第78話 共闘




「気づかれた!クリス!!」

「オッケー!」


 木の影に身を隠しながら距離を詰めた甲斐もなく、ティアの射程圏まであと少しというところで魔獣は身を起こし、こちらを睨みつけた。


『オ、オオオォウゥ!!』


 威嚇しているつもりか、大きな唸り声が響き渡る。

 その姿は熊か大猿かといえば大猿だろうか。

 大きな体躯に長い腕を持つ魔獣は剣士にとって戦いやすい相手ではないはずだが、<アラート>を持つクリスならそう簡単にやられはしない。


「お前の相手は僕だよ、お猿さん」


 クリスは接敵し、軽い身のこなしで腕を避けながら、魔獣の胴体ではなくその腕を狙って少しずつ傷をつけていく。

 魔獣の腕が届くか届かないかという距離を見極めて魔獣を挑発するように動き回るクリスは、俺の要求した役割を十全に果たしていた。


 クリスの戦いぶりが安定していることを見届けた俺は、魔獣の視線を遮るように近くの木の幹に背中を預け、魔獣を倒すための準備に取り掛かる。


「ティア、3つ」

「はい!」


 小声で返事をしたティアはすぐさま杖の先端に魔力を集中させ、いつぞやと同じように大きな粉雪を生成すると、魔獣に投げつけはせずにワンドを小さく払った。

 粉雪はワンドの先端から離れると、そのままふよふよと近くを漂い始める。


「回復に入ります」


 そう言うと、彼女は杖を持った右手まで俺の首にまわし、より密着した体勢をとる。

 体力に自信のない彼女は物理的な攻撃を防ぐための軽鎧や鎖帷子を身に着けることができず、多少の魔術付与がされているらしいローブとブーツのほかは、ほとんど普段着と変わらない。

