第73話 親睦会
「さて、それじゃさっそくだが親睦会兼作戦会議を始めようか……っと、その前に自己紹介からだな」
場所は冒険者ギルドの隣にある酒場兼食堂。
クリスと2人で飲むなら歓楽街でいつものコースでもいいが、今日はティアナがいるし、酔いつぶれても困るので健全に行こうと思ってのこと。
もうじき日が暮れるという時間帯なので、店の中央では気の早い連中がすでに酒盛りを始めており、俺たちはその席から少し距離をとって店のテラスに設置された丸テーブルに陣取った。
軽く飲みながら明日の段取りを打ち合わせようというわけだ。
「アレン、さらりと進めようとしてるけど、ちょっと待ってほしい。自己紹介の前に、まずはさっきの話の意図を説明してくれないかい?」
しかし、クリスが早速話の腰を折るようなことを言う。
会議室では悔しがったり怒ったり泣きそうになったりと忙しそうにしていたクリスだったが、感情の整理に精一杯で話が頭に入っていかなかったようだ。
「普通、自己紹介が先じゃないか……?まあ、いいか。それで?何が聞きたい?」
2人しかいない相手の1人がノーと言うなら、話を強引に進めても仕方ない。
男2人の中に置かれて内心緊張しているだろうティアナのために、今日の話し合いは和やかな雰囲気で進めたい。
「まず、なんでアレンはこの依頼を受けたんだい?」
「仲間をおいて女に走った色男が、交渉で下手を打ったからだが?」
「………………」
眉をハの字にして困ったような表情をするクリスだったが、俺からすればなぜそれを聞いたのだと逆に問いたい。
「だいたい、おかしいと思わなかったのか?依頼の拒否権を奪う契約なんて、冒険者にとってこれほど恐ろしい話もないと思うが」
「それは……、さっきも言ったとおりそれしか手がなかったんだ。薬の代金は金貨15枚だと言われてね。手元にそんなお金はなかったし、交渉している間にも手遅れになりそうだったから、どうしようもなかったんだ」
「薬1つで1500万デルときたか……。どうやら、最初から俺たちが狙われてたみたいだな」
「え?アレン、どういうことだい?」
「俺たちの前回の報酬が、一人あたり1100万デルくらいだったろ?お前が払えない額を狙って提示してきたんじゃないかってことだ。第一、薬1つで金貨15枚って、一体あの子に何飲ませたんだよ」
「…………そういえば、薬の名前を聞いてなかった」
処置無し。
両の手のひらを空に向けて示してやると、ようやくクリスは自分がやらかしたことに気づいたらしい。
酒に逃げようとして給仕に声をかけるクリスに、今日の酒は2杯までだと釘をさしておく。
「じゃあ、最後にギルドマスターを煽ったのはどうしてだい?」
「聞いてのとおり、報酬を引き上げるためだ。どうせ依頼の難易度は変わらないんだから、報酬は高い方がいいだろう?提示額をそのまま飲んだのは意外だったけどな」
「それ、煽る必要があったのかい?」
「他の冒険者も見てる前で、ギルドマスターが言われっぱなしじゃ恰好がつかないだろ?下手に出るより成功率は高かったと思うぞ」
「そういうものかなあ……」
「そういうもんだ」
そういうことにしておいてもらわないと困る。
勢いだけで駆け抜けたから、俺自身も正直なところ不安だったんだ。
「最後にもうひとつ、報酬を引き上げたのはいいけれど、あれに勝てる算段はあるのかい?」
「あるにはある。ただ、足止めでも報酬がもらえる任務だからな。戦う気はないぞ?」
「ええ……。なら、一体何のために討伐報酬なんて……」
「万が一戦わなきゃいけなくなったとき、報酬は高い方がいいだろ?報酬が高くなることで俺たちに損はないんだから。おっと……」
ティアナをのけ者にして話し込んでしまった。
俺は空気を切り替えるために、パンと両手を叩き、飲み会の幹事がそうするように自己紹介を振っていくことにする。
「さ!それじゃ、気を取り直して自己紹介だ。まずは、今回の件の発端であるクリスからどうぞ」
「そのとおりだけど、その言い方はあんまりじゃないかな……」
俺は飲み会の幹事は苦手なのだ。
悪意はない。
