第110話 新たな日常8




「遅かったね、フィーネ」

「………………」


 冒険者ギルドに入ると、フィーネを待ち構えていた一人の少女から声が掛かった。

 いつもフィーネが着ているものと同じ緑地の制服を着ており、窓口で見かけたこともある。

 彼女もフィーネと同じ受付嬢。

 ゆるふわ愛され系を演じている少女、というのがこの受付嬢に対する俺の評価だった。

 俺はあまり好きではないが、こういう子が好きな男も一定数いるだろうというのが失礼ながら率直な感想。

 彼女の声はどこかとげとげしく、フィーネへの敵対心を隠そうともしない。

 対するフィーネも、どこか不愉快そうな雰囲気を醸し出している。


「じゃあね、アレン。この時間からどこに行くのか知らないけど、すぐ着替えてくるから少し時間つぶしててちょうだい」


 そう言い残すと、フィーネは受付嬢らしき少女に声も掛けずに裏口へと消えて行った。

 無視された少女の眉間に少しだけしわが寄る。

 早めに引き上げてきた冒険者がちらほらとギルドに戻ってくる時間帯であるため、人目を気にして怒鳴ることはなんとか我慢した、といった表情だ。

 受付嬢は人気商売のようなところがあるから自分の評判を気にする子が多い、とはフィーネの言葉。

 いつもにこにこ明るい笑顔を振りまく受付嬢たちの舞台裏である控室がどうなっているのか。

 両論あるだろうが、俺は見たいとは思わない。


「アレンさん、ですよね?」

「……ああ、そうだ」


 立ち去るわけにもいかずにその場で立ち尽くしていると、案の定、相手から声がかかった。

 相手とは、もちろんフィーネに無視された受付嬢だ。

 今朝方、俺とフィーネがギルド正面で今日の予定を話し合っているときに、建物の中からこちらを窺っていた少女。

 何かやらかしそうな雰囲気だったから気になっていたが、早々に仕掛けるようだ。


(さて、嫌味くらいで終わればいいけどな)


 少女と、その後ろで俺を睨んでいる冒険者の男を見ながらため息をつく。

 俺がいなかったら、その冒険者を使ってフィーネに脅しでもかけるつもりだったのか。

 流石にそこまでやってしまえばギルドにも気づかれるだろうに、本当に物騒なことだ。


「人の顔を見ながらため息なんて、ひどいです」

「悪かったな。だが、俺が溜息をつきたくなる理由に心当たりがあるだろう?」

「心当たりですか?うーん、私には思いつかないですね」

「そうか、ならいいんだ」


 飄々と答える俺に少女は内心苛立っているはずだが、しかし、それでもこの場を立ち去るつもりはないようだ。

 フィーネが仕事場に戻った以上、この少女も後ろの冒険者も荒っぽい行動はやりにくいはずなのだが。

 とはいえ、このまま黙っていても仕方がない。

 俺は暇つぶしがてら、情報収集に努めることにした。


「ところで、フィーネと仲が悪いのか?ずいぶんと険悪な様子だったが」


 ストレートすぎるかもしれないが、反応を見るにはちょうどいい話題だ。

 嫌な顔をされるかと思っていたが、意外にも少女は嬉しそうに話に乗ってきた。


「特に私と彼女の仲が悪いということはありませんけど、女性ばかりの職場ですから、合わない人もなかにはいます」

「それはそうだろうな」

「ええ。ただ、彼女のように複数の冒険者さんに媚を売っていい思いをしている子は、同僚から嫌われることが多いかもしれません」

「なるほどな……」


 この少女の狙いは、フィーネは尻軽だという印象を与えて俺の心がフィーネから離れるように仕向けることか。

 たしかに、受付嬢をアイドル扱いしてアプローチをかけている冒険者にとっては聞きたくない類の話だろう。

 実際に、この話をたまたま耳に入れた周囲の冒険者の多くは微妙な顔をしている。


 しかし、俺に限ってはそうではない。

 今日初めて会った相手の言葉で評価が変わるほど俺とフィーネの関係は浅くないし、そもそもあいつは何人もの男に媚を売れるような器用な女じゃない。


 俺から望んだ反応を得られなかった少女は、さらに畳みかけるように言葉を続けた。


「受付の仕事って実はあまりお給金が良くないんですけど、実は担当の冒険者さんが大きな依頼を成功させると追加報酬があるんです。だから、見込みのある冒険者さんは同僚と取り合いになることもあって……。彼女、すごかったんですよ?あなたの担当を誰にするかって話になったときに全然譲ろうとしなくて……ちょっと引いちゃいました」

「あいつ、貧乏そうだしな」

「そういう風にみせた方が、冒険者さんから贈り物を貰いやすいですから。彼女、多分私たちの中でもトップ3に入るくらい貰ってるはずですよ」


 困った人です、と同僚を気遣う風にみせた少女だが、口の端が少し上がっているのを隠しきれていない。

 俺にフィーネの悪評を吹き込むことに成功して、さぞやご満悦だろう。

 俺の冷たい視線も、フィーネに向けられたものだと勘違いしている様子だ。


(なるほど、営業成績の上位争いにでも巻き込まれたってところか)


