第90話 閑話:とある領主の物語2
『あー……』
『はずれ…………ですかな』
思わず拳を天に突き出した。
快哉を叫ぶことは、なんとか耐える。
しかし、表情が緩むことは抑えられない。
私とは正反対に、少し不機嫌そうな魔女の声が魔道具越しに届く。
『『……どうなったのだ?』』
『都市の中に着弾…………したかなぁ?ちょっと力みすぎてかなり左……南の方に逸れちゃって。外郭の上を越えたとこまでは見えたけど……』
『もうすぐ騎士たちが戻ってくるでしょうから、都市内部に着弾したかどうかは、彼らが教えてくれるでしょうな。おや、噂をすれば……あちらに見えるのがそうでしょう。どうやら追手もかかっているようです。ささ、エーレンベルク様も撤退の準備を』
どうやら、なんとかなりそうだ。
魔女とて貴重な配下をむざむざ失うわけにはいかないはず。
いくら宮廷魔術師が強力であるとはいえ、その魔力には限度がある。
平地で数千の兵力を相手にすれば簡単に討ち取られてしまうのだから、このまま戦闘を継続しようとは言わないだろう。
私は無事にこの危機を乗り越えたのだと確信していた。
『跳ね橋が落ちた!!』
だから、騎士団長の声が聞こえてもそれが何のことなのか、すぐには頭に入ってこなかった。
『それは、どういうことかね!?』
『それはこちらのセリフだっ!要塞都市の門から公国騎士団が出撃を始めた途端、跳ね橋が外郭ごと爆発して門を塞いだ!外に展開できた騎士はほとんどないない!残りは馬ごと堀に水没したか、要塞都市の中に閉じ込められたかどちらかだ!一体何が起きている!!』
頭の中が真っ白になった。
そんなことが起こり得るのか。
外郭の魔導砲を狙った魔術が、さらに遠くの都市正門を直撃するなど、そんなバカな話があり得るのか。
要塞都市の門は、防衛戦力を集中させるために一か所しか用意されていない。
その門は巨大な跳ね橋によって出入りが管理されており、これがなければ門は通行できない。
外から中に入ることができず、中から外に出ることもできない。
どこかに隠された抜け道くらいあるだろうが、それが都市外に騎士団を展開できるようなものとは限らない。
魔女が愉快そうにくつくつと笑う。
『『いやはや、本当に素晴らしい戦果だな、リリー。最も厳重に防御が施されているであろう要塞の正門を内側からの魔術攻撃で破壊するとは。なるほど、角度をつければ理屈上は可能だろうが、実際にやってのけるとは驚きだ。師として誇らしいぞ!』』
『褒められたのか嫌味を言われたのか判断に迷うところね……。すっぽぬけた魔術で偶然手に入れた戦果で喜べるほど能天気ではないつもりなんだけど』
『『常に狙った戦果を挙げられるものなどおらんのだ、気にすることはない。ところで、今がどういう状況か理解しているかね?』』
『要塞都市の騎士が20騎ばかり、こちらに向かってきているわね』
『『なに……?ああ、そういえばそんな話も聞いたな。カールスルーエ伯の騎士は?』』
『ここにいるわ。数は……40くらい』
『『そうか、なら問題はないな。カールスルーエ伯、敵騎士は任せてよいな?』』
「…………もちろんですとも」
我が騎士団が相手をしなければ、小娘が皆殺しにしてしまうだろう。
どのみち、こちらの状況を伝える機会は必要だ。
この状況で和解を模索することの難しさは十分に理解している。
しかし、今は騎士団長がうまく話をまとめてくれることを祈るしかない。
『『……話を戻そう。私が言いたいのは今この状況下で、お前は敵兵力を気にすることなく存分に要塞都市を攻撃できるということだ』』
魔女はどうしても要塞都市を攻略したいらしい。
魔術師団では攻撃が届かず、騎士団には別の任務を当てた今、要塞都市を攻撃できる者はエーレンベルク以外にはいない。
こうなれば魔力が尽きるときを待つか、あるいは――――
『あっ……』
『『今度はなんだ?』』
『敵の騎士がこっちに突撃してくる』
『『なんだと!?こちらの騎士たちは何をしている!』』
『突撃をかわされたみたい』
あるいは、要塞都市の騎士がエーレンベルクを討つか。
しかし、それはおそらく叶わない。
魔道具を通じて聞こえてくる小娘の淡々とした声。
自分の命が危機にさらされている者の声音ではない。
直後、立て続けに大きな音が響いた。
『…………お待たせ』
『『……やれやれ、半数を相手に翻弄されるとは。戦争都市の騎士団も質が落ちたものだ』』
「…………申し訳、ございません」
騎士団長はわざと彼らを素通りさせたのだろう。
小娘の暴虐を間近で目の当たりにしていれば別の選択肢もあっただろうが、それを求めるのは酷というものだ。
『はー、疲れてきた……。さっきの騎士たちに叩き込んだ魔術、もう少し弱くても良かったかも。もうあんまり魔力が残ってないわ……』
魔力切れ。
魔術師の活動限界であり、越えられない壁。