「さて……僕はクリス、剣一本で戦う前衛だよ。スキルは<剣術>のほかに切り札がひとつ。お酒はエールよりワインが好みだね。ちなみに女の子の好みは、キミの親友のネルちゃんがドンピシャだから、援護射撃はよろしくね」
「え?あ、はい!よろしくお願いします」
「何を言ってんだいきなり……」
「こういうことは、最初に言っておいたほうが後腐れしないんだよ」
なるほど。
お前じゃなくて他の女が好みだから惚れてくれるな、ということか。
顔面偏差値が平均以下の男が言えば失笑ものだが、これだからイケメンは。
ティアナを見ると、彼女は裏の意味までを読み取ることができなかったのか、俺と目が合うとにっこりと微笑んだ。
クリスや飛び蹴りと違って、本当にいい子だ。
「クリスさん、改めてお礼を言わせてください。ネルを助けてくれて、本当にありがとうございました。私が最前線で戦いたいなんて言ったから……、私のせいでネルが死んでしまったらと思うと、今でも心臓が凍るような思いです」
そう言って、ティアナはテーブルに額が付きそうなくらい深く頭を下げた。
「キミが気にすることはないよ。僕は、僕のやりたいようにしただけだからね」
「そう言ってもらえると気が楽になります」
胸に手を当てて大きく息を吐く様子から、心の底から安堵している様子が窺える。
「では、次は私が……」
幹事の振りもなしに自己紹介を始めてしまうティアナだが――――いや、もういいか。
よく考えたら3人しかいない飲み会で幹事なんて不要だろう。
俺もやりたくないし誰も得しない。
その場の勢いに任せれば十分だ。
「改めまして、ティアナといいます。後衛で、<氷魔法>を使います。魔力はあまり多くないので手数は多くありませんが、ここ一番の火力には自信があります。私にも切り札がありますが……これはもう知られてしまいましたね」
そう言って、こちらに視線を送る白い少女、改めティアナ。
これから冒険に出ようとする相手への評価としてどうなんだという気はするが、なんというか、見ていて安心した気持ちになる不思議な少女だ。
きっと、彼女の深い栗色の髪が微かに前世を想起させるからだろう。
明るい系統の髪色が多いこの地域で、黒や濃い茶色系統の髪はなかなかに貴重だった。
穏やかな性格をしているところも高評価だ。
俺の周りには、とにかく一発殴るなんて言ったり、挨拶もせずに飛び蹴りかましたりするような野蛮な女が多いから、ティアナのような子を見ていると癒される。
まあ、そもそも俺と同年代の女の子の知り合いなんて、フィーネと飛び蹴りくらしかいないのだが。
飛び蹴りに至っては、アレを知り合いとカウントできるのかどうかすら迷うところだ。
それはさておき――――
「ティアナ、質問いいか?」
「はい、なんでも聞いてください!それと、私のことはティアと呼んでください。ネルも、私のことをそう呼びます」
「わかった。それじゃ、ティアと呼ばせてもらう」
運ばれてきたサラダを小皿にとりわけながら、無邪気に答えるティア。
そんな彼女に嫌なことを思い出させるのも忍びないのだが、俺にはどうしても彼女に聞きたいことがあった。
「最初に会ったとき、何を考え込んでたんだ?」
そこまで変なことを聞いたつもりはなかった。
しかし、つい先ほどまで笑顔を振りまいていたにもかかわらず、彼女は何を聞かれているのか理解できないというような呆然とした表情になってしまった。
「え…………?あ…………」
辛うじて絞り出したような声。
視線は助けを求めるかのように辺りを彷徨い、やがてテーブルの上の一点で静止してしまう。
急に全身から汗がふき出すような感覚。
おかしい。
何かがおかしい。
よくわからないが、なにかひどい誤解が生じている気がする。
「ほ、ほら、この前さ、冒険者ギルドの前で絡まれてたよな!?チンピラを退治して声をかけても全然反応しなかったから、何か考え事をしてたのかなって気になっただけなんだ!」
誤解を解くために慌てて言葉を追加すると、ようやく俺が何のことを話していたのか理解したらしい彼女に笑顔が戻った。
「え?…………ッ!あ、ああ!あの時ですよね!あは、ははは……」
