第82話 閑話:A_fairytale_2




 どうしよう。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう――――


 私は今、とても困っている。


「へへっ、ここがD級冒険者の屋敷?分不相応な豪華さだな」

「ねえ、さっさと済ませちゃおうよー。今日はハチミツの日だよ?忘れてないよね?」

「わかったわかった……。さて、家の権利書はどこだー?」


 原因は、お屋敷の中を我が物顔で歩き回る男と妖精。

 浮遊している妖精はともかく、男の方は靴の泥を落とさずにそのまま歩き回るせいで、せっかく掃除した床が汚れていく。

 マスターがお酒を床に零したりしたときは掃除するのも楽しいと思えるのに、あの男が床を汚すところを見ていると、なんだかとても嫌な気分になる。


 私はマスターを真似て小さくため息をつく。

 困ったときにため息をつけば、マスターみたいに困難を乗り越えられるかもしれないと思ったけれど、残念ながら私では解決策は思いつかなかった。


 どうしてこうなってしまったのか。


 そして、どうすればいいのか。


 原因と解決策を探るため、私は今日の出来事を振り返った。





 ◇ ◇ ◇





「行ってくる」


 そう言い残して出かけて行ったマスターを玄関で見送ると、私はまず台所へ向かう。

 マスターが使った食器を洗って、拭いて、戸棚にしまう。

 丁寧に洗ったけれど、1人分の食器ではそれほど時間はかからない。


 次は箒を手元に引き寄せて2階に向かう。

 掃除はマスターが起きる前にほとんど終わらせてあるから、あとは2階の廊下とマスターの部屋だけだ。

 掃除用具だけでなく、ベッドやタンスなどの重い家具も自由に動かせるようになったから、これもあまり時間はかからない。


 その次は――――




(終わっちゃった……)


 マスターの家妖精になってから、できることが日に日に増えていった。

 それはつまり、家妖精の本分である家事に費やされる時間が短くなるということで、同時に私が持て余す時間が長くなるということでもあるはずだった。


 けれど、今の私に持て余す時間なんて少しもない。


(今日は何をしようかな……)


 ポケットからごそごそと手帳を取り出して、メモを眺める。

 そこにあるのは拙い言葉に拙い文字。

 けれど、これを書き直す気はない。

 数日前に書いた文章――とは言えない程度の短い文字の羅列――が拙いと思えることも、私が日々成長している証だと思えば誇らしい。


 マスターの言いつけをできるところから取り組み始めて、今日で3日目。

 いくつかの言いつけは今の私には難しく、そのうちのいくつかはどうすればいいのかもわからない。

 できることが増えたといっても、そのすべてを達成するのはまだまだ時間がかかりそうだった。


(やっぱり今日も、マスターが家で安心して過ごせるように頑張ることにしよう)


 簡単にできることはすでにやってしまった。

 今の私に取り組めそうなことは昨日から始めた家の強化作業を続けることと、泥棒を撃退するための攻撃魔法を覚えることくらい。

 その2つを比べれば、家妖精の私としてはどうしても家の強化作業に心が惹かれてしまう。


 これは本能なのだから仕方がない。

 そう自分に言い聞かせて、一階エントランスホールから窓ガラスを順番に強化していった。




(これくらいでいいかな……?)


 家にある窓ガラスをひとつひとつ強化していたら、気づけば夕方になっていた。

 マスターの部屋の窓ガラスは特に念入りに強化したし、昨日は壁から植物を取り除きながら壁を強化したから一段と見栄えも良くなって、外から壁や窓を壊すことも難しくなったはず。

 安心できる家にまた一歩近づいたことで、私の心は充実感で満たされる。


(そろそろマスターが帰ってくるかも)


 何時に帰ってくるかわからないマスターは、帰ってきたらまずお風呂に入ることが多い。

 お湯を張って温度を保っておいて、マスターが入浴している間に食事を用意する。

 冷めたら味が落ちてしまうものは、サラダや飲み物を先に出しておいて、マスターがそれを食べている間に調理する。


 マスターに提供する料理に関して手抜きは許されない。

 おいしくない料理を出すなんて家妖精として情けないことだし、おいしくない料理が嫌でマスターが帰ってくる時間が遅くなってしまえば、私のご飯の時間が遅くなってしまう。

 なにより、私に極上の食事をさせてくれるマスターに、少しでもおいしい料理で恩返しをしたい。


(…………はやく、マスター帰って来ないかなー)


 食事の時間が待ち遠しい。

 全身に染み渡る甘いあまい蜜のような魔力。

 どれだけ飲んでも飽きない。

 満腹を感じることなんてない。

 だから、少しでも長い時間味わっていたくて、いつも少しずつなめるように魔力を取り込んでいる。


(…………いけない。お風呂の用意をしないと)


 食事に思いを馳せて、役目をおろそかにしてはいけない。

 私は1階へ降りようと階段の方へ向かった。


 そのとき――――ガチャガチャと玄関から音がした。


(お客さんかな?)


