第105話 甘い夕暮れ
「あんなにたくさん、ありがとうございました」
店内にいたから気づかなかったが、外に出ればいつのまにか空が赤く染まっていた。
今は休憩のために近くの喫茶店でお茶とお菓子を楽しんでいるところだ。
「気にしないでくれ。こっちも目の保養になったし…………待て、誤解するな」
「だ、大丈夫です!わかってます!」
そう言いながら、パタパタと手で風を送ろうとする彼女の顔には、恥ずかしさからか汗が浮かんでいた。
結局、ティアや店員と相談しながら上下4着を購入した。
それだけで予算をオーバーしそうになったところ、店員がおまけしてくれた結果、お代はぴったり金貨1枚である。
正しく高級品というに相応しい値段だが、それに見合うだけの価値はあると思う。
もちろん、例の服も購入したものに含まれる。
今、ティアが着ている服がまさにそれだ。
彼女に気づかれないようにチラリと視線を送った先。
今は黒い布が仕込まれており、残念ながら先ほどの光景を拝むことはできない。
「…………気になりますか?」
「え!?あ、いや、あはは……」
ティアが胸に片手を当てながら上目づかいに尋ねてくる。
視線は美味しそうなケーキに向けられていたはずなのに、どうやって気づいたのか。
一転、俺が冷や汗をかかされてしまう。
「アレンさんなら別に嫌ではないです。ただ、あんまり露骨だと困っちゃいますけど」
「はは……。悪かった、気を付ける」
今の視線は露骨だったのか。
チラ見のハードルが凄まじく高い。
素直に詫びた俺に対して彼女は微笑み、再びケーキをつつき始める。
「でも、良かったです」
「ん?服か?」
「いえ、私には興味がないのかなと思ってたので」
「え…………いや、なんでそう思ったんだ?」
むしろ、今生で出会った中では最高得点を叩き出しているというのに。
少しの間、言われたことがわからずに返事ができなかった。
「アレンさんの近くには綺麗な子が多いですから。冒険者ギルドの受付さんとか、さっきの店員さんとか、それに…………いえ、何でもないです」
「フィーネはそんなんじゃないし、さっきの店員は話した回数も数えるほどだぞ?」
フィーネは確かにかわいいが、これが恋愛感情かと言われると少し違う気がする。
あれは何というか、異性というよりも気安い幼馴染だ。
何気にさっきの店員が入っていることにも驚いている。
たしかにあの人も、美人ではあったが。
「本当ですか?」
「本当だ。それに、俺はそんなにモテる男じゃないよ」
「……アレ――――あなたが昔助けた女の子たちが聞いたら、きっとさめざめと涙を流すでしょうね」
「あー……。あれはだな……」
思わぬところに飛び火してしまった。
『フラグ立て』と称してかわいい少女を助けて回っていた幼い俺の行動は、なぜかティアの知るところとなっている。
こうしてある程度親しくなった彼女から指摘されると、なんとなく責められているようで後ろめたい。
「私は幸運にもアレンさんと再会することができました。けれど、まだ再会していないだけで、アレンさんを思い続けている人がいないとも限りませんから」
言葉とは裏腹に、居ると確信しているような口ぶりのティア。
励まそうにも、何を言っても裏目に出る気がして言葉が出てこない。
「ごめんなさい。困らせてしまいました」
彼女は悪くないのに謝らせてしまった。
悪いのは彼女を不安にさせる俺の方だというのに。
「いや、俺のやったことだしな。少なくとも今の俺には、異性の知り合いなんてフィーネとさっきの店員くらいしかいないよ。本当だ」
ただし、精霊と妖精は除く――――なんて言葉がつくから、疑われるのだろうか。
しかし、ここでラウラとフロルを数に入れるのは流石に悲しいものがある。
ラウラは俺をからかっているだけだし、フロルは好意といっても質が全く異なる。
「ふふっ、信じてますよ」
そう言って笑顔を見せてくれたティアの瞳が、不安げに揺れていた。
「今日はありがとうございました」
「いや、俺の方も楽しかったよ」
そんな当たり障りない言葉を交わしながら北西区域の路地を歩く。
まだ日は落ちていないが、念のため彼女を家に送ることになった。
西通りの喫茶店から彼女の家までは数百メートルの距離しかなく、買ったものは宅配を頼んだから大きな荷物はない。
俺が持っている今日ティアが着ていた服の入った紙袋と、ティアが肩にかけている小さなバッグ。
これが俺たちの荷物の全てだ。
俺たちが腕を組むために邪魔になるようなものは何もない。
しかし、俺たちは互いに触れることなく路地を歩いていた。
(これは、嫌われたか?)
