第76話 再び火山へ
「さて、話を続けていいかな?」
俺の両脇の二人の騒がしさが収まるのを待って、サブマスターは徐に声をあげた。
そういえば依頼の打ち合わせの最中なのだった。
本題をすっかり忘れて内輪の話に入ってしまったというのは流石に申し訳ない。
サブマスターの表情が温かいものになっているところも、俺の羞恥心を刺激した。
「……申し訳ない。気を付ける」
「気にしないでくれ。我々としても、有力なパーティが新たに結成されることは好ましく思う。だからこそ、キミらをこのような任務に送りださなければならないということは、残念でならないが……」
後半を口にするとき、彼の抱える苦々しい思いがしっかりと伝わってきた。
「何を言っても言い訳になることは理解している。君らから見れば、傲慢と言われても仕方ないこともわかっている。ただ、我々も――――」
「そこまでだ」
俺は聞いていられず、サブマスターの話に割り込んだ。
サブマスターは俺の無礼に対して怒りを表すことも、無理に言葉を続けることもしなかった。
自分たちは罵声や皮肉を浴びせられるだけの仕打ちをしているのだと、彼はそう思っているのだ。
「その話は、もう昨日の会議で終わってる。散々この打ち合わせを長引かせた俺に言われては業腹かもしれないが、打ち合わせは簡潔に済ませるべきだ。それに――――」
「それに、なにかな?」
少し諦観の混じったような声で続きを促したサブマスター。
彼の視線を真っ向から受け止め、俺はその続きを言い切った。
「――――なにより、あんたがこの依頼を受ける俺たちを哀れな生贄のように思っていることが不愉快だ。俺たちは依頼を提示され、それを受けたんだ。だからあんたは、俺たちが受け取る報酬を工面する心配さえしてればいい」
サブマスターは俺の言葉を聞いてキョトンとしたあと、やがてにやりと笑った。
自分が二回り以上も年下の冒険者に励まされたことに気づいたのだ。
「ご忠告痛み入る。だが、その心配は不要だ。我がギルドは金貨の10枚や20枚で経営が傾くほど貧乏ではない」
「それは景気のいいことで羨ましい限り。なんなら、報酬を増額してくれても構わないが?」
「私としても残念なことこの上ないのだが、それはできないな」
メガネを直しながら告げた言葉は、最初に会ったときのように自信に溢れたものに戻っていた。
「その話は、もう昨日の会議で終わっている。そうだろう?」
◇ ◇ ◇
その後、いくつかの確認を済ませた俺たちは、南門から魔導馬車で火山の麓の街へと出発した。
今回は魔導馬車で現場の近くまで行く予定だから、魔導馬車も御者もギルド側が用意したものを使っている。
サブマスターの心遣いか、速度も乗り心地も良いものが手配されたようで、この調子なら街に到着するまでゆったりと過ごせるだろう。
「あの堅物が、あんなに楽しそうに笑うとはね。キミは本当に面白い人間だ」
「お褒めにあずかり光栄だ」
馬車の中の雰囲気は良好で、2つのパーティがそれぞれ交友を深めている。
リーダーがC級同士で対等なのだから普段通りの言葉遣いで構わない――――そう言われた俺は早速敬語を放り投げ、砕けた会話を交わしていた。
しかし、グスタフだけは、その賑わいから一歩引いたところにいた。
10人乗りの魔導馬車の先頭に陣取り、御者席との間に空いたのぞき窓からじっと前方を見つめている。
もちろん、その視線の先に見るべきものなどない。
俺とアーベルは馬車の一番後ろ、彼から一番遠いところで会話をしていたが、アーベルが時折彼を気遣うように見ていることには、俺も気づいている。
「すまないね。悪い子ではないのだが……。最近少し伸び悩んでいるんだ」
なるほど。
彼から感じられる焦りの正体はそれか。
「気にしない。気持ちはわからないでもないからな」
「ほう?キミのような優秀な少年が、彼のことを理解できると?」
アーベルの意地悪な返しに、俺はつい、くつくつと笑みを零してしまう。
優秀――――なんと俺に似合わない言葉だろうか。
「おかしいかね?」
アーベルは少し機嫌を損ねたような声音で付け加えた。
この人も機嫌を悪くすることがあるのだなと当たり前のことを思いながら、それだけグスタフのことを心配しているのだろうと彼の胸中を推察する。
とはいえ、このままアーベルに嫌われてしまっても困りものだ。
俺は自分が優秀などではないという不本意な説明を口にするのは、なんだか情けないから嫌なのだが。
