第二章

第93話 妖精の育て方




「いらっしゃーい!よく来たねー、アレンちゃん。2か月ぶりくらい?」


 昼下がり、目的もなく外出した俺は、ふと思い立ってラウラを訪ねてみた。

 また来ると言いつつ、さっぱり会いに来ていなかったことを思い出したのと、それとは別に相談したいことを思いついたからだ。


「ぴったり2か月だ。あまり間を空けると怖い精霊に睨まれるからな」

「2か月って十分時間が空いてると思うけどー?もっと足繁く通ってくれてもいいんだよ?お姉さん退屈だよー」

「気が向いたらな」


 いつもの小部屋で暇そうにしていた精霊は、嬉しそうに飲み物の用意をしてくれた。

 こうも歓迎されると、本当にちょくちょく顔を出したくなる。


(最近は、時間を持て余してるしな……)


 ラウラが出してくれた良い香りが漂うグラスを傾けて、中の液体を口の中に流し込む。

 色合いからお茶だと思ったが、口に含んでみるとなんだか酸っぱい――――


「――――っがあっ!!?げぇほっ、がっ!?」

「……はー。アレンちゃん、ほんとかわいい」


 うっとりと頬に手を当てて俺を眺めるラウラ。

 涙を流しながらむせる相手を前にした言葉とは到底思えない。


(そうだった……。こいつは、こういう奴だった……)


 前回、この都市に戻ってきた翌日に訪れたときは何もなかったから油断していたが、昔はこいつの出す飲み物を警戒していたはずではなかったか。

 水だと思わせておいて強烈な苦みを感じたり、お茶だと思わせておいて物凄く酸っぱかったり、逆に危ない飲み物と思わせておいて甘い果実水だったり。

 幼い俺を散々に弄んだ鬼畜精霊に対する警戒心を、俺はどこかでなくしてしまったようだ。


「はーい、お水をどうぞー」


 こぼした飲み物を拭くための布巾と、透明な液体が入ったコップを差し出すラウラ。

 慈愛に溢れる表情で、しかし、その透き通るような水色の瞳は、何かを期待するように爛々とした光を宿している。


(舐められたもんだ……。1日に2回も騙されてたまるかっての!)


 口をつける前に臭いを嗅ぐと、無臭。

 コップにほんの少しだけ口をつけて最小限の量を口に含み、中の液体の正体を探る。

 量が少なすぎて味がわからなかったので、2回目は少し多めに口に含む。

 やっぱり味がしない。


 普通の水だった。


「……はー。アレンちゃん、ほんと期待を裏切らないよねー」

「………………」


 震えるコップからちびちびと水を飲んで喉を癒しながら、視線は床に向け続けた。

 視線を上げると、怒りと羞恥に震える俺のことをうっとりした顔で見つめる鬼畜精霊が目に入ってしまう。


「ほんとお前、変わらないな……」


 喉の調子が元に戻ると、出された飲み物が今度こそお茶であることを確認してから話を再開した。

 といっても、別に急ぎでもない相談がひとつあるほかは完全に雑談で、用件らしい用件もないのだが。


「私の数少ない楽しみのひとつだもの」

「ったく……。どうせまた、新人冒険者をからかって泣かせてるんだろ?」

「うーん、実際に涙を流して私を楽しませてくれるのは、アレンちゃんだけだよー?」

「………………」


 そろそろ殴りたくなってきた。

 いつでも殴れるように、相談事を先に済ませてしまおうか。


「今日はラウラに相談があって来たんだ」

「なになにー?もしかして人生相談?」

「なんでだよ……。相談ってのは、フロルのことだ」

「フロル……?あー、アレンちゃんの家妖精だっけ?」

「そうそう、実は――――」


 妖精の育て方がわからない。

 俺が言いたいのは、要するにそういうことだった。

 妖精は魔力で育つと聞いていたし、毎日フロルが俺の魔力を吸収している様子を見れば、それが食事代わりなのだろうということは理解できる。


 しかし、そうであれば、だ。

 毎日の魔力をあげているというのに、一向に大きくなる気配がないのはどういうことなのか。

 諸事情から、ラウラのような女性的な容姿に育ってしまうとそれはそれで困るのだが、全く育たないというのもフロルの主人としては不安になる。


 なにせ少量なら薬になるが多すぎると毒になるというものは、数えきれないほどあるのだ。

 フロルの名前の由来である『花』も、水をあげすぎると根腐れして枯れてしまう。

 魔力をあげすぎるとかえって良くない影響がある――――というような注意事項がないか、心配になってしまったというわけだ。


 しかし、割と真剣に悩んでいた俺に対して、ラウラの回答はあっさりしたものだった。


「苦しそうにしてるわけじゃないんでしょう?なら問題ないと思うよー」


 俺がむせて吐き出した茶色の液体をちびちびと飲みながら、暢気に答えをくれる。

 その答えは俺が望んでいたものなのであるが、あっさり断言されるとかえって不安になる。

 調子が悪くなって医者にかかったとき、ろくに診察もしないで大丈夫と言われて逆に不安になる、ちょうどあんな感じだ。


「本当か?それにしては全然育たないんだが……。身長とか、さっぱり伸びてないぞ?」

「髪の毛じゃないんだから、そんな簡単に伸びたりしないよー。環境にもよるけど、妖精が育つにはそれこそ10年単位の時間とたくさんの魔力が必要だもの」


 腰よりもはるかに長く伸ばした紺色の髪を指で巻きながら、ラウラが言う。

 精霊も髪って伸びるんだなと、どうでもいいことに思考が飛んでしまうが――――しかし、なるほど10年単位か。

 それなら、2か月ではちっとも育たなくても不思議ではない。


「あ、でもねー、このあたりはちょっと妖精が育ちにくい環境になってるから、その子が辛そうだったり、ぼーっとしてたりしたら多めに魔力をあげた方がいいかもねー。アレンちゃんの場合、体からすごい勢いで魔力を放出する一発芸があるでしょう?あれを時々やってあげれば、家妖精が順調に育つくらいの魔力は十分確保できるんじゃないかなー」

