第70話 英雄の剣
翌日、昼頃まで惰眠をむさぼった俺はリビングのソファーに腰掛け、布を床に敷いて装備の手入れに勤しんでいた。
妖魔は倒すと消えてしまうから戦っても血や脂で装備がベトベトになることはないが、魔獣の場合はそうはいかない。
昨日は軽く拭いただけだったので手入れは入念に行った。
剣や防具の欠けやヒビがないかも含めて、しっかりと状態を確認していく。
(うーん……。武器屋の爺さんには血脂さえこまめに拭いておけばいいと言われたが……)
現状、唯一の取り柄である<強化魔法>を駆使した馬鹿力で振り回しているわけで、普通に使うときよりも耐久が低下しているかもしれない。
それに切れ味が落ちても重量でへし切ることができるタイプの剣であるとはいえ、切れ味が良ければそれに越したことはない。
ちょうど都市内で護身用に持ち歩ける武器も欲しかったところだし、一度武器屋に行ってみてもらうのもありかもしれない。
「少し外に出てくる」
いつものように隣に座って腰に抱き着いていたフロルに声をかけてから立ち上がると、防具をエントランスホールに設置した丈夫なラックに掛け、外出の準備を整える。
見送りのために待っていたフロルに「行ってくる。」と告げて、玄関のドアノブに手をかけたところで、ふと思い立って後ろを振り返る。
「そういえばフロル、お前にお金を渡してなかったな」
家の外に出ることがほとんどないはずの家妖精に、金を使う機会があるかどうか知らないが。
何かの役に立つかもしれないし、念のために渡しておいてもいいだろう。
フロルの小さな手のひらに100万デルほど入った袋を乗せ、必要になったら使うよう言い含めると、俺は今度こそ武器屋に向けて歩き出した。
一年の中で一番冷え込む今の季節でも、日が出ていればそれなりに暖かい。
せっかくだからと日の当たる道を選んでゆっくりと東通りに向かっていく。
この都市の武器屋は南通りと西通りにそれぞれ数件と、東通りに1件。
西通りは細やかな意匠の武器を多く取り揃えており、騎士たちが足しげく通っている。
南通りは冒険者用の実用的な武器の種類が豊富であり、冒険者たちで賑わっている。
東通りも冒険者用の実用的な武器をメインにいろいろと置いているのだが、他の店と比べて明らかに賑わいが不足していた。
「坊主てめぇ、その剣はこまめに手入れしておけばしばらく整備はいらねえって言っただろうが!何しにきやがった!!まさか重くて振れなかったなんて言う気じゃねえだろうな!!?」
理由はひとえに、この店主にある。
良く言えば武器へのこだわりが強い頑固ジジイ、悪く言えば――――いや、言わなくてもいいか。
腕はいいと思うのだが自分が打ったものしか売らないから品数は微妙。
そして店主がこのとおりだから、ただでさえ乏しい客足がさらに遠のいてしまう。
「振れない剣なんか買うわけないだろうが。買ってから数日で大分酷使したから、見てもらおうと思って念のため持ってきただけだ。それと、このでかいのを街中で振り回すわけにもいかないから、護身用に一本、もう少し取り回しがいいのが欲しくてさ」
俺は幼い頃からこれに慣れているから、もう気にもならない。
何を隠そう二首の大熊との戦いで天寿を全うした初代愛剣も、この爺様から譲ってもらったものだ。
それ以前から、練習用の木剣を作ってもらったりといろいろ世話になっている。
この都市に戻ってきたときに店を乗り換えるか迷ったものだが、アレンと名乗っても顔色を変えなかったところを見るに、俺のことなど覚えてはいないようだったからこの店に通い続けていた。
「ふんっ、ガキがいっちょまえの口聞きやがって……。剣は並んでるのから好きなヤツを選べ。そいつはここに置いておけ」
「ありがとな。それじゃよろしく」
ぶつくさ文句を言いながらも、爺様はルーペのような道具を取り出して剣の検分を始めてくれた。