なんだろうか。
ティアから返ってきたのは非常に不安になる反応だった。
しかし、「今、何を考えていたんだ?」と質問を繰り返す気にはなれない。
本当に心当たりはないが、どこかに埋まっているらしい地雷の在処に見当をつけるまで、不用意な質問はしない方がよさそうだ。
「あー……えーと……、それはですねー……。ちょっと恥ずかしいのですけど……言わないとダメでしょうか……?」
両手のローブの袖で口元を隠し、小首をかしげて問い返す少女。
狙ってやっているのかと思うほどにあざとい仕草だが、先ほどの慌てぶりを見るにおそらく無意識なのだろう。
かつては、アイドルがこういったポーズをしているところをシラケた目で見ていたものだが、目の前で見るとここまで破壊力があるものなのか。
「え?あ、いや、言いたくないなら言わなくていい。興味本位の質問だしな、ははは……」
「タジタジだね?珍しい」
「う、うるせ……」
クリスが入れる茶々に苦し紛れの反応をし、間を取るために手元のグラスに入ったエールを一気に呷った。
酒精が体に染み込むが、顔が熱くなるのは酒のせいではなさそうだ。
「ぷはーっ、やっぱり仕事の後のエールは最高だな。もう1杯追加だ」
小銭入れから代金を給仕に手渡す。
注文のたびに小銭を取り出す面倒なやり取りも、おそらく今日で最後になると思えば感慨深い。
多くの酒場では、一定の社会的地位にある客に対して後払いやツケを認めており、冒険者もC級になるとこの括りに含まれることになる。
本人から支払いを受けることができなくても冒険者ギルドが弁済すると表明していることもあって、ツケでどんどん注文する飲む冒険者は歓楽街でも歓迎される。
当然、支払いが滞って冒険者ギルドに借りを作ることになれば、どのような形で精算を求められるかわかったものではない。
「2杯までじゃなかったのかい?」
「次が2杯目だからいいんだよ」
「料理がこれからなのに2杯目頼んじゃって、それで終わるわけないよね」
「そのときはそのときだ……って、よく考えたらお前もさっき2杯目だったじゃねーか!」
「あはは!本当にいまさらだね」
2杯でやめる気がないと宣言したも同然のクリスだが悪びれる様子はない。
しかし、クリスのおかげもあってか、俺たちの様子を見てクスクスと上品に笑うティアの表情が無邪気なものに戻っていた。
俺はそれを見てほっと一安心すると再び渇きを感じ、注文したばかりの2杯目の酒を半分ほどまで減らしてしまう。
(これじゃまるで、片想いの相手と話して舞い上がってる中高生みたいだな……)
体はともかく、中身はトータルで40になったというのに。
四十にして惑わずというが、体に引っ張られているせいか精神年齢がさっぱり成長しない。
「料理がそろそろ来るだろうから、先に自己紹介を済ませてしまったらどうだい?」
「うん?ああ、俺がまだだったな……」
「はい、ぜひお願いします」
催促されても語るべきことはあまりない。
俺は昔から自己紹介が苦手だ。
長所なんて自分から言うものではないと思ったし、短所なんて自分から言いたくもない。
趣味だと言えるような趣味もなく、「趣味は読書です。」なんて言ってお茶を濁したことは2度や3度ではない。
しかし、自己紹介などと言い出した俺自身がそれをしないというのは、無理があると理解している。
少し酔いもまわってきたことだし、酒の勢いを借りてサクッと済ませてしまおうか。
「それじゃ失礼して……。今更感はあるが、俺はアレンという。クリスと同じく剣一本で戦う前衛だが、残念ながら武術系のスキル持ってない。足りない技術は腕力……というか<強化魔法>で補うスタイルだな。一応<強化魔法>以外に切り札もあるから安心してくれ。酒は……、今日はエールの気分だったが、ゆっくり飲むなら果実酒の方が多いかな。あとは……そうだな、実は最近この都市に来たばかりで不慣れだが、まあ、よろしく頼む」
「…………えっ?」
「な、なんだ?どうした?」
また、ティアの反応がおかしい。
今度は予想外の話を聞かされたような、きょとんとした顔。
(今度はなんだ?何か変なこと言ったか?)