「悪かった。優秀なんて言葉は、俺には似合わないと思ってな」
「……謙遜も過ぎれば嫌味だということを覚えておいた方がいい」
「俺のスキルが<強化魔法>だけだといっても、そう思うか?」
「それは…………。そうなのかね?」
目を見開いて驚愕するアーベルには悪いが、当然切り札は伏せておく。
まあ、攻撃能力に直接的に貢献することはない切り札だから、あながちウソでもないだろう。
「キミのことは、ギルドから少しばかり聞かせてもらったよ。わずか数日で、D級とは思えない戦果を挙げたとか。それに、なにより私自身、先日の迎撃作戦の最前線で戦い続けるキミの姿を見ている。私は逃げる人々の護衛に専念していたが、キミたちの戦いぶりはきっと彼らにも大きな安心感を与えただろう」
「ずいぶんと持ち上げられたな」
「事実を述べただけだよ。…………だが、ひとつ教えてくれないかね?キミが<強化魔法>しか使えないというのなら、その、お世辞にも恵まれているとは言えない自らのスキルを知って、どうしてそこまで強くなれたのか。どうして、強くなるための努力を続けることができたのか」
ここにきてアーベルの意図するところがようやくわかった。
チラリと馬車の前方に視線をやる。
「別に、大したことじゃない」
「よかったら、聞かせてくれないかな?」
いつのまにか会話をやめたクリスたちは、窓から外を眺めながらこっそりと聞き耳を立てているようだ。
ティアに至っては興味津々といった様子で俺のことを見つめている。
最後の一人は、どうだろうか。
「俺は、英雄になりたい」
以前は恥ずかしくてとても口には出せなかったが、今ではずいぶんと簡単に言えるようになった自分の夢。
夢を言葉にすると安っぽくなるという考え方もあるが、俺はそうは思わない。
これは決意表明のようなものなのだ。
誰かに聞いてもらうことで自分の逃げ道を塞いでいくスタイルだと言ってもいい。
「ほう、英雄!それはまた、大きな夢を持っているね」
「そうだな。我ながらそう思うよ」
俺は新たな愛剣を眺めながら幼い頃を振り返る。
俺が努力を続けた理由。
これを正直に語るとしたら、あの話を欠かすことはできない。
未だに俺は、夢を見る。
英雄になるという夢ではなく、眠っているときに見る夢のことだ。
それは去り行く少女を見送る夢であったり、連れ去られる少女を追いかける夢であったりする。
夢の中で、俺が彼女のもとにたどり着いたことは一度もない。
この先何度夢を見ても、その結末は変わらないだろう。
それは赤い髪の少女の話。
俺を英雄へと駆り立てる大きな原動力であり、そして最悪のトラウマでもある少女の話。
しかし、俺がこの話を誰かにすることは、おそらくない。
数日前、フィーネに対してこの話をするか迷った後、俺は考えた。
最初は軽蔑されることを恐れたが、この話をすれば彼女はきっと俺を励ましてくれただろう。
彼女の優しさに甘え、トラウマを過去のものにして、前を向いて進んでいく。
あのとき話してしまえば、そんな未来もあったかもしれない。
だからこそ、やはり俺はこの話をフィーネにすべきではないと思った。
この話は、俺の二度目の人生にとって最大の汚点にすると決めたのだ。
少女を見捨てたという大罪を、美談として語ることが許されてはならない。
今では、そう思っている。
そういうわけで。
アーベルには悪いが、俺が話せることは多くない。
「俺は弱い。C級どころか、相性が悪ければD級冒険者にだって負けるくらいの力しか持ち合わせてない。だからこそ、努力を怠ることはできないというだけのことだ。才能がない俺が英雄を目指すんだから、当然のことだろう?」
◇ ◇ ◇
しばらくして、俺たちは火山の麓の街に到着した。
心配された野盗の類もいないようだったため、誰もいない街を素通りしてそのまま火山へと向かう。
アーベルと相談し、前回失敗した討伐作戦時に『陽炎』が待機していた地点まで魔導馬車で進み、俺たちが戦闘の準備を整える間にカルラが先行して偵察を行うことになった。
前回は主導権を握ったパーティが偵察を待たずに先行してしまい、『陽炎』以外のパーティも引きずられるように追随した結果が全滅だったという。
『陽炎』としてはやるせない結末だったことだろう。
カルラを待つ間、俺たちは装備を確認したり体をほぐしたりと各々準備に励んでいた。