この小娘だって例外ではない。
そして、この機を逃す手はない。
「我らのためにその魔術の腕を振るってくださったこと、感謝を申し上げます。しかし、魔力が不足しているなら、これ以上エーレンベルク卿を危険にさらすわけにはまいりません」
『『なっ……、おい、リリー!我が祖国100年の悲願がもうすぐ叶うのだぞ!?もう少しだけ頑張れないのか!?』』
『魔導砲をいくつか無力化するくらいならやれるかもね。でも、数日も経てば修理されちゃうでしょう?仮に東側の外郭の魔導砲を全部無力化できたとしても、それで魔力が底をつくんじゃ意味はないわ。せめて、さっきの騎士たちがいなければねー……』
『『〇×△□……!』』
『ちょっと、怒らないでよ!私のせいじゃないでしょう!?』
現実を認められないのか、内容は聞き取れないながらも弟子を怒鳴り散らす声が伝わってくる。
魔女はさぞ悔しいことだろう。
権力闘争のために帝都を好きに離れることもできず、自らが前線に立つことができる機会はほとんどない。
愛弟子の活躍でようやくかと思いきや、些細なことで勝利が零れ落ちた。
(だが、これでいい。これで領民の平穏は守られた……)
エーレンベルクの魔術は脅威だが、今回の戦闘でその力を推し量ることができた。
賠償といくらかの尊い犠牲があれば要塞都市との関係を再構築することも不可能ではないし、平地で、そして十分な兵力で押し包めばエーレンベルクとて不死身ではない。
(やはりエーレンベルクに犠牲になってもらうことが、一番誠意を示すことができるか。いや、まずはエーレンベルクを労わねば……)
魔女との連絡も終わったようだ。
つい先ほどまでは怒りで煮えたぎるような思いを抱えていたが、この都市のために犠牲になってもらうのだから、今回のことにも目を瞑ろう。
「エーレンベルク卿、ご苦労だったね」
『あら、労いありがとうございます、カールスルーエ伯。でも、それほどの苦労はありません。これから帝都でお怒りのお師匠様を宥めることの方が、苦労しそうなくらいです』
「はははっ、謙遜はよしたまえ。貴殿の貢献は過去にも例がないほど大きなものだ。それに、疲れていないはずはない。魔力も残り少ないのだろう?」
『ああ、それなんですけど――――』
ウソよ?
もう何度目かわからない感覚。
この小娘は何を言っているのか理解に苦しむ。
しかし、背中の辺りがうすら寒く感じるのはどうしてか。
「ウソ、とはどういう意味かな?」
『そのままの意味よ。私の魔力はまだ十分残ってるってこと。なんなら、さっきの倍の火球を要塞都市に撃ち込んでもいいし、魔導砲を破壊しつくすまで外壁に魔術を叩きこんでもいいし――――ここにいるあなたの配下を、皆殺しにしてもいいわ』
魔術師団長が息を飲む音が聞こえてくる。
完全に恐怖を植え付けられているのだろう。
しかし、ここまで言われても騎士団長が怒声を上げないのは一体なぜか。
(いや、彼も要塞都市の騎士の最期を見ているのだったか……)
彼我の能力を理解しているからこそ黙っているのだとしたら、我が騎士団と魔術師団は100人近い人数で魔術師一人を囲んでいるにもかかわらず、本当に全滅し得ると判断しているということだ。
「…………冗談が過ぎるぞ、エーレンベルク卿」
『冗談ではないから仕方ないわね。そもそも、私を公国の戦果にしようとしたのはあなたでしょう?私に喧嘩を売ったのは、あなたでしょう?』
暴言の理由はそれか。
おそらく騎獣の操者の少女から漏れたのだろう。
確実に戦死するようにと、言い含めたことが仇になった。
しかし――――
「なにか誤解があるようだね。だが、仮にそうだとして、それをキミのお師匠様に伝えないのはなぜなのかな?」
なぜ、今なのか。
先ほどそれを魔女に伝えれば、もっと確実に私を追い詰めることができたはず。
一体、この小娘は何を狙っているのか。
『だって、お師匠様に告げ口してしまったら、交渉の機会がなくなってしまうでしょう?』
「交渉?キミは一体、我々に何を求めているのかな?」
柔らかな言葉で小娘への返事を紡ぎながら、私の頬は緩んでいく。
(やはり、若い)
金か、魔道具か、それとも奴隷か。
何を望むか知らないが、その要求自体がドレスデンへの密告というカードになることを理解できないなら失笑ものだ。
魔女は小娘に魔術を教えても、処世術は教えなかったらしい。
どれだけの魔術を操ろうとも、物欲に目がくらんだ愚物ならやりようはいくらでもある。
『――――』
「…………は?」
小娘は何を言ったのか、理解できなかった。
「もう一度、言ってくれるかな?」
確かに耳に届いた言葉が信じられず、私はもう一度、小娘に問う。
『なにも。そう、言ったのよ』
答えは変わらない。
額に汗がにじむ。
小娘は何を要求しようとしているのか。
言葉とは裏腹に、何かとんでもないことを望むのではないか。
