第95話 再びのソロ1
「今日はこれを頼む」
早朝、狩りに出る者たちで賑わう冒険者ギルド。
俺は掲示板に掲載されていた依頼のひとつを選び、ちょうど別の冒険者の対応を終えたフィーネを捕まえて、手続きを頼んでいた。
しかし、勤勉にも早朝から稼業に励もうという俺に対して、俺の担当受付嬢の表情は硬い。
「今日はって、あんた昨日もこれだったじゃない?」
理由は、俺が受けようとした依頼にあるようだ。
依頼の種類は常設の討伐依頼。
いつでも誰でも何体でも。
討伐対象ごとに指定された部位を持参すれば、その数に応じた報酬を受け取ることができる。
「しかも、ホーンラビットなんて駆け出しが受けるような依頼よ?」
「少しブランクがあるからな、リハビリ中なんだ」
「……それ、昨日も一昨日も聞いた」
「リハビリなんて3日で終わるもんでもないだろう?」
「それは、そうだけど……」
渋々といった感じで手続をしてくれるフィーネに礼を告げ、俺は冒険者ギルドを出た。
最後に彼女がみせた少しだけ悲しげな顔にチクリと胸が痛んだが、今はまだじっくりと身の振り方を考えていたかった。
以前のようにパーティを組んで冒険する決心は、まだつかない。
今日は俺が冒険者稼業を再開して9日目。
心を打ちのめされたあの日から、2か月が経とうとしていた。
漆黒の妖魔と対峙したあの日。
俺は本当の恐怖を知った。
どうせ一度は失った命。
今の俺が生きる人生は本来あるはずのない二度目なのだから、死ぬことは怖くなかった。
むしろ、命を失うことを恐れて無為に時を過ごすことこそが恐ろしかった。
ボーナスタイムのごとき二度目の生を全力で生きて、一度目にできなかったことを成し遂げたい。
英雄になりたい。
それは、俺の本心からの願いだった。
その気持ちは今も変わらない。
変わってしまったのは――――
「アレン!」
「――――ッ!」
冒険者ギルドを出て、考え事をしながら西門へ向かっていた俺を呼び止めたのは、聞き覚えのある声。
振り返ると、予想どおりの人物が感極まったような表情でこちらへ駆けてくるところだった。
「アレン!よかった、まだこの都市にいたんだね!」
「お、おう……。まずは少し落ち着け、な?」
「落ち着いてなんていられないよ!!2か月近くも音沙汰なかったじゃないか!!」
「今日でぴったり2か月だ。久しぶりだな、クリス」
銀髪の剣士は俺の両肩を力強く掴んで離さない。
再会を喜ぶというよりは、もう逃がすものかという強い意志を感じさせる。
「もう会えないかと思ったよ……。一体この2か月、どこで何をしてたんだい?キミの受付嬢ちゃんに聞いたら屋敷に住んでるらしいって言うから、屋敷の多い北の方を探し回ったけど全然見つからないし、挙句の果てに怪しい奴だと思われて衛士の詰め所に連れていかれるし」
「それはまた災難だったな。引きこもってたから、どうやっても見つからなかったと思うが」
「………………」
恨みがましい視線を向けるクリス。
しかし、はっと我に返ったような表情になると、俺の両肩に置いていた手を離した。
「本当にすまなかった!!」
頭を下げる様子もコイツがやるとサマになるものだ、などという変な感想が頭に浮かぶのは、クリスに謝られる理由が思い当たらないからだろう。
むしろ、パーティを組もうという話をしながら連絡もせずに引きこもっていた俺の方が謝らなければならないはずだった。
「なんだ、どうしたいきなり」
「ずっと、謝りたいと思ってた」
頭を上げたクリスの顔。
今にも泣き出すのではないかと思えるほどに悲痛な表情だった。
クリスは神に己の過ちを懺悔する罪人のように、謝罪の理由を訥々と語り始める。
「あの日、僕は油断をしたんだ……。自分より危険の察知に優れた『陽炎』がいるからって、周囲への警戒を怠った。その結果は知ってのとおり、自分を無力化した相手の姿を見ることすらできずに、僕は打ち倒された」
「いや、あれは――――」
「慰めは止してくれ。自分の失態は、自分が一番よくわかっている。警戒は任せてなんて言っておきながらこのザマだ、笑ってくれていいし、叱責してくれていい……。それに、謝らなければならないことはそれだけじゃない。一番の失態は――――」