「先ほどは、興味深い話をありがとう。感謝するよ」
馬車から降りて火山の方を眺めていた俺に、アーベルが礼を言う。
「ありきたりでつまらない話だっただろ?」
「そんなことはないさ。ただ、本心を聞かせてほしかったとは思うがね」
やはり俺が本心を語っていないことはバレていたようだ。
俺の意思が変わることはないが、アーベルの期待に応えられなかったことを少しだけ申し訳なく思う。
「悪いな」
「なに、無理を言っているのはこちらの方だ。キミが気にすることではないさ。……グスタフも、キミの話で少しは刺激を受けてくれるとうれしいんだけどね」
いまだ馬車の中に残る彼を思ってアーベルは目を細める。
だが、こればかりは結局のところ本人の気の持ちようだ。
少なくとも俺はそう思う。
「多かれ少なかれ、思うことはあっただろうさ。それがやる気や努力へと結びつくかどうかは、人それぞれだと思うけどな」
「アレン君。キミは、もし弱さを理解できると言うなら、もう少し弱い人への優しさがあってもいいのではないかな?」
諭すように語り掛けるアーベルに、しかし俺は首を振って否定する。
「弱者に優しくするというのは、強者の理屈だ。弱者が強者に対して求めるものは、優しく接してくれることじゃなく、対等に接してくれることだと思う。少なくとも俺はそうだ」
「……なるほどね、興味深い意見だ。もしそうだとしたら、私は彼への接し方を間違えていたということになってしまうな」
「あくまで、俺がそう思うと言っただけだ。あいつがどう考えてるかなんて、あいつが自分で言葉にしなければわからないことだ」
アーベルはため息をつき、俺に背を向けると馬車へと向かう。
言ってくれれば苦労はない。
彼の背中が、そう物語っていた。
俺はしばらくの間、馬車を見ていた。
馬車への視線を切ったのは、ふと優しい声が聞こえたからだ。
「アレンさんが英雄になりたい本当の理由は、アレックスさんがいなくなってしまったことと関係しているのですか?」
いつのまにか近くに来ていたティアからの問いかけ。
率直な言葉とは裏腹に、彼女は俺を気遣うように視線を伏せている。
きっと彼女の心の天秤は、興味と罪悪感でゆらゆらと揺れていることだろう。
(さて、どうしようか……)
当然ながら彼女の問いに答える義務などない。
しかし、彼女がアレックスのことを知っているというのは紛れもない事実。
昨夜の負い目のことも考慮すれば、あまり適当にはぐらかすわけにもいかなかった。
ここはなんと答えるのが正解か。
彼女と同じように地面を見つめるも、そう都合よく答えが見つかるはずもない。
それでも何か言わなければと、口を開こうとしたその時――――
「ごめんなさいやっぱりいいです!余計なことを聞いてしまってすいませんでしたっ!」
ティアは直角に腰を折って俺への質問を撤回した。
彼女の天秤は、俺が困っている様子を見て罪悪感の方に傾いたようだ。
もちろん彼女は悪くない。
いきなり豹変して乱暴を働いた挙句、奴隷商だなんだとわけのわからないことを言ってしまったのだから、一体どういう理由でそうなったのかと気になるのは当然のことだ。
それでもなお、俺を気遣って答えを強要しないでくれる優しさには、改めて感謝しなければならないだろう。
「いや、気になるのは当然だよな……。まあ、詳しいことはそのうち……な」
「はい。アレンさんが話してくれるときまで、私からは聞かないことにします」
にっこりと微笑むティアに対して、はぐらかし先延ばしにすることしかできない俺のなんと情けないことか。
たとえ核心に触れることはできなくても、別の形であっても、どうにかして彼女に報いたいと思う。
それに、あまりカッコ悪いところを見られて失望されたくはない。
(実際は、そんなことを思った傍からティアに頼りきりなんだけどな……)
もどかしく思いながらも、この依頼を全員生存かつ対象討伐という最高の形で終えるために、俺たちが取るべき方法はひとつしかない。
数日前に湖で見たアレと戦う可能性があっても依頼を受けた理由。
クリスと二人ではなすすべもなかった正体不明の妖魔に対する勝算。
「悪いが、今回も頼らせてもらう。ティアが俺たちの切り札だからな」
「はい!頑張ります!」
元気のいい返事に、俺は少しだけやけっぱちな笑顔で応えた
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