第84話 閑話:A_fairytale_4




 マスターが屋敷からほとんど出なくなってから、半月ほど経過したある日。

 部屋に運んだ食事を残さず食べたマスターが再びベッドに入ったことを確認した私は、今日も日課の家事を始めた。


 朝食で使った食器を流しに下げたら、まずは庭の植物の世話から。

 野菜、薬草、花にはたっぷりと、芝生には少しだけ、綺麗な水を撒いてあげる。

 屋敷の外に設置された水道から伸びる何本かのホースを操りながら庭をひとまわり。

 敷地を囲う柵に絡みつく蔦は水をあげなくても勝手に伸びるから、伸びすぎたら整えるくらいであとは放っておく。

 食べごろの葉野菜と良く育った薬草を摘み、台所に設置した冷却庫に保管する。


 庭の次は台所。

 といっても、ここでするのは調理器具と食器を洗って、拭いて、片付けるだけ。

 普段はマスターが昼食時に帰ってくることはほとんどないから、夕食の仕込みを始めるまで台所でやることは特にない。

 マスターが屋敷にいる日はもちろん昼食も用意するけれど、お昼時まではまだ時間がある。


 台所の次は、マスターの部屋の掃除。

 ベッドの両側、ベランダに繋がる窓を全開にして空気を入れ替えると、ベッド、本棚、執務机、鏡台――――ほかにも置かれたすべての家具を一旦宙に浮かせ、埃を床に落としてから、床に落ちた埃や塵を屑籠に放り込む。

 小さな絨毯は洗濯の時に一緒に洗うため、丸めて廊下に出しておく。

 この間、私はマスターのベッドに転がって一緒に浮いているだけだ。

 マスターの睡眠の邪魔にならないように、静かに、慎重に。

 掃除に関しては、ほとんどのことを魔法で済ませることができるようになったけれど、これでは少し味気ないと感じてしまう私は、やっぱり家妖精なんだろう。


 掃除の次は洗濯。

 今日、洗濯をするのは、一応様子を見ておくことにする。

 マスターのベッドから洗濯する予定の絨毯に飛び乗って、ふわふわと二階の廊下を移動する。

 階段を下りて食堂と反対側にある応接室を通り抜け、廊下にでると正面に見えるのが洗濯室だ。

 絨毯に乗ったまま洗濯室に突入し、適当に飛び降りると、絨毯は丸めて洗濯籠に放り込む。


(しっかりやってるかな?)


 そこでは2人の家妖精が、タライにお湯と洗剤を入れてマスターの服を丁寧に手洗いしていた。

 何がどこにあるのかさえ知っていれば、家妖精の本能が家事の仕方を教えてくれる。

 私は新入りの仕事に問題がないことを確認すると、別の家事を任せているほかの妖精のところも順番に見て回った。




 この屋敷に家妖精が増えた理由。

 発端は、数日前に出会った――屋敷に侵入してきた――精霊の言葉だった。


 マスターの希望を速やかに叶えるために、手が足りない。

 そう思い始めていた私は「何でもする!」と宣言した精霊にひとつのお願いをした。


 主人のいない妖精を集めてほしい。

 それが、私が精霊に願ったことだった。


 それから一月足らずの間に、精霊は必死と表現できるほど精力的に妖精を探し出して、屋敷に届けてくれた。

 この都市は本来妖精が生きていける環境ではないため、必然的に屋敷に届けられるのは生まれたばかり、そして死にかけの妖精になる。

 マスターから供給される魔力のおかげで、私から他の妖精に魔力を分け与えても私の魔力が枯渇することはなかったし、それはこの屋敷にいる妖精の数が私を除いて10人になった今も変わらなかった。

 今思えば生まれたばかりの妖精を集めたおかげで変な主導権争いが発生しなかったから、むしろ好都合だったのかも知れない。


 問題があるとすれば、集めてもらった10人の妖精が全て家妖精だったということか。

 家妖精に限定して集めているわけではないそうだけれど、宙を漂う魔力が枯渇している現状、どうしても自然の中で生まれるタイプの妖精は見つかりにくいという。

 できれば私が持たない技能を保有する妖精が望ましいと思いつつも、私の代わりに家事をこなせる家妖精が増えれば、それだけ私がマスターのためにできることを模索する時間が増える。

 最終的にマスターの部屋の掃除と料理以外は他の妖精に任せてもいいかもしれない。

 今も少しずつ自分の役割を減らして余った時間を使って、考え事をしていたのだった。


(はあ……、どうにかならないかなー……)


 居間のソファーに腰掛けて足をぱたぱたさせながら、なかなか答えが見つからない問題を考え続ける。


 私を悩ませていたのはマスターが私に言いつけたいくつかのルールだ。

 マスターと話してはいけないとか、家の外に出てはいけないとか。

 いくつかの言いつけは、私に目立つことをしてほしくない、危険なことをしてほしくないという思いに収束していることを、今の私は理解できるようになった。

 そうなるとマスターと話してはいけないというルールは、おそらく私が話すところを人間に見られてはいけないということなのだろうと思われて、より厳しくなりそうなルールに頭が痛くなる。


