第109話 新たな日常7
「え……あんたの家?これが?」
場所が南東区域だと聞いてさらに不安が増したらしいフィーネを説得しつつ、俺たちは屋敷に到着した。
他の地区と比べると平屋が多い南東区域のなかでも一段と目立つ二階建ての大きな屋敷。
かつて屋敷の外壁を無規律に這いまわっていた正体不明の植物もいつの間にか撤去された一方、敷地全体を囲む高さ2メートルほどの柵には見栄えよく整えられた綺麗な蔦植物が生い茂り、通行人の視線を適度に遮っていた。
門から玄関までは石畳が敷かれ、向かって右手は整えられた芝生、左手には色とりどりの花が植えられた花壇、その奥には野菜の畑も見える。
景観を考えれば野菜の畑は裏庭の方がいいような気もするが、それだけの理由で畑を移設する必要も感じていない。
多分ずっとこのままだろう。
「驚いたか?」
「…………うん」
フィーネは、ぼーっと屋敷を眺めている。
今度こそ狙った反応を引き出すことができて、俺も満足だ。
「あ、悪いが少しだけ花壇でも見ながら待っててくれ」
「え?あ、うん」
俺は小走りで玄関まで駆けて行き、ガチャリと鍵を開けて屋敷の中に入る。
いつもどおり、数秒でパタパタと足音が聞こえ、フロルが笑顔で俺を迎えてくれた。
「ただいま、フロル」
俺がフィーネを屋敷に呼んだ理由。
一つは彼女との約束があったからだが、もうひとつはフロルにある。
「フロル、大事な話がある」
ぴたっと表情が固まるフロル。
そんなに緊張することはないのだが、これは俺の切り出し方が悪かったか。
「これから、この屋敷に初めての客を迎える。大切な客だから、俺にするのと同じように接してほしい。できるか?」
俺はフロルと視線を合わせてゆっくり言い聞かせると、フロルは神妙に頷いた。
(今まで、フロルにお客さんの対応というものをさせたことがなかったからな)
渡したお金を食料の購入や屋敷の維持に使っているようだから、すでに俺以外の人間とコミュニケーションをとることはできているはず。
しかし、屋敷の主人が家に迎えた客をもてなすというのは、家妖精としてフロルが成長するために不可欠な経験だと思うのだ。
「それじゃ、今から連れてくる。頼んだぞ!」
胸の前で両こぶしを握ってやる気をアピールするフロルを頼もしく思いながら、俺は玄関を開けてフィーネを迎えに行く。
「待たせたな」
フィーネは俺が声をかける前から俺が戻って来たことに気づいていた。
というより、俺が出てくるのを待って、ずっと玄関を見つめていたようだ。
「あ、おかえり、アレン。ねえ、私、屋敷に入っても大丈夫なのかな?」
「…………うん?」
一体フィーネは何を言っているのか。
フィーネから目を離してから数分と経っていないにもかかわらず、フィーネはさっきよりもずっと不安そうにしている。
もう俺にはフィーネの不安スイッチの在処がわからない。
「だってこんなお屋敷……あんた何人雇ってるの?私お土産も何もないんだけど……」
「ああ、何かと思えばそういうことか」
俺は庭を眺め、そして自分の屋敷を仰ぎ見る。
たしかに、玄関の扉を開けたら執事やらメイドやらが並んで「お帰りなさいませ!」とやってきてもおかしくないような屋敷だし、エントランスホールには実際にそれをやるだけの空間がある。
庭の芝や花壇も丁寧に世話がされているし、まさか家妖精が一人で切り盛りしているとは思うまい。
「気にするな。ほら、いくぞ」
「えっ、ちょ、ちょっとアレン?」
百聞は一見にしかず。
うちの屋敷の支配人に会えば、フィーネの不安も吹き飛ぶだろう。
「フロル、お客様だ。リビングにご案内してくれ」
「え、ちょっとアレン、え?」
無理やりフィーネを屋敷に引きずり込んだ俺は、彼女をフロルに任せて一度二階に上がっていく。
実のところ、二階に上がる必要は全くない。
フィーネとフロルを二人にして、フロルに経験を積ませるための行動だ。
二階の廊下からチラリと振り返ると、フロルはしっかりフィーネを案内できているようだ。
わずかな時間で荷物を載せるためのカートまで用意して、フィーネの服が入った紙袋を運んでいる。
(よしよし、ちゃんとできてるな……)
自室に戻った俺は一張羅を脱いで、そのまま洗濯籠に放り込む。
なぜ自室に洗濯籠があるのか。
そう問われれば、フロルが置いているからだと答えるしかない。
いつのまにか部屋の隅に設置してあったそれはどう見ても洗濯籠にしか見えず、試しに脱いだ服を入れて置いたら翌日には綺麗に畳んで収納棚に仕舞われていたから、やはりこれは洗濯籠なのだ。
これだけではない。
フロルの気配りは、俺の自室の各所に散りばめられていた。
例えばベッド横の小さなテーブル。
