第88話 閑話:とある少女の物語19
「止まったら殺すから、そのまま丘を越えるまで走り抜けてね」
「――――ッ!」
騎獣を操る少女の体を抱くように差し入れた左手は、少女の細い首を優しくなでる。
その間も、私の視線は要塞都市の方向を睨みつける。
騎士団や魔術師団には見向きもせずに、私だけを集中砲火した要塞都市の魔導砲。
間一髪、背後に向けて放った特大の火球が巻き起こした爆風のおかけで、着弾地点が逸れたか誘爆したか、なんとか危機を乗り切ることができたようだ。
もし撃たれたのが前世の砲弾なら今頃私は原型を留めていなかっただろうけれど、軽い魔石を重い金属でコーティングした不安定な砲弾は、思いのほかあっさり軌道を逸らすことができた。
日々進化しているといっても、やはり魔導砲は発展途上の兵器なのだろう。
(もっとも、<火魔法>を封じた魔石の砲弾で私がやられるかは疑問だけどね)
砲撃の威力は込めた魔術の威力に依存する。
要塞都市に魔女クラスの魔術師がいるならともかく、その辺の魔術師が使う<火魔法>で今更私を傷つけることができるとは思えない。
むしろ炸裂した砲弾の破片が直撃したら、そちらの方が危険だ。
今の砲弾に意図的に金属片をまき散らすような構造があったとは思えないけれど。
「追撃はなし、か……」
爆炎が煙幕代わりになったようで、私と少女は無事に丘を越えることができた。
もっとも、少女が無事なのかどうかは、彼女のこれからの弁明にかかっている。
「無事、魔導砲の射程から逃れられたわね。特別に言い訳を聞いてあげるわ、ハンナ」
「ッ!」
後続がいないと伝えたとき、彼女は目を閉じていた。
それはまるで、これから襲い来る避けられない災厄を知っていたかのように。
私は努めて優しく声をかけた。
もちろん、優しいのは声音だけ。
私の両腕は獲物を絡めとって飲み込もうとする蛇のように彼女の体を抑え付け、左手はその首筋に添えられたまま。
彼女の頬を、一筋の涙が伝う。
少しだけの沈黙のあと、決心したように口を開いた彼女は震える声で助命を願った。
「どうか……どうか、前線基地に捕らわれた弟だけは、お慈悲を……!」
彼女の言葉をかみ砕き、意図するところを察して彼女の首筋の髪を払う。
するとそこには、予想通り首輪の跡と思われる痣が浮かび上がっていた。
「戦争奴隷か……。弟も?」
「ぐすっ…………は、はい……」
嗚咽を堪えきれず、騎獣に乗ったまま泣き出したハンナ。
大方、弟を庇うためにこの役目を引き受けざるを得なかったか、あるいは弟の解放を条件に自ら志願したか、そんなところだろう。
彼は私にとって弟ではないけれど、年下の少年を庇う彼女の姿に親近感を感じ、少し重い首飾りに触れながらどうしたものかと思案する。
少しだけ黙考したのち、私はハンナの運命を決めた。
「…………まあ、あなたは私が巻き込んでしまったところも多分にあるし、許してあげないこともないわ」
よく考えたら、ここでハンナを灰にしてしまえば困るのは私だ。
私は騎獣に乗れないのだから。
「ほ、本当ですか……?」
「私の気が変わらないうちに、魔術師団を追いなさい。もちろん、魔導砲の射程を大きく迂回して、ね?」
「は、はいっ!」
ハンナは騎獣の手綱を握り直し、素早く騎獣を駆けさせる。
(さて、どうしようかなぁ)
ハンナは許してあげた。
でも、あなたたちは許してあげないから。
「進軍の途中で逃げ出すなんて、戦争都市の魔術師団が聞いて呆れるわ」
「はは……これは、耳が痛いですな。エーレンベルク様の大魔術に見惚れてしまいまして、つい魔術を放つ好機を逸してしまったのです。どうか、ご寛恕ください……」
要塞都市の東。
魔導砲の本当の有効射程からさらに500メートルほど東にある川のほとり。
騎獣を休ませている魔術師たちは、悠然と騎獣を駆るハンナと私の登場に呆然と立ち尽くした。
状況から明らかだったけれど、彼らの態度が安堵ではなく驚愕と恐怖であるところを見るに、やはり全員がグルだったようだ。
浮足立つ魔術師たちの中で、魔術師団長だけがなんとか冷静さを保っている。
それでいい。
簡単に取り乱されては面白くない。
さあ、どう甚振ってやろうかしら。
「そういえば、不思議な噂話を聞いたことがあるのだけれど」
「……ほう、それは一体なんでしょうか?」
突然、話題の転換。
訝しく思っても、相槌を打つ以外の選択肢などありはしない。
「戦争都市では日々激しい戦いが行われていて、戦死者が絶えないという話よ」
「それは……不思議な話ですかな?先ほどの騎士団の見事な突撃、エーレンベルク様もご覧になったでしょう。きっと彼らは、本日の戦いでも十分な戦果を挙げたに違いありません。もちろん、エーレンベルク様のお力添えあってのことですが……。本日だけではありません、彼らはいつも多大な戦果を挙げてくれます」
「そうね、私も公爵領の戦果になるところだったけれど」
「………………」
答えはない。
しかし、先ほどよりも表情がやや強張っているのが見て取れる。