 それに『話しちゃダメ』の解釈を横に置いておいても、これでは私がマスターのためにできることが大幅に制限されてしまう。

 なにせマスターは――最近はそうでもないけれど――1日の半分を家の外で過ごすのだから、家の外に出られなければ、マスターの役に立つことはできない。

 マスターは家の中で安心して過ごせればいいと言っていたけれど、家の外でも安心して過ごせるならその方がいいに決まっている。


「フロルさま、集めた塵はどこに捨てればいいでしょうか?」

「台所の奥のゴミ捨て場に」

「わかりました」


 本当は家の外に出ることができる妖精が欲しかった。

 そうすれば、こっそりマスターの状況を把握してサポートすることができると思った。


 しかし、現実はマスターの魔力のように甘くはない。

 家妖精など、家や建物の中にいることを好む妖精は少数派。

 ほとんどの妖精は自分たちにとって息苦しいこの都市をはなれて、魔力の溢れる精霊の泉に近いもっと過ごしやすい場所に向かってしまうため、この都市に残るのは自分の領域から外に出るのが苦手なタイプの妖精ばかりらしいのだ。


 それでも魔力を分け与えていけば、いつか外に出られるくらいに育つだろうけれど。


(…………あれ?)


 何か、違和感を覚えた。

 なにか大事なことを見落としている気がする。


「フロルさま、すみません」


 気になる。

 もやもやする。

 私はソファーから降りて、その周りをぐるぐると歩きまわる。

 もう少し、もう少しで何かに気付けそうな気がする。


 そんな私をみていた妖精は私に気を遣ったようだ。


「おいそがしいところにおじゃましてしまい、すみませんでした。またあとできます」


 たどたどしく言い残し、持ち場に戻ろうとする家妖精。


「…………ちょっと待って」


 私はその子を呼び止めた。

 その子はびくっと震えると、恐る恐るこちらに戻ってくる。


「あ、あの……。わたしが、なにかしてしまったのでしょうか…?」


 私が突然大声をあげたせいか、かわいそうなくらいにおどおどしている。

 彼女は悪くないのに、申し訳ないことをしてしまった――――いや、そうではない。


「今、人間の言葉を話した?」

「はい」


 その妖精は私と同じように人間の言葉を話すことができていた。


「いつから?」

「すみません、いつのまにか……です。フロルさまに魔力をわけてもらうと、すこしずつできることがふえていくので……」

「そう……」


 今までどうして気づかなかったのか。


「いけなかったでしょうか?でも、もうはんぶんくらいは、ことばをはなせるとおもいます」


 その言葉に私は大きな衝撃を受けた。


「全員ここに集めて。今すぐ」

「え?」

「早く。今すぐ」

「わ、わかりました!」


 その子は返事をするなり食堂から駆け出していく。

 ほどなくして、家の中にいた家妖精たちがぞろぞろと集まってきた。

 数は10人、確かに全員そろっている。


 私は、はやる心を抑えて彼女たちに問いかける。


「この中で人間の言葉を話せる子は、手を挙げて」


 私の声を受けて、あがった手の数は6。

 つまりこの短期間で6人の家妖精が、言葉を習得したということ。


「ふふっ……、ふふふ……」


 いきなり呼びつけられて、質問されて、そのまま放っておかれて困惑する妖精たちを尻目に、私は笑いを堪えることができなかった。

 だって、そうでしょう。


「これなら私も、言葉を話せる。マスターと話せる!」


 もしかしたら、外を出歩くことも案外簡単にできるようになるかもしれない。

 なにせ、私はもう外を怖いとは思わない。

 マスターから一言許可さえもらえれば、都市の外にだって歩いて行けるだろう。

 だったら、やっぱりこの子たちも魔力を与えれば外を歩けるようになるはずだ。


「どうしていまさらそんなことを?」

「フロルさま、まえからことばをはなせたよね?」


 家妖精たちの困惑の色が、ますます濃くなっていく。

 けれど、これは仕方のないことだ。


「私は、人間の言葉を話してはいけない」


 理由はきっと、家妖精が人間の言葉を話すと目立つから。


「私は、この家の外に出てはいけない」


 理由はきっと、家妖精が外に出歩いていると目立つから。


 けれど、もしも――――


「この都市に、言葉を話して、家の外を歩き回る家妖精があふれていたとしたら、マスターはどう思う?」


 家妖精が言葉を話すと目立つのは、言葉を話す家妖精がこの都市にいないから。

 家妖精が外に出歩いていると目立つのは、家の外を出歩く家妖精がこの都市にいないから。


 もしも人間の言葉を話して、家の外を歩き回る家妖精が、この都市にとって珍しい存在でなくなれば。

 きっとマスターは私が話さないことで、外に出ないことでかえって目立ってしまうと考えるのではないだろうか。


 そうなれば私も――――


「私も人間の言葉を話して、家の外に出ることができる」


 マスターと話をして、マスターと一緒に家の外に出かけて、もっともっとマスターの役に立つことができる。

 半ば諦めていた、私ではない別の妖精に任せようとしていた役割を、もしかしたら自分自身で果たすことができるかもしれない。


 この事実に、私は胸の高鳴りを抑えられない。


「今日から、みんなに配る魔力の量を増やします」


 困惑した空気が一瞬で歓喜にかわる。

 私は新たな目標に向けて、即座に行動を開始した。

 あの精霊にも、もっともっと多くの妖精たちを連れてきてもらわなければ。


「はあ……、待ち遠しい……」


 もっとマスターの役に立つために。


 私の理想を叶えるために。


「言葉を話せて外を歩ける家妖精を、もっともっと増やさないと」



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