そこには、よく冷えた水差し、伏せたグラス、それと程よく湿ったおしぼりがセットで置かれており、俺が使うといつの間にか新しいものと交換される。
それだけでなく、水やおしぼりの温度も少しずつ調節されている。
冬場は温かかったおしぼりが春になって冷たいものに切り替わったときは、何も言わずにここまでやってくれるのかと驚いてフロルをべた褒めしたものだ。
朝出るときはぐちゃぐちゃだったベッドも、チェックインしたばかりのホテルのように整えられている。
シーツや枕カバーは毎日交換されているようで、今も髪の毛一つ落ちていない
(フロルは俺をどうする気なんだろうな……)
どこまで俺を甘やかせば気が済むのだろうか、などと甘やかされている俺が言うことではないのだが。
これは流石に家妖精としての標準をはるかに越えた仕事ぶりと評価できるはずだ。
フロルには魔力をたくさん与えているから、背は伸びない代わりに家妖精としての能力が大幅に成長しているのかもしれない。
(おっと、あんまりフィーネを待たせても悪いか。そろそろ戻らないと……)
俺は冒険者として活動するときの服一式を着込み、防具と剣を抱えて階下に戻った。
防具は休憩中に着けていても重いだけなので、それらはエントランスホールの隅、装備置き場においてからリビングの中を覗き込む。
(おや……?)
そこには、俺の予想と少しだけ違う光景が広がっていた。
フィーネの荷物はカートの上に乗せたまま壁際に寄せてある。
そこまで長い時間滞在するわけでもないから、これはいいだろう。
フィーネは俺がいる扉から一番近いソファーに座っている。
どこが上座かなんて話をする気もないから、これもいいだろう。
フィーネの前には、おしぼりとお茶の入ったティーカップ。
お菓子は俺が戻って来てから出すつもりか。まあ、これも問題ない。
フィーネとフロルが少し距離を置いて向かい合い、真剣に見つめ合っている。
フィーネはティーカップを持ったまま。
フロルはシルバートレイを両手で抱えて立ったまま。
張り詰めた空気の中、リビングだけ時間が止まってしまったかのように凍り付いている。
これは――――なんだろうか。
俺が入り口に立ってから、10秒経っても、20秒経っても、その様子は変わらない。
だんだん見ている俺の方も不安になってきた。
「お前ら、何やって――――ッ!?」
俺が声を上げた瞬間、二人ともはっとしたようにこちらを振り返る。
その動作があまりにも素早かったため、声をかけたこちらが驚いてしまったほどだ。
「…………アレン、この子は?」
そう問われて、ようやく俺は自分のミスに気づくことができた。
「ああ、悪い……どっちも紹介してなかったな」
大勢の執事やメイドが働く屋敷ならばいちいち彼らを紹介することもないだろうが、フロルはたった一人で屋敷を切り盛りする、いわば家族のようなものだ。
それを紹介しないのは、些か配慮を欠いていた。
「フィーネ、この子はフロル。うちの屋敷を一人で切り盛りする家妖精だ」
俺はフロルに歩み寄り、ぽんぽんと頭に手を乗せながら我が家の家妖精を紹介した。
「家……妖精?」
「そうだ。お前が庭で見た花も芝生も野菜も、全部フロルが育ててる。それだけじゃなく、食事も掃除も洗濯も、家事という家事は全部フロルがやってくれてる」
「………………」
フィーネは、ぽかんと口を半開きにして呆然としている。
気持ちはわかる。
こんな大きな屋敷をこんな小さな家妖精が回しているなんて、聞いただけでは信じられないだろう。
「フロル、こっちはフィーネ。俺の担当受付嬢だ」
フロルは俺を見上げてこてんと首をかしげる。
これは意味が伝わってないときの仕草だ。
「あー……なんていうのかな。俺の仕事でお世話になってる人で、俺の恩人だ。ついでに言うと、俺がこの屋敷を所有し続けるために協力してくれたという意味で、お前の恩人でもある」
フロルは目を丸くすると、フィーネに向き直ってぺこりとお辞儀をした。
「あ、どうも……」
フィーネも合わせるようにぺこりと頭を下げる。
顔を上げた二人はまたしても見つめ合い、二人の世界に入ってしまう。
幸い先ほどまでの緊張した空気はない。
打ち解けたとまでは言えないが、初対面の相手にプライベートで会えばこんなものかもしれない。
片方が言葉を話せない家妖精であればなおさらだ。
それからしばらくの間、俺とフィーネは雑談に興じていた。
フロルが次々に運んで来るおいしいお菓子の感想を言い合うだけでも話題は尽きなかったし、俺たちの新しいパーティ名について話し合ったりもした。
「今更だが、お前とこんな風にゆっくり話す機会は案外なかったな」
「んー、そうだったかな?」
