分無理だけどな」

「粋がってんじゃねえぞ!クソガキがあ!!」


 次々に繰り出される人格否定にあっさりキレた男は、腰に着けていたナイフを抜いた。

 しかし、今にも飛び掛かってきそうな雰囲気と異なり、その場から動く様子はない。

 不思議に思っていると、ギルド内にいた男の仲間らしき2人が戦闘準備を整えて俺の背後に回ってきた。


「そんだけ吠えておきながら仲間頼りとか、ホントないわー。そんなんだからモテないんだぞ?」

「ぶっ殺してやる!!!」


 痛いところを突かれた男が俺に飛び掛かろうと動き出し――――


「うぎゃっ!?」


 一歩目で躓いてギルドの床に転がった。


 後ろの二人はあっけにとられたのか動く様子はない。

 一方、俺は視界に映っていた一人の少年の様子からこの結果を予想していたので、動揺は全くなかった。


「やあ、アレン。こんな時間に珍しいね?」


 背後からさりげなく近寄って、訓練用の木剣で足を引っかける。

 そんな器用なことをさらりとやってのけた相棒は、周りの状況など気にもせず、いつもの調子で声をかけてきた。


「ちょっと野暮用でな」

「変なことを言うね。まあいいや、久しぶりに一杯どうだい?」

「そりゃいいな、積もる話もあることだし……。ああ、こいつら片付けるから、少しだけ待っててくれ」


 俺は背負った剣をベルトごと外し、鞘からシャラリと抜き放つ。

 刃渡り1メートル近い、淡い青を帯びた両刃の長剣。

 愛剣『スレイヤ』は、今日も薄っすらと光を――――


(お……?)


