第85話 閑話:とある少女の物語16
side:リリー・エーレンベルク
15歳を迎えたその日に宮廷魔術師の末席に加えられた私は、就任式典に参加したその足で飛空船に飛び乗り、戦争都市へと旅立った。
今頃、宮廷では主役不在の祝賀パーティが開催されているはずだけれど、主役が祝賀パーティを欠席する理由は魔女がしっかりと考えてくれている。
脇目も振らず、その責務を果たすべく奔走する帝国史上最年少の宮廷魔術師――――それが私、リリー・エーレンベルクだ。
言葉なんて飾ろうと思えばいくらでも飾れるという良い例だろう。
(彼を無事に連れ帰ったら、少しくらいは弟子の務めを果たしてもいいかもしれないわね……)
思えば、魔女にはずいぶんと世話になった。
最初こそ憎しみの対象であったし、今でも時折私を苛立たせるようなことを言ったりするけれど、魔女は彼を守るための魔術と権力を与えてくれた。
加えて言えば、私が羽織っている魔術結界が編まれたローブや魔術を増幅する杖、とある魔法効果が付与された首飾りも全て魔女から贈られたものだ。
もし、魔女の目に留まらなければ、私は連れ去られる彼を地べたに這いつくばって見送ることになったか、あるいは私自身が戦争奴隷として売り払われていたかもしれない。
魔女と私の協力関係は利害の一致によって成り立っているのだから、こちらばかり利益を享受するような状態は後々しこりを残してしまう。
(といっても、私にできることと言えば暴れることと威圧することくらいだけれど……)
差し詰め狂犬と言ったところだろうか。
飼い犬が強く狂暴であるほど、それを制御できる飼い主の格は上がるというもの。
自分で言っておいてなんだけど、あんまりな扱いだ。
そのうち吠える以外のこともできるようにならないと、敵対派閥の連中に馬鹿にされてしまうだろう。
(もちろん、すべては彼を見つけ出した後のことだけれど……)
眼下に広がる戦争都市。
彼を連れ去った愚か者が、この都市のどこかにいる。
今すぐここから飛び降りて狩りを始めたいところだけれど、相応の役職に就いた者には相応の礼節が求められるということを、耳が痛くなるほどに言い聞かされている。
まずは領主に挨拶すること。
それが祝賀パーティを欠席して戦争都市に向かうために、魔女からつけられた条件のひとつだった。
魔女の配下として、この辺りを蔑ろにするわけにはいかない。
魔女は威信を傷つけられることや所属派閥の勢力を弱体化させることを極端に嫌う。
魔女が求めるものを私は知らないけれど、それを手に入れるために自身の影響力を拡大しようとしていることは知っている。
そのためには手段を選ばないことも、私はよく知っている。
幸い、私と魔女の利害が対立する見通しはない。
互いが互いの譲れないものを理解して尊重すれば、私と魔女は今後も協力関係を維持することができる。
そのために彼を探す時間が失われるのは辛いことだけれど、激怒した魔女に追われることになっては彼を探すこと自体ができなくなってしまう。
彼なら戦闘奴隷として戦いを強要されることになっても生き延びることができるはずだから、捜索が一刻一秒争うということもないだろうし、何かの間違いでどこぞの女に愛玩用として買われた場合も、彼の生命に危険が及ぶことはないだろう。
もしそうであったなら、彼を買った女には灰になってもらうけれど。
それはさておき、眼下に広がる都市の城郭の中には10万をゆうに超える数の人間がいるらしい。
その中からたった一人を探し出すことを考えると、正攻法で行くのは現実的ではない。
帝都の勢力争いにおいては中立を謳うカールスルーエ伯爵が治める戦争都市であまり派手に暴れるわけにはいかないけれど、それでも荒っぽいことをしなければならない場面もあるはずだ。
そうなったとき衛士や騎士などから横槍を入れられないように、カールスルーエ伯爵との関係を良好に保っておくことは私の目的を果たすためにも必要なことだと言える。
私のために領主に先触れを出した魔女に恥をかかせないためにも、手早く挨拶を済ませて彼の捜索に取り掛かろう。
「よく来たね、エーレンベルク卿。まずは、宮廷魔術師への就任、おめでとうと言わせてもらおう」
