第87話 閑話:とある少女の物語18
伯爵は私の申告に対してポカンとした後、我に返って騎獣の操者を用意するよう騎士団長に指示を出した。
騎士が野戦を行うなら馬や魔獣に乗って戦うのは常道。
ならば、魔術師も同様に騎乗できなければ騎士に随行することはできない。
そこまでは頭に入っていたのだけれど、自分も騎獣に乗らなければならないということがすっかり頭から抜け落ちていた。
騎獣も操れないのに前線まで何しに来た、と言いたげな魔術師団長の視線が痛い。
「お手間をとらせてしまい、申し訳ありません……」
「いや、構わない。そうだな、帝都から来た魔術師が騎獣に乗れるとは限らないな……。こちらから確認すべきだった」
手間取らせた上に気まで遣われてしまい、立つ瀬がない。
私にできることは、ただただ平謝りすることだけだった。
準備を整えてから集合場所に顔を出してしばらく待つと、私と同じくらいの年齢の少女が胸当てや脚甲などの簡易な防具だけを身に着け、騎獣とともに現れた。
その姿は全身鎧の騎士たちと比べて随分とみすぼらしく、どちらかといえば冒険者のような装いにみえる。
「お、お待ちしておりました、エーレンベルク様!わたくしはハンナと申します!エーレンベルク様の騎獣の操者に選ばれました!どうぞよろしくお願いいたします!」
用意していたセリフをそのまま読み上げたような挨拶のあと、腰を直角に追って頭を下げるハンナという少女。
おそらく私のせいで急に出陣することになったのだろう。
おまけに後ろに乗せるのが平民とはいえ貴族扱いの宮廷魔術師とあっては、このような反応になるのも致し方ない。
むしろ、こちらが申し訳ない気持ちだ。
「宮廷魔術師第十席、リリー・エーレンベルクよ。急な話で悪いけれど、よろしくお願いするわ、ハンナ」
「は、はいっ!<騎乗>スキルしか取り柄がない身ですが、頑張ります!」
スキルが<騎乗>だけということは、やっぱり騎士ではなかったようだ。
しかも、もしかすると非戦闘員かもしれない。
伯爵が用意してくれた人員に文句を言うわけにもいかないから、ハンナには申し訳ないが運が悪かったと思って頑張ってもらおう。
「話しかけても大丈夫?」
「は、はいっ!?だ、大丈夫です!」
前線基地である街に残る伯爵に見送られ、ハンナの後ろに乗って平原を駆けることしばし。
一応このあとの流れを確認しておきたいと思った私は、彼女に声をかけた。
大丈夫と言いながら大丈夫ではなさそうな様子の彼女だけれど、本人は動揺していても騎獣が暴れるような様子はない。
話しかけても大丈夫だろうと判断した私は、今日の進軍ルートについて彼女に問うた。
「だいたいのルートは伝えられていますが、周りの魔術師たちについて行くのが基本です」
「それもそうね……。降りる場所は決まっているの?」
「降りる……ですか?」
「あれ?もしかしてさっきの街に戻ってくるまでずっとこのまま?」
「そういえば、一回どこかで休憩すると聞きました……」
「そう、よかったわ」
「あ、どうやらちょうど休憩するみたいです」
魔導馬車よりも速度が出ている角生えた馬のような魔獣。
いくら後ろに乗っているだけとはいえ、ずっとこの速度で走り続けられるのは少し辛い。
この休憩の間に、騎士団長に進軍ルートを確認しておかなければならない。
どうにも外様の私はこの集団に歓迎されてはいないようだから、こちらから情報を求めないと必要な情報すら提供されないおそれがある。
そのせいでタイミングを外して魔術を撃ち損ねたりしたら、本当に何をしに来たのかわからなくなってしまう。
「これはエーレンベルク様。騎獣の飼育員が粗相をしていませんか?」
「飼育……ええ、問題ないわ。しっかり働いてくれています」
それは何よりです、と返す騎士団長。
その表情は一見笑顔だけれど、目が笑っていない。
自分たちの仕事場にいきなり入り込んだ私が気に喰わないのかもしれない。
それにしたって、ここまで目の敵にしなくてもいいと思うのだけれど。
(というか、飼育員だったのね……)
たどたどしい言葉遣いや不揃いの装備から正規の騎士ではなさそうだとは思っていたけれど、本当に非戦闘員だったとは。
街に帰ったら、彼女には個人的に礼をすることにしよう。
「それよりも、この後の進軍ルートについて聞かせてくれるかしら?」
「進軍ルートは飼育員に伝えておりますので、エーレンベルク様がご心配なさることはありませんよ」
「攻撃地点がわからないと、詠唱ができないでしょう?」
「……失礼しました」
暗に嘴を突っ込むなと告げる騎士団長に食い下がってルートを聞き出すと、これ以上の邪魔はしないようにハンナのところに戻る。
