第107話 新たな日常5




 ギルドの正面。

 早朝から仕事を始める冒険者たちはすでに各々の仕事場へと向かった後だろう。

 今の時間帯に冒険者ギルドに留まっているのは近場で狩りをする比較的ランクの低い冒険者たちで、彼らは今日の獲物をどの魔獣にするか、どの依頼が効率的に稼げるかといったことを仲間と話し合っている。

 そんな冒険者たちの声を聞き、南通りを行き交う人々を眺めながら、俺は所在なくフィーネを待っていた。


(あ、そういえば……)


 ふと、普段使いしている安物バッグから花柄の紙袋を取り出す。

 それはフィーネへの詫びにと思って持ってきた、俺のお気に入りの高級石鹸だった。

 渡し損ねていたそれを、少し迷ってからバッグに仕舞いなおす。

 すでに状況は大きく変わってしまった。

 今日屋敷を出る段階で俺が思い描いていたのは、怒り心頭で罵声を浴びせるフィーネにこの袋を渡し、昨日約束していた食事に誘って機嫌を直してもらうと言うものだったが――――甘かったと言わざるを得ない。


(かわいい女の子にいじわるとか。俺は小学生か……)


 省みれば、自分の行動の幼さに呆れてしまう。

 恩を仇で返したと言われても反論は不可能だ。


(思えばフィーネには世話になりっぱなしだ)


 昨日のこと。

 この都市に戻って来たときのこと。

 そして、この都市を出る前だってそうだ。


 初めて会ったときから、フィーネはずいぶんと俺を気にかけてくれていた。


 そんな彼女に、俺は何を返すことができただろうか。

 銀貨数枚のネックレスと石鹸1つで釣り合わないということは、恩知らずの俺にも理解できる。


(よし……)


 バッグから取り出した丈夫な皮袋の紐を緩めて軍資金を確認すると、中には金貨が1枚と大銀貨が数枚に銀貨がたくさん。

 前世では紙幣用の財布と小銭用の財布で使い分けていたから、小銭入れだけ持ち歩いているような気分になってしまいがちだが、この小銭入れだけで数か月は暮らせるような額が入っている。


 恩を金だけで返せるとは思わない。

 しかし、金を使わずに言葉や行動だけで彼女を励ますような手段を思いつかない以上、今はこいつに頼るしかなさそうだ。


「待たせたわね」

「安心しろ。今来たとこだ」


 背後から掛けられた声に振り向きながら、財布をバッグに放り込む。


「それが本当だとしたら、今までどこほっつき歩いてたのか聞きたくなるわ」

「たしかに、それもそうだな」

「ホントにあんたは……」


 どこかでやったようなやり取りでフィーネを迎えた俺は、彼女の様子をさりげなく観察する。

 彼女の服は見慣れた制服ではない。

 フード付きのパーカーのような上着。色はこげ茶。

 下もスカートではなくデニム生地と思われるパンツをはいており、よく言えばユニセックス、悪く言えば――――


「……なによ?」

「いや、なんというか意外だな、と」


 そういえば、フィーネが普段着でいるところを見たことがなかった。

 彼女の普段の言動から、てっきりオシャレなシャツと短いスカートみたいな流行りを意識した装いをしているものかと勝手に思っていたのだが。


「こんな恰好で悪かったわね……。私の給料じゃ、オシャレするのも一苦労なのよ」

「もしかして、親がいないのか?」

「何年か前に、ね。でも、別に珍しくもないでしょう?そういうあんただって孤児なわけだし」

「それもそうか」


 孤児の俺だから気軽に振れる、人によっては地雷になりかねない話題。

 しかし、フィーネがそれを気にする様子はない。

 ここにいるのはいつもの彼女で、今のフィーネだけをみていれば先ほどの様子など想像もつかない。


(これも、フィーネお得意の内心と言動が一致しないやつなんだろうな)


