第91話 閑話:とある少女の物語20
side:リリー・エーレンベルク
戦争都市を訪ねてから1か月が経過した。
私はカールスルーエ伯の屋敷に世話になりつつ、私自身の目的を果たすために都市内の奴隷商を精力的に査察している。
今も地味なローブを被り、口元をマフラー状の布で隠して、とある奴隷商の屋敷へと向かっているところだ。
私の行動は伯爵に逐一報告されているはずだけれど、伯爵の方から私になにか言ってくることは今のところない。
あの時のハッタリがよほど効いたのだろう。
(2000メートル先の標的を狙い撃ちなんて、できるわけないのにね……)
私はあのとき、要塞都市の外郭に当たらないように、わざと狙いを外して魔術を使ったのだ。
本気で狙ったところで3回に1回当たれば上出来だろうけれど、万が一外郭に直撃して魔導砲を巻き込んだら、魔女が歓喜して止まらなくなると思ったから。
それが幸か不幸か、遥か彼方の跳ね橋を直撃したと聞いたときは何の冗談かと思ったものだ。
(魔力も、まあ……尽きてはいなかったけれど……)
3割くらいは消耗したか、と思い返す。
飛距離を優先した魔術では、そこまで広範囲を焼き払うことができない。
また、数十か所に同時攻撃できるとはいえ、一か所当たりの攻撃範囲は精々半径数メートルから十数メートルに留まる。
仮にも要塞都市と呼ばれるような場所で燃えやすい建材は使わないだろうし、魔力が尽きるまで攻撃を繰り返したとしても要塞都市を丸ごと焼き払うには全く足りない。
延焼でいくらか被害が拡大すると仮定しても焼け石に水だ。
(それでも、やりようによっては要塞都市も攻略できるだろうけどね)
私が本気で要塞都市を落とそうとするなら、やはり試行回数を稼ぐ方法が最も確実だろう。
長射程高火力の火球を少数だけ生成し、軍の施設や政庁などの要所を狙って爆撃を繰り返す。
一度に発射する数が少なければいくらか命中精度は向上するし、私の魔術の精度が良くないといっても、数打てばいつかは必ず命中するのだ。
運悪く当たらなければ撤退してまた次の日、ということを繰り返せばノーリスクで要塞都市の戦力や資源を削り続けることができる。
別に1200メートル四方の要塞都市を1日で火の海にする必要なんてないのだから。
(あ、ここが今日の目的地かな?)
どうでもいいことを考えている間に今日の目的地に到着したようだ。
通りから視線を向けた先には、戦争都市で最も影響力のある奴隷商の屋敷があった。
今日、この屋敷に戦争都市の奴隷商の多くが集結し、話し合いを持つことになっている。
議題は奴隷商を襲撃する謎の魔術師への対応について。
つまり私からどうやって逃げるとか、どうやって排除するとか、そういうことを話し合うために奴隷商たちはこの屋敷に集まっているのだ。
屋敷の主人が、私に屈したことも知らずに。
(最初は一件ずつ順番に潰していく予定だったんだけど……)
ここ1か月ほど、私は素性を隠して奴隷商を手あたり次第訪ね、そこで売られている全ての奴隷を自分の目で確認した。
それだけでなく、過去数か月の取引記録も確認し、彼と思しき奴隷が取引された形跡がないか入念に調査した。
結果は残念ながら全てハズレ。
彼と無関係だとわかると、売られている奴隷たちを店の外に出してから店主や店員諸共店を焼き払った。
奴隷たちを縛る隷属の首輪は主人が死ねば効力を失うから、私が彼の痕跡を見落す可能性を考えると、奴隷の主人である店主や店員を生かしておく理由がない。
目立つにもかかわらず店ごと焼き払う理由は、隠れている店員や店主を一人残らず探し出すのが面倒だからだ。
できるだけ早く彼を解放してあげたい。
その一心で、可能な限り効率的な方法で彼の居場所を探し続けた。
しかし、そうやっていくつかの奴隷商を潰したところで、このままではダメだということに気が付いた。
奴隷商の数が私の想定よりもずっと多かったのだ。
今は謎の魔術師が奴隷商を襲撃しているという情報が拡散され、どうやってこれを排除するかという流れになっているものの、彼らが講じた対策で私が排除できないということが広まれば、きっと彼らは戦争都市から逃げようとするだろう。
そうなると、おそらく奴隷商の半数以上を取り逃してしまうことになる。
そう思った私は、奴隷商をまとめて始末するために一計案じた。
「ちゃんと全ての奴隷商を集めることができたのかしら?」
「ええ……。あなたが指示したとおり、都市内で店を構える奴隷商は、全員ここにそろっております」
「そう。ご苦労様」
奴隷商の屋敷の中にある、本来は会議に使われるであろう窓のない広めの部屋。
そこには数十人の奴隷商が集められ、軟禁状態に置かれていた。
「貴様……、我々を売ったのか!!」
「卑劣な賊に屈するなぞ、商人の誇りはないのか!!」