すぐに出発の時間になったのでハンナの後ろに座って彼女の腰に抱き着くような姿勢をとり、先ほど騎士団長から聞き出した話から、もうすぐ見えるはずの要塞都市の景色を頭に思い浮かべる。
(えーと、たしか……)
要塞都市の唯一の門は、都市の南側にある跳ね橋。
要塞都市の南側、門を掠めるように東西にのびる街道。
そこからさらに1000メートルほど南には小高い丘。
他国からの援軍5千は、街道と丘に挟まれた平原に陣取っているという。
(うーん……。このルート、結構危ない気がするんだけど……)
騎士団は街道を東から西へ、敵軍の陣形を両断するように切りこむという脳ミソまで筋肉なのかと疑ってしまうようなルート。
魔術師団は途中まで騎士団に随行しつつ、魔術の有効射程に入り次第魔術を放ち、南の小高い丘へと逃れるというルート。
気がするというレベルではなく、絶対に危ない。
(唯一の勝算が奇襲性だけれど……)
向こうの動きをこちらが知っているように、こちらの動きを向こうが感知していないという保証はない。
気づかなかっただけで、公国の見張りに私たちの姿が捉えられているかもしれない。
戦場は見晴らしの良い草原だから、見てから動いても普通に間に合う可能性もある。
それに、魔導砲の有効射程ギリギリを行くということも気になる。
魔導砲の脅威だけを考えれば、公国軍に突っ込む騎士団より背を向けて逃走する魔術師団の方が危険度は高い。
魔導砲の弾速は知らないけれど、音が聞こえてからでは逃げられないかもしれない。
(危険だから考え直そう……なんて言っちゃったら、腰抜けとか思われるんだろうなー)
地位はこちらが上でも、彼らへの命令権はない。
結局彼らの動きに合わせるしかないのなら、波風立てない方がいいのだろうか。
「エーレンベルク様!見えました!要塞都市です!」
そんなことを考えている間に、遠くに米粒のような要塞都市が見えた。
双眼鏡を取り出して米粒を見てみると、堅牢な外郭や都市左手の敵軍が鮮明に確認できる。
騎獣に乗って駆ける私たちと要塞都市の距離は、みるみるうちに詰まっていく。
川に架けられた橋を渡り、敵軍の集団までの距離が1000メートルを切り、そして外郭までの距離も1000メートルを――――切った。
(砲撃が、来ない……?)
砲手が気づいていないのか、はたまた有効射程まで引きつける気なのか。
いずれにせよ、撃ってこないならば好都合だ。
「エーレンベルク様!敵軍に気づかれました!」
細かい仕草は見えないが、敵兵の顔がみなこちらを向いている。
完全に気づかれている。
しかし、騎士団は速度を上げて敵軍正面へと突撃を敢行する。
彼らの危険を軽減するためにも、そろそろこちらも攻撃に移らなければならない。
「一番槍はお譲りしますぞ、エーレンベルク様!」
右手後方、声のする方を振り向くと、にやりと笑う魔術師団長の姿があった。
老いた身で騎獣を軽快に乗りこなすさまは、なるほど、たしかに戦争都市の魔術師団長として相応しいかもしれない。
正直なところ、慣れない場所で先頭に立つのは気が進まないけれど、ここで退く選択肢はない。
宮廷魔術師のプライドとかではなく、ここで尻込みすれば魔女に何を言われるかわかったものではないからだ。
「それではありがたく――――」
あまり小規模では舐められる。
魔術師団の仕事を奪うほど大規模でも恨まれる。
わずかな時間悩んだ末、中規模の爆炎をまき散らす火球を3つ生成し、向かって正面、右翼、そして左翼へと若干の時間差をつけて投射する。
「丘の方へ向かいます!」
「わかったわ!」
ハンナが騎獣に指示した進路変更によって、遠心力で右側に引っ張られる。
それを耐えながら、私が放った火球が無事に着弾したことを確認した。
私が保有するレアスキルの影響であると判明した魔術の精度の悪さ。
それでもこの距離なら、なんとか、おおむね、狙ったところに着弾したようで、ほっと胸をなでおろす。
あとは砲手が怠惰であることを祈りつつ、小高い丘へと逃れるだけ。
丘を越えれば危険は飛躍的に軽減される。
もう少し、そう思いながら外郭の方を振り向き――――私は異変に気づいた。
「ハンナ!後続が来てない!」
私の後ろに続くはずの魔術師団がいない。
視線を彷徨わせると、彼らが都市南にある小高い丘ではなく、反転して東へと逃れていることが確認できた。
そういえば、私の魔術以降、攻撃魔法の着弾の音が聞こえてこない。
(逃げた……?いや、これは――――)
直後、要塞都市の外郭がいくつもの光を放ち――――耳をつんざくような轟音と衝撃が周囲を飲み込んだ。
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