第69話 魔獣迎撃戦5




(うっそだろ…………)


 驚きのあまり、思わず足がもつれて転倒しそうになったところを必死に立て直す。


 一体でも倒せれば儲けもの。

 最終的に撤退中の冒険者たちと合流したときに、彼らの負担や被害を少しでも軽減できればそれでいい。

 そう思っていたにもかかわらず、少女は俺の予想を遥かに超えた戦果を叩き出した。

 少女が放った特大の<氷魔法>は黒鬼の巨躯のさらに倍もありそうな巨大な氷柱の華を生成し、そのひとつが直撃した黒鬼の上体が、へし折られた枯れ木のように吹き飛んだ。


「ごめんなさいっ!今のだけでほとんど使い切りましたっ!」

「えっ……!?あ、魔力か。いいぞ、あと8回くらいなら大丈夫だ、うん…………」

「ありがとうございますっ!」


 目を閉じて再び俺から魔力を吸収し始める少女を、俺は呆然と見守る。

 おそらく、この少女は魔力の総量にあまり恵まれていないのだろう。

 渾身の魔法とはいえ、それ一発で使い切れる程度の魔力しかないというのは魔法使いとして致命的であるように思える。


 しかし、それでもこの瞬間火力は驚嘆に値する。


「2回目行きますっ!――――――――お願いっ!」


 少女がワンドを振ると、先ほどの光景が再現される。

 しかも、今度は運よく2体の黒鬼を巻き込んだ。


 目の前の現実が信じられない。

 俺の足を引っ張っていた頼りない少女が、その華奢な体躯よりもずっと大きな妖魔を倒したこと。

 俺だって苦戦するだろう黒鬼を一撃で仕留めたこと。


 そしておそらく――――


「3回目っ!――――――――お願いっ!」


 この少女が、黒鬼を全て倒しきってしまうであろうこと。






「やったか……」


 最後の黒鬼が砕け散ったことを確認してから、俺はゆっくりと立ち止まった。

 口に出してから、あるいはフラグになってしまいそうな言葉かもしれないということに気づいたが、周囲を見渡しても黒鬼が再び現れたり、よみがえったりするような兆候は見られない。

 黒鬼より足の速い魔獣は黒鬼を倒す合間に少女が<氷魔法>で処理してくれたので、俺たちはようやく長い長い戦闘状態から脱することができていた。


「はい、やりました……」


 何度も魔力を枯渇寸前まで使ったからか、少女の顔に表れた疲労は色濃い。

 体に力が入らず脱力しており、完全に俺に体を預けている状態だ。


「よくやってくれた、お疲れ様。あとは都市に戻るだけだから、眠いなら寝ててもいいぞ」

「ありがとうございます……。ちょっと、疲れました……」


 言い終わるや否や、少女は目を閉じてすやすやと寝息を立て始めた。

 よく知りもしない男に抱えられたままで不用心なことこの上ないが、生命の危機から脱することができたという安心感が勝ったのだろう。


「戻るか」


 危機が去ったことを実感すると、急激に腹が減ってきた。

 街道に戻って北へ向かっていけば、そのうち迎えの馬車が来てくれるだろう。


(あ、黒鬼の魔石……)