「ああ、何かの用事でギルドに行ったついでに話し込むことはいくらでもあったけど、こうして何もせずに腰を落ち着けて話し込んだことはなかったと思う」
「あー、そういえばそうかもね」
同年代の少女と話せば多少なりとも気を遣うものだが、俺はフィーネとの会話を純粋に楽しむことができている。
それは、きっと幼い頃の関係に由来するものだ。
俺はフィーネが先輩に拳骨をもらって涙目になるところを何度も目にしているし、フィーネも俺が訓練でズタボロにされるところを幾度となく目にしている。
お互いにカッコ悪いところを見られ慣れているから意地を張る必要もないし、自分を殊更良く見せようなんてことも思わない。
この気安さは他の誰かとの会話では味わえない、貴重なものなのかもしれない。
もっとも、その気安さが今回のような不本意な結果を招くこともあるということは、心にとめておかなければならないが。
そんな考え事をしながら、ふとフィーネに視線をやったとき、俺は彼女の様子に違和感を覚えた。
「うん?どうした?」
「別に、なんでもないけど……」
なんでもない、ということはないだろう。
フィーネの視線は落ち着きなく周囲を彷徨っている。
先ほどまでのだらけた空気が薄まって、何かソワソワしているような印象を受けた。
(……ああ、なるほどな)
俺はソワソワの原因に思い至った。
それはフロルが次々と運んできてくれるお菓子、そしてお茶にあるのだろう。
俺たちは、一つ一つは小さいとはいえ結構な数のお菓子を摘まんでしまったし、それに比例してお茶のお代わりも頼んでいた。
いくら気安い関係とはいえ、フィーネも女だ。
始めて招待された家で『お手洗い』とは言い出しにくいはず。
ここは、俺が気を利かせるべき場面なのだろう。
「フロル、フィーネを洗面所に案内してくれ」
「気を遣ってくれたところ悪いけど、そうじゃないから!」
外れたらしい。
慣れないことをするものではないということか。
「なら、正解を教えてくれ。そんなソワソワしてなにもないってことないだろ?」
「…………ん。まあ、ね…………」
「もちろん、聞かない方がいいことなら無理には聞かない」
誰にだって、言いたくないことはある。
俺が言うと自己弁護にしか聞こえないかもしれないが、あの時フィーネがそうしてくれたように、そっとしておくくらいの気遣いは俺にだってできる。
「ううん。せっかくだから、聞いてもらおうかな……。違うかな、聞かせてもらうって言った方が正しいのかも」
「うん?俺に何か聞きたいってことか?」
フィーネは、ゆっくりと頷いた。
「何が聞きたい?俺に答えられることなら何でも――――とは言わないが、大体のことは答えてやるぞ?」
「うん…………」
フィーネが決心をつけるまで、冷たい紅茶に口をつけながらじっと待つ。
ほどなくして、彼女は俺をまっすぐに見つめ、その口を開いた。
「あんたさ、さっき言ってたじゃない」
「…………?」
「服屋の前で、私の荷物を持ってくれた時に、その……『良いモノ見せてもらったお礼』だって……」
「あー……。まあ、言ったな」
滑った冗談を掘り返されるのは、なかなか辛いものがある。
よりによってセクハラ含みの話だ。
しかし、フィーネはなんでそんなことをわざわざここで話題に出したのか。
答えは彼女の口から語られた。
「それは、本心……?」
「え?」
「だから、その……例えば、例えばの話ね!私がここで、またあの服を着てあげたら…………あんたは嬉しい?」
「はあ?お前、何を言って…………」
「………………」
頬を染めて顔を伏せるフィーネ。
膝の上で握りしめた手が震えていた。
彼女はこの手の冗談を言うタイプではなかったような気がするが、冗談にしてもずいぶんと引っ張るものだ。
(嬉しいか、嬉しくないか……)
当然、嬉しいに決まっている。
ファッションショーも見応えがあるものだったし、普段活発で強気な彼女が恥じらう姿は男心をくすぐるに十分な破壊力を持っている。
部屋の隅に置いてある紙袋に視線が吸い寄せられ、俺は今日の服屋で見た光景を頭の中に思い浮かべる。
二人きりのこの状況で、自分のためにそういう装いをしてくれるというなら――――
(あれ、まさか……)
ふと、あることに思い至り、俺は今日の流れを思い返す。
フィーネを泣かせてしまい、慰めた。
その後、一緒に食事をとり、服を贈り、自分の屋敷に連れてきた。
一見問題ないように思えるが、贈った服の中には魅惑的なネグリジェが含まれており、先ほども不安を口にするフィーネを屋敷に強引に連れ込んだと言えなくもない。
となれば――――
(まさか、襲う気満々だと思われてる、のか……?)