 心なしか、いつもより光が強い気がする。

 じっくり観察する時間はないが、あとで手入れするときに見てみよう。


 それはさておき、俺は剣を肩に担いで男を見下ろす。

 俺が剣を振り下ろせば男の命が絶たれるという状況で、しかし男はこちらを見ていなかった。

 男の視線の先にあるのは他でもないクリスだ。


「ク、クリスさん……?俺たちはただ、調子に乗ってる奴に少し世の中の厳しさを教えてやろうと……」


 俺と話すときとはうってかわって丁寧に言葉を選ぶ男は、どうやらクリスと面識があるらしい。

 しかし、脚を引っかけて自身を転ばせた張本人に対して、なぜここまで低姿勢になっているのか理解に苦しむ。


「いやいや、僕はキミたちのためを思ってやってるんだよ?それに、うちのリーダーがギルド内で人を殺すところを、黙って見ているわけにもいかないしね」

「えっ、リーダー!!?こい――――この方が、クリスさんのパーティのリーダーでいらっしゃるんで?」


 男は俺とクリスの顔を交互に見比べて驚愕している。

 俺としては、だったらどうしたと言いたい気分だが、こいつが何に驚いているかわからないため、不用意な言葉を口にすることは躊躇われた。


 すると、後ろから男の仲間たちの話し声が漏れ聞こえてくる。


「おい、どうするんだよ…………クリスさんとこのリーダーって、投石で数十メートル先にいる人間の頭かち割るって話だろ?」


 そんなバカなと思ったが、そういえば盗賊に向かって投げた石がラッキーヒットしたことがあった。


「それに、嘲笑いながら全財産差し出すか死ぬか選ばせてやるって……」


 それも盗賊相手の話だが、そこだけ抜き出すと非道に聞こえる。


「去年黒い鬼みたいな妖魔がでたときも、剣で両断したって言ってなかったか……?」


 それはクリスと共闘した結果であって、俺一人の戦果ではない。


「クリスさんですら手も足もでなかったやばい妖魔と互角に渡り合うって話も……」


 それは完全に誤解だ。


 噂に尾ひれを付けたであろう相棒を見やる。


「人を非道な化け物みたいに言ってくれたようだな?」

「なんだい?ウソは言ってないだろう?」


 完全なウソはなくとも、誤解を招くような言い方をしたのだろうに。

 しかし、いつぞやの盗賊相手のときと同じだ。

 意図してかどうかは知らないが、せっかくの援護を活かさない手はない。


「俺はクリスの言うような極悪非道な男じゃあないつもりだ。だが、フィーネを泣かせたお前を許してやる理由も、特には思いつかないなあ……」


 嗜虐的な笑みを浮かべ、男を見下ろす。

 先ほどの気勢は見る影もなく、男は滝のような汗をかきながら救いを探していた。


「ぶっ殺してやる、だったか……。ああ、安心していいぞ?俺はお前と違って、ギルドの中で人を殺したりしない」

「………………」


 どこにも安心できる要素がない俺の言葉に、今にも泣き出しそうな男。

 留飲を下げるためにもう少し追い詰められる様子を見せてほしいところだったが、仲間たちの言葉で勝手に限界ギリギリまで追い詰められてしまったため、これ以上追い詰めると自棄になって予想外の行動に出てくるかもしれない。

 この辺りが良い案配と思った俺は、男の傍に寄って視線を合わせるように腰を落とすと、あらかじめ考えておいた言葉を小声で呟いた。

 地獄に一本の蜘蛛糸を垂らすように、男に救いを差し伸べる。


 俺の言葉を聞いた男の目に、力が戻った。

 その視線はぎょろぎょろと生贄を探してギルドの中を駆け巡り、それは間もなくある一点で停止する。


 男はその場所を指さすと、あらん限りの大声で叫び出した。


「あいつだ!!!あいつが悪いんだ!!!あいつがアレンさんの担当の女を貶めたいから協力してほしいって!!」


 男が指さす先には、この男と一緒に俺とフィーネを出迎えた、例の少女がいた。

 争いに巻き込まれないように壁際に下がっていた少女は、突然降りかかった火の粉に驚き、動揺している。


「な、ちが……!わ、私はそんなこと――――」

「協力したらやらせてくれるってあいつが言ったから!!全部あいつに言われてやったんだ!!俺は悪くない!!」

「――――ッ!」


 少女の言葉に被せるように、男は言葉を続ける。

 男の鬼気迫る形相は少女を恐怖させ、少女は震えて声が出せなくなっている。


「そうだ!あいつが俺たちを騙したんだ!!最近調子に乗ってる女がいるからへこませてやってほしいって!!そいつは受付嬢の権限を悪用して成果もない冒険者をC級に押し上げた悪い奴だからって!!」

「クリスさんたちに逆らう気なんてなかったんだ!!本当だ!!もう二度としないから、許してくれ!!」


 男の様子から、ここが勝負所と察したのだろう。

 仲間の2人も嘘か真か『あの女が悪い!』の大合唱を始めた。


 いつの間にか、とばっちりを恐れた冒険者たちは少女の近くにいることを避け、結果として少女の周囲にぽっかりと空間ができ、全方位から視線が集中している。

 少女は目に涙を溜めながら何事かを呟いているが、その声はかき消され、誰の耳にも届かない。


「そうかそうか、お前たちはあいつに唆されたのか」

「ああ、そうだ……です!!あいつに誘惑されてとんでもないことをしてしまいました!!二度とフィーネさんには近づきませんので、どうか、どうか穏便にお願いします!!」


 どれだけ必死なのか、頭を床に打ち付けるように土下座する男に続き、2人の仲間も同様に許しを乞う。

 ここまで卑屈になられるとむしろやりにくいのだが、あとはあの少女を悪者にして軟着陸させるだけだ。


「まあ、それなら仕方ない。次はないが今回は許してやる。今後は、悪い女には気を付けるんだな」

「――――ッ!」


 これで少女は、『同僚を蹴落とすために男を誘惑してけしかけた悪女』の汚名を着ることになる。

 場合によってはギルドを辞めさせられることになるかもしれないが、この男たちをけしかけたことは事実のようだから、甘んじて罰を受けてもらうことにしよう。


 人を呪わば穴二つとはよく言ったものだ。


「さて、これで一件落着だな」


 フィーネの疑いが晴れたことで俺の目的は十分に果たされた。

 名も知らぬ受付嬢が不名誉な評判を背負うことになったが、それは俺の知ったことではない。


 しかし、そうは問屋が卸さないとばかりに、俺を呼び止める者がいた。


「騒ぎを起こしたのはお前か」

「ッ!?ギルドマスター!?」


 俺の目の前で這いつくばる男が、唐突に面倒事の襲来を告げた。

 俺はきっと苦虫を噛み潰したような顔をしているだろう。

 あとは俺が退場すれば丸く収まるはずだったのに、どうしてあとそれだけの時間待てないのか。


(いや、このおっさんなら……。出るタイミングを計ってたか)