クリスのような冒険はせず、当たり障りのない話を選んだはずなのに、どこに引っかかったというのか。
「アレン……さん?」
「なんだ?」
「…………。この都市に来たのは最近なんですか?」
「……そうだ」
ウソだ。
ウソなのだが、それをティアが知っているはずはない。
(だが、そうするとティアの反応は一体……)
ティアは何か考え事をしているかのようにぼんやりと視線を彷徨わせている。
わからない。
相変わらず不思議な少女だ。
「あ、話の腰を折ってしまってすみませんでした」
「いや、どうせあれで終わりだったから、気にしないでくれ」
「ありがとうございます。この都市が初めてなら、この依頼が無事に終わったらお礼にいろいろ案内させてください。私は生まれた時からこの都市で暮らしているので、南東区域以外のことはだいたいわかりますから」
「そうか。それなら、お言葉に甘えようかな」
そのあとすぐに料理が運ばれてきて、この都市の観光名所の話などをしながら、俺たちは親睦を深めていった。
明日の打ち合わせもしたものの、ティアが「全部アレンさんの言う通りにします!」と早々に丸投げしたこともあって、結局はクリスと2人だった時とあまり変わらない流れになりそうだ。
各自必要なものを準備して早朝に冒険者ギルドに集合。
依頼票を受け取ったら馬車に乗って出発。
決まったことと言えばこれくらいだ。
料理を平らげた後、甘味を注文したあたりでティアが席を立った。
流石の俺も、どこに行くのかと尋ねるようなヘマはしない。
「なあ、ティアのこと、どう思う?」
俺はこの時間を使ってクリスの意見を聞いてみることにした。
はじめはこれが不思議ちゃんかという程度の感想だったのだが、思い返してみるとおかしな点が多い。
最初の激しい動揺も恥ずかしがるというよりは何かを隠したがっているようにも見えたし、俺の自己紹介に反応したとき何かを思案するように視線を彷徨わせていたことも気になる。
「僕は最初に宣言したとおり、ネルちゃん狙いだよ?それに、多分ティアちゃんはアレンに惚れてるでしょ」
「いや、そんな話はしてないって…………え、マジ?」
わりと衝撃的なことを言い出したクリスのせいで、俺の意識は完全にそっちに移ってしまった。
「あれだけ露骨なのに気づかないかな……。後半なんて、アレンにしか話しかけてなかったじゃないか」
「そりゃ……早々に自分の親友狙いだなんて宣言した男にせっせと話しかける女もいないだろ」
「あー、そっか。でも、ピンチのところを助けてあげたんでしょ?」
「最初はそんな気もしてたんだが、よくよく考えてみると、むしろ俺の方が助けられた気がしててな……」
昨日の件について、クリスを含む多くの冒険者の認識では『俺がティアを守りきった』ということになっているようだ。
俺はティアの秘密を晒す気はないし、ティアも自分の手柄をアピールするタイプではなさそうだから、そうなってしまうのも無理はない。
しかし実際のところ、最も危険な妖魔である黒鬼を魔力の塵に還したのは他の誰でもなくティアである。
俺はティアを抱えて走っていただけ。
吊り橋効果はあったかもしれないが、かっこいいところを見せたとは言いがたい。
(むしろ、状況に乗じてゲスいことをやった最低男と思われてる可能性すらあるな……)
あの笑顔の裏で、そんなことを考えているなどと信じたくはないが。
「僕も確信があるわけじゃないから、そうかもしれない、って程度に気に留めておいてくれればいいよ。鈍感が過ぎると、他の男に横から攫われるから気を付けてね」
「なにを――――」
ちょうどそのとき、店の奥から戻ってくるティアが見えたので、俺とクリスの内緒話は強制終了。
ティアが戻ってくるタイミングを見計らっていたのか、ちょうど給仕が甘味を運んできたため、話の内容は甘味の感想へと移っていった。
「それじゃ2人とも、明日はよろしくね!」
「あ、おい……」
親睦会兼作戦会議を終えて南通りに出ると、クリスは逃げるように駆けて行き、そのまま雑踏の中に消えた。
もしかしなくても気を遣われたのだろう。
「まったく、クリスのやつ……」
「ふふっ、アレンさんとクリスさんは本当に仲が良いですね。まるで私とネルみたいです」
「ティアとコーネリアは長い付き合いなんだっけ?」
「はい!8歳の頃からの付き合いです」
コーネリアのことを話すときのティアは本当にうれしそうだ。
このまま2人で立ち話を始めてしまってもいいが、明日も早いし準備をしなければならない。
クリスの気遣いを無駄にすることにはなるが、ここは解散しておいた方がいいだろう。
「さて、明日は早いから、今日はここまでにしようか。なかなか楽しかったよ」
「あ……そうですね。私も楽しかったです、今日はありがとうございました」
丁寧にお辞儀するティアを見て、ふと思う。
(これは家まで送っていくべきなのか?)