少しよろけると肩がぶつかりそうなほど近くを歩いているのに、ティアは手を繋ごうともしない。
こんなこと、今まではなかったはずだ。
ついに会話も途切れてしまい、思わず溜息が漏れた。
溜息に反応してか、ティアがびくっとしたところを目の端で捉える。
彼女の表情を見るのが怖かったから視線を周囲の景色に向けていた俺だが、流石に気になって彼女の横顔を盗み見る。
ティアの瞳には、薄っすらと涙が浮かんでいた。
大蛇から救ったときに見せたような、感極まったがための涙ではない。
その横顔はただただ悲しそうで、じっと何かに耐えているようだった。
俺は彼女の様子を見て驚き、動揺し――――そして最後には納得した。
(考えてみれば当然か……)
『アレンさんの好みの服を着せていただければいいですから』
『アレンさんなら別に嫌ではないです』
最初は好意を向けられる理由がわからずに困惑していたが、ティアから好意を向けられるに足る理由があることを、俺はすでに理解している。
思えば、彼女は俺に対して好意を持っていることを最初からアピールし続けていた。
それは、俺とそれ以外の男との対応の違いからも伝わってくる。
彼女はパーティメンバーであるクリスにすら手を触れさせない。
俺が知る範囲で彼女に触れることができた男は、嫌がる彼女に無理やり触れたチンピラくらいのものだ。
男に触れられることを極端に嫌うらしい彼女が俺に対してどう接していたか。
それを考えれば、彼女の好意を疑う余地はない。
『いえ、私には興味がないのかなと思ってたので』
俺からすれば、なんでそうなると言いたくなるような言葉。
しかし、ティアからすれば当然の言葉なのだ。
なにせ、俺がティアに対して明確な形で好意を示したことなど、今まで一度もなかったのだから。
抱きつかれて喜ぶのも、胸元に視線が吸い寄せられるのも、それが自分だけに向けられた好意とは限らない。
きっとその辺を歩いている美人にされても、俺は同じような反応をするだろう。
『ごめんなさい。困らせてしまいました』
この言葉をこぼした時の彼女の心情を想う。
情けなくて、泣きたくなった。
「ここまでで大丈夫です。今日はありがとうございました」
涙を隠して頭を下げながら先ほどと同じ言葉を繰り返す彼女に、俺は彼女の服が入った紙袋を手渡した。
多分、このまま別れたら取り返しがつかないことになるのだろうという確信がある。
パーティメンバーとしてはやっていけるのだろうが、多分、それだけだ。
(俺が今までティアの気持ちに応えなかった理由は、なんだろうか?)
なんとなくわかっている。
きっとクリスあたりがそれを聞けば、そんなこと気にするなと言うだろう。
それでも俺にとっては大事なことなのだ。
「そうか。こっちこそ、楽しかったよ」
俺が先ほどと同じ言葉を返しても、当然ティアの表情は変わらない。
少しだけ迷うように間を置いた後、彼女は惜しむように別れの言葉を告げた。
「…………では、また――――」
「ティア」
「……っ。…………なんでしょうか?」
揺れる瞳に期待と不安が混じり合う。
ティアがどんな想いでいるのかと思えば、こんなありきたりなセリフが許されるとは思わない。
わかっていて、それでも俺は話を切り出した。
「さっき食べたケーキのクリームが付いてるぞ」
「…………えっ!?」
俺の言葉を全く予想していなかったようで、驚き目を丸くする彼女。
その様子を見ると、少なくとも彼女にとって、俺の言葉はありきたりではなかったらしい。
ハンカチが入っているだろうカバンと片手に持った紙袋を交互に見て慌てる様子は、彼女がどれくらい混乱しているかを察するに余りある。
「ちょっとだけ動かないでくれ」
「す、すみません……」
右手で素早くハンカチを取り出して、左手は彼女の頬にそえる。
もちろん、彼女の口元にクリームなんてついていない。
それでも彼女の唇は、少しだけ甘かった。
「とれた」
「………………」
放心するティアには本当に悪いと思うが、今はこれが精一杯。
彼女が求める言葉は、本当に心の整理がついてから。
見限られる前には何とかしたいと思っているので、今日はこれで許してほしい。
「それじゃあ、またな」
彼女が我に返る前に、俺は彼女に背を向ける。
俺たちの様子を覗き見る観客がいたら、きっと俺のことを卑怯者だと罵るだろう。
それでも、見られるわけにはいかないのだ。
こんな恥ずかしいことをすまし顔でやった俺が、赤面しているところなど。
「あー……」
しばらく鏡を見たくはない。
時刻は幸い、頬の赤みが隠れる夕暮れ時。
俺は蛇がのたくったような不規則なルートで路地裏を散歩してから、屋敷へと足を向けた。
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