第86話 閑話:とある少女の物語17




 翌朝、私たちは日の出とともに戦争都市から西に向かって出発した。


 戦争都市から前線基地となる街までは、カールスルーエ伯が所有する小型飛空船での移動になる。

 都市間を運行する飛空船と比べて速度は劣るけれど、安定性はむしろ小型飛空船の方が勝っているようだ。

 乗船している者はカールスルーエ伯と私、そしてカールスルーエ伯配下の騎士や魔術師のうち高位の者が数名、あとは使用人と乗組員だけ。


 目的地に着くまでの間、私は伯爵から戦況に関する説明を受けていた。


「先ほども説明したが、この飛行船が向かう先は帝国国境に最も近い街、我々が前線基地としている街だ。……おっと、帝都の方に『帝国国境』などと言っては叱られてしまうね。我が領地の西端と言い直させてもらおう」

「私は言葉遊びが苦手ですので、『公国』でも『公爵領』でも気にしません。もっとも、お師匠様が聞けば眉を顰めるでしょうけれど」

「ドレスデン様は『強い帝国』に固執していらっしゃると聞くが、愛弟子であるエーレンベルク卿が言うのであれば、事実なのだろうね。先ほどの失言は、キミの胸の内に留めておいてくれたまえ」


 伯爵の冗談に笑顔で応えてから、紅茶に口をつける。


 いくつかの有力貴族が帝国から離反し、それぞれ国を名乗ってから約100年。

 しかし、一般的な帝国人が『公国』――――つまり他国であると認識している場所を『公爵領』と言って憚らない人間が、帝都にはまだ数多く存在している。

 我が師匠、偉大なる魔女様もその一人だ。

 いい加減事実を認識すべきと思っている人間は私も含めて相当な人数になるはずなのだけれど、帝国としては『公国』など存在しないというのが公式見解であるから、私も宮廷内にいるときは言葉選びに注意しなければならなかった。


 カールスルーエ伯が治める戦争都市は、そういった時代錯誤の認識によって最も被害を被っている都市だ。

 帝都にとって『公爵領』はいわば反乱軍なのだから、現状のまま手を取り合うことなど許されない――――そんな理屈でかれこれ数代にもわたって不毛な戦争を強いられているからだ。


 そう考えれば、先ほどの冗談は魔女の配下である私への嫌味も含んでいるのかもしれない。

 まあ、気持ちはわかる。

 確固たる目的があるならばさておき、くだらない意地のために戦争を続けるなど戦わされる身になれば狂気の沙汰だろう。


「話を戻そう。大陸の東端にある帝国は、大陸中央を東西に貫く大山脈の北、帝都から見て北西に位置する公爵領と長らく内戦状態にある。現在、帝国側は我が領地の西端にある街を前線基地として、公爵は公爵領の東端にある街を前線基地として、互いの基地の中央にある平原で何度も軍を戦わせている。しかし、ご存知のとおりいまだ決着はつかないままだ」

「公爵とはいえ、帝国相手によく耐えているのですね」

「公爵領のさらに西側には、同時期に帝国から独立した小国が複数存在する。公爵が敗北すれば次は彼らの番になるのだから、公爵領への支援を惜しむことはない」


 つまり、帝国が相手にしているのは公爵領単体ではなく、元有力貴族の国家連合とでもいうべき存在であるわけだ。

 加えて、世界地図――といっても大陸全体が描かれているものではない――を頭に思い浮かべると、帝国の北西にある公国と小国家群のさらに向こうには、広大な領土を持つ王国があったはず。

 もし私が王国の政治を司るならどのように立ち振る舞うべきかと考えを巡らせると、なるほど100年戦争も現実味を帯びるわけだ。


「とはいえ、数万の軍勢同士がぶつかり合ったのは、私の祖父の代の話だ。互いに兵員の余裕がなくなる一方で、互いの前線基地は歳月とともに堅牢になり、そうそう陥落を狙える状況でもなくなっている。今では国軍は帝都に引き上げてしまっているし、今回のように敵前線基地に兵力が集中されたタイミングを見計らって、都市そのものではなく兵を削るような作戦がほとんどだ。少数精鋭を率いて、嫌がらせにも似た攻撃を行うばかりだよ」

「たしか、『要塞都市』と呼ばれているのでしたか?公爵領の前線基地は」


 伯爵は鷹揚に頷き、私の言葉を肯定した。


「最初はただの街だったと聞くが、とても信じられるものではないね。一辺およそ1200メートル四方の都市を囲む長大な外郭と外堀。外堀は場所によっては幅が20メートルにもなり、外郭の高さも10メートルを大きく超えている」

