第68話 魔獣迎撃戦4
散発的に襲ってくる魔獣を、少女を守りながらなんとか処理していく。
不測の事態に対応できるよう<強化魔法>に使用する魔力の量を引き上げた。
背後に少女を置くことで回避が困難になり、<結界魔法>を使わされる頻度も上がった。
素早い種類の魔獣はもう払底したのか、比較的足が遅い大型の魔獣が多くなっているのが幸いといえば幸いだが――――
「なあ、そろそろ目を覚ましてくれないか?」
ぺたんと座り込んで地面を見つめている少女に声をかけるも、反応はない。
この少女だけでも回収してくれないかと思ってチラリと後方に視線をやるが、後方の冒険者も限界だったのか、数人座り込んでいる者がいるだけでほとんどが撤退してしまったらしい。
どう見ても、こちらの期待どおりに動いてくれそうにはなかった。
前線はもっとひどい。
さきほどまで前線を支え続けていた一人の冒険者が、とうとう力尽きて魔獣の餌食となってしまった。
遠すぎて助けに行く余裕などなかった。
俺にできることは彼か彼女かもわからない冒険者の冥福を祈り、ただ迫りくる魔獣を倒していくことだけ。
前線、俺を含め残り3組。
すでに座り込んでいるやつもいたが、パーティとしてはまだしばらくは耐えられそうに見える。
この調子なら時間を稼ぎきれるかもしれないと思ったが――――現実は残酷だった。
「おい……。なんで、お前が出てくるんだよ……」
黒鬼。
全く考えていなかったと言えばウソになる。
こいつと遭遇したのは火山で、ここを襲撃しているのは火山から来た魔獣たちだ。
1体と遭遇したのだからもう1体いてもおかしくはないし、その1体が魔獣に混じっていても不思議ではない。
クリスと共闘して1体倒すのはそこまで難しくなかった。
一度倒した経験がある今なら、ソロでも1体か2体ならなんとかなる。
しかし――――
「9体とか、どうしろってんだよ……」
いや、もうどうしようもないとはっきり断言できる。
現に黒鬼を視認した途端、左右のパーティは撤退を開始した。
黒鬼という妖魔は、ここまで踏みとどまることができたパーティが即座に撤退を決断するほどの相手だということだ。
十分な働きをした彼らを責める気にはなれない。
(今なら、俺たちも追いつかれずに撤退できる……)
ケガ人もいるだろうが、最終的に撤退中の冒険者と合流すればおそらくなんとかなる。
黒鬼を殲滅するまでにどれだけの犠牲がでるか、わかったものではないが。
(英雄を気取った後、すぐに挫折というのはかっこ悪いが……)
命あっての物種だ。
死んでしまった冒険者は英雄にはなれないのだから。
ここで俺が逃げても、最後まで踏みとどまった俺を責める者などいないという確信もある。
「よし、逃げ――――」
――――よう、と思ったそのとき。
俺は閃いた。
「ああ、そうか!逃げればいいのか!」
別に戦う必要はない。
逃げたってかまわないのだ。
現状の作戦目標は撤退中の人々に魔獣を近づけないことであって、黒鬼を倒すことではない。
左右が撤退してしまった今、もはや大軍とは言えないほどの個体数しか残っていない魔獣たちは、俺に向かって勝手に近づいてきてくれる。
だから、俺は逃げてもいいのだ。
逃げる先が、守るべき人々がいる場所でさえなければいい。
<強化魔法>と<結界魔法>しか使えないおかげで魔力残量は十分。
体力は十分とは言えないが、すぐにへばってしまうほど疲労困憊というわけでもない。
剣を背負い、少女を抱えるくらいなら問題なく実行できる。
ならば――――
「――――トレイン、やるか」
それは前世でプレイしたMMORPGにおいて忌むべき所業とされた、敵モンスターを大量に連れ歩く行為。
しかし、この状況ならば俺の行動を迷惑に思う者などいない。
そうと決めたら善は急げ。
比較的この場所に近いところにいた2体の魔獣をこちらから距離を詰めて斬り捨てると、素早く少女のところに戻ってくる。
「おい、逃げるぞ!」
「………………」
「自分で走れとは言わないから、俺につかまるくらいしてくれよ!」
「………………」
依然として少女は俯いたまま。
背後から肩を揺すって行動を促してみても反応はない。
こうしている間にも黒鬼はこちらに近づいている。
先ほどはゆっくりと歩いていたのに、いつのまにか小走りになって、じわじわと俺たちとの距離を詰めてくる。
少女が動けばすぐにでも逃げられるのに。
