第106話 新たな日常4
「ア、レ、ン、さぁん……。ちょっと向こうで、私とオハナシしましょう、ね」
「待て!今日はプレゼントを持ってきたんだ!まずは落ち着いて話し合おう!」
「オ、ハ、ナ、シ!シ、マ、ショ、ウ、ネッ!!」
フィーネが受付にいることが多い早朝。
周囲を警戒しながら窓口に並んだにもかかわらず、目だけ笑っていない恐ろしい微笑みを浮かべたフィーネにまたしても背後をとられた俺は、衆人環視の中、例によって別室へと引きずり込まれた。
「ねえ、アレン。なんで私がこんなことしてるかわかってる?当然わかってるよねぇ?」
「はい……。よく理解しております……」
かつて彼女と激しい攻防を繰り広げ、そしてつい2日前に向かい合って真剣に話し合った別室のソファー――――は、今の俺には関係ない。
なぜなら俺は別室入口の扉の近く、テーブルの横、石材で造られた冷たい床の上、その場所に正座させられているからだ。
今日は狩りに出るつもりはなかったため、剣はおろか防具すら装備していない。
俺の足を守ってくれるものはなく、黒っぽい石材で造られたギルドの床が俺の脚に少しずつダメージを与えていた。
「そう……わかってるのね。なら、言ってみなさい」
「え?」
「私がなんで怒ってるのか、話してみなさいと言ったのよ」
フィーネは俺の正面、ソファーではなくテーブルに腰掛けた。
足を組み、俺の情報がまとめられているであろう書類が綴られたファイルを手で弄び、嗜虐的な笑みを浮かべて俺を見下ろしている。
「えー、あー、そのですね……」
「どうしたの?言えないの?」
フィーネは手に持ったファイルで俺の頭をぺたぺたと叩き始めた。
このままでは、そのうち靴を脱ぎだして足を舐めろとか言い出しかねない。
それほどまでに、彼女はやさぐれた雰囲気を醸し出している。
これはもう、彼女が納得するまで平謝りするしかなさそうだ。
「パーティ申請書のパーティ名記入欄に、『今日のフィーネは黒』と記入しました!申し訳ございません!」
はきはきとした声で謝罪を述べ、正座のままスタイリッシュに頭を下げた。
つまり、土下座である。
プライドもなにもあったものではないが、今はそんなものは投げ捨ててでも、フィーネから目をそらしていたい。
ぶっちゃけると、顔を見るのが怖い。
「ふふっ、そうね。たしかにそのとおりね」
「………………」
俺は無言を貫く。
何かを答えるよう求められないうちは、ただひたすらに無言を貫く。
怖ろしい魔物をやり過ごすために身を潜める冒険者のように、ただただ耐える。
「ねえ、どうして『黒』にしたの?」
「え?」
無言を貫くはずが、ついつい頭を上げて反応してしまった。
どうして『黒』を選んだか。
そんなこと、どうでもいいではないか。
問題は下着の色を連想させるようなパーティ名を付けてフィーネを辱めたことであって、色なんて適当に――――と考えたところで、俺は気づいてしまった。
偶然、本当に偶然なのだが、頭を上げたとき視線の先には足を組んだフィーネがいて、角度的にちょうどフィーネの下着が見えてしまったのだ。
これはまさか――――
「フィーネ、まさかおとといは黒――――がふっ!?」
フィーネは鋭い蹴りで俺の顎を打ち上げると仰向けに転がった俺に飛び掛かり、馬乗りになって気が済むまで俺を殴り続けた。
ちなみに、今日は『黒』ではなかった。
「この都市を本拠地にするC級冒険者のパーティってそこまで多くないの。ファイルが増えると気づく程度にはね。そこに増えたファイルの背表紙があんなのだったらどうなると思う?私の気持ちがわかる?」
「はい……ごめんなさい……」
「ふふっ、別室に二人きりで何をしてたんだって感じよね……。私が他の受付の子から浴びせられた蔑みの視線を、あんたも浴びてみればいいのに」
「ごめんなさい……」
「言っておくけど、あんたもタダじゃ済まないのよ?窓口担当の間では、女の下着の色を晒して『コイツは俺の女』アピールするクズ男って噂になってるからね?」
「…………」
「まあ、私も大概な言われようだけどね。ちょっと稼ぎのいい冒険者だからって、担当になって間もないのに体で誘惑する軽い女呼ばわりする奴もいるし……。私が担当のあんたが稼いでるからって妬んできて……。あいつは絶対に許サナイ……」