「人の訓練を一発芸呼ばわりか……」


 妖精が育ちにくい環境というのは、いつぞや聞いた精霊の泉が消えたとかいう話のことだろう。

 この地域では精霊の泉から放出される魔力がないから、妖精を育てるときに人間が与えなければならない魔力の量も多くなる――――いや、そんなことよりも気になる話を聞いてしまった。


「フロルに魔力をあげるんじゃないのか?放出してどうするんだ?」


 話が食い違っていると指摘したにもかかわらず、キョトンとした顔のラウラ。


「魔力を放出して家の中を魔力で満たしてあげると、フロルちゃんが魔力を吸収しやすくなるでしょう?毎日やってるんじゃないの?あの一発芸」

「最近やってないな……」

「……ちょっと、どういうことー?魔力、いっぱい与えてるんじゃなかったの?」


 ラウラは珍しく眉をひそめ、俺を咎めるような声音で問う。

 どういうことなのか聞きたいのは俺の方なのだが。

 なんだか話が噛み合っていないような気がする。


「いや、魔力をあげる方法って、直接じゃないのか?一度放出した方がいいのか?」

「直接……え、直接!?」


 ラウラがいつものほんわかした口調を忘れたように素っ頓狂な声をあげる。


「おかしいか?」

「おかしいっていうかずるい!え、フロルちゃん今どうなってるの?」

「ずるいってなんだ……。いや、別に変わった様子はないぞ?」

「非常識な育ち方してない?」

「うーん……。庭の花壇が綺麗になったり、料理のレパートリーが増えたりはしたかな」

「あー……、そっか、そうだよねー、家妖精だもんねー」


 いつものラウラに戻った。

 なんだったんだ、一体。


「妖精に魔力をあげるときは、魔力を放出するのが一般的なのか?」

「一般的じゃないよ、非常識だよー?」

「………………」


 本当にこいつは、いちいち俺をおちょくらなければ会話ができないらしい。

 突然いなくなったこと、やっぱりまだ根に持っているのだろうか。


「そんな目で見ないでほしいなー。普通の妖精は漂う魔力を取り込んで育つから、人からもらう魔力はおまけというかデザートみたいなものなんだけど、ここだとそうはいかないじゃない?だから、漂う魔力の濃度をあげるために魔力を放出するのが有効かなって思っただけー。そもそも普通の人は周囲の魔力の濃度を変えるほど魔力を放出できないし」

「なるほど。ところでひとつ聞いてもいいか?」

「なあにー?」


 ラウラの中では何かが解決したらしく、この話題から興味を失っていくのがわかる。

 しかし、少し待ってほしい。


「お前さ、この部屋で俺に『訓練』をさせてたよな?」

「………………」


 あちらこちらに視線を彷徨わせた後、結局言い訳を思いつかなかったのか、あいまいに笑うラウラ。


「おい、なんとか言え」

「…………てへっ☆」


 前世ではてへペロと言われていたそれをナチュラルに披露した腹ペコ精霊。

 仕草は似合っているが、やっていることが盗み食いではさっぱりかわいいと思えない。

 正直ドン引きだ。


「幼い子どもの無知につけこんで盗み食いとか、ないわー……」

「その言い草はあんまりじゃないかなー!!ちゃんと<強化魔法>の使い方は教えてあげてたし、スキルもタダで視てあげてたでしょう!?」


 俺がソファーの背に体を預けるようにしてラウラから距離をとってみせると、その分ラウラがテーブルから身を乗り出して心外だとアピールする。


 なるほど、たしかに彼女の言うことはもっともだ。

 ここは美人な精霊と少しお話しするだけで大銀貨を徴収する、ぼったくりバーさながらの料金体系がまかり通る場所。

 免除してもらっていたからすっかり失念していたが、それを考えれば魔力を供給するくらいのことはしてもいいかと思ってしまう。


「それもそうか。ならいいや」

「え、いいのー?それならお言葉に甘えようかなー」

「え?おい、ちょっ!?」


 テーブルから身を乗り出していたラウラは、足の短いテーブルをふわりと飛び越えて俺の隣に着地すると、いつもフロルがそうするように横から俺に抱き着いた。

 水の入ったコップを持っていたために反応が遅れた俺は、体をよじってあたふたしながらも、結局は腹ペコ精霊から逃れられずに餌食となってしまう。


 体の側面に柔らかい感触。

 少し遅れて、慣れた感覚。


「はー……しあわせー……」


 頭の上に肘を落としてやろうかと思ったが、ラウラは本当に幸せそうにしているので毒気を抜かれてしまう。


「お前、この前一緒にいた魔法使いっぽいのが契約者なんだろ?あいつから魔力をもらうときは直接じゃないのか?」

「それはそうなんだけどー、薄められて水なのかお酒なのかわからなくなったような液体を、コップに半分だけもらうような感じなんだよねー」

「今は?」

「すっごく甘い果実酒を一気飲みしてるみたいな感じー!頭がふわふわするー、癒されるー!」

「そうか、そりゃよかったな……」


 俺とラウラにしては珍しく、しばらく無言の時間が続く。

 ラウラは目を閉じて、うっとりとしながら食事を続けており、俺はそんなラウラに若干の気まずさを感じながら、もう中身がなくなりかけているコップにちびちびと口をつけた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る