第101話 初仕事ーリザルト




「助けてくれて、ありがとうございました」


 疲労が限界を超えたのか、それとも依頼の完了に安心して緊張の糸が切れたのか。

 ティアはそれだけ言うと俺の方に頭を寄せ、そのまま重そうなまぶたを閉じて寝息を立て始めた。

 その様子に、俺とクリスは顔を見合わせて笑顔になる。

 ティアにはいろいろと言いたいことがあったが、これでは仕方がない。

 しばらくしたら目を覚ますだろうから、それまではゆっくり休ませてやろう。


「おつかれさま、アレン」

「ああ、おつかれ。あんなデカブツの相手なんてさせて悪かったな」

「回避には自信があるからね。気にすることはないよ」


 本人が言うとおり、クリスは一度も大蛇の攻撃を受けていなかった。

 クリスの保有スキルである<アラート>のおかげというのもあるだろうが、それでも警報にしたがって大蛇の攻撃を避けることは、そう簡単なことではないはずだ。

 俺と違って<強化魔法>で底上げしているわけでもない素の身体能力でそれをやっているのだから、本当にたいしたものだ。


「そのままティアちゃんを見てて。解体は僕がやっておくから」

「ああ、悪いがまかせ…………いや、あー……」

「うん?どうしたんだい?」


 はっきりしない俺の返事に、大蛇の骸に歩み寄ろうとしたクリスが怪訝そうにこちらを振り返った。

 俺の両手はティアを抱きかかえているために塞がっている。

 であれば、両手が空いているクリスが解体を担当することは、ごく自然な役割分担だと言えるだろう。

 しかし――――


「いや、この状況、何か思い出さないか?」

「……ああ、なるほどね」


 クリスも俺が懸念していることに気が付いたようだ。


 木々に囲まれた場所。

 俺がティアを抱えて、クリスが魔獣の解体をするという状況。

 どうしても、あの日のことを思い出してしまう。


「大丈夫だよ、もう絶対に油断なんてしないから」

「しかしだな……」

「アレン……そもそもどうやって手伝う気だい?両手に抱えた大事なお姫様を、まさか地面に転がすなんてことはできないだろう?そんなことされたらティアちゃんが気になって、むしろ集中できなくなっちゃうよ」


 そうなのだ。

 クリスを手伝うか、ティアを抱えているか、結局はどちらか片方しか選べない。

 レアスキルで危険を察知できるクリスと、すやすやと寝息を立てる無防備なティア。

 どちらが危険なのかは言うまでもない。


 加えて、依頼を完遂したことを証明するためには指定された部位を持ち帰らなければならないのだから、両手が塞がっている俺の代わりに作業ができる者は、この場にはクリスだけだ。


「そんなに心配しないでくれよ。あまり時間をかけないように魔石と討伐証明部位だけにしておくからさ」

「…………わかった、それじゃあよろしく頼む」


 食い下がっても意味はないし、クリスとしても心外だろう。

 俺とてクリスを信頼していないわけではないのだ。


(少し神経質になってるのかもな……)


 油断してはダメ。

 慎重になりすぎてもダメ。


 気を抜くところと気を張るところの切り替え、その案配がとても難しい。


「あ、討伐証明は牙だそうだ」

「うわー、こんな大きな牙を取り外さなきゃいけないのか……。これは少し時間がかかるかも」


 人間よりずっと大きな生き物も丸呑みにしてしまえそうな大蛇。

 その牙も相応の大きさであり、取り外して持って帰るのは一苦労だろう。


「やっぱり手伝うか?」

「いや、なんとかするよ。アレンはティアちゃんと一緒に休憩してて」


 腕まくりをしたクリスは、まずは魔石から取り掛かるようだ。

 魔獣の心臓の近くにあることが多いらしい魔石だが、これほど巨大な蛇の心臓の場所など、俺には検討もつかない。

 これは長い休憩になりそうだ。

 あるいは俺に時間を与えるために、時間のかかる作業を一人で担うことにしたのかもしれないが。


(大蛇のせいで、ゆっくり感慨にふける暇もなかったしな……)


 俺はクリスの配慮に甘え、手近な木の幹に背中を預けて腰を下ろした。

 ティアを起こさないように右腕と膝を使ってでティアを支え、彼女の膝下に差し込んでいた左腕をゆっくりと引き抜く。

 乱れた髪を整えようと手櫛を入れると、毛先の方に付いていたのか、枯れ葉がはらりと地面に落ちて行った。


「……辛い思いをさせて、悪かった」


 本当は起きているときに直接言うべきことだが、思わず謝罪の言葉がこぼれてしまう。

 それくらい、彼女の姿はぼろぼろだった。


 俺の中では彼女のトレードマークになっている白いローブはどこかに引っ掛けたのか裾の方がほつれたり破れたりしており、転んだ時に着いた土が胸や腹のあたりを汚している。

 手足には擦り傷や切り傷がいたるところに見つけられ、頬にも引っ掻き傷がついている。

 足も痛めていたはずだ。


(たしか、左足だったか?)