 マスターは当然家の鍵を持って出かけたから、マスターが帰ってきたわけではない。

 お客さんが来たなら対応しなければと思うのだけれど、マスターの敵か味方かわからない人を招き入れることはできないので、諦めて居なくなるのを待つしかない。


 数秒ほどで音は止んだ。

 心の中で誰かもわからないお客さんに詫びながら、1階にあるお風呂の方へ向かう。


(――――ッ!?今度はなに!?)


 バァン、バァン、と何かを叩く音。

 食堂の方からだ。


 エントランスホールと食堂をつなぐドアの隙間から、音のする方を覗き見る。

 食堂と一体的につながるリビング、その屋敷の正面側にある大きな窓からその音は鳴り続けていた。


 誰かが窓ガラスを壊そうとしている。


(マスターの、敵……)


 マスターの味方がマスターの家を破壊しようとするはずがない。

 であれば、外に居る『誰か』はお客さんではなくマスターの敵。


(窓ガラス、強化しておいてよかった……)


 後回しにしていたら大変なことになったかもしれない。

 幸い強化したガラスは外からの攻撃に耐えることができている。


 しばらく様子を見守っていると音が止んだ。

 マスターの敵は窓の破壊を諦めたようだ。

 そろそろと足音を立てずに窓に近寄り、ガラスにヒビが入っていないことを確認する。


(ガラスが汚れてる……。磨かないと……)


 玄関と同じ面にある窓は屋敷の前の通りからも良く見える。

 汚れていては恰好がつかない。

 今日の掃除はすでに完了しているけれど、明日の掃除の時間まで放置しておくのは耐えられず、掃除用具をとりに用具室へと向かう。


 用具室の場所はエントランスホールにある階段の裏側、倉庫の隣。

 バケツに綺麗な水と布巾を飛び込ませ、そのバケツをふわふわ浮かせて自分は箒を片手に玄関へと向かう。

 廊下を通り、食堂に入り、リビングをかすめてエントランスホールへ。


 ガチャ――――


 玄関が開く音がした。


(あれ、マスター帰ってきた?)


 やってしまった。

 まだお風呂の準備ができていない。

 それとも、この時間ならまだお風呂には入らないだろうか。


 いずれにしても、まずはマスターを出迎えなければ。

 バケツはその場に留めたままエントランスホールへと出ようとして、私は知らない人の声を聞いた。


「へへっ、ここがD級冒険者の屋敷?分不相応な豪華さだな」


 屋敷の中に、知らない人間がいる。


(う………そ………?)


 全身に衝撃が走り、危うく箒を取り落としそうになる。

 いつのまに、どこから、どうやって。

 この屋敷は他でもない自分の領域。

 壁や窓が壊されたなら気がつかないはずはない。


 恐る恐る玄関を見やるも、ドアが壊された様子はない。

 両開きのドアは、まるでマスターを迎え入れるときのように開け放たれていた。


「しかし、ずいぶんと硬い窓ガラスだったな……。こんな貧乏人共が集まる区画に屋敷を立てるからには、防犯対策はバッチリってか。ま、俺様の技術の前には無意味なことだ」

「鍵開けができるんだから最初からやればよかったのに」

「ばーか、鍵開けなんて誰でもできることじゃねぇだろ?誰でもできる侵入方法の方が、足がつきにくいんだよ」




(鍵開け……?)




 あっ!?





 ◇ ◇ ◇





 現実逃避気味に振り返ってみたが、自分の責任を明確にするだけに終わってしまい、やはり解決策など浮かんでこない。


(ああ……、鍵だけ何もしてなかった!!)


 私は頭を抱えた。

 壁を壊さなくても、窓を割らなくても、ドアを蹴破らなくても、屋敷に入る方法はある。


 鍵を開ければいい。

 誰にでもわかることだった。


(でも、鍵が開かないようにするわけにはいかないし……)


 私はどうすればよかったのだろう。

 混乱する私に追い打ちをかけるように、侵入者はこちら側へ近づいてくる。


(あれ、私は逃げればいいのかな?それとも泥棒を撃退すればいいのかな?)


