第89話 閑話:とある領主の物語1




『お師匠様の恥を雪ぐついでに、私のとっておきを見せてあげる』


『要塞都市を攻め落としたいのでしょう?私がそれを、叶えてあげる』


 執務机の上に置かれた小さな箱型の魔道具から流れる朗々とした少女の声。

 私は、それを前線基地で聞いていた。


 要塞都市の魔導砲がエーレンベルクを砲撃したという報告を受けた私は、彼女の師である大魔術師ドレスデンに彼女の死を伝えるための親書の文面を考えていた。

 公国との戦争を支援するために派遣されてきた部隊の壊滅、指揮官の戦死。

 それらを彼らの主へと伝え貢献を讃えることは、私のせめてもの償いだ。

 今回の相手は大物だから相手を不快にさせないよういつも以上に注意しなければならないが、だからと言って文面が大きく変わるわけでもない。

 親書をしたためる。


 それだけのこと――――そのはずだった。


『あ、ああ……そんな……。煙が……燃えている……』


 それは、わずかな時間の出来事。

 戦死したはずのエーレンベルクの生還。

 状況を不審に思ったのだろう、魔術師団長との問答。


 そして、行使されたであろう大魔術。


 その結果がどうであったのか、ここから見ることはできない。

 しかし、うわ言のように意味のない言葉を呟き続ける魔術師団長の声が、何よりも雄弁に行使された魔術の威力を物語っている。

 要塞都市へと向けられた高威力の攻撃魔術。

 それは『本格的な戦闘行動を行わない』という、我らと公国との間に醸成された暗黙の掟が破られたことを意味していた。


(なぜ、こんなことにっ……!)


 たしかに私たちの行動は、帝都の貴族たちから見れば背信行為なのだろう。

 敵勢力と通じ、友軍をすり潰し、その血を啜った。

 もしこのことが露見すれば、彼らは私をそう非難するに違いない。


 だが、それでも私は己の行いを省みるつもりはない。

 私は見てきたのだから。

 その意に反し、戦地で命を散らすことになった領民たちの躯を。

 家族が帰らず、泣き崩れる遺族を。


 もしこの戦いが、例えば自国領を侵犯する他国に抗うためのものであるならば、私は心を鬼にもしよう。

 農具や工具を持つ手に武器を持たせ、故郷の大切な人たちのために死ねと命じることもしよう。


 しかし、この戦いに大義などないのだ。

 私たちは大昔に自国ではなくなった領土に固執するクズ共の意地のためだけに、100年もの長きにわたり戦い続けることを強いられてきたのだ。


 働き手が不足した農地は荒れ、領内の生産力は低下した。

 父を喪い、母に捨てられた孤児が領内にあふれた。

 少しずつ成長を遂げる他領を尻目に、栄華を誇ったカールスルーエ領はじわじわと衰退していった。

 このままでは未来がないことは明らかだった。


 だから、これは当然の帰結だった。


 長きにわたる戦争に疲弊していたのは公国も同じ。

 西方諸国から援助を受けているとはいえ、領民が減っては成長を維持することは難しい。

 両軍の小隊が協力して大型の魔獣を討伐したことが契機となり、次第にこの秘密協定は暗黙の了解として両軍に浸透していった。

 索敵部隊は敵影を見ても、何も見なかったと報告する。

 他領からの援軍が来たときは互いに情報を共有し、それぞれの戦果を演出することも忘れない。


(よくも…………よくもやってくれたな!小娘が!!)


 握りしめた拳が震える。

 帝都から観光気分で訪れた小娘に、我らが多大な犠牲を払って手に入れた平穏を踏みにじられたと思えば怒りで気が狂いそうだった。


『さあ、そろそろ十分に休憩できた頃でしょう?要塞都市に向かうわよ』

『う、あ……おお、そう、ですな……。きっと、もう彼らに戦意など残っていないことでしょう。降伏する者たちを、あそこから助け出さなければ。さあ、お前たち、手早く準備を』


 小娘に促され、ようやく我に返った魔術師団長は、配下の魔術師たちを促して要塞都市へと向かうようだ。


(それで良い。今は、出来得る限りの誠意を示さなければ……)


 煮えたぎるような小娘への怒りも、今だけは置いておこう。

 手遅れかも知れないが、打てる手はすべて打たなくては。

 そうでなければ、これまでの努力が無駄になってしまう。

 多くの犠牲の上に成り立つ仮初の平和が、本当に崩れ去ってしまう。


『ねえ、何か勘違いをしてないかしら?』


 小娘の声に、背筋が凍る。

 魔道具の向こうから、魔術師団長が息を飲む気配が伝わってくる。


(頼むから、もう何も言うな……!)