 しっかりと手当をしてやりたいところだが、残念なことに俺は簡易な手当の仕方しか知らなかったので、とりあえず靴を脱がせて水で濡らした布を当てた。

 そのあと、手足や頬の傷を湿らせた布で軽く傷口を拭ってからケガに効くポーションを傷口に塗り込んでいく。

 薬は塗るタイプと飲むタイプをそれぞれ用意しているものの、そのどちらにも塗った瞬間にケガを全快させるような効果はない。

 治癒効果を高めるだけの、言ってみれば気休めみたいなものだ。


「よし、これくらいか」


 傷口にポーションを塗り込み、手当用の布切れを巻いて固定するだけのことだから、早々にやることがなくなってしまった。

 クリスは意外にもあっさりと大蛇の魔石を探り当て、すでに牙の取り外しに取り掛かっている。

 あの様子ならもうじき終わらせてしまいそうだ。


 俺は再び、ティアを眺める。

 いつまでも俺が抱きかかえていては寝苦しいと思ったため、今は広げた布の上に寝かせ、頭だけを俺の膝にのせている。

 いわゆる膝枕というやつだ。

 男の硬い膝だから、寝心地が良いとも思えないが。


 警戒を解くことはしないが、仲間を欠くことなく全員で都市へと帰る目途が立ったことで、徐々に安堵が体の中に染み込んでいく。

 ティアを起こさないように、そっと彼女の髪を撫でる。

 先ほどとは対照的に彼女の寝顔は穏やかで、思わず頬が緩んでしまう。


「助かってくれて、ありがとな」


 クリスが作業を終えるまでの間、俺はひさしぶりに心から穏やかな時間を過ごしていた。





 ◇ ◇ ◇





 作業が終わったクリスが軽い休憩を済ませたところで、俺たちは警戒態勢を維持しながら森の中を真北へと駆け抜けた。

 来た道を戻るなら北西方面へ進むのが正解だが、現在地がどこであるかはっきりしない以上、森を最短距離で抜けることができるルートが望ましいと考えたからだ。

 俺たちの装備にはスマホやGPSなど存在しない。

 もしかしたら、不思議な地図――――地図に自分の現在地を表示するような魔道具がどこかに存在するのかもしれないが、それも今の俺たちには縁のない話だ。


 ちなみに、先ほどまで眠っていたティアも警戒には参加してもらっている。

 俺に抱えられていたとしても、森の中を駆けて行く中で眠り続けることはできないだろうし、不意に強敵と遭遇した場合にティアの意識があるのとないのでは対処に大きな違いがでるから、申し訳ないが無理をしてもらった。


 自分がさっぱり頑張っていない中で、彼女に頑張れというのは内心なかなか抵抗感があるのだが。


(そういえば、今日も剣を使い損ねたな……)


 <強化魔法>をしっかりと行使してもなお、ずっしりと重量感のある俺のメインウェポン。

 こいつの出番は一体いつになったらやってくるのだろうか。

 本来、大型の魔獣にこそ真価を発揮するはずなのに、今までに斬った相手と言えば常設討伐依頼の対象になるような小型の魔獣ばかり。

 なんとも情けない話だ。


 しばらく走り続けて森の外に出た俺たちは、そこから森に沿って西に向かい、無事に街道へとたどり着いた。

 火山の麓の街から都市へと向かう魔導馬車を呼び止め、割増料金を提示して乗せてもらうと、そこから都市まではあっという間――――というか、うとうとする間にいつのまにか都市に到着してしまっていた。

 ティアもクリスも俺と同様だったようで少し無防備だったと反省したが、クリスの隣に鎮座した大蛇の牙が異様な存在感を放っており、これを狩ってきた冒険者に手を出すというのは、俺たちと同じC級かそれ以上の冒険者でもなければなかなか勇気がいることだろう。


 都市の南門で下車するとき、乗客だった商人と思しき男が牙を譲ってほしいと交渉を持ち掛けてきたが、冒険者ギルドへの納品を理由に丁寧に断った。

 直接ギルドと交渉するよう伝えると、渋々ながら納得してくれた。


「アレンさん、ありがとうございました。あの、もう大丈夫ですから降ろしてください」


 南門から冒険者ギルドの近くまで来ると、ティアが自分で歩くと言い出した。


「足、痛めてるんだろ?大丈夫か?」

「はい。アレンさんが手当してくれましたから。それに、このままギルドの中に入っていくのはちょっと……」

「それもそうか」


 手当と言っても本当に簡易なものだから心配だったが、試しにティアを降ろしてみると普通に歩ける程度には回復したようだったので、彼女の言うとおりお姫様抱っこは終了となった。

 痛みよりも恥ずかしさが勝るくらいなら、歩いても大丈夫だろう。


「アレンさんは隣の酒場で席を確保してくれませんか?この時間だともうすぐ混み始めるかもしれませんから。クリスさんは、ギルドに牙を運びこむところまで手伝っていただけると助かります」