そんな予感に胸が苦しくなる。
『言い方が悪かったなら言い直すわ。私は、あなたに、何もしないことを望んでいるのよ』
「何もしないこと……?」
ますますわからない。
私と小娘の関係性は爵位において私が優越する。
とはいえ、小娘があの魔女の愛弟子であることを考えれば、私が強要できることなど多くはない。
むしろ魔女の後ろ盾を頼んで小娘に好き勝手されれば、こちらは非常に難しい対応を迫られるだろう。
『そうよ。それをあなたに要求するために、私はくだらない茶番に付き合ったんだから』
「茶番、だと?」
『だって、そうでしょう?魔導砲を狙った魔術が、たまたま明後日の方向に飛んで行って跳ね橋を破壊した?ふふっ、そんなバカみたいな話が本当にあると思ってるの?』
「何を……言っている……?」
まさか。
まさか、狙ってやったというのか。
偏執的なまでに強化された要塞都市の
それを一撃で破壊するほどの魔術を、2000メートル以上も離れたところから狙い撃ったというのか。
『ありえません!ありえませんぞ!いくら宮廷魔術師と言えど、そんなことができるはずがありません!お館様、騙されてはなりませんぞ!』
こちらで最も魔術に明るい魔術師団長が、ハッタリだと断言する。
ほかの魔術師団員からも、遠慮がちながらも魔術師団長に同意する声が聞こえてきた。
『あら、魔術の技量を疑われるなんて心外ね。なら、もう一度実演しようかしら?そうね、魔導砲を左から順番に撃ち抜いて行くなんてどう?あなたたちが要塞都市を攻めない理由、なくしてあげてもいいのよ?』
「――――ッ!!」
それは、それだけはダメだ。
もし、万が一にでも実行に移されることがあれば、両都市の関係は確定的に変わってしまう。
「キミがドレスデン様にウソをついていたこと、ドレスデン様に報告すると言ったらどうかな?」
少しでも揺さぶりになれば。
そう思って、私は手に入れたばかりのカードを切った。
先ほどは信じることができた、今ではもう頼りない切り札。
しかし、それはやはり小娘の動揺を誘うことはできなかった。
『ご自由に』
「……キミの師匠が、怖くはないと?」
『あら、もちろん怖いわよ?流石にあのお師匠様が相手だと分が悪いことは間違いないし。でも、お師匠様はこれくらいのことで私を呼び出すなんてしない。今だけは絶対にないと言い切れる。そんなことをすれば私と殺し合いになるって、お師匠様もわかってるから』
「そうか……」
私は、選択を迫られている。
この小娘は、一体どちらだろうか。
遥か彼方の跳ね橋を破壊し、魔導砲台をすべて無力化する――――ひとつの都市を単独で制圧すると言っても過言ではないほどの戦果をあげることができる魔術師か。
それとも、偶然に得た戦果を盾にハッタリを言うだけの魔術師か。
あの大魔術師と殺し合いができる豪語する小娘は、一体どちらだろうか。
「なぜ……?」
『……何を聞かれているかわからないわ』
「……なぜキミは、これだけのことをして、私に何もしないことを望むんだね?」
『ああ、そうね。そういえば、言ってなかったわ。私はね――――』
その瞬間、怖気が走った。
『奴隷として戦争都市へ連れ去られた彼を、探しに来たの。私の目的は、それだけなのよ』
肌が泡立つ。
端的な言葉に込められた感情が、魔道具から飛び出して心臓を鷲掴みにする。
『お師匠様はあんなことを言うけれど。私はね、本当にどっちでもいいの。戦争都市と公国が全面戦争を再開して、その結果として戦争都市が荒廃することになっても、このまま戦争都市と公国が茶番を続けて、戦果を挙げに来た貴族が公国の戦果になっても。そんなことに、全く興味はないの』
小娘は朗々と紡ぐ。
まるで、詩でも読み上げるように歌い上げる。
『私があなたにしてほしいことは、ただひとつだけ。私が戦争都市で何をしようと、気にしないでほしいの。奴隷商人を殺して回ったり、ちょっと乱暴な方法で人探しをするかもしれないけれど、衛士や騎士が私の邪魔をしないように、言い含めておいてほしいの。これは別にお願いじゃなくて、あなたのために言っていることよ?だって――――』
一呼吸おいて、小娘は嗤った。
『戦争都市を、焼かれたくはないでしょう?』
私は怖気の理由を知った。
これは小娘でも魔術師でもない――――悍ましい悪魔だ。
数千数万の領民を生贄にしてでも、自分の望みを叶えることを当然とする狂気の悪魔なのだ。
『ねえ、カールスルーエ伯。答えを聞かせてくれるかしら?』
悪魔が問う。
望む答えを返さなければ、それは戦争都市を焼き払うだろう。
ただ一人の人間を探すために、数千数万の領民が灰燼に帰すのだろう。
もはや私に、選択肢など残されてはいなかった。
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