 その続きは聞きたくない。

 何なら聞こえなかったフリをして要塞都市へ救助に向かってしまってもいい。

 非礼を咎められたとしても、私がいくらでも頭を下げてやる。


 しかし、祈りは届かない。


『勘違い……ですと?』

『敵兵を助け出すなんて無駄なことはしなくていいわ。それより戦果を稼ぎましょう』


 静寂。

 少女の言葉の意味するところを、誰もが理解できていない。

 理解することを、心が拒んでいる。


『…………ご冗談を。もう、十分な戦果を挙げられたではありませんか?これ以上は――――』

『あら、あなたたちは私の魔術に見惚れていたせいで戦果がなかったのでしょう?せっかくの大勝利にそれでは少し寂しいから、外郭の近くに並んで要塞都市に魔術を撃ちこみましょう』

『はは……お気遣い、感謝申し上げます。しかし、我々とて、誇りある魔術師の端くれ。エーレンベルク様のお力でなしえたことに便乗するような真似は躊躇われますので』


 流石は魔術師団長、上手な切り返しだ。

 魔術師の誇りとは非常に便利な言葉で、これを言えば多少のわがままは許される。

 誇りを大切にしたいから戦果を盗むようなマネはできない。

 こう返されれば、普通の神経なら無理強いはしない。


『今は戦争中だというのに、ずいぶんと悠長なことを言うのね――――ねえ、そう思わない?お師匠様?』

「ッ!!」


 お師匠様。

 エーレンベルクの師匠とはだれか。

 決まっている。

 でも、なぜ、いや、そんなはずは――――


『何を驚いているの?あなただって同じでしょうに。そうでしょう、カールスルーエ伯?』

「――――ッ!!」


 心臓をわしづかみにされるような恐怖。


(なぜっ!?どうして知っている!?)


 今すぐここから逃げ出したい――――そんな衝動を必死に抑える。

 今音を出せば、その音は魔道具によって向こうに伝わってしまう。

 私がこの会話を聞いているということが露見してしまう。


『『さて……まずはご苦労だったな、リリー』』

「……………………」


 思わず天を仰いだ。

 エーレンベルクの言葉と、この声。

 もはや疑いようもない。


 しかし、状況は待ってはくれず、考えがまとまらないうちに事態は急速に動いて行く。


『ええ、本当に苦労したわ。魔導砲で吹き飛ばされそうにもなったし』

『『さて、魔導砲に吹き飛ばされるような可愛げが、おまえに残っていただろうかね』』

『やっぱりそうかしら?まあ、わざわざ試してみる気はないけどね』


 音が少しこもっているのは、魔術師の師弟も私たちと同様に魔道具を介して会話をしているからだろう。


(その場にいないなら、好都合か……)


 もし大魔術師ドレスデンがその場にいたのであれば、魔術師団長が持つ<リンク>の魔道具は容易く見破られてしまうだろう。

 しかし、相手がエーレンベルクならば、先ほどの言葉が単なる鎌かけで実際は魔道具の存在を見抜いていないという可能性も捨てきれない。


(だが、このまま黙っていてどうする……?)


 一体どうすれば領民の平穏を壊さずにいられるのか。

 あれこれと荒唐無稽な案が、私の頭の中で浮かんでは消えていく。


『『まあ、そんなことはいい。そこにいるのは、カールスルーエ伯に仕える魔術師たちだな?』』

『そうよ』

『『そうか、なら丁度良い。彼らを率いて要塞都市を攻め落とせ。この話はカールスルーエ伯も承知していることだ』』


 ふざけるな、魔女め!

 声を大にして叫びたかった。

 しかし、これが魔女の誘いだということは混乱しきった私の頭でも理解できる。

 ここで名乗り出て、要塞都市を攻撃しない理由を問われたら全てが終わってしまう。


 なんでもいい。

 早急に、何か言い逃れることができる理由を探さなければ。


『失礼ですが、ドレスデン様……。我が主も承知しているとは、どういう意味ですかな?』

『『そのままの意味だ。私はつい先ほどまで、カールスルーエ伯と会話していたばかり。彼の代わりに、彼の言葉を貴様らに伝えているに過ぎないということだ』』

『失礼ながら、本当にそちらに我が主がいらっしゃるなら、お声を――――』

『『カールスルーエ伯は先ほど席を立ったばかりでな、残念だが今はこの場にいない。しかし、何を迷うことがある?要塞都市を攻め落とすことに心血を注ぐカールスルーエ伯が、陥落寸前の要塞都市を目の前にして、攻め落とせと命じない理由があるとでもいうのか?』』