「わかった。なら後は任せる」

「…………わかったよ。じゃあアレン、席はよろしくね」


 クリスとティアを酒場の前で見送り、一足先に店内に入る。

 彼女の読みどおり多くの客が席の大半を埋めており、空席は残りわずか。

 全員でギルドに行けば、席が埋まってしまっていたかもしれない。

 こうしている間にも、後ろから酒場に入ってきた客が近場の席について大声で給仕を呼び始めた。

 俺も壁際の4人用ボックス席を占領すると、手を挙げて給仕を呼ぶ。


「お客さん、その席は一人で利用されては困りますよ」

「連れは遅れて来る。料理は先に注文しておくから、その料理ができるころには来るはずだ。あと、冷やした手拭も頼む」


 渋い顔でカウンター席に誘導しようとする給仕に酒と大量の料理を注文して黙らせたところで、酒場の入り口にクリスの姿が見えた。

 クリスは声を上げずとも俺の居場所を発見したようで、給仕たちに愛想を振りまきながらこちらへと向かってくる。

 クリスが俺の正面に座ると、先ほどと同じ給仕がさっきの渋面はどこへ投げ捨ててきたのかと思うほどの笑顔で、クリスの分の注文を取りにやってきた。


「料理を適当に3人分と、酒は俺の分だけ頼んである」

「じゃあ、僕はワインにしようかな。キミのおすすめのおいしい赤ワインを頼むよ」

「はい、すぐにお持ちしますね!」

「………………」


 この対応の違いは何だろうか。

 このボックス席は4人用だから、2人ならセーフということもあるまいに。


「ずいぶんと渋い顔をしているね?」


 クリスは給仕に振りまいた笑顔もそのままに、俺に向かって問いかけた。


「いや、なんでもない」


 イケメンばかりちやほやされて羨ましい。

 思うことはあっても、言葉に出してしまったらいろいろとおしまいだ。


「まあ、気持ちはわかるけど。諦めて温情判決を祈ることだね」

「祈る?何をだ?」


 祈れば美形になるなら祈ってもいい。

 最近までは少し目つきがキツいだけで俺の顔も捨てたもんじゃないと思っていたのだが、ここに限らず酒場の給仕たちの対応を見て、残酷な現実を受け止めていたところだ。


 とはいえ、クリスはイケメンになれるように祈れと言っているわけではないだろう。

 言葉足らずのクリスに対してぶつけた当然の疑問に対し、クリスは少しの間ポカンと呆けたような顔をしたあと、堪えきれないと言った様子で腹を抱えて笑い出した。


「おい、クリス……?」

「いや、すまない、アレン。くくっ、だって、仕方ないじゃないか!」

「何がそんなに面白い?さては、さっきの給仕に俺が冷たくされたところを見てやがったな?」


 俺はクリスを睨みつけるが、クリスの笑い声が止むことはない。


「いや、そんなことじゃなくってさ」

「いつまで笑ってんだ……。言いたいことがあるならさっさと言えよ」

「ごめんごめん。でも、こればかりはキミが悪いと思うよ」

「はあ?一体何を――――」


 悪態をつきながら運ばれてきたエールとワインを互いのグラスに注ぎ合い、グラスを鳴らしたそのときだった。




「キミが出発前にギルドで何をしたか、思い出してごらんよ」




 あ、ティアちゃんが来たみたいだね。


 クリスの言葉は、容赦なく俺の脳を揺さぶった。


 俺はテーブルに置いたグラスから視線を外すことができない。

 冷や汗が止まらない。

 酒場の入り口の方を見ることができない。

 言い訳を考えることもすっかり忘れていた。


 そんな俺をみて、クリスが押し殺すように笑いだす。

 さぞや楽しいだろう。

 俺もクリスの立場だったら絶対に爆笑する自信がある。


「お待たせしました。アレンさん、隣よろしいですか?」

「あ、ああ……。お疲れ、ティア」


 背もたれ付きの二人掛けの椅子で長方形のテーブルを挟むような形の席。

 空いている場所が俺の隣かクリスの隣なら、ティアは迷わず俺の隣を選ぶ。

 俺が彼女の座る場所を空けるために席の中央から少し奥にずれようとしたところで、彼女の腕が俺の左腕を絡めとった。

 椅子に腰を下ろした勢いそのままに、彼女は俺の左側にぴとりと寄り添うと、何も言わずに俺の肩に頭を寄せる。

 汚れてしまった白いローブを脱いでいるので、普段より薄着になっている彼女から温もりと柔らかさ、そして甘い匂いがいつもよりしっかりと伝わってくる。

 

 いつもならご褒美でしかないはずの状況。

 蛇に絡みつかれたようだと感じてしまうのは、大蛇と戦ったせいではないだろう。


 もちろん、今の俺にそれを楽しむ余裕などありはしなかった。

 俺にできることは、ただひとつ。


「ティア、酒は何にする!?今日は俺のおごりだ!好きなのを好きなだけを頼んでくれ!!」


 ティアの意識を少しでも早くパーティ名から逸らすため、全力で彼女の機嫌をとることだけだった。



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