第74話 路地裏の暴漢




(なんで、それを…………)


 口に出そうとしたが、喉が渇いて声にならなかった。


 俺のかつての名前と顔を知っている者、そしてそれを今の俺と結びつけることができる者はそれほど多くない。

 孤児院の職員と、そこでともに過ごした孤児たち。

 ラウラやフィーネといった冒険者ギルドでの関わりが深かった者たち。

 せいぜい、それくらいのはずだ。


 しかし、俺と同年代の孤児にティアのような少女はいなかったし、フィーネのように冒険者ギルドで受付嬢見習いをやっていたという記憶もない。


 先ほどまで遠慮がちに俺の袖をつまんでいたティアの右手は、今はしっかりと俺の左腕を握りしめている。


「もう、逃がしませんよ?」


 逃がさない。


 それはつまり――――俺のことを捕まえようとしていた、ということではないか。


「――――ッ!」


 彼女の妖しい瞳に吸い込まれるような錯覚から我に返ると、俺は右手で彼女の腕をつかみ、そのまま彼女ごと路地の壁に押し付けた。


「え、きゃっ!?」

「声を出すな」

「――――むぐっ!」


 ドスの聞いた低い声で威圧しながら左手で彼女の口をふさぐ。

 鼓動が胸を突き破りそうなほどに高まっている。

 辺りを窺い、こちらを見ている者が誰もいないことを確かめるが、全く安心できる状況ではない。


(ああ、なんで忘れてたんだ……)


 流浪していた時期と違って、この都市に戻ってきてからは今の名前を呼ばれる機会が増えた。

 そのせいでこの名前に馴染んでしまって、自分で忘れかけていた。


 いるではないか。

 その名を知っていて、俺を追っているかもしれない者たちが。


「あのときの、奴隷商の一味か……!」


 俺の言葉に大きく目を見開くティアに、それを否定する素振りはない。

 4年も経ってなお、こんな少女まで使って俺を探しているなんて。

 やつらの執念を甘く見すぎていたようだ。


(どうする!?)


 ティアの自由を奪っても何の解決にもならない。

 きっと、すぐに仲間が駆けつけてくるはずだ。


(くそっ!また、また逃げなきゃいけないのか!!)


 ようやく落ち着ける居場所を見つけたというのに。

 やっと前に進めると思ったのに。


「おい、お前!そこで何してる!!」

「――――ッ!?」


 声のした方を振り返ると、歓楽街へと続く小道から出てきたらしい4人の男女の姿があった。


(奴隷商の仲間!?――――じゃない)


 冒険者ギルドで顔を見たことがある。

 たしかC級冒険者のパーティだったはずだ。


「乱暴はいけないね……。ピンチのところを助けたからって、その子がお前の女になるわけじゃないんだよ?」

「たしかアレンって言ったっけ?これだからガキは。女心ってものをまるで理解してない」

「は……?」


 何を言われているのか理解できなかった。

 数秒間の思考停止の後、彼らから見た俺の様子が『奴隷商の一味に追われる逃亡奴隷』ではなく『か弱い少女を襲う暴漢』に見えるのだということに気づき、俺は慌てて弁解を試みる。


「待ってくれ!誤解だ!!」

「はいはい、勘違いは誰にでもあるよねー」

「未遂でも捕まえてくれるか?衛士さん、冒険者同士の争いはほんと無関心だからな」

「そういう事情に付け込んで、わざわざ冒険者の子を狙ってんでしょ?」

「うわ、ほんと最低」

「なっ!?」


 吐きかけられる罵声に言葉を失う。

 彼らの中で俺の立ち位置が完全に暴漢になってしまっている。

 一度こうなってしまっては、どんな言葉を駆使しても彼らの誤解をとくことなどできないだろう。


(ああ、くそっ、なんで次から次へと!!)


 俺は必死に打開策を考える。


 逃げられるか――――答えは否だ。

 幅数メートルの狭い路地で背を見せれば攻撃魔法の的になる。

 左右が一階建ての建物なら<強化魔法>を全力行使してギリギリ飛び乗れる高さであるが、不運なことに、この辺りは二階建てや三階建ての建物ばかりでその手も使えない。


 戦えるか――――答えは否だ。

 いくらなんでも成算が絶望的すぎる。

 そもそもティアを抑えていないと<氷魔法>で一発戦闘不能まであるというのに、そんな状態でC級のフルパーティなど相手取れるはずがない。

 それに万が一うまく切り抜けられたとしても、これでは完全にお尋ね者だ。


(ああ、どうすれば、他に何か手は……)