俺はその間に狭い店内に陳列された剣を1本ずつ手に取り、他に客がいないことを一応確認してから軽く振って感触を確かめる。
剣の手入れは爺様の手でしっかりとされており、その切れ味は確かめるまでもない。
どうしても重くて長い剣に目が行ってしまうが、今日の目的は取り回しのいい剣であるため、刃渡りが50センチ程度の、俺からすれば少し物足りない両刃の片手剣を選んで爺様のところに戻る。
すると爺様はいつになく難しい顔をしていた。
「どうしたんだ?もしかして手入れが下手だったとか?」
「いや、手入れは悪くない。悪くないが……坊主お前、この剣を本当に使えるんだな?」
「まだ言ってんのかよ……」
平均よりはいくらか体格が良いという程度の俺が、こんな重い剣を振り回せると言っても信じがたいというのは理解できるが。
「ああ、すまんな。剣を見れば、お前がこの剣をしっかり使いこなしているということは理解できる。できるが……振っているところを実際に見てみたい。ちょっと裏に来い」
「え、店は……?」
爺様は俺の剣を担いで店の奥の方にさっさと歩いて行ってしまう。
ちなみにこの店は爺様以外に店員などいない。
店は完全にほったらかしで、日頃の盛況ぶりがうかがい知れる対応に溜息が漏れる。
仕方なしに店の奥に足を運ぶと、店舗部分よりもずっと広さのある工房で爺様が待ち構えていた。
爺様は無言で剣を差し出す。
「一回でいいから、全力で振れ」
俺は剣を受け取って爺様から離れると、念のために持ってきたグローブを両手にはめる。
ここまでされて手加減はできない。
この偏屈な爺様のことだ。
俺の素振りが気に入らなければ、剣は整備しないなんてことも言い出しかねないのだ。
「ふー……」
一度大きく息を吐いて剣を構える。
当然、<強化魔法>の効果は最大まで引き上げている。
俺の全力、見せてやろうではないか。
「フッ!」
力を溜め、一歩踏み出して剣を振り下ろす。
ブワッ、と鋼鉄の塊が空を切り裂く音が周囲に響いた。
悪くない。
買ったばかりの剣も少しずつ手に馴染んできたようだ。
一息ついて剣を肩に担ぎ、爺様の顔を見やる。
しかし、爺様の表情は工房に来る前から変わらず、その顔には驚きも呆れも見られない。
少しの間、爺様が話し出すのを待ってみたものの、その視線は床の一点を見つめたまま動かない。
焦れた俺は爺様に評価を催促した。
「振ったぞ?」
爺様は我に返ったようにこちらに視線を向ける。
「………………お前、剣、下手くそだな」
「余計なお世話だ!!!」
散々待たせた挙句の酷評に、俺はついつい声を荒らげてしまった。
幼い頃から魔力を使いこなすことに努め、体を鍛え、一生懸命に剣を振ってきた成果を全否定され、気分が良いわけもない。
しかし、心の奥底ではしっかりと理解している。
爺様の言うことは、まさにそのとおりだと。
前世で剣道をやっていたわけでもなく、特別剣術に詳しかったわけでもない。
今生でも剣を習ったことはなく、力任せに剣を振り回しているに過ぎない。
気を付けているのは斬るときの刃の角度くらいで、足さばきやらなにやらは完全に見様見真似。
しかも、そのお手本はしっかり剣術を修めているかもわからない冒険者たちとくれば、剣術が上手くなるわけがなかった。
自分の剣の技量など、俺が一番よく知っている。
「ああ、すまんな。別にこき下ろすつもりはなかった」
「………………」
「そんな顔をするな。どれ、ちょっと待ってろ」
そういうと、爺様は工房の隅に保管していた一振りの剣を持ち出した。
爺様の動きで、それが相当な重量を有していることが見て取れる。
ゆっくりと慎重に足を運ぶと、爺様はそれを俺に差し出した。
「これは?」
「銘は『スレイヤ』という」
「……何か、魔獣に対する特効のエンチャント効果でも付いてるのか?」
「そんなものはない。なくとも、斬れる」
「ふむ……?」
俺は自分の長剣を置くと爺様から手渡された剣を受け取り、鞘から引き抜いた。