 効率的に魔力を吸収するため。

 やっていることはフロルと同じ。

 そう理解してはいるが、これはやはり辛いものがある。


「3つ、できました」

「わかった。攻撃開始の前に、魔力を十分補充しておいてくれ」

「はい!」


 そんなことを考えていられるのは、この戦闘が俺たちにとって優位に進んでいるからだろう。

 ティアの魔力回復にかかる時間は、前回と比べて大幅に短縮している。

 準備を始めてからここまで1分足らず。

 準備が整うまで、あと10秒ほどか。

 俺たちを同様に近くの木に身を潜めていたアーベルに、ギリギリ聞こえるくらいの小声で声をかける。


「他言無用で頼む」

「承知した。最初は何をしているのかと思ったが、こういう戦い方もあるのかと勉強になったよ」


 アーベルの反応を踏まえると、やはりこのような戦い方は標準的ではないようだ。

 前提としてレアスキルである<アブソープション>がないと成立しないということもあるが、おそらく多くの魔法使いは自分の保有魔力を前提に戦術を組み立てているのだろう。


「いつでも行けます」


 ティアの声を受けてアーベルに視線を送ると、彼は無言で頷いた。

 顔だけ出して魔獣の様子を窺うと、クリスがうまいこと俺たちの反対側に回り込み、魔獣はこちらに背を向けている。


「クリスのやつ、本当に良い仕事をしてくれる……。始めるぞ!」


 俺は気の影から飛び出して、魔獣の方へ小走りで近づいて行く。

 クリスは一瞬こちらに視線を向けると以前にも増して声を張り上げ、魔獣の注意を引くために大胆に剣を振り、こちらの動きをサポートしてくれている。


「アレン君、魔獣は脚をケガしているようだ。腕の振りが素早いが、先ほどからほとんどあの場を動いていない」

「それは好都合。ティア、好きなタイミングでやってくれ」

「はい!――――お願い!」


 ティアがワンドを振り上げると同時に、俺たちの動きに追随するように浮遊していた3つの粉雪が、上方に跳ね上がった。

 粉雪の制御は、それが近くにあるときにはある程度のコントロールが効くそうだが、一度放ってしまえばそのまま慣性に従うような動きになるという。

 それはつまり、粉雪を正確に対象へと誘導することはできないということだ。

 だから、空高く舞い上がった粉雪が放物線を描いて落ちて行く先に間違いなく大猿がいるのは、きっとティアの練習の賜物なのだろう。


「クリス!!!」


 魔獣に気取られないよう視線を魔獣に集中させていたクリスに、着弾が近いことを知らせる。


 魔獣はこちらを振り向き、クリスは横っ飛びに地面に体を投げ出した。




『オアアアアアアァ!!!!!』




 魔獣の絶叫。


 ティアの粉雪は魔獣の正面、左方、そして左後方に着弾し、それぞれが氷の華を咲かせた。


 ある花弁は魔獣の腕を吹き飛ばし、ある花弁は魔獣の毛皮を引きちぎり、ある花弁は魔獣の脇腹に深々と突き刺さる。


 視界に入った粉雪から危険を感じとったのか、着弾直前に魔獣が体を動かしたために八つ裂きとはいかなかったが、このまま放置しても長くは持たないと思える程度の深手を魔獣に負わせることに成功した。