降って湧いた希望が指の隙間から零れ落ちそうになり、焦燥感が急激に高まる。
「うっがああああああああああああああああああああ!!!」
思いどおりにならない状況に。
さっぱり協力してくれない少女に。
とうとう俺の我慢は限界に達し、苛立ちのあまり意味もなく叫び声をあげた。
衝動的に振り上げてしまった右手で少女を殴り飛ばしたい衝動に駆られたが、仲間を失ったかもしれない儚げで美しい少女を傷つけることは、それでもやはりためらわれた。
だから俺は――――
「俺の話を、聞けえええええええ!!」
「ひゃぅぅ!!!?」
気づけば白いローブの中に右手を突っ込み、少女の胸をわしづかみにしていた。
少女から反応があったことで俺も我に返り、不思議な感触に包まれた右手をすぐさまローブから引き抜く。
「え、え!?」
「よし、逃げるぞ!」
「えっ!?きゃあっ!!?」
剣を背負うと有無を言わさず少女を抱きかかえ、とりあえず黒鬼から離れるために北へと走り出す。
「な、な――――」
「お前の仲間、助かったぞ!」
「ッ!?本当ですかっ!?」
「ああ、俺の仲間が都市まで運んで行った!高そうなポーションも使ってたし、多分なんとかなったはずだ!」
「そうですか!よかった……よかったあ……」
よほど安心したのか、目に涙を浮かべる少女。
俺も先ほどの暴挙から少女の意識を逸らすことができて一安心だ。
実際、あの状態だと助かるかどうかは五分五分といったところだが、わざわざここで教えてやることはない。
それに安心するのはまだ早かった。
「喜んでるとこ悪いが、あの子が助かっても俺とお前は死にそうだぞ!」
「え?」
「後ろを見ろ、驚いて落ちるなよ!」
「え?……………………ひぅ」
少女の体がこわばり、俺の服を握りしめる手に力がこもる。
我に返ったばかりの少女に背後の光景は刺激が強すぎたようだ。
初めて黒鬼に遭遇した時の恐怖を思い起こせば少女の動揺もよく理解できる。
それが9体も迫ってきているのだから、再び呆然自失にならないだけでもありがたい。
「状況は理解したか!?悪いがお前に配慮してやる余裕はない!アレの餌食になりたくなかったら俺の言うことに従ってもらう!返事は『はい』だっ!!」
「ッ!はいっ!」
「俺の質問には正直に答えろ!!」
「はいっ!!」
「……さっき俺がやったことは誰にも言うなよ!」
「はいっ!!!」
よし、これで大丈夫だ。
なんだか相当ゲスいことをやってしまった気がする。
しかし今は深く考える余裕はないし、気になることもある。
「お前、魔法使いだろ!?魔法はどんなのが使える!?」
「はいっ!<氷魔法>が使えますっ!」
<氷魔法>か。
氷を生成する魔法なのだろうが、俺は見たことがないから詳しい効果がわからない。
「射程距離は!?」
「一番近くの魔獣になら届きますっ!」
ちらりと後ろを振り返ると、猿のような中型の魔獣が鈍い動きながらも両手両足を使ってこちらに迫ってきていた。
距離は30メートルくらいか。
「一発撃ってみろ!」
「はいっ!――――お願い!」
少女が腰紐に差していた短いワンド振ると、杖の先端から握りこぶし大の粉雪のようなものが放たれる。
それは放物線を描いて魔獣の足元に落ちると、その場所を中心に氷の華が咲く。
四方八方に伸びる鋭利な花弁の先端が、魔獣の腕や腹を容赦なく貫いた。
「おお!やるじゃないか!」
「はいっ!」
褒められたのが嬉しいのか、少女は満面の笑みを浮かべる。
しかし――――
「…………」
少しだけ不思議に思うことがあった。
俺の推測が合っているか確かめるため、少女の耳に顔を近づけて問いかける。
「なあ……、なんでお前、魔法を使えたんだ?」
「え……?私は、<氷魔法>が使えるので――――」
「でもお前、魔力が切れてただろ?」
「――――ッ!!」
そう、少女が魔法を使えるのはおかしいのだ。
元々、飛び蹴り女が重傷を負った遠因は栗色の少女が戦えていなかったからだ。
もしもこの少女が今の<氷魔法>を使える程度に魔力を残していたならば、飛び蹴り女より先に魔獣の接近に気づいていた少女は、飛び蹴り女を援護できたはずだった。
前衛後衛一人ずつのパーティで前衛が落ちてしまっては、少女のような華奢な後衛が生き延びるすべなどない。
魔力が残っているならば、あの状況で魔法をケチることはあり得ない。
にもかかわらず、今、少女は魔法を使うことができた。
理由はひとつしか考えられない。
