第99話 フィーネとオハナシ2




「おい、どういうことだフィーネ!!ティアに何をした!!」


 俺はソファーから立ち上がり、向かい合うフィーネを見下ろして怒鳴り散らした。

 手が届けば、胸倉をつかみ上げていたかもしれない。


「別に、ティアナさんを陥れるようなことはしてない。それは誓ってもいい」

「……ってことは、危険な依頼か!?」

「私はギルドの受付だからね。ティアナさんが依頼を受けたいと言えば、規則上問題ないかどうかを確認して、それを淡々と処理するだけよ」

「ティアはどこだ!!あいつに何の依頼を受けさせた!!」

「それをお伝えすることは、規則上禁止されています」

「この――ッ!」


 頭に血が上った俺は丈の低いテーブルを踏みつけ、フィーネの胸倉をつかみ上げた。

 フィーネの軽い体はソファーから浮き上がり、俺が乱暴に掴んだ制服からは嫌な音が聞こえる。

 しかし、今はそんなことを気にしてはいられない。


「こんなときに規則だと!?ふざけんな!!ティアが死ぬかもしれないんだぞ!」

「……アレンは、どうして怒っているの?」


 力の強い冒険者に怒鳴られて恐怖を感じないはずはない。

 それでも努めて冷静を装ったフィーネは、俺に質問を返した。


「どうして、だと……?なにを……」


 今更、何を言っているのか。

 この状況で、俺がなぜ怒っているのか理解できないはずがない。


(フィーネの狙いはなんだ?フィーネは何を言おうとしている……?)


 怒りと混乱でぐちゃぐちゃになった俺の頭の中と対照的に、言葉を発するものがいなくなって静けさを取り戻した部屋の中。


 フィーネがぽつりと呟いた言葉が、溶けて、空気に染み込んでいった。


「ティアナさん、昨日死んでいたかもしれないのに。なんでアレンは今更怒っているの?」


 きっと俺は間抜け面を晒していただろう。

 フィーネの言葉が理解できずに、ぽかんと口を開けて呆けていたはずだ。


「な、んでそうなる……っ、おい、ティアが依頼を受けたのはいつだ!?」

「今日の早朝よ」

「ッ!おどかすなよ……」


 完全に日が昇っているが、今日の早朝ならまだ十分に間に合う。

 ティアの移動速度は速くない。

 魔導馬車を捕まえて、現地に着いたら走り続ければ――――


「おどかしてなんかいないわ」

「言葉遊びなんてしてる場合じゃ――――」

「ティアナさん……クリスさんもそうだけど、あんたと同じようにソロで活動してることは知ってる?」

「いや……そうなのか?」


『待つさ。僕らのリーダーは、アレンだからね』


 クリスの言葉を思い出す。

 まだ正式にパーティを組んだわけでもないのに、こんな情けない男に義理立てする必要などないというのに。


「なんで、そんなに冷静でいられるの?」

「は?何だよ、さっきから」

「本当に、わかってないのね……」


 呆れとも諦めとも違う。

 フィーネの瞳にあるのは憐憫だった。


 流石にイライラが募る。

 情けなくたって、ここまで言われれば言い返したくもなるというものだ。


 俺はその感情を吐き出そうと口を開き――――そして、彼女の叫びが再びそれを遮った。


「あんたとパーティを組んでいないときだって、ティアナさんは死ぬのよ!?」


 フィーネは目に涙を浮かべ、鋭い視線で俺を睨みつけている。


「死なせたくないからパーティは組めない?違うでしょ!死なせたくないなら、パーティを組んであんたが守らなきゃいけないんじゃない!あんたが呆けている間に、あの子がどれだけの危険を乗り越えたかわかる!?あんたがパーティを率いていれば簡単にこなせる依頼を!ソロで引き受けることがあの子にとってどれくらい危険なのか、わからないの!?」


 ガツンと、頭を殴られたような衝撃を受けた。


 それでもフィーネの言葉は止まらない。

 俺を嘲るような自棄になったような態度で、俺が気づかなかった――――目を背けていた事実を叩きつけてくる。


「危険なのは依頼だけじゃない。冒険者だって、場合によってはあの子の危険になる。知ってる?あの子、あんたが寝ぼけてる間に何度も他の冒険者に襲われたって話よ。かわいそうに、あの子綺麗だもんね。本人からすればひどい話だけど、あんたも男なら手を出したくなる気持ちもわかるんじゃない?」

「――――ッ!」


 頭の中が真っ白になった。

 まるで今自分が立っている場所がばらばらに崩れて、奈落の底に落ちるような錯覚に襲われる。


 いつの間にか、フィーネが俺の胸倉を掴んでいる。

 体勢は完全に逆転し、立ち上がったフィーネが膝をついた俺を見下ろしていた。


「安心しなさい。襲われたと言ったけど、最悪の結果にはならなかったわ。全部あの子が自力で撃退したし、あの子を襲ったバカにはきっついペナルティが付与されてる。、アレン」