 推測になるが、フィーネの担当には今まで稼ぐ冒険者がおらず、そういったこととは無縁だったのだろう。

 そんな中、彼女が俺の担当になったことにより一時的に大きな成果を稼ぎ出した彼女は、一躍上位争いに食い込むことになる。

 元々上位にいた受付嬢がライバルを蹴落とすために――――と考えれば、この少女の動機もわかる気がする。

 理解はできないし、したくもないが。


「情報ありがとう。悪い女には気を付けることにするよ」

「お役に立てたならよかったです」


 にこりと微笑む少女は大変かわいらしく、ころりとやられる冒険者が続出するのも納得だ。


(この仕草が演技だと気づかなければ、な……)


 ふと、受付に目をやると、ちょうどフィーネが窓口にでてきたところだった。

 この少女との会話も一段落したところ、窓口に足を運ぶのもちょうどよいタイミングではあるのだが――――


(よく考えたら、窓口に行く用事がないな……)


 フィーネがこの少女に何かされるのではないかと思い、適当な理由をつけてギルドまでついてきたものの、これと言って必要な手続に心当たりもなかった。

 フィーネも言っていたとおり、狩りに出るには遅すぎる時間であるし。


(仕方ない、ギルドに預けていた金でも引き出すか……)


 昨日、一昨日と出費が続いて財布の中身が心許なくなった。

 大銀貨が3枚ほど残っているから、今すぐ困ると言うこともなさそうだが、大金を持ち歩くことに慣れてしまったのかもしれない。


 ギルドの入り口のほうから、がやがやと冒険者たちの話し声が聞こえてくる。

 ラッシュ時間より少し早いが、仕事帰りの冒険者たちが続々とギルドに帰還し始めていた。

 これはさっさと受付に並んだほうがよさそうだ。


「それじゃ、俺は――――」

「そう言うなよ!俺は、あんたに担当してもらいたいんだ!」


 俺が少女に別れを告げようとした、そのときだった。

 ロビーの喧噪を上書きするほどの大声が、ギルド内に響き渡る。


「気持ちは嬉しいですが、担当をつける冒険者さんには判断基準がありますので。D級でも依頼を数多くこなせば担当が付くこともありますから、がんばってくださいね」


 営業スマイルで男に対応していたのは、フィーネだった。

 俺が迷っている間に、どうやら先を越されてしまったらしい。

 そして、こちらに背を向けて大声をあげている男――――


「ッ!」


 先ほどまで、この少女の後ろから何も言わずに俺を睨んでいた男だった。

 少女の方を振り向くと、当然そこに男の姿はない。


 フィーネの方を見ている少女の横顔にどろどろした感情が渦巻くのを見て、俺は対応を誤ったことを知った。


「そんな固いこと言うなよ!頑張って稼ぐからさあ!酒場で聞いたんだが、あんたが担当になるとヤらせてもらえるんだろ?ずるいじゃねえか、俺も相手してくれよ!」


 ギルド内はシンと静まり返り、大声で下卑たことを騒ぐ男に視線が集まった。

 そして、その視線が次に向かう先は、当然その話の対象になっていたフィーネのところだ。


「申し訳ありませんが、そのようなサービスはありません。あまり噂を鵜呑みにされては困ります」


 俺よりも何倍もひどいセクハラ発言にフィーネの表情は硬いが、こういう冒険者もいないわけではないのだろう。

 笑顔が崩れかけているが、なんとか男に対応できている。


 しかし――――


「ウソつかなくたっていいじゃないか!今日だって男の家に入っていくところを見てるんだぞ!ずいぶん長いこと入り浸ってたみたいだが、一体ナニしてたんだよ!」

「――――ッ!」


 男が続けた言葉で彼女は凍り付いた。

 俺の屋敷に滞在したという事実を部分的に言い当てられて動揺したのか、それとも弱っていた精神が限界に達したのか。

 これまでは淀みなく行われていた彼女の反論が、止まってしまった。

 人違いでも、誤解でも、理由なんて何でもいいから冷静に否定しなければならないのに、彼女の視線は周囲を彷徨い、体を震わせる。

 彼女のそんな反応で、あろうことか男の話を信じてフィーネに嫌な視線を向ける者も出始めた


「あ、ち、ちが……」


 彼女はそのことを遅まきながら感じ取り、何とか言葉を紡ごうとしていた。

 しかし、彼女に突き刺さる多くの疑念が、彼女から理不尽に抗うための気力を奪う。

 やがて彼女は諦めたように顔を伏せた。


 その瞳からは、ぽろぽろと涙がこぼれ――――


「あ…………?なっ!!?」


 そんな光景を黙って見ていられるわけもなく、俺は男の襟首を掴んで入口の方へ思い切り放り投げてしまった。



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