第79話 全力




「あれ、どうしたんでしょう?」

「うん?何かあったか?」


 最初に気づいたのはティアだった。


 俺はティアを抱きかかえながら念のため湖を監視していた。

 カルラはお手製の地図に小さな字で何かを書き足していた。


 皮肉にも、やることがなく俺の腕の中で周囲の景色を眺めていたティアだけが、その異変にいち早く気づくことができた。


「クリスさんとアーベルさん、魔獣の解体作業をしていたはずなのに、どこに行っちゃったんでしょう?」

「…………魔獣が大きいから、影に隠れてるんじゃないか?」

「そうでしょうか?」


 冒険者であるとはいえ、年頃の女の子が魔獣の解体現場なんてじっくり観察したいものでもないだろう。

 そう思って、俺は少しばかり魔獣の死骸から距離をとっていた。


「一応、確認してくるか」

「私は気にしません」


 そう言って、ティアは俺の服を掴んでにっこりと微笑む。

 私を下ろすなと、自分も連れていけと、その行動が何よりも物語っている。


「わかったよ」

「ふふっ、ありがとうございます」


 ご機嫌そうに足先をぱたぱたと揺らすティアを仕方ないなと思いながら、ついつい俺も口の端が上がってしまう。

 だって、そうだろう。

 こんなに綺麗な少女にお姫様抱っこを望まれているのだから、男として誇らしく思うのは仕方のないことだ。


 頭の中に花を咲かせながら、俺たちは魔獣の死骸へと近づいて行く。

 生臭い血の臭いはお世辞にもいい匂いだとは思えないが、気にしないと言うだけあってティアもこのような臭いには耐性があるようだった。


「クリス……?アーベルさん……?」


 声をかけてみたが返事がない。

 訝しく思いながらも、さらに魔獣へと近づいていく。

 死んでいる魔獣を警戒しても仕方ないことはわかっているが、魔獣から数メートルの距離をとりつつ、大回りに反対側へと回っていった。


 湖の方を警戒することも忘れない。

 以前弓使いの盗賊が話したとおり、今の湖は透き通った綺麗な水を湛えているため、もし黒い影が浮かべばすぐに察知できるはずだ。


「あ、やっぱり影に隠れてましたね」

「そうだな。休憩してるのか……?」


 巨体の影になって見えなかった部分にクリスの足が隠れていた。

 よくもまあ、こんな生臭いとこで休めるものだ。


「おい、起きろよ。風邪ひくぞ」


 クリスに近寄って声をかける。

 よく見ると、クリスの隣にアーベルもいるようだ。

 二人並んで仰向けになっている。


 その二人の頭を、




「――――――――ッ!」




 ティアは、よく悲鳴を堪えたと思う。

 俺自身が絶叫してしまいたいくらいだったのだから。


 クリスもアーベルも胸が上下に動いているから生きていることはわかる。

 ただし、この状況を安全だと認識することは、どう考えても不可能だった。


 人型が顔だけでこちらを振り向き、ニタリと笑う。


 黒く長い髪。

 黒い肌。

 黒い爪。


 全てが闇のように黒く染まる中で目玉だけが光を放つ不気味な人型。

 立ち上がってこちらに向き直ると、それは少女の輪郭をしていた。


 黒い人型がつま先に力を込めたのと、俺がティアを横に突き飛ばしたのはほぼ同時。

 次の瞬間、俺は先ほどまでクリスたちがそうだったように、頭を地面に抑えつけられていた。


「ぐっ……!」


 頭を強く打ちつけられ、鈍痛に視界が歪む。


 地面が柔らかな腐葉土であることが不幸中の幸い。


 しかし、安心している暇などない。


 強制的に横に向けられた俺の視線の先では、突然突き飛ばされたティアが体を起こして立ち上がろうとしていた。


「逃げろ!!!」


 一刻も早く、ここから遠くへ。


 しかし、俺の願いは聞き届けられない。


「――――ッ!アレンさんを放しなさいっ!!」

「ティア!!!」


 激昂したティアが放つ氷の槍。

 至近距離から黒い人型へとむけて放たれるそれは、しかし、ひとつたりとも命中せず、全て木々の向こうへと消えていく。


 黒い人型が俺の上から居なくなったためか。

 頭を抑え付ける感覚がなくなり、急いで体を起こした俺が見たものは――――


「かはっ………………ぁ」


 黒い人型に喉元を掴まれ、そして、くずおれるティアの姿だった。




「があああああああああああああっ!!!」




 超重量の剣を鞘から引き抜き、いきり立って黒い人型に襲い掛かる。


 普段は控えている<強化魔法>の全力行使。


 後のことなど考えられない。


 今、この瞬間に力が欲しい。


 仲間を死に追いやろうとする化け物を打倒するための力が欲しい。


 そのためなら、戦いの後に体が動かなくなったってかまわない。


 本気でそんなことを願いながら、俺はがむしゃらに剣を振るった。


 <強化魔法>と<結界魔法>、爺様から譲り受けた『スレイヤ』と剣術擬き。




 数少ない手札を十全に用いて全力で戦い――――それでも俺は、容易く地面に打ち倒された。




「ぐっ……」


 どんな魔法を使っているのか。


 まるで金縛りのように、指一本動かすことさえままならない状態に追い込まれた。


 俺が抵抗できないのをいいことに、黒い人型は俺の上に跨り、体を合わせるように自身を横たえる。


(なにを……ッ!?)