「…………」


 思わず泣きそうになった。

 取り返しのつかない過ちを犯さずに済んだことを、心の底から運命に感謝した。


 けれど、フィーネの言うとおりだ。


 彼女はゲームのNPCではない。

 別れてから次に会う時まで、ずっと安全な家の中で俺の誘いを待っているわけではない。

 俺が誘わなかったとき、俺の知らないところで彼女は危険に晒されるのだ。

 本当に運が良かったとしか言いようがない。

 俺が彼女の誘いを断り続けている間、彼女が直面する危険に対して俺の力は何の役にも立たないのだから。


(何やってんだ、俺は……)


 大切な人の悲惨な結末も、確認しなければ確定しない。

 どこかで幸せになっている可能性だって否定できない。

 そんな考えは逃げでしかないのだと、あの夜に認めたはずではなかったのか。


 これでは、リリーに笑われてしまう。


「どう?今すぐパーティを組みたくて仕方がないんじゃない?」

「………………」


 頷くのは、正直なところ癪だ。

 しかし、それ以外の選択肢はもう選べない。


 俺は遅まきながら気付いてしまったのだ。

 目の前で仲間を喪うことよりも、俺の知らないところで仲間を喪うことの方が、ずっと怖ろしいということを。


「時間があるわけじゃないけど、一刻一秒を争うほどでもないわ。危険だけど、あの子一人でもなんとかなるかもと判断したからこそ、あの子は一人で依頼を受けることができたわけだし。もちろん――――」

「フィーネ。もう、大丈夫だ」

「……そう。ならよかった」


 俺は立ち上がり、備え付けのペンと丁寧に広げられた紙を拾い上げて、ゆっくりと元の場所に腰を下ろした。


(パーティ名……全然考えてなかったな……)