フィーネの瞳が濁り、どろどろとした怨嗟が口から漏れ出している。
さっきから冷や汗が止まらない。
ちょっとした悪戯のつもりがなんだかすごいことになってしまった。
もっとも、最後のやつだけは別の原因があるようだが。
やっぱり女が多い職場だといろいろあるようだ。
「しかし、なんで色がバレたんだ?とぼければいいだろうに」
フィーネが疲れてきた頃を見計らって両拳を受け止めていた俺は、フィーネの怒りを鎮めるべく話を逸らそうと試みた。
話を逸らすどころか、ド直球な話題なのは仕方がない。
いきなり明後日の方向に話を振ってもフィーネは乗ってこないだろうから、まずは会話の主導権を握るところから始めるのだ。
「私も最初はそうしたの……。イルメラ先輩たちは質の悪い冗談だって理解した上でからかってるだけだったし」
「なら、なんで?」
「頭の悪い見習いの後輩がいるの……。背後に回られたことに気づかないなんて、迂闊だったわ……」
「あー……」
燃料が投下されたら、あのお姉様方は喜んで火をつけるだろう。
そう言われると、最近フィーネよりも若い子が窓口をうろちょろしているのを時々見かけた。
フィーネには言わないが、雰囲気が見習い時代の彼女にそっくりだったので印象に残っている。
「あの子もバカなだけで悪気はないんだけどね。はあ……なんでよりにもよって黒にしたかな……。私もだけど」
「まあ、なんだ、すまん……」
「はあ……。次やったら許さないからね」
「もちろんだ。二度としないと誓う」
一度目でも割とシャレになってなかったのだから、二度目はない。
それはもう、いろいろな意味で。
「で、どうするの?」
「うん?どうするって?」
何を尋ねられたのか理解できなかった俺は、反射的に質問を返してしまう。
「パーティ名、変更するんでしょう?」
「………………」
「………え?なに、まさか考えてないの?」
「まて、おちつけ」
フィーネの拳に再び力がこもる。
俺は必死にそれを押しとどめようとして、結果的に手を組み合って力比べをするような仕草になる。
「落ち着け!?落ち着けないのは誰のせいよ!どういうつもり!?」
「わかった!悪かった!今考えるから!ちょっとだけ時間をくれ!」
「この時点で考えてないことが、そもそもおかしいでしょう!!何考えてるの!?」
とうとう半泣きになったフィーネを宥めようと悪戦苦闘するさなか。
――――ガチャリ、キー…………。
俺は、上を見上げた。
フィーネも、上を見上げた。
メガネが、俺たちを見下ろしていた。
なお、俺たちの姿勢はフィーネが俺を殴り始めた時から変わっていない。
部屋の入口近くの扉の方に頭を向けて仰向けに寝転がった俺。
俺の腹の上に腰を下ろしたフィーネ。
そして、二人は手を握り合っている――――ように見えなくもない。
実際にやっていることは力比べでも、そう見えてしまう。
「すまない。邪魔したね」
メガネをクイッと直して扉を閉めたメガネことサブマスターは、一言詫びて扉を閉め、外から鍵をかけた。
コツ、コツ、と彼の足音が遠ざかっていき、部屋には静寂が訪れる。
フィーネはマジ泣きした。
「ううぅ……ぐすっ……ひっく……」
「大丈夫だって!あの人やたら俺に優しいし!きっとフィーネのことも悪いようにはしないから!てか、ふざけてただけだってわかってくれるって!」
ついに泣き出してしまったフィーネを慰めるため、俺は上半身を起こしてフィーネを抱き寄せ、子どもにするように頭を撫でている。
正直なところ、「私は子どもか!」とでも叫んでまた俺を殴り始めるようなリアクションを期待したのだが、フィーネからの抵抗は全くない。
どうやら本当に参っているようだ。
原因の片棒を担いだ俺としては、責任感で押し潰されそうで心労がやばい。
とりあえず、泣き止んでもらわないと部屋から出ることもできないのだが、幼子のように泣き続ける彼女をどうすることもできず、途方に暮れる。
――――ガチャリ、キー…………
今度は誰だ、と思いながら振り返る。
するとそこにはフィーネの教育係だったお姉様――――イルメラが立っていた。