「噂で聞いたところによると、外郭には魔導砲まで備え付けてあるとか……」


 昨日三男坊から聞いた話の裏をとるため、伯爵に魔導砲の話を振ってみる。

 すると、伯爵は珍しく驚いたような表情を見せた。


「おや、ずいぶんとよく知っているね。帝都で聞いたのかな?」

「ええ、まあそんなところです」

「それは警告する手間が省けたね。そのとおり、要塞都市の外郭には数多くの魔導砲が備え付けられている。初期はあさっての方向に飛んでいくばかりだった砲弾も次第に精度を増していて、今では有効射程がにも及ぶとみている」

「それはまた、恐ろしいことですね」


 有効射程は700メートルか。

 ならば1000メートルで被弾したという人たちは、のだろう。


 紅茶のカップを口に運びながら、私は帝都で頭に叩き込んできた戦争技術に関する話を思い出す。

 魔導砲というものは、炸薬や爆薬の代わりに攻撃魔法を込めた魔石を用いた大砲のことだ。

 戦争に用いる遠距離用の魔法を一般的な魔術師が放つ場合の射程距離が精々200メートルであるのに対し、魔導砲は魔石を消費する代わりに倍以上の射程距離を得ることに成功している。


 しかし、製鉄技術などの進歩によって砲弾の飛距離や命中精度は向上している一方で、肝心の威力の方は劇的な進化が見られないという。

 なにせ、魔石の改良で若干の威力増幅があるとはいえ、砲撃の威力は魔術師が魔石に込める魔法に依存する。

 製鉄技術より継承が難しい魔術の進化速度などたかが知れているのだから、これは仕方のないことだというほかない。


 もっとも、魔術師の魔法に寄らない砲弾を開発しようという動きも出ていたらしい。

 例えば魔法ではなく魔力そのものを魔石に込めて、込めた魔力の量に応じた威力を発揮する砲弾。

 開発の過程で何人もの研究者と魔術師を文字通り爆死させ、現在では開発が凍結されているとかなんとか。


 しかし、私として疑問に思うのは――――


「砲弾に火薬を用いることはしないのですか?」

「火薬……?ああ、研究はされていたようだね。研究の過程で多数の死者を出した結果、試作品の威力は見習い魔術師の魔法にも及ばなかったと聞いている。加えて管理方法も煩雑で、実際の戦争で用いる砲弾としての運用に適さないという結論になったはずだ」

「……そうでしたか。素人が出すぎたことを申しました」

「構わないとも。こういった他愛無い話から、技術というものは進歩していくものだ」


 なるほど、ここでも魔術が科学兵器の発展を妨げているのか。

 火薬を研究した先に、魔術師の<火魔法>など比較対象にもならないほど強力な兵器があるなどとは誰も考えないに違いない。

 いや、万が一考え付いても、きっと誰も実行に移さないだろう。


 ちょっとした手違いで人生が終わってしまう。

 今の魔導砲と同等の威力の砲弾が完成するまでにどれだけの歳月がかかるかわからない。

 そもそも、そのようなものが完成するかどうかなど研究者は知り得ない。


 前世において、これだけの悪条件があってそれでも研究が続けられたのは、代替技術がなかったからだ。

 敵国の侵略から祖国を守るため、どれだけの犠牲を払っても研究しなければならなかったから、火薬や大砲に関する技術は進化していったのだ。

 もし前世にも魔法があったのなら話は違ったかもしれない。

 これほど条件の悪い技術を研究対象にするくらいなら、もっと研究のしがいのある技術は他にいくらでもあったのだから。


 ともかく、大量破壊兵器へと繋がる技術に光が当たるのはずっと先のことになるだろう。

 永遠に光が当たらないなら、それに越したことはないのだけれど。


(魔導砲はもういいか。それよりも気になるのは……)


 個人で運用することが難しい魔導砲よりも私にとって脅威となり得るもの。

 それは、やはり魔導銃だった。


 魔導砲と同様こちらも魔法と魔石の力を借りておおむね完成を見ているはずの技術。

 もともと銃弾にさしたる威力など必要なく、人が装備できる防具と柔らかい人体を貫通するだけならそれこそ鉛玉で十分なのだから、炸裂したときに広範囲を焼き払う必要がある砲弾と違って、弾の改良についてはそこまで問題にならないはず。