 少女が黒鬼を討伐した証。

 今回の緊急依頼は魔獣の迎撃だから、妖魔である黒鬼の戦果は討伐者のものになる可能性がある。

 拾ってやりたいが、両手はあいにくと塞がっていた。

 なるべく位置を覚えておいて、可能であれば後日回収してもらうとしよう。


 少女をなるべく揺らさないように、ゆっくりと北へ向かって歩くことしばし。

 俺たちは無事に迎えの馬車に回収された。


 御者や撤退支援のために同乗していた冒険者たちは魔獣や黒鬼がほぼ全て殲滅されたことを知ると、俺を英雄のように讃えてくれた。

 最も強力な妖魔を倒したのは俺の膝を枕にして眠りこけている少女だと伝えても、謙遜ととられたのか、その称賛が止むことはなかった。


 少女が目を覚ましてしまうから。

 そう理由を付けることで、ようやく俺は冒険者たちに黙ってもらうことに成功した。

 少し強引だったかもしれないが、そうでもしなければ――――その称賛によって段々と俺の心の中に嫌なものが溜まっていくような気がしたからだ。


「…………」


 静かになった馬車の中で、今日一日を振り返る。


 ギルドでの会議。

 いたずらに会議を長引かせ、結果的に被害を拡大させる一因となった。


 魔獣迎撃の最前線。

 雑談に興じて状況の確認を怠り、戦線が崩壊する直前までそれに気づかなかった。


 最終局面。

 いいように少女を騙し、その力を利用して強力な妖魔を殲滅した。


(何が英雄だ……。俺は、結局何もできなかったじゃないか)


 少女を担いで逃げ回るという、体力に自信があれば冒険者でなくてもできそうなことをやっただけ。

 俺は称賛を浴びるほどの働きなど何ひとつしていない。


 手慰みに少女の髪を手で梳きながら、少しだけ少女を妬ましく思ってしまう。


(俺に、何かひとつでも攻撃魔法があったなら……)


 そんなこと、考えても仕方がない。


 苦笑しながら、いつの間にか近づいていた都市の外壁を眺めていると、クリスにおごらせる約束を思い出した。

 飲んで騒ぎたい気分ではないが、こんな時だからこそ飲んで騒いで気持ちを切り替えていくべきなのだろう。


 くだらない考えは溜息と一緒に吐き出して。

 自分の目指した道を歩いて行くために。


「次こそ、自分の力で……」


 先行した魔導馬車が勝利を伝えていたためか、南門で待ち受けていた冒険者たちの歓声が俺たちの乗った馬車を包み込む。

 ぼそりと呟いた独り言は誰にも届かない。


 身じろぎする少女が座席から転げ落ちないように右手を添えて支えると、窓の外から俺の姿が見えないように少しだけ体をずらした。




 俺たちが乗った馬車が冒険者ギルドの正面に到着すると、ちょうど目を覚ました少女に一方的に別れを告げ、一度屋敷へと戻る。

 フロルに今日の夕食は外でとることを伝え、軽く汗や汚れを流してからラフな格好に着替えて再び冒険者ギルドへ。

 冒険者ギルドのロビーはいまだ熱狂に包まれており、その中心には互いの生還を喜び涙を流しながら抱き合う2人の少女がいた。

 どうやらクリスも自分の仕事を果たしたようだ。


「お疲れ様、アレン」

「おう、本当に疲れたぞ」


 振り返ると、そこには俺と同じく装備を外して身軽になったクリスがいた。

 俺の返事に困ったような笑みを浮かべたクリスは小走りで逃げるように受付に向かうと、小さな袋に入った報酬を手にして俺のところに戻ってくる。


「それではアレン様、今宵は存分にお楽しみください」


 ふざけたセリフと仕草にため息を返すと、今夜の接待役はにやりと笑う。


「容赦しないからな。お前の報酬が尽きるまで楽しませてもらおうか」

「存分に。さあ、いざ夜の街へ!」


 クリスと二人、とりあえずこの前の酒場で早めの夕食をとる。

 少し酒が回ったところで前回と同じ娼館に入り、今度は自分の好みの相手を指名してもてなしを受けたあと、2軒目は少し趣向を変えて少し落ち着いた店で飲みなおすことにした。