領主の邸宅の応接間に通されると、それほど時間をおかずに屋敷の主が姿を見せた。
この地方に多い銀色の髪、それを長く伸ばして後ろでひとつにまとめた壮年の男性。
戦争都市を統べる者と聞いて厳つい偉丈夫を想像していたため、その繊細な容姿に少しだけ驚いてしまった。
「お時間をいただきありがとうございます。カールスルーエ伯におかれましては――――」
「堅苦しい挨拶はよしてくれ。ここは帝都ではなく戦地なのだから、多少の無礼を咎めるつもりはない」
「……ご配慮感謝いたします」
先方から無礼は問わないと言われたからと言って、タメ口で話すようなことは許されない。
それくらいのことは知っている。
帝国貴族の序列は、騎士爵、男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵で表され、公爵が最も高位となる。
戦争都市の領主であるカールスルーエ家の当主は伯爵。
平民で宮廷魔術師第十席である私は子爵相当。
つまり、相手の方が目上ということだ。
「ふむ……。帝都では相当に暴れていたという噂を聞いていたのだが、やはりドレスデン卿の弟子か。その歳でそれだけの力を振るいながら、ここまで理知的に振舞うことができるとは。是非、我が子らには見習ってほしいものだ」
「お褒めにあずかり光栄です」
その後、帝都や戦争都市の近況について情報交換を行った。
掴みは悪くない。
挨拶は済ん――――でいないけれど、先方がいらないというならこれで十分だろう。
早速用件を告げて、彼の捜索を始めたい。
「実はカールスルーエ伯へのご挨拶ついでに、私がこの都市を訪ねた目的を話しておこうと思いまして」
「ほう、我らの戦いに加勢してくれるのかな?」
「……それをお望みとあらば」
そう答えながら、私は内心歯がみする。
協力してくれるかと問われて、「違う、彼を探しに来ただけ。」とは流石に言えない。
私がこう答えることを読んで先手を打ったのだとしたら、流石は上位貴族ということか。
「冗談も言ってみるものだ。我が国が誇る宮廷魔術師が協力してくれるとは心強い。実は公国に忍ばせた者から、敵方の前線となる都市に他国の部隊が集結しているという情報が送られてきたところでね。せっかくだから少数精鋭を派遣して出鼻をくじいてやろうと思っていたところなんだ。エーレンベルク卿には、この部隊に同行してもらいたい」
「承りました。私の力、十分にご覧いただきましょう」
「それは頼もしい。期待しているよ」
準備の良いことに、出陣は明日だという。
私は暇乞いをする間もなく伯爵邸の客間をあてがわれ、一晩滞在してもてなしを受けることになった。
(失敗したなあ……)
どうしてこうなるのか。
就寝前に外の空気を吸いたくなり、着け慣れない首飾りを手で弄びながら伯爵邸の庭を歩く。
使用人が遠くから監視しているようだけれど、夜分に他人の屋敷を徘徊するのだから、これくらいは仕方がないと諦める。
伯爵がどういうつもりで私を参戦させたようとしたのか、何となく理解はできる。
掌の上で踊ってやるつもりはない。
一方で、あまり面子を潰すようなことをしても彼の捜索に支障をきたす。
適当な落としどころを探したいところだけれど、伯爵の私に対する評価によっては最初から落としどころが用意されていない可能性も否定できない。
思わずため息が漏れてしまう。
「弱冠15歳にして宮廷魔術師になってしまうほどの方でも、戦いの前は憂鬱になるのですか?」
声のする方に振り向くと、そこには銀髪を肩まで伸ばした少年が立っていた。
たしか、今年で13歳になる伯爵の三男。
伯爵をそのまま幼くしたような容姿の少年の顔には、はっきりと興味の色が浮かんでいた。
「突然声をかけてしまってすみません。僕は―――」
「覚えているわ、晩餐会で会ったでしょう?」
「あ、そうですよね。失礼しました」
「いいのよ、私があなたの名前を憶えていないかもしれないと思って、気をつかってくれたんでしょう?」
気遣いを看破されたことが恥ずかしかったのか、少年の頬が少しだけ赤くなる。
伯爵譲りの綺麗な顔立ちは、きっと数年後には多くの少女を魅了することになるだろう。