「かわいい後輩を泣かせるなんて、感心しないわね」
「あー……。はい、ほんとすみません……」
100%俺が悪い上に現行犯。
言い訳のしようもない。
「ほら、あんたもいつまでも泣いてないで。彼と一緒に気晴らしでもしてきなさい」
「……ぐすっ……でも、まだ仕事が……」
流石に先輩の前で泣き続けるのは具合が悪いのか、涙を拭いながら答えるフィーネ。
泣きはらした目が痛々しい。
「その調子じゃ仕事にならないでしょう?上には私が上手く言っておくから、さっさと着替えてきなさい」
「ぐすっ……はい……」
フィーネはゆっくりと立ち上がり、開けっぱなしの扉から裏へと戻っていく。
俺は何も言えずに、落ち込んだ様子の後ろ姿を見送ることしかできなかった。
「さてと……正直に言うと、キミには失望したかな」
「………………」
扉の近くの壁に背を預けて腕を組むイルメラ。
見下ろす視線は冷たく、辛辣な言葉とともに俺の胸に突き刺さって、俺の頭を急速に冷やした。
「フィーネが担当する冒険者はキミだけじゃないけれど、あの子は明らかにあなたに肩入れしてる様子だった。キミがギルドに来なくなった時なんて、サブマスターに食って掛かって、本当にヒヤヒヤしたわ」
フィーネの性格なら、それくらいやりそうだ。
メガネに暴言を吐く彼女の姿がありありと想像できる。
「キミを立ち直らせようとして、いろいろと手を尽くしてもいた。疎ましく思うようなこともあったかもしれないけど、何とかしてキミを復帰させようとしてた。たぶんあの子は、キミに無謀な依頼をさせた責任を感じていたんだと思う」
「そんな……。あいつに責任なんて……」
あのときはフィーネがどう行動しようと俺は依頼を受けるしかなかったし、依頼を受けた自体を後悔したことはない。
あいつが責任を感じる必要なんて、どこにもありはしない。
「本当にそう思ってる?私はてっきり、そのときのことを根に持っていて、あの子を使って憂さ晴らしをしたのかと思ってたわ」
「ッ!そんなわけっ――――」
「なら、どうしてあの子を傷つけるようなことをしたの?どうして、悲しませるようなことをしたの?」
「そ、れは……」
軽い気持ちだった。
何もかもフィーネの狙いどおりになって、手玉に取られたようで悔しくて、ちょっとした嫌がらせをしようと思った。
ちょっとだけ恥ずかしい思いをさせて、次に会った時に冷やかして――――安いプライドを守るための下らない悪戯だ。
泣かせるつもりなんてなかった。
こんなつもりでは、なかったのだ。
「私ね、あの子をキミの担当から外すように、上に進言しようと思うの」
「――――ッ!」
思わず、彼女を睨みつけていた。
年下とはいえ、俺みたいな目つきの悪い冒険者から睨まれれば恐怖を感じるはずなのに、それでも彼女は冷たく俺を見下ろしたまま。
フィーネのことを本当に大事に思っているのだろう。
キミに怒る権利なんてないでしょう――――そんな声が聞こえてくるようだ。
「最後に、チャンスをあげる」
「………………」
「フィーネを向かわせるから、ギルドの正面で少しだけ待っていて。それと、あの子のために何ができるか考えてみて」
さっきのことは、あの子が戻って来た時の様子をみて決めることにするわ。
そう言い残し、イルメラはゆっくりとこの場を立ち去った。
静かになった部屋に一人残された俺は、床に視線を落として唇を噛みしめる。
「…………よっこらせ、と」
しばらく座ったままでいたが、このままここに居ても仕方がない。
俺はのろのろと立ち上がり、部屋を出た。
エントランスから正面へと歩く途中、別室に近い位置で立ち話をしていた見知らぬ若い冒険者たちが好奇心をたっぷりの視線でこちらを見つめている。
部屋での会話が聞こえていたのかもしれない。
俺は苛立ちを込めた視線で睨みつけると、彼らは慌てたように視線を逸らし、わざとらしく掲示板に貼られた依頼を眺め始めた。
(はあ……。だっせえ…………)
もちろん、盗み聞きをしていた彼らのことではない。
彼らよりもずっとずっと情けない男が、大きく溜息をついた。
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