 いずれにせよ、本当に余計なことをしてくれた。


「よう、おっさん。いつぞやの会議以来だな」

「おっ……!?」


 ギルドマスターの登場に驚いた土下座男が、ギルドマスターをおっさん呼ばわりした俺を驚愕の表情で見上げる。

 もちろん俺とてギルドマスターを無意味に挑発することは本意ではなかった。

 しかし、周囲の目がある今、そしてここまでの流れを考えると、俺がここで弱さを見せるわけにはいかない。

 今日この場が収まったのは、狂暴なC級冒険者アレンというキャラクターがあってこそなのだ。

 ここはフィーネの心の安寧のために、もうひと肌脱がねばなるまい。


「そうだな、元気そうで何よりだ。もっとも、お前さんの答えによっては、この後も元気でいられるかはわからんが」


 一体何をしようというのか。

 内心で警戒感を強めながらも、努めて表情には出さない。


「騒ぎの原因の一端は、ギルド側にもあるんだが……。そこの性悪女が起こした不祥事がなければ、俺だってこんなことはしない。ああ、あんたの部下の去就に興味はない。処分するもしないも、好きにすればいい」


 びくっと悪女が震える。

 自分のやったことが、ギルドマスターにまで知られてしまった。

 もう生きた心地がしないだろう。


「部下の処分は後で決める。だが、その不祥事とやらの原因の一端は、お前の行動にあることを忘れないでもらおうか」

「あー……。さて、なんのことやら……」


 思わず目が泳ぐ。

 ここでそれを掘り返すとは、このおっさんは本当に容赦がない。


「ギルド内でここまで大騒ぎしておきながら、図々しい態度でいられることは褒めてやる。だが、このギルドで馬鹿をやった連中がどうなるか、教えてやる必要があるようだ」


 ああ、なるほど。

 このおっさんが出てきたのはそういうことか。


「知ってるぞ。あんたが直々にお仕置きしてるんだろ?」

「ほう…………?」


 ギルマスの纏う空気が変わる。

 組織の長ではなく、一人の冒険者が獲物を見つけたときに浮かべるような獰猛な笑み。


「ちょうどいい。俺がどれくらい強くなったのか、試したいと思っていたところだ」


 一度は納めようとした剣を、ギルマスに突きつける。


「しかし、ただお仕置きされるのも癪だな。せっかくだから何か勝利報酬がほしいところだ」

「かまわんぞ。金貨でも、昇級試験の免除でも叶えてやる。好きなように言ってみろ」

「負けるわけがないってか?言ってくれるぜ」


 本当に癪に障るおっさんだと思いながらも冷静に戦力を分析すれば、俺がギルドマスターに勝つのはやはり難しい。

 知能が低い魔獣や妖魔にはめっぽう強い<結界魔法>は、対処法が確立されているため対人戦で切り札にはなり得ない。

 職業柄スキルの知識は豊富であろうこのギルドマスターが<結界魔法>の対処法を知らないとも思えず、仮に知らなかったとしても、それだけでは埋められないほどの戦力差が俺とギルドマスターの間には存在している。


(まあ、<結界魔法>は使わないし、どうせ茶番なんだけどな……)


 ギルドマスターが提示した落としどころ。

 俺にもお仕置きされるだけの理由があり、ギルドだけが悪いのではないのだとこの場にいる冒険者たちに示す代わりに、フィーネに向けられた悪意については落とし前をつける――――そんなところだろうか。

 ギルドの面子を考えれば、今日の出来事がギルド職員の不祥事だけで終わるのは、あまりにも外聞が悪い。

 俺は正直なところ巻き添えを食った形だが、ギルドへの貸しと思えば悪い話でもない。

 ギルドマスターの言うとおり、あのクソ女がフィーネに付け入るスキをつくった原因は俺だという負い目もある。


 それに腹黒いといっても、ギルドマスターは大きなリスクに対して相応のリターンを提示するフェアな精神を、一応は持ち合わせている。

 だから、この男に評価されることは決して無駄ではない。


(あ、そうだ……。せっかくだからついでに……)


