第98話 フィーネとオハナシ1




「アレンさーん、ちょっと向こうで私とオハナシしましょうね。あ、拒否権はありませんから」

「お、おう……」


 北の森でクリスと話した日から、さらに数日が経過した。


 いつまでも変化がない俺に業を煮やしたのか、それとも本当にそのような制度があるのか、実際のところはわからない。

 いつものように常設の討伐依頼を選んで窓口に並んだ俺は、満面の笑みを浮かべたフィーネに背後から腕を掴まれ、そのまま別室に引きずり込まれた。


 いつぞや彼女と激しい攻防を繰り広げた別室のソファーに座り、テーブルを挟んで彼女と向かい合う。


「ねえ、アレン。なんで私がこんなことしてるか、わかってる?」


 前置きもなしに、時間を惜しむように、フィーネは本題を切り出した。


「まあ、だいだいは、な。ところで、こうして腰を落ち着けて話をするなら、お茶くらい出してもいいんじゃないか?」

「働き者の冒険者相手なら、がめついウチのギルドだってお茶くらい出すのよ?」

「それは世知辛い話だな……」


 お前に出すお茶はない。

 ばっさり斬り捨てられ、ソファーに背を預けて天を仰ぐ。

 取り付く島もないとはこのことだ。


(まあ、たしかにそう言われても仕方ない状況ではあるか……)


 火山地帯の調査という名目で盗賊団を壊滅させ、おまけに黒鬼を討伐した。

 魔獣の群れの迎撃に際しては最前線で最後まで粘り、ティアの力によるところが大きかったとはいえ、なんとかこれを殲滅した。

 その後、再び火山に行ったときは――――無様でも最低限の時間稼ぎはしたと言っていい。


 しかしこれらは、再びこの都市を訪れ、ギルドに顔を出してから数日間の出来事に過ぎないのだ。

 その後何をしていたかと言えば、2か月もの間屋敷で自己鍛錬に励み、稼業を再開してからは熱心に常設の討伐依頼をこなしていた――――といえば聞こえはいいが、長らく引きこもっていたC級冒険者がやっとギルドに顔を出したと思ったら、駆け出し冒険者の仕事を奪っているだけだ。

 いい加減にしろと言いたくなる気持ちもわからないではない。


 ソファーに背を預けたまま、顔だけをフィーネの方に向ける。

 彼女は話を始めた時からずっと、真剣な表情で俺のことを見つめ続けていた。

 そこにあるのは今日こそは逃がさないという確固たる意志。

 しかし、焦りのような感情も見え隠れしているのはなぜだろうか。


「そんなにお茶が飲みたいなら、この話が終わった後に西通りに行きましょ。朝食……というよりはブランチになるかもしれないけれど、ランチタイム前までの限定メニューを始めた店があるの。ちょうど一回行ってみたいと思ってたとこだから、ちょうどいいわ」