 俺が迷っている間にも、冒険者たちは戦闘態勢を整えて俺を取り囲もうと動き出す。

 暴漢を成敗すべく、広がりながらこちらへと近づいてくる。


 もう、詰んでいる。

 認めたくない。


 しかし、解決策は思い浮かばない。


(くっそ…………)


 悔しくて涙が出そうだった。

 それでも、せめて最後の足掻きと、彼らに理解を求めるために俺は口を開いた。


「聞いてくれ、本当にちが――――」

「違います!アレンさんは、暴漢なんかじゃありません!」


 俺の声を遮り、俺を擁護する声が傍らから響く。


 いつの間にかティアを抑えることを諦めてしまった俺の右腕。

 今は彼女がしがみつくように抱き着いていた。


 先ほどまでの妖しい雰囲気は霧散し、食事を楽しんでいたときと同じ純粋な少女が俺を守るようにしてそこにいる。

 彼女の変わりように呆然としてしまった俺だが、面食らったのは冒険者も同じだったようだ。


「あー……。もしかして、俺ら、なんか勘違いしちゃった?」

「いやいや!絶対勘違いじゃないぞ!どうみてもそんな甘い雰囲気じゃなかっただろ!?」

「ちょっとやめてよ!恥ずかしいから、これ以上恥をさらさないで!」

「本当、邪魔してごめんねっ!アタシらはもう退散するから勘弁して!」


 納得いかない様子の男を女性陣が無理やり連れ去るようにして、彼らは路地からもと来た道へと戻っていった。


 路地には俺とティアだけが残され、状況は俺にとって大きく好転したと言える。

 しかし、次から次へと移り変わる状況について行くことができず混乱の極致にあった俺は、思考を停止したまま呆然と立ち尽くすしかなかった。


 ぼんやりしていると、右腕の柔らかい感触が動く。


(いや、まだ何も解決してない!)


 一体何をしているのか。

 呆けている暇などどこにもなかったというのに。


「あ、あのっ、私の話を聞いてください!何か、誤解をされています!」

「へっ!?誤解?」


 我に返った俺の体が再び緊張で強張ると、それを感じ取ったようにティアは必死に声を上げた。


「はい!私は――――」






「7年前?西通りで?」

「はい……。あの時は、本当にうれしかったです。ずっとお礼が言いたくて……本当にありがとうございました」


 俺から離れて深々と頭を下げるティア。

 彼女から聞いた話をゆっくりと咀嚼して、理解していく。


 俺は7年前にもティアと会っており、ティアがいじめられているところに颯爽と現れて彼女を助けたらしい。


(なるほど、つまり…………)