 不気味な少女から与えられる、覚えのある感覚。


(これは……<アブソープション>!?)


 触れられたところから魔力が抜けていく。


 その速度はフロルに触れられた時よりもずっと速い。


 魔力総量だけは自信を持っていたにもかかわらず、このままではものの数分で昏倒させられてしまう。


(動け……動けぇっ!!)


 俺が気を失ってしまえば全てが終わる。


 C級冒険者たちは帰らなかったのだ。


 俺たちが無事に帰還できるとは到底思えなかった。


「クリス……!アーベル……!」


 だれか一人でも目を覚ましてくれれば活路が開けるかもしれない。


 そんな希望的観測を嘲笑うかのように、意識が少しずつぼんやりしてくる。


「ティア……」


 唯一、俺の視界に映るティアを見つめる。

 もともと魔力が少なく、魔法で消耗した彼女では、きっとひとたまりもなかっただろう。


「くそ、お…………」


 俺は知っていたはずだ。

 些細な見落としで全てを失ってしまうことを、知っていたはずだった。


 なぜ、魔獣を討伐した後、ティアに魔力を回復するよう指示しなかった。


 なぜ、ティアの<氷魔法>を待機させておかなかった。


 なぜ、湖からそう遠くない位置で気を抜いた。


 なぜ、湖に居た妖魔が今も湖にいるなんて思いこんだ。


 なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ――――


(これで終わり、なのか……?)


 朦朧とする頭で思う。


 もともとあるはずのなかった、二度目の人生。


 いつ終わってしまっても、悔いなんてない。


 そう思っていた。


 けれど、そんなのはウソだった。


 油断したこと、それによって仲間を道連れにしてしまったこと。


 悔いるべきことは次から次へと湧き出してくる。


 しかし、どれほど後悔しても全ては後の祭り。


 もう意識を保つことすら難しい。


(結局、また守れなかった……)


 閉じてしまえばもう二度と開くことがないだろうまぶたが、ゆっくりと閉じていく。


 それに抗う力は、俺にはない。


(本当にすまない……)


 それは誰に向けた謝罪だろうか。


 そんなこともわからないまま、俺の意識は底なしの奈落へと落ちていった。































 ◇ ◇ ◇





「ん…………」


 暗闇の中、俺の意識はふわふわとどこかを漂っている。


 体は動かない。

 ここがどこなのかわからない。

 頭がぼんやりしていて、思考がまとまらない。


(なんだ……ここ……?)


 ここは死後の世界だろうか。

 だとしたら俺の体はもうないのだろうから、体が動かないのは当然か。

 そう言えば、俺は一度死んでいるにもかかわらず、死んでいる最中の記憶はもっていなかった。

 記憶というのは頭にあるのだから当然と言えば当然だが、そうなると二度目の人生で一度目のことを覚えていられたのはどういう理屈だろうか。

 魂などというものがどこかにあって、そこで記憶を保持しているのだろうか。


(こんなこと考えて、何になる……)