「でもそれ、俺のおごりなんだろ?」

「もちろん…………と言いたいとこだけど、今回は私が御馳走してもいいわ」

「……さてはお前、フィーネの偽物だな?」


 大げさにおどけて見せると、フィーネのジト目が俺を責め立てる。


「その反応、すごくイラっとするんだけど」

「いやお前、自分の今までの言動を思い出してみろよ。ことあるごとに俺に奢らせようとしてたじゃないか」

「わ、私だって、頑張ってる冒険者を応援したくなることだってあるの!」

「ふーん……。頑張ってる冒険者、ね……」


 ならば俺には関係ない話だ。

 口に出さなくても、白けたような口調から俺が考えていることを察したのだろう。

 フィーネは少しだけ失言を悔しがるような顔を見せ、一つ溜息をついてから悲しげな表情に変わった。


「アレン……」


 俺の名を呼び、しかし後に続く言葉を紡ぐことができずにいるフィーネから視線を逸らし、俺は窓から大通りを歩く人々を眺めていた。

 自分が陰鬱な気分でいるときは、ただ通りを歩く人を見るだけで羨ましいと思ってしまう。

 人が歩くということは、目的地に向かっているということ。つまり彼らは目的地を持っているということだ。

 目の前で道が幾筋にも分かたれ、そのどれが正解か悩んで立ち止まっている俺からすれば、進む道がわかっているというだけで羨望の対象になる。


 もちろん、実際は彼らの中にも俺と似たようなのが混ざっているだろうということは理解している

 なんというか、気持ちの問題だ。


「アレン」


 フィーネの声に、視線が誘われた。

 先ほどの遠慮がちな弱々しさは残っていない毅然とした声音。

 その目には、何やら覚悟のようなものが宿っているように見える。


「あんたに嫌われるかもしれないけれど、はっきり言うね」

「俺はフィーネを嫌いになりたくはないなあ」

「茶化さないで」


 おふざけの時間はおしまいのようだ。

 フィーネの仕事を良く理解しているわけではないが、いつもなにやら忙しそうにしていることだけは知っている。

 本当はこんなおふざけに付き合っている時間も惜しいはずだ。

 ならば俺も覚悟を決めて、フィーネの言葉を聞かなければならない。


「アレン、強い魔獣や妖魔と戦うことが怖い?」

「…………どうだろうな」


 全く怖くないと言えばウソになるかもしれないが、相手が強ければ強いほど、やってやるという気持ちも強くなることも確かだ。

 勝ち目のない相手からは逃げもするが、それは怖いからというよりは戦略的な撤退という意味合いが強い。

 死んだ冒険者は、英雄になれないのだから。


 実際、湖のアレと戦った時ですら、俺は戦いそれ自体に恐怖を覚えることはなかった。

 あるいは、もっと強烈な恐怖に飲み込まれていたから、それを自覚できなかっただけかもしれないが。


 俺はフィーネの問いに答えるために口を開いた。

 しかし、問いかけた彼女自身の静かな声が、俺の答えを遮った。


「違うでしょ。あんたが怖れているのは、強敵と戦うことじゃない。クリスさんは、あんたが強大な妖魔と戦ったせいで心が折れた……もう強敵と戦えなくなったと思っているみたいだったけれど、本当はそうじゃない。あんたが怖れているのは、そこじゃない」

「おい、フィーネ――――」

「あんた、仲間を死なせることが怖いんでしょ?」


 俺の制止も虚しく、フィーネは真実を言い当てた。


 適当に鎌をかけているようには見えない。

 まるで自明のことだと言わんばかりに確信を宿した彼女の言葉。

 それは表情に出すまいとしていた俺の努力をあっさりと貫いて、俺の表情を歪めた。


 こんな顔で否定しても、フィーネは信じやしないだろう。

 そもそも彼女に対しては、本心を隠す必要性も見当たらない。


「お前が人の心を読めるとは、知らなかったな」

「女には男の隠し事を見破る能力があるのよ」

「男には女の隠し事を見破る能力なんてないんだがなあ……。理不尽な話だ」


 自白したも同然の俺の言葉だが、フィーネがそれを聞いて満足した様子はない。


「仲間を死なせることが怖いから、パーティを組めない。パーティを組めないから、リハビリなんて言って近場の弱い魔獣ばかり狩り続けてる。当たりでしょ?」

「……当たりだったらなんだ。お前が俺の悩みを解決してくれるってのか?」


 正直なところ、正確に俺の悩みを言い当てたフィーネに対して驚きを隠せない。

 本当に俺のことを良く見ているのだと感心するし、ありがたいと思うし、そして申し訳ないとも思う。


 しかし、俺の怖れるものが明るみに出たからといって、どうなるものでもないのだ。

 解決できる方法があるなら大歓迎。

 それが見つからないから、俺はかれこれ3か月近くもこうして悩み続けているのだから。


「そうね。私がなんとかしてあげる」

「…………は?」


 今、フィーネは何と言ったのか。


「冗談はやめろ。解決する?俺の悩みを?ははっ、そんな方法があるなら教えてくれよ」


 そんな方法、あるわけがない。

 言外にそう主張しながらフィーネを挑発する俺に対し、しかし彼女の表情は変わらない。


 いや、違った。

 フィーネは先ほどまでと違い、意地の悪い笑みを浮かべている。


 なにか、嫌な予感がする。

 ドジっ子のフィーネに出し抜かれることはないはずだと自分に言い聞かせても、心の奥から湧きあがってくる不安を抑えることができない。


「勘違いしてるみたいだけど、私にアレンの悩みを解決することなんてできないわ。私だけじゃなくて、多分誰にも、ね」

「はあ?だったら何を……?」

「パーティを、組みたいと思わせてあげる」


 そう言うと、フィーネはポケットから一枚の紙を取り出した。

 書きかけの書類だ。

 俺とクリスとティアの名前が自署された、パーティ名さえ記入されれば有効になるパーティ申請書だった。


 依然として笑ったままのフィーネに、俺の不安は最高潮に達する。

 次にこいつは、俺を追い詰めるためにろくでもないことを言う。


 そんな確信は、果たして現実のものとなった。




「ティアナさん、死んじゃうかもしれないけど、助けに行かなくていいの?」



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