私には彼がいるから関係ないけれど。
「そうね……。私は別に戦いが好きなわけでもないし、人を殺めることが好きなわけでもないから、戦いの前に気分が高揚することはないわね」
いけ好かない魔術師の鼻をへし折ることは嫌いではない。
しかし、それは戦いではなく勝負の範疇にあるものだ。
殺し合いを楽しむという趣味は、今のところ持ち合わせていない。
「……自分が死ぬかもしれないという恐怖はないのですか?」
「私は一応この国の宮廷魔術師なのよ?そんな簡単にやられるほど弱くはないわ」
「すごいですね……。次兄と同じ年とは思えません」
私はズルをしているから当然だと言うわけにもいかず、尊敬のまなざしを向けてくる三男坊に曖昧な微笑みで返す。
「エーレンベルク様、どうか僕のお願いを聞いてください」
「うん?どうしたの?」
三男坊は今までの柔らかい表情から一転、真剣な表情で切り出した。
腹黒の伯爵との水面下の駆け引きで疲れていたところに純粋な尊敬のまなざしを向けられたため、私の気分は悪くない。
ちょっとしたお願いなら、聞き届けることもやぶさかではないと思った。
「この都市は、戦争都市などと呼ばれるほど長く戦争が続いています。父が領主を継いでからは拮抗した状況が続くようになって、もう10年以上になるそうです」
たしか孤児院で習ったのだったか。
そんな話をどこかで聞いた覚えがある。
「以前この都市に援軍にやってきた貴族から聞いたことですが、遅々として公国の攻略が進まない状況を、帝都の偉い人が問題視しているそうです。その人は戦争で亡くなってしまったので詳しい話はもう聞けません。でも、このままの状態が続けば、父上が処分を受けてしまうかもしれません。どうか、この硬直した戦況を打破するために力を貸してください!」
ずいぶんとかわいいお願いだ。
父親が聞けばたいそう驚くだろう。
「そうね……いいでしょう。宮廷魔術師であるこの私が、この硬直した戦況に一石を投じてあげるわ」
「ありがとうございます!父上もきっと喜びます!」
深々とお辞儀をする少年。
この子は伯爵のことが大好きなのだろう。
多くの愛情を受けて育った少年を少しだけ羨ましく思う。
「あ……最後に、お伝えしておきたいことがあります」
「なにかしら?」
少しだけ不安をのぞかせる少年。
ころころ変わる表情を観察するのはなかなか面白い。
「この都市には戦争で手柄を立てようと、帝国内から様々な貴族がいらっしゃいます。しかし、戦争に不慣れな方は、逆に討ち取られてしまうことも多いのです。敵国要塞都市の外郭には、魔術師の魔法より有効射程が長い魔導砲が備え付けられていると長兄に聞いたことがあります。あ、魔導砲というのは――――」
「知ってるわ。どれくらいまで届くのかわかる?」
「……博識なんですね。射程距離は500メートルを遥かに越え、ときに要塞都市の外郭から1000メートルも離れたところにいた部隊を一網打尽にするそうです」
「なるほど……」
魔術師の射程は200がいいところ。
宮廷魔術師団所属の手練れでも精々300メートル。
もし1000メートルもの有効射程があるのなら、並大抵の魔術師では歯が立たない。
「エーレンベルク様には不要な心配かもしれませんが、どうか油断をなさらないようにお願いします」
「私も戦争は初めてだから油断なんてしないわ。あなたのアドバイスも踏まえて慎重に行動するつもりよ。アドバイスありがとう、助かったわ」
嬉しそうに駆けて行く銀髪の少年。
私はその後ろ姿を黙って見送った。
(父上も喜ぶ、か……)
高台に位置する伯爵邸から戦争都市を一望すると、深夜だから灯りが消えている家も多かった。
それでも、この都市で暮らす人々の息遣いは十分に感じられる。
純粋な少年には悪いと思う。
私には、あの子が真実を知ったとき、思い悩むことがないように祈ることしかできない。
なぜなら、きっと伯爵は私の活躍を喜ばないから。
そして――――私の活躍は、戦争都市を危機に陥れるから。
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