 しかし――――


「要塞都市の兵が、魔導銃を使用することはないのですか?」

「それはないよ。安心してくれていい」


 今度は苦々しい顔で即答する伯爵。

 魔導銃も運用はされていないという。


「魔導銃は兵に持たせれば強力な兵器になる。そのことは過去に証明済だ。しかし、現在の帝国法は、魔導銃の製造や使用、所持を原則として禁止している。意外にも戦争に詳しいエーレンベルク卿が、その理由を知らないとも思わないが?」

「申し訳ございません。やはり、実際の戦争をご存知の方に確認しておきたかったので」


 そう言って、私は素直に頭を下げる。

 魔導銃が運用されていない理由。

 簡単なことだ。


 向きが決められている魔導砲と違い、歩兵が使う魔導銃の銃口は簡単にこちらにも向けられてしまう。


 劣勢で追い詰められた徴用兵が指揮官を殺して逃亡する。

 逃亡兵が野盗化して、魔導銃をもって街や村を襲う。

 ときには指揮官ごと部隊が離反し、圧政を敷く貴族を討ってしまう。


 そういったことは魔導銃がなくても起きるけれど、魔導銃があればその可能性は劇的に上昇する。

 なぜなら、魔導銃がなくても指揮官や貴族を殺しうる騎士や魔術師は好待遇で召し抱えられていることが多く、その忠誠心は徴用された一般兵とは比較にならない。

 逃亡兵が叛旗を翻したとき、彼らが魔導銃で武装していなければ、騎士や魔術師に守られた貴族が逃亡兵に討たれる可能性は非常に低いものになる。

 貴族にとって魔導銃とは、有用な兵器である以上に自分の生命を脅かす猛毒なのだ。

 だからといって敵軍が魔導銃を使用しているのに自軍だけその使用を中止しては形勢が一気に傾いてしまうと思うのだけれど――――そうなっていない理由は、魔導銃を使えない事情が帝国だけでなく公国にも存在するからだろう。

 貴族の考えることなど、国境をまたいだからと言って変わるものでもない。


 いつしか魔導銃は暗黙の了解によって戦場から駆逐されることになったというわけだ。


「ただ、徴用兵や傭兵はともかく、配下の騎士や魔術師には使わせないのですか?」


 問題になるのが敵方に回ったときのことであるなら、敵に回る危険性が低い配下に魔導銃を使わせていない理由が、私には理解できない。

 魔力が枯渇した魔術師の護身用として、遠距離攻撃手段に欠ける騎士のサブウェポンとして、魔導銃は依然として優秀な兵器であるはずだ。


「失礼ですが……そのようなもの、我々魔術師団には必要ありませんぞ」

「騎士団も同意見です。鍛え上げた己の武術こそが最上の武器であるからして、魔導銃など不要。むしろ、無粋の極みでしょう」


 今まで伯爵の背後で口を開くことなく佇んでいた騎士団長の青年。

 そして、近くの窓から外を眺めていた魔術師団長の老人。

 それぞれが突然批判の声を上げた。


 そんな彼らに対して、伯爵は右手をすっと上げただけでそれを制する。

 それを見た彼らは再び口を閉じ、表情を消して元の状態に戻る。


「……なるほど、理由はよくわかりました」

「みな、自分の持つ技量に誇りを持っているからね。エーレンベルク卿は違うのかな?」

「さて、どうでしょうか。私の魔術はまだまだ稚拙なものですので」


 内心白けながらも表情は愛想良く。

 ポーカーフェイスも少しずつ慣れてきた。


 それはさておき。


「そうすると、基本的な作戦は騎士の突撃と魔術師による奇襲……一撃離脱というところですか?」

「そのとおりだ。牽引式の魔導砲もあるにはあるが、あれを引っ張り出すと撤退が困難になる」

「わかりました。……どうやら、到着したようですね」

「そのようだね」


 飛空船の高度が下がり、着陸態勢に入った。


「我々の到着に合わせて出発できるよう、準備は整っている。小休止の後、騎獣に乗って要塞都市まで駆け抜けるからそのつもりでいてくれ」


 そう告げると、伯爵は立ち上がり飛空船を下りる準備を始めようとする。


 しかし、少し待ってほしい。


「あ、あの……」

「なんだね、エーレンベルク卿」


 おずおずと声を上げた私を振り返る伯爵。


 にこやかな笑みを浮かべている伯爵に、こんなことを言うのは非常に心苦しいのだけれど。


「申し訳ありません。私、騎獣に乗ったことがありません……」



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