ぶわっと汗が噴き出てきた。
フィーネは高価な服を何着も贈られたことを気にしていたようだった。
それこそ、羞恥心を押し殺して俺にネグリジェ姿を披露するほどだ。
加えて、今日の彼女の精神状態は極めて不安定であり、そんなときに一緒にいる俺に対して少しばかり気を許していても不思議ではない。
そんな状態で、俺が彼女を襲う気で屋敷に連れ込んだと考えているなら、彼女はどう反応するだろうか。
もしや、この状況を気安くて心地よいと思っていたのは俺ばかりで、俺は彼女にとてつもない無理を強いていたのではないか。
(と、とにかく!この状況をなんとかしないと……)
酒場で引っ掛けた女――俺にそんな器用なことができるかという話はさておき――なら、このまま寝室に連れ込むのもやぶさかではない。
だが、フィーネ相手にそれはできない。
弱って、自棄になっているところにつけこむようなことをすれば、それはきっと俺たちの関係に取り返しのつかない亀裂を生むだろう。
心地良いぬるま湯のような彼女との関係。
一時の快楽に釣られて失うには、あまりに惜しい。
「フィーネ、あ、あれだ……俺は……」
頭の中で言葉をまとめる時間もない。
声が裏返ったことを気にする余裕もない。
何か話さなければと焦った俺の口は、水揚げされたばかりの新鮮な魚のようにパクパクと動くばかり。
何か気の利いたことを言わなければと必死になって考えた言葉は、結局唾と一緒に体の奥に消えていく。
「ぷっ、くくく……」
そのとき突然、フィーネから押し殺したような笑い声が漏れた。
「………………」
「なあに、アレン。そんな顔してどうしたの?もしかして、何か期待しちゃった?」
にまにまと笑うフィーネ。
先ほどまでの、勇気を振り絞った乙女のような雰囲気は残っていない。
これは、まさか――――
「騙しやがったな……」
「やあね、服を買ってくれたことは感謝してるけど、それくらいで体を許すなんてことあるわけないでしょう?やっぱりまだまだお子様ね、アレン?」
「てめえ、本当に襲ってやろうか……」
「いやー、こわーい!」
フィーネは胸を隠すように両手を交差させ、楽しそうに俺を煽る。
拳を振るわせて悔しさに耐える俺を眺める彼女は、まさにご満悦といった表情。
彼女はこの手の話が苦手だと思っていたからすっかり油断してしまった――――と言っても言い訳にしかならないが。
なんだか負けてはいけないところで負けてしまった気がして、非常にもやもやする。
「あ、そろそろいい時間ね。このままここにいると襲われちゃいそうだし、仕事に戻ろうかな」
「…………もうそんな時間か」
戯言はスルーして時計を見上げると、たしかに夕方と言っていい時間帯に差し掛かっている。
冒険者ギルドで何かあるなら、そろそろ準備が整った頃だろう。
「どれ、じゃあ俺も行くとするか」
「アレンもどこか行くの?」
「ギルド」
「もう夕方よ?今から行ってどうするの」
フィーネは買った服の入った紙袋を抱え、俺に少し遅れてエントランスホールに顔を出す。
俺は手早く防具を身に着けて剣を背負い、いつの間にか姿が見えなくなっていたフロルに聞こえるように大声で外出を告げ、屋敷を出た。
「まあ、行けばわかる……かもしれない」
「なにそれ」
訝るフィーネの気持ちはよくわかる。
俺だって確信があるわけではないし、正直外れた方がいいと思っている。
ただ、こういう悪い予感というものは大抵当たると相場が決まっているのだ。
今回も例に漏れず、そういうことらしい。
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