「ねえ、アレン。そろそろ軍資金が心許ないんだけど……」

「安心しろよ、俺も鬼じゃない。お前の報酬が空っぽになったら許してやる」

「十分鬼じゃないかな?」

「黒鬼よりはマシだろ?」

「比較対象がひどすぎるよ……」


 べしゃりとテーブルに伏して項垂れるクリスを見て、俺はくつくつと笑い声をあげる。


「黒鬼といえば、あの後出たんだって?よく凌いだね」

「ああ、それな。実は…………あー……」

「うん?どうしたのさ?」


 少女が<アブソープション>を使えるということは、そういえば内緒にするのだった。

 クリスに話しても黙っていてくれるだろうが、すでに十分すぎるほど少女に対してひどいことをしている俺としては、もうこれ以上あの少女に対して不義理を働きたくはない。


「……まあ、あの白いローブの子が全部魔法で倒したよ。なかなか盛大な<氷魔法>だったな」

「へえ……。当の本人が困った顔で他の冒険者と一緒に倒したんだって言ってたから、てっきりアレンが半分くらいはやったのかと思ってたよ」

「……俺は、なにもしてないよ。俺はただ、あの子を抱えて逃げ回っただけだ」


 言葉にすると、まだ心が痛む。

 しかし、心が痛むことにどこかほっとした気持ちでいる自分もいた。

 悔しさに対して鈍感になれば、色のない人生が待っているということを知っているからだ。


 悔しさとは、想いの強さを示す指標だ。

 悔しさで心が苦しくなるということは、裏を返せば俺がまだ夢に対して執着できているという証明でもあるのだ。


 悔しさを胸に歩いて行ける。

 悔しさをバネに進んで行ける。


(ああ、なんと素晴らしいことか――――なんてな)


 半分ほどに減ってしまった果実酒のグラスを傾けると、氷がカラリと音を立てた。


「うわー……にやにやしてる。そんなに役得だった?」


 内心が表情に表れてしまったところをクリスに誤解されたようだ。

 ずいぶんとひどい誤解だったから訂正しようと思ったが、実際のところ事実を告げる方が恥ずかしいような気がしてきたので、すんでのところで思いとどまる。


「ああ、柔らかかったよ」

「命がけの戦いの最中に何してんのさ……」

「あと、ローブで目立たないけど、結構大きかった」

「本当に何してんのさ!羨ましい!」

「本音が漏れてるぞ。それに、さっき好きなだけ揉んできただろ」

「いやー、今日指名した人はあんまりサイズがね?」

「それはお前の好みだろうが!……っと、失礼」


 ついつい声を荒らげると、他の客から非難の視線の集中砲火を浴びてしまった。

 店の雰囲気に合わない客に対して、こういう店はとことん冷たい。


「出るか。これ以上は迷惑になりそうだ」

「そうだね。うーん、静かな雰囲気も嫌いじゃないけど、やっぱり酒場は騒々しいくらいが合ってるかな」


 店を出て、次の河岸を探しながらフラフラと歩いて行く。


「今日は男二人だしな。女連れなら、さっきみたいな落ち着いた雰囲気の店も悪くないんじゃないか?」

「それもそうだね。ところで、思い浮かべたのは受付嬢ちゃんのこと?」

「うん……?あー…………」


 別に特定の誰かを想定して言ったわけではなかったのだが、クリスのせいでフィーネを怒らせたままだったことを思い出してしまった。

 というか、無事に帰還したことをフィーネに報告することも忘れていた。

 明日何を言われるやら、今から憂鬱だ。


「え、なに?ちょっとアレン、どうしたのさ?」

「気にするな……。お前のせいで、嫌なことを思い出しただけだ」

「それ、絶対『気にするな』なんて思ってないよね?」

「よーし、飲んで嫌なことは忘れるぞー!次は、騒がしい店にしよう!ほら、いくぞ!」

「だから、もうお金が危ないんだってば!!」


 泣きごとを言うクリスや名前も知らない酔客とともに、俺は平和を謳歌した。

 無事に生還できたことを祝い、報酬を手にしたことを喜び、事あるごとに各々が手にした酒を掲げて乾杯を叫んだ。


 だって仕方ないではないか。


 俺は知らなかったのだから。




 戦いがまだ終わっていなかったなんて、俺は知らなかったのだから。



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