 俺は目を閉じる。

 もう何も考えなくていいのだから。

 何を考えたって手遅れなのだから。


 だから、もういいじゃないか。


 再び意識が暗闇へと沈んでいく。

 ひんやりとした風が俺を撫で、奈落の奥底へと誘っていく。


 しかし、そんな安らぎを邪魔するものがあった。

 不快な臭い。

 生臭い、何かが腐ったような臭い。


 それはまるで、死んだ獣のような――――






「――――え?」


 瞬間、意識が覚醒する。

 ぴくりとも動かなかった体の縛めは解かれ、反射的に上半身を起こして周囲を見渡すと、周囲は闇に覆われていた。

 分厚い雲に遮られて月の光は届かない。

 しかし、暗闇に慣れた俺の目は、うっすらとではあるが周囲の景色を映し出し、ここが意識を失う前と同じ場所であることを教えてくれた。


 咄嗟に、俺は四つん這いになって手を動かす。

 ここが先ほどの場所なら、この辺りのはずだった。


 間もなくして、俺の手は、それに触れた。


「ティ……ァ……」


 夜風に曝されて冷たくなった少女の体。


 俺が抱き起しても、目を覚ますことはない。


「すぅ…………すぅ…………」


 しかし、その小さく穏やかな寝息だけが、彼女の生存を確かなものとして俺に伝えてくれていた。


「生き、てるっ……!」


 俺はティアの体を乱暴に抱きしめた。

 はらはらと流れ落ちた涙がティアの首筋を濡らし、それでも次々と溢れ出る涙が、俺の視界を歪ませる。

 嗚咽を噛み殺しながらティアを抱えてなんとか立ち上がり、不快な臭気のもとへと足を運ぶ。


「クリス……アーベルさん……」


 ティアを一度地面に下ろし、昼間と同じ位置で体を横たえていた2人の生存を確認すると、二人を魔獣の傍から引きずって、ティアの横に並べるように寝かせる。


「逃げないと……」


 一刻も早く、ここから離れないと。


 全員の無事を確認すると、恐怖が次第に大きくなっていく。


 一度は失いかけたものを取り戻したという歓喜。


 それが大きければ大きいほど、それを失うかもしれないという恐怖は想像を絶する。


 途端に、体が重くなる。


 焦燥と恐怖が、鎖となって俺の体を縛り付けた。


(耐えろ、耐えろ耐えろ耐えろ!!)


 歯を食いしばり、3人を抱えようと悪戦苦闘する。


 しかし、俺1人で3人を抱えることは難しい。


「――――――ッ!!」


 サアッ、と風が林を揺らすたびに、そこから黒い人型が湧き出るさまを幻視する。


 時間の経過に伴って重圧はより大きなものになり、俺の思考すらも縛りつけた。


(早く、どうすれば、3人、だめだ、ああ、どうやって――――――――あっ!!)


 偶然のひらめき。


 視線を彷徨わせた先にあった、大猿の魔獣だったもの。


 クリスとアーベルがはぎ取っていたのだろう、風に吹かれて揺れる毛皮が俺の目に飛び込んできた。


(これだっ!!)


 すぐさま『スレイヤ』を拾い上げ、中途半端にはがされた魔獣の毛皮を適当な大きさで切り離す。


 その毛皮の上に3人を乗せ、風呂敷の代わりにして包み込むと、包み終わってから窒息の危険があることに気づき、中を傷つけないように慎重にいくつかの穴をあける。


 生臭く滑る毛皮を背負う。


 手や服が血脂で塗れるが、この湖から仲間を連れて脱出できるなら手段を選ぶつもりはなかった。


「はあっ……はあっ…………」


 もつれる足を叱咤して、俺は駆け続けた。


 一歩でも遠くへ、一歩でも湖から離れた場所へ。


 ただそれだけを思って、俺は脱兎のごとく走り続けた。


 雲間から顔を出した月の仄かな光を頼りに地を蹴り、風を切り、木々の合間を縫い、岩を飛び越え、しかし決して振り返らずに、街へ向かって駆け続けた。


 小道へ抜けても決して止まらず、坂を下るときも速度を緩めず。


 いつかと同じように、俺は麓の街へと向かって駆け続けた。


「――――――――ッ!」


 自分の足が蹴り飛ばした小石が音を立てるたびに。


 風が肌を撫でるたびに。


 心臓が締め付けられるような恐怖を幾度となく味わった。


 それでも、決して振り返りはしない。


 そこに黒い人型を見つけてしまったら、俺の心は折れてしまうから。


 そこに黒い人型を見つけてしまっても、俺にはどうすることもできないのだから。






 息も絶え絶えになりながらも、無人になってしまった麓の街にたどり着いた。

 前回宿泊した宿に勝手に侵入し、大きな部屋を探して3人をベッドに並べると、俺自身は体に着いた血脂を拭いもせずに抜き身の剣を抱えて窓際に座り込む。


「………………」


 3人の寝息だけが響く部屋の中。

 俺は息をひそめて窓の外の様子を窺う。


 いつのまにか分厚い雲は流れ、月の光が誰もいない街を照らしていた。

頼りない月明かりも、動くものが何もない静かな街で追っ手の姿を炙り出すくらいなら、十分に役立ってくれる。


(来るな……)


 しかし、そんな俺の行動に何の意味があるというのか。

 俺の手札の全てが通用しないことは、すでに証明された。


 俺では仲間を守ることはできないのだ。


 だから、俺は一晩中祈り続けた。


 アーベルが目を覚まし、クリスが目を覚まし、最後にティアが目を覚ましても。




(頼むから!追ってこないでくれっ!!!)




 微かな月明かりが絶望を遠ざけてくれることを願って、俺は祈り続けることしかできなかった。





 ◇ ◇ ◇





 翌朝、無事に戦場を離脱していたカルラたちが、B級冒険者を連れて応援に駆け付けた。

 本来は応援が来るまでもっと時間がかかるはずだったから、冒険者ギルドも相当無理をしてくれたのだろう。


 彼らはそのまま漆黒の少女を討伐するために湖へと向かっていき、俺たちは入れ替わるように馬車に乗せられて都市へと帰還することになった。


 都市の喧騒が耳に届いたことは覚えている。


 気がついたら、俺は屋敷の自室でベッドに仰向けに転がっていた。


 それでも、滲む涙は止まらなかった。




 焦燥と、恐怖と、無力感。




 それらは、たった一晩で俺の心をへし折ったのだ。



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