 泥棒がきたら逃げるか、やっつける。

 でも、よく考えたら家から出ちゃダメな私はどこにも逃げられない。


 それなら、やっつけるしかない。


 攻撃できそうな魔法を覚えておけばよかったのだけれど、今さら後悔しても遅い。

 今、私にできる方法で、泥棒をやっつけなきゃいけない。


「あ……?家妖精?」

「わー、ほんとだ!かわいい!」


 見つかってしまった。


 私は覚悟を決める。


「へへっ、家の権利書のついでに魔石までもらえるとは、あの旦那には感謝しないとな、ひひひっ……」

「うわー、サイテー!でも、ハチミツ増やしてくれるなら許してあげるー」

「よーし、仕事が片付いたらハチミツをビンごと買ってやる!」

「わーい!」


 宙を舞って大げさに喜びを表現する妖精を横目に、泥棒の男が腰から剣を抜いた。


 自分の家の中を歩き回るような軽い足取りでこちらに近づいて来て、剣を振り上げる。


 その男の頭に、水の入ったバケツを逆さにして被せた。


「ぶふぉ!?」


 全身水浸しになり、頭にバケツを被って視界を塞がれた泥棒の男。


 男がたたらを踏んでいる間に、私は男に飛びついて魔力を吸収し始める。


「ちょっと!?頭、バケツ、バケツ!!」

「くそっ、無駄な抵抗を……なんだこの雑巾、顔にはり付いて取れねえ!?」


 バケツを投げ捨てた男の顔には濡れた布巾がはり付いて、なおも男を混乱させる。

 もちろん布巾が外れないように操っているのは私だ。


「気を付けて!<アブソープション>で吸われてるよ?」

「家妖精に昏倒させられるほどショボい魔力量じゃねえよ!てか、見てないで剥がすの手伝え!」


 泥棒の男と妖精が布巾と格闘している間に、魔力を吸収していく。


 しかし――――


(おいしくない……)


 以前はどんな魔力でも御馳走だと思えたのに、マスターの魔力で舌が肥えてしまった私には、この無味乾燥な魔力は辛いものがある。


(けれど、今はそんなことを言ってる場合じゃない……)


 魔力を味わう暇なんてない。


 泥棒の男を眠らせるために、味など無視して一気に吸い込んだ。


「とれた!ったく手間かけさせや――――あふっ」


 魔力量に自信のあるらしい泥棒の男だったけれど、一気飲みを始めてすぐに眠らせることができた。

 口から泡を吹いて体がビクビクと動いているのが、とても気持ち悪い。


「え……ウソ……」


 あとは妖精。

 泥棒の男が眠ってしまったことが信じられないらしい。


 妖精も、眠ってもらわなければならない。


「やば……」


 素早く逃げようとする妖精。

 その目の前で、エントランスホールへとつながるドアが音を立てて閉まる。


「くっ、この、開いてよ!」


 妖精に、そのドアは開けられない。

 家の中のドアはまだ強化していないから攻撃魔法が使えるなら壊せるかもしれないけれど、攻撃魔法は使えないのか、それとも混乱してそのことに思い至らないのか。

 私が近づいて行くとドアを開けることを諦めたのか、ドアを背にしてへなへなと床に座り込む。

 その表情は、まるで化け物を見たかのように恐怖一色だ。


「やだ……やだやだやだ!来ないでよ!!」


 勝手にマスターの屋敷に入っておいて、何を言っているのだろう。

 ちょっと嫌な気分になる。


「お願い許して!!何でもするから!いや……消滅なんてしたくないっ!!」


 頭を抱え込んで怯える妖精。

 かわいそうだと思ったけど、マスターの敵であるなら仕方がない。


 仕方ないのだけれど――――


 何でもしてくれるんだ。


「それ、本当?」

「え……?」


 命乞いが功を奏すると思わなかったのか、その妖精は怯えた表情のまま顔をあげた。


「妖精さん、あなたはマスターの役に立ってくれる?」

「立ちます!立ってみせます!!…………あと、一応妖精じゃなくて精霊です」

「精霊?妖精とは何が違う?」

「えーと、精霊は妖精より…………いえ、なんでも……ないです」


 首をかしげる私に何か言おうとした精霊は、続きを言わずに黙ってしまった。

 妖精と精霊の違いは少し気になるけれど、大事なのはそこではない。

 それについては、今度書庫で調べておこう。


 気を取り直して、私は妖精――――改め精霊に笑いかける。


「精霊さん、あなたにお願いしたいことがあるの」



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