『そ、それは…………』


 宮廷魔術師第三席の相手は、魔術師団長でも荷が重いか。

 このままでは押し切られるのも時間の問題のように思える。


 もう少し検討の時間が欲しかったが、やむを得ない。


「一体、ドレスデン様はどなたと会話なされたのか。少なくとも私ではないはずですが」


 私は意を決して声を上げた。


『おお、お館様!いつの間にいらしたのですか!?』


 魔術師団長の安堵が、魔道具越しにも伝わってくる。

 魔道具を用いて会話に割り込んでいた私に対して驚きを表す演技は堂に入ったものだが、やはり魔女の相手は辛かったようだ。


『『そうだったな。先ほど会ったのは宰相であったか。北方特有の銀色の髪を見て、つい思い違いをしたようだ。許せ』』

「…………ッ」


 私の配下に偽りの命令を下しておきながら、白々しく嘯くその傲慢さに怒りがこみ上げる。

 しかし、真っ向から反発はできない。

 宮廷魔術師も第三席以上は侯爵と同等の扱いを受ける。

 加えて、この魔女はもともと侯爵家の生まれで、宮廷内においても大きな権力を握っている。

 勢力を削がれたカールスルーエ伯爵家では、とても対抗できるものではない。


『『それに、思えばちょうどいいタイミングだったとも言える。さあ、カールスルーエ伯!長きにわたる戦争に終止符を打つ、その一歩を踏み出せることを誇りたまえ!配下の魔術師たちに命じ、要塞都市を攻め落とすのだ!』』


 やはり、きたか。

 私を引きずり出すところまでは魔女の想定通りのはず。

 そして魔女の要請を断り切れず、私が配下に要塞都市の攻略を命じれば、魔女の描いたとおりの筋書きが完成する。


 しかし、魔女の掌で踊るつもりはない。

 私の肩には領民の未来がかかっているのだから。


「私としてもそうしたいところではありますが、残念ながら今回の作戦は敵援軍を奇襲して損害を与え、士気を挫くというものです。作戦にあたっているのは、機動力を重視した少数精鋭の部隊となっており、都市の攻略には不向き。むしろ、要塞都市が繰り出す反攻部隊に殲滅される恐れがあるため、遺憾ながら早急に撤退することが必要です」


 事実、要塞都市の常備兵力は7000人ほど。

 隠れる場所が少ない平原での戦闘ともなれば、いくら精鋭部隊とはいえ100人程度では全く勝ち目がない。

 要塞都市正面に展開していた援軍も考えればさらに厳しくなるが――――こちらはエーレンベルクの攻撃と騎士団の突撃によって壊走していると報告が入ったから、数に含める必要はないだろう。


『『ふむ……。リリー、要塞都市の被害状況は?』』

『あちこちから煙が上がってるのは見えるけど、壁が邪魔でよくわからないわ』

『この距離を物ともせず要塞都市を攻撃する手腕はお見事ですが、依然として外郭や魔導砲は健在。要塞都市が混乱から立ち直り、統制を取り戻して反撃に転じるのは時間の問題だと思いますぞ』


 エーレンベルクの不明瞭な返答を補足するように、魔術師団長が撤退を支持する。

 その場にいない魔女に、これ以上の無理を通すことは難しいはずだ。


 魔女が我々を疑っているということは確定的なのだから、今はとにかく撤退することの正当性を主張できれば問題ない。

 その後、魔女の追及が本格化する前に速やかに魔女の敵対派閥に加入し、魔女からの手出しを封じる。

 これまでは多くの貴族から支援を受けられるよう特定の派閥に与せずに立ち回ってきたが、こうなってしまえば仕方がない。


 しかし、魔女はあきらめない。


『『なるほど、問題は魔導砲と今後展開するであろう要塞都市の兵である。そういうことだな?』』

「おっしゃるとおり。もっとも、これらの問題が解決されたことは、過去100年ございませんが」

『『違いないな。ならば――――魔導砲を破壊しろ、リリー』』

「………………は?」


 一体、魔女は何を言っているのか。

 たしかに要塞都市外郭に設置された魔導砲を破壊できれば、要塞都市の攻略は大きく前進する。

 しかし、それができたら苦労はない。

 そんなことができるなら、この戦争はとっくの昔に終わっているはずなのだ。


 まさか、できるというのか。

 あの小娘に、それほどの力があるというのか。


『破壊しろって……私の魔術の精度が悪いことは知ってるでしょう?こんなとこから撃ったって、魔導砲になんて当たらないわ。壁のどこかに当たれば上出来よ』


 私は安堵して胸をなでおろす。

 考えてみれば――――いや、よく考えなくとも当然のことだ。

 魔導砲を設置するために外郭に空けられた穴は、精々1メートル四方。

 それを魔導砲の有効射程より遠くから撃ち抜くなど、できるはずがないのだ。


 しかし、魔女はまだあきらめない。


『『なら、壁に当たればそれでよい。ものは試しだ、いいからやってみろ』』

『まったく、人使いの荒いお師匠様ね…………仕方ない』


 小娘が何事か呟きながら魔術の準備を整えている。

 私はその間、両手の指を絡めて額に当て、目を閉じて神に祈っていた。


(当たるわけがない。外れるに決まっている。はずせ、はずせ、はずせ……!)


 奇跡でも起きなければ成就しないであろう運任せの攻撃。

 それが万が一にでも成功することがないように祈り続けた。


『いくわ』


 ゴオッ、と何かが勢いよく燃えるような音。


 そして、永遠のような数秒間が過ぎた。



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