 俺は名案を思い付いた。

 俺が提示する勝利報酬のことだ。


「金貨は足りてる。昇級試験は実力で通る。俺があんたに勝ったら、フィーネの部屋の鍵でも頂戴しようか」


 軽薄に笑って要求を述べる俺に、周囲から軽蔑の視線が殺到する。

 言うに事欠いて、と非難する彼らの心が聞こえてくるようだ。


 しかし、冷静になった彼らはこの要求が意味するところに気づくだろう。

 この提案は、俺がフィーネとすでにそういう関係になっているなら意味のない要求だということ。

 だからこそ、フィーネに掛けられた嫌疑は冤罪だということ。

 俺の要求が間接的に、フィーネにかけられた冤罪を晴らす証拠になるわけだ。


(俺への非難に関しては……、まあ、今更だな)


 冒険者の男が軽薄なのも女好きなのもよくある事だし、そんな評判がダメージになるほど、冒険者というのは清くも正しくもない。

 冒険者に必要なのは依頼を遂行するための実力。

 ただそれだけだ。


「ふん……。そのくだらん情熱は、依頼の達成に向けてもらう。冷たい石の上に這いつくばる覚悟ができたら、裏に来い」


 そう言ってギルドの裏へ向かうギルマスの後を、ゆっくりと追う。

 ついてこようとする野次馬にひと睨みくれてやると、クリスがニヤニヤ笑いを浮かべて小さく手を振っているのが目に入った。

 飲みに行こうという話だったのに待たせてしまうことになるが、時刻はまだ夕方だ。

 この茶番が終わる頃には、きっと丁度良い時間になっているだろう。




 ギルドの裏へ抜けると、懐かしい景色が広がった。


「早かったな。準備ができたら開始位置に着け。俺は訓練用の剣を使うが、お前は自分の得物を使っていい」

「舐めたことを……。剣がへし折れても交換する時間はやらないからな」


 ギルド裏の訓練場。

 この冷たい石の台座に這いつくばったのは一度や二度ではない。


 嵩張る鞘を訓練場の隅に立てかけて台座に上がる俺を、ギルドマスターは自然体で待ち構える。

 どこかの飲んだくれのせいで不意打ちを警戒してしまうが、ギルドマスターが不意打ちを仕掛けてくることはなかった。

 当然といえば当然だ。


(あの飲んだくれは、今頃どこで何やってるのかな……)