 たった一度、いじめから助けただけの俺を長い間覚えてくれていた少女。

 7年越しの再会を喜び、律儀にも俺に礼を言おうとした少女。

 その少女がティアであると。


 そんな彼女のことをすっかり忘れていたクズ。

 そんな彼女を奴隷商と間違えて襲い掛かり、乱暴を働いたクズ。

 それが俺であると。


「………………」


 泣きたい。

 へたり込みたいところを、最後の意地でなんとか耐える。


 俺は一体何をしているというのか。

 せっせと立てたフラグを自分でへし折って踏みつけるが如き所業。

 9歳の俺がこのことを知ったら、今の俺に罵声を浴びせるに違いない。

 助けた相手のことを忘れていただけならともかく、いくらなんでもこれは許されない。


「やっぱり、私のことなんて覚えていませんよね……」

「いや…………」


 覚えている、と言いたい。

 悲しそうに俯く彼女を笑顔にしてあげたい。


 しかし、本当は覚えていないのだから、そんな一時しのぎの嘘をついてもすぐに露見してしまうだろう。

 散々ひどい仕打ちをしてしまったというのに、これ以上彼女を傷つけるようなマネはできなかった。


「すまん……」

「気にしないでください。私のほかにも、いろいろ女の子を助けてあげていたことも知っていますから」


 節操なしだということも筒抜けだったらしい。

 9歳の俺に自重しろと罵声を浴びせてやりたい。


「ッ!悪い、痛かったよな……?」


 ティアが俺につかまれていた左腕をさすっている。

 力加減なんて全く考えていなかったから、痣になってしまったかもしれない。


「はい、とっても痛かったです……」

「本当に悪かった!」


 頭を下げることしかできない。

 ティアに対する仕打ちを思えばどれだけ頭を下げても足りないのかもしれないが、今はこれくらいしか思いつかなかった。


「ふふっ、冗談ですよ。頭をあげてください」

「本当に――――」

「もう大丈夫ですから!そのかわり、これからは私を優しく守ってくださいね?」


 悪戯な笑みを浮かべた彼女は再び俺の腕をとり、体を寄せた。

 これだけのことをされても、まだ俺のことを軽蔑しないでいてくれる。

 こんな少女を妖しいだの奴隷商の一味だの疑うなんて、俺の目はどれだけ節穴なのだろうか。


「もちろんだ。約束する」


 ティアの信頼に応えるため、俺は力強く答えた。

 もう十分過ぎるほど彼女を傷つけてしまった。

 これ以上、傷つけさせてなるものか。


「ありがとうございます。では、まずは約束どおり、ネルの家まで送ってくださいね?行きましょう、

「ああ、そうだな」


 聞きたいこともあるだろうに、俺の過去には触れずに俺の名を呼ぶ少女。

 彼女の心遣いが、しっかりと感じ取れる。


(これ以上、みっともない姿は見せられないな)


 すでに完全に手遅れで、少しくらいみっともない姿を見られたくらいでは評価が下がりようもないほど下がりきっているかもしれないが。


(明日の依頼……相手がどれほど強大な妖魔でも、絶対にティアを守り通してみせる)


 俺は決意を新たにして、ティアとともに暗い路地を歩いて行った。





 ◇ ◇ ◇





「俺が最後か」


 翌朝、冒険者ギルドに到着すると、クリスばかりでなくティアまでもが俺を待っていた。

 遠目に二人を見つけたとき、やはり美少年と美少女が並ぶと絵になるものだと少し羨ましく思っていたところだったが、よく観察すると二人の距離が微妙に遠い。


「おはようございます、アレンさん」

「おはよう、アレン。いつもどおりだね」

「おはよう、待たせて悪いな。でも、時間に遅れたわけじゃないだろう?」

「そうだね。でも、女の子を待たせておくのは感心しないかな」


 なるほど、それは考えもしなかった。

 立っているだけでチンピラに絡まれるような少女を待たせるのは、たしかに不用心かもしれない。


「それもそうだな。次からは気を付けよう」

「大丈夫ですよ。私だってアレンさんと同じC級冒険者なんですから」


 そう言って首から下げた冒険者カードを見せてくれる。

 昨日ギルドマスターが言ったとおり、本当にC級のカードになっていた。

 こういうときは本当に仕事が早いことだ。


「アレンさんの分も受け取っておきました」

「お、おう。ありがとう」

「どういたしまして。全員そろったら報告するように言われているので、私が行ってきますね」

「ああ、頼んだ」


 言い終わるや否や、ぱたぱたと受付の方に小走りで向かうティアをぼんやりと見送った。


 手元に残ったのはティアと同じくC級になった俺の冒険者カード。

 裏面には保有スキルの証明も転記されている。


(しかし、俺の冒険者カードをティアに渡すのは、冒険者ギルドとしてどうなんだ?)


 このカードは身分証代わりになるだけでなく、俺の保有スキルも記載されている大切なものなのだから、もう少し管理に気を配ってもいいように思う。

 もちろんティアを疑っているわけではないし、手間も省けたから文句を言うつもりはない。


 それはさておき――――


「ところで、どうしたんだ?」

「うん?なにが?」


 何を聞かれているかわからないといった表情で首をかしげるクリス。

 まさか、クリスが気づいていなかったということもないだろうが。


「俺が来る前、お前とティアの距離が妙に離れてたように見えたんだが……」

「ああ、そういうことか」

「早速嫌われたんじゃないだろうな……。頼むから揉め事は勘弁してくれよ?」


 昨日の自分を棚に上げてクリスに釘をさす。

 いや、昨日は俺がやらかしてしまったからこそ、これ以上のことは本当に避けなければならないのだ。


「ひどい言われようだね。でも、キミが心配することは何もないよ。彼女も僕と同じってだけだから」

「うん?どういうことだ?」


 クリスとティアが同じだなんて言われてもピンとこない。

 俺はクリスの意図するところがわからず、身振りで降参をアピールして回答を催促する。

 するとクリスは本当に愉快そうに、俺に答えを教えてくれた。


「『私も本命は別にいるから、あまり馴れ馴れしくしないでね。』……こんなとこかな?」


 僕と違って彼女は明確に言葉にはしなかったけどね。

 

 クリスは、そう付け加えた。



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