すっかり日が暮れた夜。
都市の治安は悪くないとはいえ、冒険者であるティアは衛士の恩恵を受けられない場合もある。
酔った冒険者に絡まれる可能性を考えれば、家まで送っていった方がいいのかもしれない。
一方で俺とティアは不思議な縁があるとはいえ、先ほどようやく自己紹介を済ませたばかりの関係だ。
さして親しくもない男に家までついてこられるのは、少し困るのではないか。
「あー……どうする?家まで送っていこうか?」
結局、俺は判断をティアに預けることにした。
多分断られるだろうが一種の社交辞令のようなものと思ってくれればそれでいい。
「えっと……、ご迷惑でなければお願いしてもいいですか?」
しかし俺の予想に反して、ティアは俺の提案を受け入れた。
送り狼という言葉を知らないのか、それともそういう対象として見られていないのか。
後者だとしたら流石に傷つくが純粋そうなティアのこと、きっと相手の善意を素直に受け入れたということでしかないのだろう。
「ああ、もちろんだ」
「ありがとうございます。こっちです」
そう言って歩き出すティアの隣に並び、俺も南西区域の路地へと入っていく。
向かって左手の方角、遠くから喧噪が聞こえてくるのは向こうに歓楽街があるからだ。
南通りの西側には比較的南門に近い位置に衛士の詰所と冒険者ギルドが置かれており、俺たちが入った路地より北側には一般層や冒険者向けの宿泊施設が並んでいる。
このあたりには住宅は多くないから、向かう先は南西区域の中でもさらに南西方面にある住宅街か。
歓楽街の近くを通るなら、やはり家まで送ると申し出たのは正解だったようだ。
「ティアの家は、この先の住宅街か?」
「いえ、違いますよ?私は事情があってネルの家に置いてもらっているんですが、ネルの実家は北西区域にある高級住宅街にあるんです。お金持ちなんですよ、ネルの家」
「ああ、なるほどな……」
傍若無人な態度はそういうわけか、と思ってしまったのは貧乏人の僻みだろうか。
金持ちの家に生まれても謙虚で穏やかな子もいるわけだし。
「うん?だったらなんで路地に入ったんだ?そのまま南通りと西通りを通って北西区域に向かった方が安全だったんじゃないか?」
こんなほとんど人通りのない灯りも少ない道を選ぶ必要があったのか。
俺はティアに問いかける。
「この道は、安全だと思いますよ」
そう言うと、彼女は遠慮がちに俺の袖をつまんだ。
照れているのか、顔は下を向いていてこちらから表情は見えない。
庇護欲をそそる淑やかな少女の少しだけ積極的な行動は、俺の動揺を誘うには十分な威力を持っていた。
自分の照れている顔を見られたら困るという気持ちが、恥ずかしがる美しい少女を見ていたいという気持ちを押し切って、俺の視線はティアと反対側にある建物の壁を彷徨ったのちに夜空へと向かう。
「まあ、そうだな。酔っ払いが襲ってきても、そうそう負けはしないさ」
「ふふっ、信頼してます」
彼女の楽しそうな声が耳に届くと、耳のあたりが少し熱くなる。
(これは、本当に惚れられてる?)
クリスの話もあながち間違いではないのかもしれない。
先ほどからのティアの言動は、惚れるまでいかなくとも、ある程度の好意がなければ出てこないものばかり。
「私、静かな場所が好きなんです。それに、アレックスさんとお話するなら、静かな方がいいかなって……」
「そうだな。騒がしいのも嫌いじゃないが、こうして静かに話をするなら――――」
自然に聞き流してしまったその言葉が、酔いと動揺で回らなくなった俺の頭にゆっくりと浸透していった。
急速に血の気が引いていく。
「やっぱり……。ようやく、見つけました」
懐かしい名前を聞いた俺は、ゆっくりとティアに視線を戻す。
「ずっと探していたんですよ?――――アレックスさん」
彼女の瞳は妖しい光をたたえ、しっかりと俺をとらえていた。
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