「このような所業、伯爵様が許しませんぞ!!」
「愚か者め!恥を知れ!!」
裏切り者の奴隷商に向けられる敵意と罵声は留まるところを知らない。
その一方で、騙された彼らがこの部屋から出て行く様子はない。
部屋の内外には屋敷の主である奴隷商の私兵が、各々の武器を構えて彼らを威嚇しているからだ。
もちろん、私兵たちの武器が私に向けられることはない。
それをやった者の末路を、彼らはすでに知っている。
「愚か者ですか……。それは、あなた方のことだと思いますよ」
私の隣に立つ裏切った奴隷商、名はたしかゲゼルといったか。
彼は神妙な表情で、彼らを諭すように語りかける。
「伯爵様は、我々の商いが戦争都市に必要であることを理解しておいでです。ですから、これまで我々に対して多大な支援をしてくださいましたし、我々を襲撃する者を積極的に排除してくださいました」
「それを知りながら、なぜ伯爵様に敵対するような真似を!」
捕らわれた奴隷商の一人が、憤りに任せてゲゼルの言葉を遮った。
周囲の奴隷商も「そうだそうだ!」と声を上げるが、ゲゼルはそれを憐れむような目で見返し、さらに続ける。
「伯爵様は、もう我々を守ってはくださらない」
一瞬、辺りがしんと静まり返った。
捕らわれた奴隷商たちの多くは、ぽかんと呆けたように口をあけている。
しかし一部の奴隷商、身なりから察するにおそらく大手の者たちは、やはりという表情をしていた。
彼らはその兆候をどこかから感じていたのだろう。
「何を、馬鹿な……」
先ほどと同じ者が声を上げても、今度は周囲の声が続かない。
「本当のことです。私は戦争都市で長く奴隷商をやっていますので、衛士隊の高位の方とも付き合いがあります。その方が言っていましたよ。先日から、奴隷商を襲撃する者への手出しを禁じられていると。伯爵様直々のご命令だそうで、違反者は例外なく処刑すると厳命されているそうです」
捕らわれた奴隷商たちの視線が、ゲゼルの隣で仁王立ちする私に向けられる。
ゲゼルが疑われていると話がスムーズに進まないかもしれないから、少しだけ援護射撃をしておくことにした。
「ゲゼルの話は本当よ。カールスルーエ伯とは話がついているから、私がこの都市で何をしようと、衛士が私を捕縛することはないわ。というか、これだけ奴隷商を焼き討ちしたのに手配書も出回らないなんて、不思議に思わなかったの?」
「………………」
捕らわれた奴隷商たちの表情を確認していくと、悲壮感にあふれたものが大半、憎々しげに私を睨みつける者が数人といったところ。
これなら話を進めても大丈夫そうだ。
「さてと……。じゃあ、あんたたちに集まってもらった理由を説明するわね。ああ、実際に見てもらった方が早いかしら」
私は壁際に控えていたゲゼルの私兵の一人に指示し、捕らわれた奴隷商から適当に一人選んで私の前に跪かせた。
「ひっ、た、助けてくれ!許してくれ!」
無様に命乞いする男を、ゲゼルの私兵が用意した椅子に座って無感情に見下ろす。
最初は憎しみを込めてわざわざ甚振るようなこともしてみたけれど、多くの奴隷商を襲撃するうちに早々に飽きてしまい、今では書類仕事をするときのように無駄なく尋問することを心掛けている。
「あなたがここ半年くらいで扱った奴隷の中に、アレックスという名前の少年はいなかった?歳は12歳、黒髪、瞳は深い青色、冒険者を目指していてそれなりに戦えるはずよ」
「こ、答えれば見逃してくれるのか?」
私は無駄口を叩いた男の片腕を焼いた。
「ぎいああああああ!!!?」
奴隷商の男が絶叫を上げる。
先ほどの弱々しい態度からは想像できない耳をつんざくような音に、思わず顔を顰めてしまう。
「……あなたは私の尋ねたことに、過不足なく、簡潔に答えればいいの」
「あ……ぎ、ぅ…………」
「もう一度だけ聞くわ。アレックスという少年に心当たりはあるの?ないの?」
「な、い……。知らない、うちは、若い女専門だ。間違いない」
「そう。お疲れ様」
用済みになった奴隷商の男を焼いた。
また叫ばれるとうっとおしいと思って火力を強めにしたから、きっと痛みを感じる間もなく天に召されたことだろう。
しかし、私の配慮も虚しく、部屋の中は再び騒音に包まれた。
「ふざけるな!どうして殺した!?」
「結局殺すのか!!貴様に慈悲はないのか!!」
「悪魔め!!」
「嫌だ!!死にたくない!死にたくないっ!!」
「うああああああああ!!ああああああああああぁ!!」
一人目の末路を目に焼き付けた奴隷商たちが、口々に何事かを叫び出した。
私への罵声、命乞い、意味をなさない声。
まさに阿鼻叫喚の様相を呈している。
「うるさいわ。黙りなさい」
私の制止を受けても状況は変わらない。
もしかしたら私の声が聞こえていないのかもしれない。
深くため息をひとつ。