「すいません!仕留めきれませんでした!」

「十分だ!クリス、勝負を急ぐな!慎重に詰めて行くぞ!」

「わかった!」

「我々も援護する!」


 クリス、俺とティア、アーベル、そしてどこかに潜んでいるカルラで魔獣を取り囲む。

 魔獣は脇腹に深々と突き刺さった氷柱をへし折って体から引き抜くと、血がついたままのそれを俺の方に投げつけてきた。

 魔獣の最後の抵抗だろうか。

 勢いは弱々しく方向も定まっていないそれは、誰に脅威を与えることもなく、俺が立つ場所から右に大きく逸れたところにある木に命中し、その幹を揺らしただけに終わった。


『ウウウゥ……、ウウウウゥ……』


 弱々しい唸り声をあげる魔獣にトドメを刺すために、ティアは最後の粉雪を生成し始める。

 それが自分の命を奪うとわかっているのだろう。

 牙をむいて威嚇する様子は鬼気迫るものがあるが、魔獣を終わらせるための粉雪は、あっさりとワンドの先端にその姿を現した。

 俺に抱えられたティアと大猿の距離は10メートル余り。

 彼女が外す距離ではない。


「いきます!――――お願い!」


 ワンドが振られる。


 すでに粉雪を認識している瀕死の魔獣に、大きな放物線は必要ない。


 軽くキャッチボールをするような緩い軌道で魔獣に迫る粉雪は、着弾後、先ほどと同じように周囲に氷の暴力をまき散らす。


 しかし、それが魔獣の命を奪うことはなかった。


「クリス!!」

「くっ!?」


 その脚には確かに激しい損傷が見られるにも関わらず、決死の突進を繰り出す魔獣。

 クリスは先ほどそうしたように横っ飛びで回避する。


 地面に転がったクリスはなんとかその突進を回避したが、姿勢は崩れ、魔獣に対して無防備を晒してしまっている。


「任せなさい!」


 魔獣に向けて、そして魔獣とクリスの間にある空間へと向けて放たれる短剣が3本ずつ。

 アーベルからの援護でクリスは体勢を立て直す時間を得た。


 しかし、それでも魔獣の突進は止まらない。


「え!?」

「あっ!!」


 ティアとクリスの少し気の抜けたような驚きがシンクロする。


 無理もない。

 魔獣は今も、クリスが方へと突進し続けていた。


「逃げた……?」


 誰かが、ぼそりと呟いた。

 反撃への警戒は十分だったが、あれほど大きな魔獣が一目散に遁走するという想定は誰もしていなかったのだ。

 咄嗟のことで動けなかったものの、辺りには弛緩した空気が漂っている。


「気にする必要はない。あれほどの深手では、そう遠くへは逃げられまい。血の跡も残っているから追跡も容易だ」


 アーベルの言葉がその場の空気を端的に表している。

 俺もそんな空気に流されてしまいそうだった。


 ほっと大きく息を吐き、ティアを下ろそうとして――――ぞわっ、と身の毛がよだつような感覚を味わった。


 魔獣が逃げた方向。


 クリスがいた方向。


 林を通る小道から魔獣に近づいた俺たちと、魔獣を挟んで反対側に陣取っていたクリス。




 その背が向いていた方向に、




「追うぞ!湖に行かせるなっ!!!」

「え?――――ッ!」


 遅れて気づいたクリスを伴い、全力で魔獣を追う。

 アーベルたちも一瞬遅れて事態に気づき、俺たちの後を追ってきている。

 手負いの魔獣の足はそれほど速くない。

 しかし、俺たちが呆けていたわずかな時間が、俺たちと魔獣との間に十分な距離をあけさせていた。


「ティア!追いつくまでに魔力を!射程圏内に捉えたら迷わず撃て!『槍』の方だ!」

「は、はいっ!!」


 ティアの<氷魔法>は粉雪だけではない。

 氷の槍を射出するタイプ、粉雪より発動の速い攻撃魔法をティアに指示する。


(嫌な予感がする……!)


 アーベルたちが素早い身のこなしで魔獣に接近し、短剣とクロスボウ、縄まで使って魔獣の突進を妨害しようと奮闘しているが、魔獣は頑なに進路を変えようとしない。

 なりふり構わず、ときには進路上の木々さえなぎ倒して突き進む。

 つまり、湖へ向かう魔獣には明確な目的があるということだ。


 その目的が何かまではわからない。

 わからないが、それが俺たちにとって良いものであるはずがない。


「湖が!」


 湖を視界に捉えた。

 もう、時間がない。


「ティア!!」

「まだ距離が!それに木が邪魔で射線が――――」

「時間がない!頼む!!」

「ッ!わかりました!――――当たってっ!!」


 瞬く間に周囲に生成される全長1メートルほどの氷の槍、その数6本。


 ティアが杖を魔獣に差し向ける動きに合わせて、勢いよく魔獣へと向かって射出された。


 俺は足を緩めた。


 クリスも足を緩めた。


 俺たちを見て、アーベルたちも追撃をやめた。


 全員がその行方を見守る中、ティアの放った氷の槍が木々の合間を飛翔する。


 放った槍は、1本、2本と木々に直撃して砕けていく。


 しかし、振り返りもせず一目散に湖へと向かう魔獣の背中に吸い込まれるように、2本の槍が魔獣の巨体を貫いた。


 魔獣が力尽きて倒れ伏し、大地を揺らす。


「当たった!やりました!」

「やった!!」

「やったな……」


 喜びたい気持ちも大きいが、それよりも湖にたどり着く前に魔獣を始末できたという安堵の方が大きい。

 大喜びするティアとクリスに声をかけ、アーベルたちとも合流して魔獣のもとへと向かう。


 まだ魔獣は生きている。

 腕が地面を掻くようにゆっくりと動いているのが見えるが、今度こそ、その巨体を前に進めるほどの力は残されていないようだ。

 魔獣と湖の淵までの距離は、いつぞやと同じく50メートル程度。

 もう少し槍の発動が遅ければ間に合わなかったかもしれない。

 

 間に合わなければ何が起きたのだろうか。

 そう思うと、見事に魔獣を射抜いてくれたティアに感謝しかない。


「本当によくやってくれた。ありがとう、ティア」

「ふふっ、うまくできてよかったです」


 緊張から解放されて力が抜けたのか、少しくたっとした様子のティアが寄り掛かるように体を寄せてくる。

 もう戦闘は終了したも同然なのだから、そろそろティアを下ろそうと思ったのだが、これではすぐに下ろすわけにもいかなくなった。


「今日の一番の功労者なんだから、ちゃんと労わってあげたらいいよ。トドメは僕がやっておくからさ」


 そう言って小走りに魔獣へと駆けて行くクリスの背中を見送る。

 アーベルも俺とティアの様子を見て微笑みながら魔獣へと向かった。


(まあ、瀕死の魔獣にトドメを刺すために全員で行く必要もないか……)


 あとはトドメを刺して魔石と素材を適度に回収し、その後麓の街に戻って残りの日数を過ごせば依頼は完了。

 例の妖魔さえ出てこなければ消化試合も同然だ。




 出てこなければ、消化試合も同然だったのだ。



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