「ッ!おお……!」
刃渡り1メートルほどの諸刃の長剣、西洋風の分類ならバスタードソードだろうか。
刃の形や大きさは今の剣と大きく変わらないが、その刃の色は見慣れた鈍色ではない。
淡く青みがかった美しい銀色の刃は、見え方の加減か、薄っすらと光を放っているようにも見えた。
柄や鍔の部分には、この爺様にしては珍しく繊細な装飾が施されていることにも驚きだが――――なにより俺を驚かせるのは剣の重さだ。
俺の体格で無理なく振れる長さの剣の中で、最も重い剣として選んだ今の剣と比較しても、ずっと重い。
「おいくら?」
「1000万デルだ」
「たけーよ……。でも、いいなこれ。買った」
「……本気か?」
先ほどからずっと険しい表情のままだった爺様が、目を丸くして驚いた。
この爺様がこんな顔するのは初めてだったから、内心でしてやったりとほくそ笑む。
「おいおい、こんなもの見せびらかしておいて、今更冗談でしたなんて引っ込めたりしないだろうな?」
「冗談だったんだが……」
「てめえ、このクソジジイ!!」
「条件付きだが、タダでくれてやるつもりだった」
「え……?ありがとうございます!!」
ビシッと45度の綺麗なお辞儀を決める。
しかし、ふと思うことがあってすぐに頭をあげる。
「どうしたんだ?武器屋やめるのか?」
「ああ、そうだ」
「そうか……。短い間だったが、世話になったな」
こんな剣をタダでくれるというのだ。
もしかしたらと思ったのだが、どうやら当たってしまったらしい。
爺様は俺に背を向け、長い年月使い込んだのであろう炉の方を見つめる。
しばらくの沈黙の後、爺様は唐突に自身のことを語りだした。
「俺はな……英雄の剣を打ちたかったんだ」
「ッ!!」
英雄、という言葉に俺の心がざわついた。
「俺は小さい頃は迷宮都市で暮らしていた。本当はおとぎ話の英雄に憧れていたんだが、俺にあるのは力ばかりで、戦う方の才能には残念ながら恵まれなかった。だから、際限なく迷宮から湧き出す妖魔を狩るために迷宮に潜る冒険者。最も英雄に近い彼らのために剣を打とうと思った。そうすることで、俺も英雄の一部に成れる――――そう思った」
俺がいる場所から爺様の表情を窺うことはできない。
それでもその声音から、爺様の想いが伝わってくる。
「だが、迷宮都市には俺程度の鍛冶屋なんぞいくらでもいる。俺の剣なんて、上級冒険者の目にはとまらなかった。俺は迷宮都市でしばらく修業した後、仕方なくこの都市に移住して武器屋を始めた。金物をほかの店に卸して生計を立てながら、俺の店には俺が打った剣だけを並べた。結果は、見ての通りだ……」
無骨な手が、炉の近くに置いてある鎚を優しくなでた。
「このままでは俺の夢は叶わない。そう思った俺は賭けに出ることにした。今までコツコツと貯めてきた財産の大半をつぎ込んで、剣一本分の素材を買った。俺が手に入れることができた最も高品質の金属だ。…………もうわかっただろう?お前が持っているそれが、そうだ」
爺様はこちらを振り返り、剣をじっと見つめた。
これが爺様の人生の結晶。
だが、それならなぜ――――
「なぜ、そんな大事なものを俺に?」
「………………」
俺の質問への答えはない。
爺様はまた、その表情を隠すかのように俺に背を向けて金床へ歩み寄る。
「出来は完璧だった。間違いなく、俺が持てる技術の粋を結集した1本だった。だが、それでも俺の夢は叶わなかった」
その剣は、出来損ないだったんだ。
そう、ぼそりと呟いた。
「あるとき、たまたま店を訪れた騎士にこの剣を売り込んだ。もともとB級冒険者をしていたという、巌のような大男だった。俺が思い描く英雄像にピタリと一致するその男なら、もしかすると俺の剣を高みへ連れて行ってくれるかもしれない。そう期待するだけの威容がその騎士にはあった。だが、そんな騎士ですら――――その剣を、まともに振れやしなかった」