 ペン先をインクに浸しながら考えるが、とっさに良案は浮かばない。

 まあ、適当でいいか。

 あとから変更できるものだし、今はなんでもいい。

 今はパーティを正式に結成したという事実こそが重要なのだ。


「フィーネ、悪いな」


 パーティ名を記入しようとした手を止めて、フィーネに謝罪する。


「気にしなくていいわ。世話が焼ける冒険者の世話を焼くのが、私の仕事だし」

「そうか。制服のボタンがとれて下着が見えそうになってるが、仕事なら仕方ないな」

「ちょっと!?」


 フィーネが俺に背を向けて胸元を確認している。

 その隙に俺はパーティ名をさらさらと記入し、紙を四つ折りにした。


「これで見えない、よね……?まあ、ボタンなら後で縫い付ければ、いいかな?」

「悪いな」

「本当に反省しなさいよね!」


 怒り心頭なフィーネの前に、四つ折りにした申請書を置く。

 彼女はそれに手を伸ばすが――――今はまだ、見られるわけにはいかない。

 俺は申請書の手前側の端を抑えて、彼女が申請書を開けないようにガードする。


「ちょっと……どういうつもり?」

「目の前で確認されるのは恥ずかしい。あと、まだティアの行先を聞いてない」

「…………ちゃんと書いてあるんでしょうね?」

「パーティ名はしっかり記入した。誓ってもいい。ただ、俺が独断で決めた名称だから後で変更すると思う」

「それは好きにしなさい。……ティアナさんは南の森よ。C級制限の巨大な蛇型魔獣の調査兼討伐依頼を受けて、探索に行ったわ」


 フィーネは依頼票を俺に差し出した。

 俺はそれにさっと目を通すと、四つ折りのパーティ申請書から指を離して立ち上がる。


「残念ね。せっかくブランチを御馳走しようと思ったのに」


 フィーネは書類を四つ折りのまま指で挟んでヒラヒラと揺らし、満足げに勝ち誇った。


「何言ってんだ、最初からそんな気なかったくせに」

「当然でしょ?むしろあんたが私に御馳走しなさいよ」


 奢られるのが当然という考え方は気に喰わない――――が、たしかにこれだけ迷惑をかけたのだから、少しくらいは恩に報いるべきかもしれない。

 幸い、懐事情は改善されて久しい。


「そうだな。今度フィーネの都合の良い日に、西通りの高い店でディナーでも御馳走しよう」

「ふふっ、殊勝な心掛けね。やっと私のありがたみが理解できた?」

「まあ、心配もかけたしな。なんなら、そのまま高級旅館に一泊して朝食も一緒にどうだ?」

「んなっ!?」


 見る見るうちに頬を染めるフィーネ。

 奢れだなんだ言うくせに、こういうやり取りには慣れていないのか。


 こういうときは、反撃が来る前にさっさと逃げるに限る。


「じゃあな!パーティ登録よろしく頼む!」

「あ、ちょっと!」


 俺は返事も聞かずに別室をあとにした。

 そのままの勢いで冒険者ギルドからを飛び出し、馬車乗り場を目指して南通りを駆けて行く。


「もうすぐ南門から魔導馬車が出るよ、アレン」


 俺の隣には、いつの間にかクリスの姿があった。


「……フィーネから?」

「正解。魔導馬車の出発時刻を確認してギルドのロビーで待ってれば、復活したアレンが見られるっていうからね」


 フィーネのやつ。

 本当にやってくれる。


「まあまあ、フィーネちゃんだっていろいろ心配してたんだから、硬いこと言わずに許してあげなよ」

「それもそうだな。ささやかな仕返しも済ませたことだし」

「一体、何をしたのさ……」


 そう言って背後――――冒険者ギルドの方を振り返ったクリスの頬が、目に見えて引きつった。

 クリスの反応が気になった俺も、人にぶつからないように注意しながらチラリと後ろを振り返る。


「アレン……」

「なんだ?」

「なんだじゃないよ……。あれ、フィーネちゃんだよね?」

「そうかもな」

「………………」


 クリスがジト目になっているが、言いたいことはわかる。

 俺がチラリと振り返った時も、冒険者ギルドの前で紙のようなものを振り回して何かを叫んでいるフィーネが見えたのだから。


「で、一体何をしたのさ?」

「パーティ申請書を提出しただけだ」

「ッ!ってことは――――」


 クリスの目が期待に満ち溢れている。

 ここで落とすのも面白そうだ、なんて思ってしまう俺は本当にひねくれ者なのだろう。


「待たせたな。これからよろしく頼む、相棒」

「もちろんだよ、リーダー!」


 期待通りの言葉を得て本当に嬉しそうなクリス。

 こんなに喜んでもらえると、今まで待たせていたことが改めて申し訳なく思えてしまう。


「あれ?そうすると、フィーネちゃんはなんで怒ってるんだい?」


 それは当然の疑問だろう。

 フィーネがパーティ申請書を提出させようとあれこれ画策していたことを、クリスも知っている。

 それが叶ったのなら、フィーネが怒る理由がない。


「聞きたいか?」

「正直言うと聞きたくない気もするんだけど……、一応聞いておこうかな」


 俺たちは南門に到着し、フィーネの姿は遥か彼方、雑踏の中に消えた。

 事の性質上、俺が言っても言わなくてもいずれはバレることだし、そのときになってバレるよりは今言ってしまったほうが俺の気も楽になる。

 そう判断した俺は魔導馬車の方に足を進めながら、フィーネが怒っているだろう理由をクリスに説明することにした。


「ほら、パーティ申請書ってパーティ名が決まらないと提出できないだろ?」

「そうだね」

「けど、パーティ名って手続を踏めば変更できるだろ?」

「そうだね」

「なら、あとからお前らとも相談して決めたかったし、とりあえずなら何でもいいかなって思うだろ?」

「アレン…………」


 ジト目再び。

 わかる。

 その気持ちはよくわかる。


「すごく聞きたくないんだけど、僕らのパーティ名は?」


 俺は今更、自分で書いたパーティ名を後悔し始めている。

 あの時はなんとかフィーネに一矢報いたいという思いが強かったから勢いでやってしまったが、よく考えたらなんというか、やっちまった感が否めない。


「――――――は黒」

「え?なんだって?」


 ぼそっと呟いた言葉は、クリスの耳には届かなかった。

 仕方ない。

 覚悟を決めた俺は、俺たちのパーティ名(仮)をクリスに伝えた。


「パーティ名は、『今日のフィーネは黒』と書いた」


 一瞬、知らない言語を聞かされたような顔をするクリス。

 それもつかの間、次第に視線の温度が下がっていく。


「…………アレン、キミ、最低だね」

「いや待て、実際に見たわけじゃないんだ!あてずっぽうだから!」

「そういう問題じゃないだろう!」


 不毛な言い争いが始まりそうだったので、俺は魔導馬車の中に逃げ込んだ。

 後から追いかけてきたクリスには、他の乗客の迷惑になるからともっともな理由をつけて強制的に話を終わらせる。

 クリスは器用にも視線だけで俺を責め続けたが、こちらから視線を逸らせばそんなもの気にもならない。

 正面から、大きなため息が聞こえた。


「しかし、アレン。キミも思い切ったことをするね」

「なんだ?他の乗客がいるところで変な話はするなよ?」

「誰のせいだと思ってるのさ……」


 溜息が止まらないクリス。

 しかし、呆れたような雰囲気の中に、少しだけ面白がるような表情が混じっていることが気にかかる。


「で、何が思い切ったことだって?」

「ああ、一応今回の依頼って、ティアちゃんが受けているものをパーティメンバーとして手助けするみたいな感じになるんだよね?」

「そうだな。それがどうかしたか?」

「いや、どうかしたかって……。気づいてないのかい?」

「なんだよ、勿体ぶらずに言ったらどうだ?」


 やけに歯切れの悪いクリスだが、一体こいつは何を気にしているのか。


「では、そろそろ出発しますよ」


 ちょうど定刻になったのだろう。

 御者が車内の乗客に声をかけ、俺たちを乗せた魔導馬車は南へ向けて走り出した。


「じゃあ、言わせてもらうけれど」

「おう」


 残念なものを見るような目をしたクリスに若干の嫌な予感を覚えながらも、俺はクリスに結論を促した。




「アレンが決めたそのパーティ名は、ギルドに報告するときにティアちゃんに知られるわけだけど……そのことは理解してるんだよね、アレン?」



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