「許可なく声をあげたら殺す」
左手に人の頭部を丸ごと包むくらいの炎を生成して最終通告を発すると、奴隷商たちの声はぴたりと止んだ。
白色ではない、よく見かける色の炎。
殺傷力は白炎に大きく劣るけれど、原始的な恐怖を呼び起こすには、やはり橙色の炎が適している。
「ひとつ、よろしいでしょうか?」
「……なに?」
私の従者のように侍っていたゲゼルが、震えを押し殺して私に問う。
「私と私の私兵は、助けていただけるのですよね?」
「心配しなくても、用が済んだら解放してあげるわ」
「……ありがとうございます」
他の奴隷商たちはゲゼルを罵倒しようと口を開き、私の言葉を思い出して口をつぐむ。
ありったけの憎しみがこもった視線を向けられても、ゲゼルとしては安心感が勝ったようで、あからさまに頬が緩んでいる。
「安心してね。私が求める情報を持っている人も、ゲゼルと一緒に解放してあげるから」
そう告げて、私は作業を始めた。
「そんな奴知るか!地獄に落ちろ!!」
「知らないなら用はないわ」
次。
「嫌だ!死にたくない!!」
「わがままね」
次。
「俺の親族には貴族の嫁になった奴が――――」
「そんなこと聞いてないわ」
次。
「知ってる!俺は知ってる!」
「そうなの?なら彼のことを教えてちょうだい?」
「何を話せばいい?」
「彼が使う槍はどんなものだった?」
「……よく覚えてない。たしか、一般的な短槍を――――」
「ウソつきは死ね」
次。
「お前が死ね!」
「…………」
次。
「あと半分くらいかしら?疲れるわね」
「お疲れ様です」
安全地帯にいることで平静を取り戻したのか、それとも感覚が麻痺してしまったのか。
隅に積み上げられた焼け残りから漂うひどい臭いにも負けず、微笑を湛えたゲゼルが私の機嫌を損ねないよう相槌を打つ。
ゲゼルの私兵たちは臭いに耐えかねて代わるがわる部屋から駆け出していく中、ゲゼルの忍耐強さが際立っていた。
一方、尋問待ちの奴隷商たちの様子はひどいものだ。
生きることを諦めたように放心した者や嗚咽を噛み殺して俯く者。
先ほどまでは何人か残っていた私を睨みつける者も、もはや一人を残すのみだった。
「次、あの人」
気まぐれで、私を睨みつける最後の一人を先に尋問することにした。
すぐさまゲゼルの私兵によって私の前で跪かされた男は、しかし、この期に及んでも怯む様子を見せようとしない。
それでも私がやることは変わらないのだけれど。
「何か話したいことはある?」
興味半分、諦め半分で問いかける。
どうせこの男も何も知らないのだろう。
そう思っていた私の予想は、次の瞬間、ついに裏切られた。
「俺は知ってるぞ。もう半年近く前に別のガキのついでに仕入れたガキのことだ」
「…………へえ?」
当時の状況は魔女の配下が孤児院の職員たちから事細かに聴取しており、その結果を私も当然入手している。
『別のガキ』とは、おそらく彼の一つ年上のオットーという少年のことを指しているのだろう。
『ついで』という表現も、その日彼を売るつもりがなかったという孤児院職員の供述と合致する。
初めての進展に、自然と期待が高まる。
「興味深い話ね。それで、彼は今どこにいるのかしら?」
興奮を悟られないように、努めて落ち着いた声で続きを促す。
すると、男はにやりと笑って私の問いに答えた。
「死んだよ」
一瞬、男が発した言葉が理解できなかった。
理解することを、私の脳が拒否していた。
「何を言って……」
「死んだって言ったんだよ!何度聞いたって同じだ!」
畳みかけるように、男は言葉を紡いだ。
「期限になっても『商品』が届かなかったから、どうなってんだって問い合わせたのさ!仕入れ専門で仕事は確かな奴だったから、何事かと思ってなあ!!」
聞きたくない言葉が、耳に飛び込んでくる。
「調査したら荷運びに使う馬車が森の中で見つかったそうだぜ!魔獣の死骸と獣が食い荒らしたような死肉の欠片が散らばってたってさ!仕入れ役も、荷運びの傭兵も、てめえが探してる奴隷も、みんな仲良く魔獣の餌だ!ざまあみろ、クソアマァ!!」
男の哄笑が、私の思考を侵食する。
「そんなはずない!」
私が返すことができた言葉は、ただそれだけだった。
暴虐の限りを尽くしていた私が狼狽していることを察したのか、生きることを諦めていた者たちもここぞとばかりに私に向けて罵声を浴びせ始める。
「認めろ!そのガキは死んだんだ!」
「きっと生きたまま魔獣に腸を食いちぎられたんだろう!さぞ苦しかっただろうなあ!!」
「そんなことあるわけないっ!黙れ!!黙れえええぇ!!!」
否定したい。
しかし、否定できる材料が見つからない。
「ハハハッ、取り乱してるぞ!無様だな!」
「調子に乗った罰だ、ざまあみろ!!」
私は強烈な眩暈に襲われた。
彼が、死んだ?