金床を撫でる手が震えている。
「俺が選んだ金属は、とある錬金術師の手で錬成された特別製だった。その錬金術師は最高の金属を自らの手で創造しようと、あらゆる方法を試したらしい。偶然生まれた極めて耐久性の高い金属だが、そいつ自身も再現が困難で構成もわからないときたもんだから、ほかの鍛冶屋たちは胡散臭いと寄り付かなかった。だが、俺の目には極上の素材に見えたんだ。悩んだ末、俺は自分の目を信じることにした。使ってみて初めて、高温で精錬すればするほど重くなるという不思議な特性も持ち合わせていたことがわかったんだが、俺はそんなこと気にしなかった。英雄なら、どんな重い剣だって振ることができる。そう信じていたんだ」
金床に、ぽつぽつと雨が降る。
俺は黙したまま爺様の話に耳を傾けた。
「その騎士は言ったよ。『この剣は、誰のために打ったのか。』ってな。俺はそのときようやく気付いたんだ。俺は、俺の中の幻想の英雄のことばかり考えて、剣の使い手に目を向けていなかった。笑えるだろう?俺は英雄のために剣を打ちたかったわけじゃない。俺の剣を英雄に使ってほしかっただけだった。冷静になれば、誰にでもわかることだ……。英雄と呼ばれるほどの傑物が、そんな剣を、使ってくれるわけ、ないんだってことくらいな……」
それは、確かにそうなのだろう。
剣を使う者とひとくくりにしても、その好みやスタイルは千差万別。
だからこそ、この世には様々な種類の剣が存在しているのだから。
「それからは、もうダメだった。心が折れた瞬間、体にもガタがきちまってな。間違いに気づいても、やり直すには金も時間が足りなかった。だから俺は最後の足掻きとして、俺の剣を振れる奴を探すことにした。お前に売った長剣は、その試金石として鍛えたものだ。そいつが振れるやつなら、もしかしたら……。そう思って店の一番目立つところに置いていた。まさか、お前のようなガキが買っていくなんて思わなかったがな」
そこまで話し終わると、爺様はこちらを振り向いた。
その目には、もはや涙はない。
その目にあるのは、人生を棒に振るかもしれない男の狂気だった。
「剣を譲る条件は、その剣を使えること。ただ、それだけだ」
「…………わかった」
握った剣が、ずしりと重い。
それは先ほど手にしたときよりも、ずっと重くなったように感じられた。
重圧が体全体にのしかかり、手に汗がにじむ。
爺様はこちらを真剣に見つめている。
この剣を振れなかったら、俺は爺様に殺されるかもしれない。
そんな妄想が現実味を帯びるほど、この空間に狂気が満ちていた。
先ほどと同じように、一度大きく息を吐いて剣を構える。
<強化魔法>の効果は戦闘で使うことを想定した最大を越え、出来得る限りの文字どおり限界まで引き上げている。
これが、全力。
本当に、これ以上はないくらいの全力。
一歩を踏み出し、渾身の力を込めて剣を振り下ろす。
工房を照らす頼りない灯りを反射して、淡い青の剣閃が弧を描く。
ブワッ、と。
剣が空を切り裂く音が、俺と爺様の耳に届いた。
「………………振ったぞ?」
大きく息を吐いて、先ほどと同じように剣を肩に担ぎ爺様の顔を見やる。
爺様は何も言わない。
しかし、その表情から狂気がなくなっているところを見れば、その評価は聞かなくても伝わるというものだ。
「……やっぱりお前、剣が下手くそだな」
「知ってるよ。出来損ないの剣には相応しい剣士だろ?」
「言ってくれるじゃねえか、クソガキめ」
爺様の表情が少しずつ緩んでいく。
その様子を見ていると俺も少しだけ嬉しくなり、ついつい口が滑らかになってしまう。
「でもこの剣は、いつか英雄の剣になると思うぜ?」
「あん?なんだって?」
俺は俺の剣を鞘に納めると、爺様に向かって宣言した。
「だって俺は、いつか英雄になる男だからな」
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