 もう少し弱っているところを見せてもいいのに、なんて弱った原因を作った俺が言えたことではない。


「それで?先輩からは、あんたが私を元気づけるために素敵な時間を用意してくれるって聞いてきたんだけど?」

「いきなりハードルあげてくるなあ……」

「なあに?自信ないの?」


 悪戯っぽい笑みで俺を煽る彼女は少しだけ楽しそうだ。

 この笑顔が強がりか本心かなんて俺にはわからないが、俺がやることはかわりない。


 素敵な時間とやら、精一杯用意してみせようじゃないか。


「本日は、私がエスコートを務めさせていただきます。お手をどうぞ、フィーネお嬢様」


 お嬢様に傅く執事のように、俺はフィーネに手を差し出した。

 冒険者ギルドの中からこちらを窺うような視線を、今だけは気にしない。


 こんな反応が返ってくるとは予想していなかったのだろう。

 フィーネは一瞬きょとんとしてからクスリと笑って、俺の手を取った。


「アレン、今日の私の予定はどうなっているのかしら?」


 俺の演技に乗ってきてくれたフィーネは、まるでお嬢様が執事にそうするように、これからの予定を尋ねてくる。


「はい、お嬢様。まずは西通りでブランチを。その後は、お嬢様に似合う素敵な服を探しに行くのはいかがでしょう?」


 食事、ショッピング、映画、遊園地――――このあたりがデートの定番だろうが、後者ふたつはそもそもこの都市に存在しない。

 その上、せっかく服の話が出たのだから、この流れになるのはまったくもって自然なことだった。


「それはいいわね。服の方は、実は前から行きたいと思ってた店があるの」

「え?」


 その瞬間、俺の頭の中に警報が鳴り響く。

 嫌な予感がして、冷や汗が流れ出した。


「安心しなさい。品質はいいんだけど、値段が安いものもそれなりにあるから」


 フィーネはきっと、俺が懐具合を心配していると思ったのだろう。

 微笑みながら安心するように伝えてくれたのだが、その言葉は俺を全く安心させるものではなかった。

 俺が心配しているところはそこではないのだ。


「べ、別に遠慮しなくてもいいんだぞ?」

「あら優しい。でも、その店のデザインが気になってるだけだから大丈夫よ」

「そうか、大丈夫か。なら、いいんだ……」


 俺は全然大丈夫ではないが。


 西通りにある、安いものも置いている服屋。


 もう、不安しかない。


(フィーネの言う条件に合う店は、あの店だけじゃない。大丈夫、大丈夫だ……。まだ慌てる時間じゃない……)


 他愛もない話をしながら評判の店でいただくブランチ。


 味は、さっぱりわからなかった。






 嫌な予感というのは往々にして的中するものだ。

 俺がエスコートするなんていう話はどこへやら、フィーネに引っ張られるように俺が辿り着いた場所は、俺が今一番行きたくなかったあの店だった。


「こんにちは!彼女さんの服をお探しで?当店は品揃えには自信がありますので、ゆっくりご覧になってくださいね」


 俺たちを出迎えるのは、いつもの店員。

 せめて別の店員なら、と思った俺の願いも儚く散った。


「『今日は』って、あんたこの店に来たことあるの?」

「あ、ああ。この服もこの店で買ったやつだ」


 本当はフィーネの率直な反応を期待して、わざわざ昨日のうちにフロルに洗濯してもらった一張羅。

 服の話になっているのに褒められも貶されもしないということは、『ありきたりなオシャレ着』として役割を果たしたということなのだろう。


「いつもありがとうございます。大変よくお似合いですよ」


 自分が売った服を着た客が、新規の客を連れてくる。

 店員としては嬉しい状況のはずであるにもかかわらず、お世辞を言う女性店員の笑顔はどこか作り物めいていた。

 上客が来てくれたことを喜ぶ半面、俺のことを女の敵とでも思っているのか。

 それでも『今日も』と言わなかったことだけは、感謝しなければならないのだが。


「私、この店は初めてで……。少し安めの服もあるって聞いたんですけど、どのあたりにありますか?」


 二階まである広めの店内でお目当ての価格帯の商品を探すのは時間がかかると思ったのか、フィーネは少しだけ恥ずかしそうにしながら目当ての商品の在処を尋ねた。

 それを聞いた店員はチラリと俺に視線を寄越し、俺の表情から今日も予算があることを確信したようだ。


 フィーネに向き直った店員は、俺の予想通りの言葉を告げ、俺たちを二階へと誘った。




「いやはや驚きました。稼ぎのいい冒険者様は流石ですね。このレベルの女性を日替わりとは恐れ入ります」


 フィーネが二階の売り場に並べられた商品に目を輝かせる間、俺と店員の内緒話が行われていた。

 その内容に反して、無感情で穏やかな声音は聞いていて心地よく、うっかり変な趣味に目覚めそうになる。


 それはさておき。

 俺はすでに、「フィーネは彼女じゃない。」と言い訳することを諦めた。

 フィーネはわざわざ否定しなかったし、俺から否定した結果、「なら昨日のことを話しても大丈夫ですね。」と返されても困るからだ。

 彼女であろうがなかろうが、別の女を連れてきた店に案内された――実際はフィーネが選んだものであっても――と知れば、フィーネの機嫌が悪化するかもしれない。

 だから、俺は店員からの嫌味に耐えるしかない。


「今日もよろしく頼む。わかってるな?」


 俺が店員に握らせたのは大銀貨だ。

 これには流石の店員も息を飲んだ。


 この店の客層には貴族も含まれるだろうが、その場合はただの店員ではなくもっと偉い人間が対応するだろうから、ヒラの店員がこんな額の心付けを受け取った経験なんてないはずだ。

 ただの客が店員に渡す心付けとして、大銀貨は度をこえている。

 若い男が若い女に渡していることを考えれば、そのまま近くの宿に連れ込まれるのかと不安になるかもしれないくらいだ。

 それでも俺の意図を正しく読み取った店員は、受け取った大銀貨を素早くポケットにしまい込んだ。


「私はどんな状況でも、彼氏さんを全力でサポートさせていただきますよ。今後もごひいきにお願いします。…………その際は私を呼ぶことも忘れずに」


 押し付けられた名刺を、俺も懐に素早くしまう。

 店員を味方につけたことで、俺が抱える不安の半分は解消した。

 残りの半分は後で対処するしかないが、少なくともこの店では心安らかに過ごすことができそうだ。


「さ、早く彼女さんのところに行きましょう。予算は同じくらいと思ってよろしいですか?」

「ああ、それで頼む」


 内緒話を済ませた俺たちは、フィーネのファッションショーを始めるべく彼女へと歩み寄った。



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