――――キミを独りで、あの妖魔と戦わせてしまったことだ。
「………………」
真実を尋ねるというにはあまりに確信を持った声音だった。
(まあ、流石に気づくか……)
麓の街に逃げ込んだ後のことはあまり覚えていないが、きっと俺の様子はひどいものだっただろう。
場所が湖で、一緒にアレを目撃したクリスならば、察してしまうのも当然だ。
いや、ティアもアレを目撃したはずだから、彼女から聞いたのかもしれない。
「後日になるけど、あの場にいた全員から話を聞いたよ。それによれば、アーベルさんは僕とほぼ同時に意識を失った。カルラさんはキミの切迫した叫び声を聞いて取り決めどおり逃走した。ティアちゃんは自分を庇って捕らえられたキミを援護しようとしてやられてしまった」
正解は後者だったらしい。
それが判明しても、クリスの懺悔は続く。
「僕らはアレを相手にあっさり壊滅したというわけだ。でも、それなのに、僕らはこうして都市に戻って来た。それは……つまりアレンが、一人でアレを撃退したってことなんだろう?」
「――――ッ!それは違う、俺は――――」
「勝てなかった、というのはキミの様子を見ればわかるよ。でも、戦いの内容はどうあれ、キミがアレを相手に僕らを守りながら、麓の街までの撤退を成功させたことは事実だ。本当にありがとう」
クリスは再び頭を下げる。
しかし、俺はそれを冷静に聞くことができなかった。
クリスから告げられる言葉はあの日のことを想起させ、俺を何度でも恐怖に陥れる。
「やめろ。俺は、お前に礼を言われるようなことはしていない。できなかったんだ」
「……そうかい。それでも、感謝の気持ちだけは伝えておきたかったんだ。ただの、自己満足だよ」
そう言ったクリスは、ようやく笑顔を見せた。
俺はクリスを心配させてはならないと、無理やり笑顔を浮かべてみせる。
きっと不格好な笑顔になっていたはずだが、クリスがそれを指摘することはない。
「今日はこれから狩りに行くのかい?なんなら僕もついて行っていいかな?この2か月、僕もキミに負けないように頑張ってたからね。ついこの間C級になったばかりなんだ」
冒険者はC級でようやく一人前。
この都市に来てわずか2か月でそれを成し遂げたクリスは、首から下げた冒険者カードを誇らしげにつまんで見せた。
久しぶりに再開した冒険者同士、仮にもパーティを組もうと約束した仲なのだから、この提案は自然な流れ。
しかし、俺はその提案を受けることができなかった。
「いや、今日受けたのはE級用の常設依頼でな……。カンを取り戻すためのリハビリ中なんだ」
「リハビリって……どこかケガでもしてたのかい!?」
クリスが血相を変えて詰め寄ってきた。
これは紛らわしいことを言った俺が悪いのだろう。
「違う違う!しばらく依頼をサボってたが、訓練は普通に続けてる。別にあの戦いでどこかにケガをして戦えなくなってたワケじゃない」
「びっくりさせないでくれ……、心臓が止まるかと思ったよ」
「大げさだ。まあ、そういうわけだから今日は一人で行くつもりだ。E級の依頼でお前の護衛付きじゃあ、リハビリにもならないからな」
「そうかい……。なら、今日は見送ることにしよう」
本当に残念そうに眉を下げるクリス。
申し訳ないとは、思っている。
「呼び止めちゃって悪かったけど、最後にひとつだけいいかな?」
「うん?なんだ?」
再び表情を硬くして改まった態度のクリスに、何事かと問い返す。
「僕は、これからもアレンとともに冒険をしたいと思っている」
はっきりと、クリスは自分の意思を示した。
「E級だけど腕には自信がある……なんてバカを言ったことは撤回する。僕は、まだまだ弱い。もしかしたら、キミとは不釣り合いかもしれないとも思う」
ずいぶんと自己評価が低いことだ。
「弱いのは俺だって同じだ。お前だけが気にすることじゃない」
「ありがとう。なら、弱い者同士、一緒に上を目指していきたい。前回は負けてしまったけど、二度とこんな気持ちを味わうことがないように努力する。アレンとなら、上を目指せる。僕は、そう思う」