「あなたたちの戦果を疑うつもりはないの。けれど、この内戦は100年も続いているということは、戦況は拮抗しているということでしょう?そうなると疑問なのだけれど、公爵領の戦果はどうやって挙げられているのかしら?誰が公爵領の戦果になっているのかしら?」
「失礼ですが、私にはエーレンベルク様のおっしゃることの意味がわかりかねます……」
「そっか、わからないかー」
私は首飾りに触れながら、次の言葉を選んでいく。
この老獪な魔術師は、私との会話で尻尾を出すことがあるだろうか。
そう思うと、魔術師団長の相手をするのが早々に面倒になってきた。
「今日は公爵領側の援軍を私たちが叩いたわけだけれど、帝国だって戦争都市に度々援軍を送っているはずよ。そして、あなたたちは見たところ十分に統制が取れている。普段から激しい戦争で人員が欠け続ける部隊だったら、こうはいかないと思うの」
「お褒めにあずかり光栄にございます」
白々しく頭を下げる魔術師団長の頭をひっぱたいてやりたい。
(これは、詰まないかな……)
魔術師団長は何を尋ねても言い逃れる気がする。
なら、もうそろそろいいか。
私はとびきりの笑顔を浮かべ、戦争都市を窮地に追いやる。
「ふふっ、良かったわ」
「おや、どうかしたのですかな?」
急に笑顔になった私に、老獪な魔術師は少しだけ顔をほころばせる。
「実はね、私のお師匠様――――宮廷魔術師第三席テレージア・フォン・ドレスデンがこんなことを言っていたの。戦争都市は公爵領の要塞都市と繋がっていて、互いに身内以外の友軍を生贄に差し出し合って、戦争という茶番を演じている。……そんな根も葉もないうわさを信じていたの。笑っちゃうでしょう?」
「そ、それはまた、ひどいうわさ話ですな……」
ここまで直球で来るとは思わなかったのか、魔術師団長の表情が引きつる。
「そうでしょう?あなたたちはこんなにも真剣に要塞都市を攻め落とそうと努力しているのにね」
「そうですとも。エーレンベルク様が帝都に戻られたら、ぜひドレスデン様によろしくお伝えくだされ」
「もちろんよ。でもね――――私はそれだけじゃダメだと思うの」
「ダメ、とは……?」
魔術師団長が恐るおそるという表情で問う。
「私のお師匠様がこんなにも失礼なことを考えていたのだから、弟子の私が償いをしないと。そう思わない?」
「もったいないお言葉です。しかし、エーレンベルク様は先ほど見事な魔術を披露してくださいました。その貢献は、必ずやお館様にお伝えしましょうぞ」
思わず頬を緩ませてしまう。
獲物が網にかかったと確信する瞬間は、どうしたって高揚を抑えきれない。
「それじゃあ、困るのよ」
「は……?それは、どういうことですかな?」
私の笑みが、いつのまにか嗜虐的なものに変わっていることに気づいたのだろう。
老獪な魔術師は困惑しながらも会話の方向を少しでも早く読みとって、流れを変えようと思案していることがわかる。
でも、もう遅いのだ。
この会話が始まったその瞬間から、この流れは決まっていた。
魔術師団長がボロを出しても出さなくても、ある意味では詰んでいたのだから。
「あなたは大魔術に見惚れたなんて言ってたけれど、私の魔術があの程度のものだなんて報告されたら困るのよ」
「ほう……あれ以上の魔術があるのですか。それは驚きですな。しかし――――」
「だから、お師匠様の恥を雪ぐついでに私のとっておきを見せてあげる」
私の肩に姿を現す私の火妖精のフィーア。
当初は小鳥ほどしかなかった体長は、すでに翼を広げれば1メートルに届くほど順調に育っている。
フィーアによって、そして魔女から贈られた杖によって、大幅に強化された私の魔術。
それを、私のレアスキル――――<オーバードライブ>がさらに増幅する。
それは精度と引き換えに威力や効果を増幅する諸刃の剣。
威力や射程は飛躍的に向上する中、精度だけがさっぱり向上しない諸悪の根源でもある。
敵味方入り乱れるような戦況では、とても使えたものではない。
けれど――――
「要塞都市を攻め落としたいのでしょう?私がそれを、叶えてあげる」
今回の的は1200メートル四方の巨大な都市。
飛距離さえ足りていれば、流石に外れはしないだろう。
周囲に浮遊する白色の火球は、その数30余り。
十分に時間をかけて魔力を練りこみ、私が持ちうるすべての手段を用いて強化された魔術は、先ほどのものとは比べ物にならない射程と威力を得る。
「エ、エーレンベルク様!ここから要塞都市の外郭までは1500メートルもの距離があるのですぞ!」
焦燥に駆られて意味のない言葉を吐いた魔術師団長に嘲笑を返し、私は杖を振り上げた。
杖の動きに合わせ、空高く撃ち出された私の魔術。
その場にいた多くの魔術師が、祈るようにその行方を見守っていた。
魔術師たちの祈りが、届くことはなかった。
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