「お前、俺から魔力を吸収したな?」
「――――ッ!!」
少女の驚愕は俺の言葉が正鵠を射たことを何よりも物語る。
さきほど少女の胸に触れた時の不思議な感触。
先日チンピラから少女を庇ったときに感じた違和感。
今なら理解できる。
これは、フロルに触れられたときと同じ感覚だ。
「あのっ、お願いです……。どうか、このことは内緒にしてくれませんか……?」
「お前が望むならそうしてやる。だが、これがどういうものなのかは話してもらうぞ?」
「…………わかりました」
少しだけ良心が痛むが、これも生き残るために必要なことだ。
後ろを振り向き、黒鬼との距離が十分に開いたことを確認した俺は街道を少し東に逸れた。
街道から離れすぎないように西へ東へ不規則に蛇行し、ゆっくり北上するように進路をとる。
できれば北には向かいたくなかったが、西か東に適当に進んでしまっては、俺自身が現在地を見失う恐れがあることに思い至り、その対策をとっさに思いつかなかったからだ。
「私は<氷魔法>のほかに、<アブソープション>というレアスキルを持っています。触れた相手の魔力や生命力を吸収する効果を持つスキルです」
生命力と来たか。
これは思ったよりヤバいスキルなのかもしれない。
「あ、いえ!魔力の方はともかく、生命力はこのスキルをもっと習熟しないと吸収できません!私が吸収できるのも、魔力だけです!本当です!」
思ったことが俺の表情に出てしまったのか、少女は慌てて言葉を続ける。
見捨てられることを恐れたのか、いつのまにか緩んでいた少女の手が再び俺の服をきつく握りしめた。
「わかった。お前の言葉を信じよう」
「あ、ありがとうございます!」
少女の表情にぎこちない笑顔が浮かぶが、その手はまだきつく握られたまま。
こんな少女の心を揺さぶって何をやっているんだと自己嫌悪してしまうが、ここでへこたれるわけにはいかない。
本題はここからなのだから。
「礼はいらない。早く俺から魔力を吸収しろ!」
「えっ?それはダメです!これ以上魔力を吸収してしまったら、あなたが昏倒してしまいます!」
「いいからやれ!」
「ッ!でもっ!さっきも、かなりの量を吸収してしまいました!子どもの頃からよくあったんです!スキルをうまくコントロールできなくて、人を気絶させてしまったことだってあるんです!もうこれ以上は――――」
言い募る少女の瞳を見つめて、諭すように言葉を紡ぐ。
「遠からず、俺の体力が尽きて追いつかれる。悪いが長くはもたない」
「そんなっ……」
深刻な表情で伝えることで、少女に状況を誤解させた。
実際のところ数時間は耐えられるし、いざとなったら<強化魔法>を全開にして黒鬼を引き離すだけの体力と魔力は温存している。
数時間を長いと捉えるか短いと捉えるかは解釈次第だ。
「俺はあまり魔法を使えないが、魔力の量には自信がある。生き残りたいなら俺の体力が残っているうちに、お前がアレを倒すしかない」
「ッ!!」
「俺はお前を信じる。だから、お前も俺を信じてくれ」
わずかな時間、少女は目を瞑る。
その目を開いたとき少女の瞳に動揺はなく、そこには確かな決意が灯っていた。
「私、やりますっ!」
「おう、頼むぞ!」
少女の左手が、少女の体を支える俺の右手に触れる。
そこから少しずつ魔力が抜けていく感覚はフロルの食事より緩やかな速度だが、そうと理解すればたしかにいつもの感覚だった。
数十秒の沈黙のあと、少女は後方を眺めながら攻撃開始を宣言する。
「もう少し、近づいてください!射程距離ギリギリに近づいたら攻撃します!」
「あいつの体はかなり堅い!魔力は惜しむな!最初から全開で行け!!」
「はいっ!!」
少しずつ速度を緩め、黒鬼たちに近づいて行く。
俺ですら、恐怖を完全には抑えられないのだ。
漆黒の巨躯から放たれる威圧感は、少女の精神力を確実に削いでいることだろう。
それでも少女は、臆さずに黒鬼を睨みつけた。
そして――――
「行きますっ!!――――――――お願いっ!!」
先ほどのように宙を舞う粉雪。
しかし、その大きさは先ほどと比べ物にならない。
バスケットボールほどもありそうな特大サイズの粉雪が、最も俺たちに近い位置にいた黒鬼の1体の足元に着弾し――――
咲いた大輪の氷華は、黒鬼の巨体を真っ二つに引き裂いた。
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