違う。
そんなわけない。
あり得ない。
彼が死んだなんてありえない。
ありえない。
アリエナイ。
「ああ、そっか、逃げたんだ。そうに違いないわ」
「は…………?」
「きっと彼は危険を察知して、魔獣の襲撃に乗じて傭兵を討ちとって、追っ手を撒くために自分が死んだように偽装して、それから行方をくらましたのよ」
「な、なにを馬鹿なことを……」
一度思いついたら、これしかないと思える。
考えてみれば、彼がチンピラに毛が生えたような傭兵に捕まって奴隷になるなんてこと、あるわけがない。
間違いない。
間違いない。
間違いない。
「そうと決まれば、早く彼を探しに行かなきゃ」
戦争都市の奴隷商から身を隠すなら、戦争都市には近づかないだろう。
きっとどこか見つかりにくいところに身を隠しているはず。
冒険者になって一人で生きていく術を身に着けて、もしかしたら名前も変えているかもしれない。
結局、私がやることは変わらない。
今までどおり、何も変わらないのだ。
「おい!煽るんじゃない!!」
「そうだ!余計なことをするな!」
「家族のもとへ帰してくれ!」
「もうしない!この仕事からは足を洗う!だから、頼むから助けてくれ!」
雑音が喧しい。
奴隷商同士仲良くすればいいのに、仲間割れを始めたようだ。
彼が死んだなんていう大ウソで私を騙して笑っていた者たちに、それ以外の奴隷商たちが罵声を浴びせている。
そのうち数人は、罵声を浴びせ終わると私に命乞いまでしている。
「そうね、もうあなたたちに用はないから、好きにしていいわ」
「本当か!?」
私はゆっくりと椅子から立ち上がると、屋敷の外へ向けて歩き出す。
背後から歓声やら神を讃える声やら泣き声やら、いろいろな音が弾けて一気に騒々しくなった。
「良かった!助かった!」
「ゲゼル!早くここから出せ!」
「助かった……。もうおしまいかと思った……」
私は外に出て、空を見上げた。
窓のない部屋にいたから日の光が眩しくて、少しだけ目がチカチカする。
何度か瞬きをして視界を取り戻すと、この都市で過ごした時間が無駄になったということを思い出して、しみじみとため息をつく。
「さてと……」
私の周囲には、たった今生成した10個ほどの白い火球。
手を払うように一振りすると、私がつい先ほど出てきたゲゼルの屋敷の玄関や窓に次々に吸い込まれていく。
直後、爆音に合わせて屋敷が火を噴いた。
建物自体は頑丈なのか、意外にも崩れずに耐えきった。
魔術に耐える素材を使っていたのかもしれない。
もっとも、建物の頑丈さと建物の中にあるものが炎に耐えられるかどうかは別問題で、家財道具やら何やら、いろいろなモノの欠片が窓ガラスと一緒に庭に飛び散った。
火勢の強さを考えると、建物が崩落するのも時間の問題だろう。
私は望んだ結果を得られたことに満足すると、大通りへと向かって歩き出した。
(まずはカールスルーエ伯にご挨拶して、明日の朝の飛空船に乗って――――)
これからは、あてどない旅になる。
建前の治安維持を適当にこなしながら、彼を探すために各地を回らなければならない。
私は考え事をしながら、伯爵の邸宅へ向けて大通りを歩く。
(最初の目的地はどこにしよう……)
慎重な彼のことだから、きっと国外には出ないだろう。
身を隠すために人口の多い都市に潜んでいるのかもしれない。
冒険者になるのが夢なら、冒険者として活動しやすい都市も候補になる。
「ふふふ、待っててね。アレックス君……」
私が必ず迎えに行くから。
どんな手段を使っても、どれだけ時間がかかっても。
私があなたを見つけてみせるから。
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