 この都市に来てから、デニスには会っていない。

 昼に酒場を訪ねても見かけないから、もうこの都市を出たのかもしれない。


 開始位置に立ち、<強化魔法>の効果を引き上げてから、俺は剣を正眼に構えた。


「好きなタイミングで掛かってこい。伸びた鼻っ柱をへし折ってやる」

「先手、ありがたく頂戴しよう」


 勝てはしないだろうが、一方的に弄られては面白くない。

 初手は速攻――――と見せかけて停止してからの再突撃でタイミングをずらしてみるか。

 好きなタイミングでと言ったのだから文句は言うまい。


 いつのまにか、俺は笑っていた。

 きっと俺は今、先ほどのギルドマスターと同じような表情をしているだろう。

 勝てない強敵を相手に力を試すことは、いつだって心が躍るものなのだから。


 それから気を失うまでの数分間、俺は無心に剣を振り続けた。


 負けはしたがギルドマスターの剣をへし折ってやったので、及第点ということにしておいてもらおう。





 ◇ ◇ ◇





「あんたさあ…………。はあ、やっぱりいいわ」

「なんだよ、気になるじゃないか」


 目覚めた場所は、ギルド内の休憩室だった。

 部屋にはベッドが3つ並ぶが、現在の使用者は俺一人のみ。

 窓から差し込む赤い光から察するに、そこまで長い時間気絶していたわけではないようだ。


「別にー……。人の気も知らないで、勝手なことばかりする冒険者に付ける薬がどこかにないかなと思って」


 フィーネはぶすっとして不機嫌な様子。

 しかし、これはきっと照れ隠しだ。

 きっと泣き顔を見られたことが気まずいとでも思っているのだろう。


「今回のことは流石に悪かった。そうと思ってるから、自分でケリを付けたんだ」

「………………そう思うなら、最初からやらないでよね」


 呆れとか、悲しさとか、照れとか、嬉しさとか。

 そう言うものがない交ぜになったような表情のフィーネは、ぷいっと顔を背けると、近くにあった水差しからコップに水を注いで俺に手渡してくれる。


「ありがとう」


 上半身を起こして枕を背もたれの代わりにしてから、受け取ったコップに口をつける。


 そのとき、フィーネがぼそっと呟いた。


「フィーネの部屋の鍵でも頂戴しよう」

「ブフォッ!ゴホッ、ゲホ……!」


 少なくない量の水が、俺の口から放たれた。


「ちょっと、何してるのよ……」


 それはこっちのセリフだ。

 今のタイミング、絶対狙ってやっただろう。

 恨みがましい視線を向けても、フィーネは悪びれる様子もない。


「悪かったって言った傍から、ずいぶんと馬鹿なことを口走るのね、あんたの口は」

「………………」


 形勢不利。

 要求の理由をフィーネに説明するのは避けたいが、しかし、フィーネにその手のお説教をされるのは流石に嫌だ。

 苦肉の策として、ここは敢えて開き直ることにする。


「まあ、落ち着けよ」

「落ち着けないのは誰のせいよ……」

「女の部屋の鍵なんて、年頃の男なら欲しがって当然だろ?いちいち怒るなよ」

「………………」


 フィーネから、ゴミを見るような冷たい視線が――――飛んでこない。


 頬を染めて視線を逸らす彼女だったが、今の会話のどこにそんな反応をする部分があったのか。


「そ、そんなに欲しい?」

「え?」

「あんたが原因だし、私は悪くないけど……!まあ、今回は大変な目に合ったみたいだし?部屋の鍵は流石にダメだけど、その……少しだけなら……」


 いかにも期待が高まる雰囲気を醸し出すフィーネ。

 しかし、俺だってしっかり学習しているのだ。


「おいおい、同じ手に二度も引っかかる間抜けだと思われてるなら心外だぞ」


 その手はついさっき引っかかったばかり。

 間を置かずに連発されては、流石に引っかかりようもない。


「少しだけ…………少しだけだから…………」

「おい、フィーネ?」


 うわ言のように同じ言葉を呟きながら、フィーネは休憩室のカーテンを閉めると、俺が使うベッドに腰掛けて徐に靴を脱ぎ始める。

 何をするのかと思って様子を見ていると、フィーネはそのままベッドの上でゆっくりと立ち上がった。

 ギシッ、とベッドが歪む音が妙に大きく聞こえる。

 フィーネは俺の腰を挟むように、肩幅に足を開いてこちらを向いた。


 フィーネの顔を見上げると、彼女の視線はこちらを向いていない。


 彼女の視線の先には、自身の両手――――膝下まである長いスカートの裾を摘まみ、ゆっくりと持ち上げている彼女自身の手があった。


 静かな休憩室で、彼女の吐息だけが聞こえる。


 熱に浮かされたような表情は、とても演技には見えない。


(いや、そうはいっても、さっきも演技には見えなかったし……)


 そんなことを思う間にも、少しずつフィーネの健康的な脚が晒されていく。


「………………」


 いつしか俺の頭は思考を放棄し、視線はフィーネのスカートに釘付けになっていた。


 そして――――




――――ガチャリ、キー…………




 俺は、休憩室の入り口を見た。


 フィーネも、休憩室の入り口を見た。




 メガネが、休憩室の入り口からこちらを見ていた。




 俺たちの姿勢は、フィーネがスカートをたくし上げて俺に下着を見せているように見える――――というか、まさにそのとおりの状況だった。


「すまない。邪魔したね」


 メガネをクイッと直して扉を閉めたメガネことサブマスターは、一言詫びて扉を閉め、外から鍵をかけた。


 コツ、コツ、と彼の足音が遠ざかっていき、部屋には静寂が訪れる。


「………………」

「……手が下がってるぞ。もう少しだからがんばってくれ」


 フィーネが殴りかかってきた。

 顔を真っ赤にして一心不乱に俺を殴ろうとするフィーネの両腕を掴んで押しとどめるが、我に返ったフィーネが顔を真っ赤にして逃げ出すまで、俺と彼女の力比べは続いた。


「理不尽だ……」


 ぼそりと呟いた言葉は、誰もいない休憩室に染み込んで消えていった。



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