「…………そうか」
真っ直ぐに気持ちを伝えるクリスを羨ましく思う。
同じ相手に敗れたのに、こうして同じ場所に立っているというのに、気の持ちようでこうも違うものなのか。
クリスの背景はわからないままだが、こいつにも背負っているものがあるのかもしれない。
先ほどまでは気にならなかったのに、光が目に染みる。
東から差し込む朝日だけではない。
前に進もうとする者だけが放つ意志の輝きが、クリスから溢れ出ているように感じられた。
今の俺には、それが少しだけ眩しかった。
「わかった、リハビリが終わったらな。だが、これがいつ終わるかは、正直俺にもわからない」
「アレン……」
今のクリスはどんな表情をしているか。
見たくはないから背を向けた。
「リハビリが終わったら改めて話し合おう。俺を待ちきれなくなったときは、断りを入れる必要はない」
「待つさ。僕らのリーダーは、アレンだからね」
「…………好きにしろ」
そう言い残して、俺は歩き出した。
北の森で退屈な狩りを終えた道中。
俺は朝方クリスに会う前に考えていたことを思い出していた。
(英雄になりたいという気持ちに、変わりはない……)
目をそむけたくなるような過去を経ても、それは変わらない。
だから俺は英雄になるための努力を怠らなかった。
その努力のひとつが仲間集めだった。
英雄には共に戦ってくれる仲間が必要だ。
だから俺はその存在を冒険者になる前から探していたし、それを当然のことと考えていた。
結果的には失敗したわけだが、仲間を集めようとしたこと自体は間違いではなかったはずだ。
けれど、俺は理解していなかったのだ。
仲間を失う恐怖も、仲間を失った後に残る絶望も。
冒険をすれば、ときに人は死ぬ。
そんなことは知っていた。
パーティを率いるなら、自分の判断が仲間の命を左右することもある。
そんなことは知っていた。
知っているつもりだった。
それは実感の伴わない知識でしかなくて、多くの危機を乗り越えたパーティもたった一度の失敗で失われてしまうということを、俺は今更ながら理解したのだ。
「…………」
俺は、自分が目指す英雄という存在に思いを巡らせる。
英雄に一歩近づくごとに、絆を深める仲間たち。
英雄に一歩近づくごとに、危険を増していく冒険の数々。
英雄と呼ばれた人々はそれらを乗り切ることができたからこそ、英雄と呼ばれているのだ。
しかし、俺は気づいてしまった。
仲間とともに英雄を目指すために、必要なものがあることを。
そして、俺はそれを手に入れていないということを。
俺に足りないもの――――それは、危険な戦いに身を投じる理由だ。
彼らには仲間を危険にさらしても前に進まなければならない理由があった。
彼らには危険を乗り越えて英雄にならなければならない理由があった。
それは強大な魔獣や妖魔の打倒、あるいは侵略された祖国の奪還。
実在の英雄にせよ、おとぎ話の英雄にせよ、彼らには英雄と呼ばれる存在にならなければ果たせない大切な目標があった。
逆説的だが、彼らが戦わなければならなかった理由こそが、彼らが仲間を危険にさらして英雄を目指すために――――戦い続けるために、なくてはならないものなのだ。
俺にも大切な望みがある。
俺の望みは、英雄になることだ。
それは俺が果たすべき大切な望みで、今ではかつて別れた少女への手向けでもあった。
しかし、俺の望みは英雄になることそれ自体であって、英雄になって果たしたい願いなど持ち合わせていない。
あるいは身近な誰かを守れるようになることが望みだとしても、それを果たすために仲間を危険にさらすのでは本末転倒も甚だしい。
今の俺が仲間とともに英雄を目指せば、いつか大切な仲間を失うことを恐れて足が止まる日がやってくる。
だから俺は――――
「俺は、仲間とともに、英雄を目指せない」
俺は仲間を失う恐怖に、きっと耐えられない。
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