第63話 追及
「ふー……超気持ちいいー……」
公衆浴場クラスとまではいかないが、7~8人くらいはゆったり入れる大きな湯船に浸かって一日の疲れを落としていく。
お風呂グッズもしっかり揃えてあり、抜かりはない。
孤児院にいたころ、風呂に入れる日は俺もそうしていたが、一般的な家庭――南東区域の家屋の多くはそもそも風呂がないので当てはまらないが――では石鹸で体を洗っている。
しかし、ここにあるのは石鹸は石鹸でも泡立ちが一味違う高級石鹸だ。
フィーネに贈るアクセサリを選んでいたとき隣の雑貨屋でちらりとみかけたのだが、日頃使っていた石鹸に不満が溜まっていたところだったのでついつい買ってしまった。
3個で1万デルというちょっと手が出しにくい値段設定だったにもかかわらず、臨時収入で懐に余裕があるからと購入を決めたのだが――――
「あそこで購入を決めた俺を褒めてやりたい……」
大満足の品質だった。
次に西通りにいくときは大量に買い込むことにしよう。
余ったらフィーネにプレゼントしてもいいかもしれない。
フロルにも勧めてみたのだが、残念なことに彼女は石鹸に興味を示さなかった。
いつも清潔でいい匂いを漂わせているからてっきり風呂好きなのだと思ったのに、家妖精の生態は謎に包まれている。
「そういえば、フィーネにはプレゼントを渡したのに、フロルには何も渡してないな」
何が良いのだろうか。
掃除のときに持ち歩いている箒とかはなんかこだわりがありそうだし、服は自前でメイド服作っていたし、装飾品は――――喜ぶかどうか微妙なところだ。
風呂から上がり、何か欲しいものはないかと直接フロルに聞いたところ、腰に抱き着いてきて魔力を吸い上げられた。
我が家の家妖精は花より団子ということか。
今日はほとんど魔力を使っていなかったからか、いつもより長時間の食事を楽しんだフロルは大層ご機嫌だった。
一夜明け、完全休養日を挟んで気力も体力も全回復した俺は、早朝から多くの冒険者たちに交じって冒険者ギルドの壁を睨みつけていた。
壁に掛けられた掲示板、それに貼りつけられた同じ規格の依頼票の群れ。
そこにはギルドが仲介する様々な依頼の内容が記載されている。
混雑が少しでも緩和されるように冒険者のランクごとに掲示板が分けられており、俺が物色しているD級冒険者用の掲示板にも10名ほどの冒険者が張り付いていた。
植物の採集や収獲の手伝いといったE級冒険者でもできそうな依頼もあれば、比較的強い魔獣の素材回収や盗賊団の討伐といったD級冒険者には荷が重そうな依頼まで様々だが、これは依頼人が用意できる報酬の額によって依頼がどのランクの冒険者に割り振られるかが決まるからだ。
E級相当の依頼でも多くの報酬を積めばD級冒険者に依頼できるし、C級相当の依頼でも報酬が足りなければD級冒険者に回されるという仕組み。
もっとも、あまり難易度の高い依頼を下級冒険者にさせるわけにはいかないので、後者についてはある程度ギルド側で弾いているという話も聞く。
俺はD級冒険者用の掲示板に貼られた依頼票に目を通してから、ギルド内をぐるりと見渡す。
ギルドの入り口の方を見るときは銀髪の少年を探して。
受付窓口の方をみるときは金髪の少女を探して。
しかし、現在はそのどちらもこの場にはいないようだった。
「ま、もともとソロでやるつもりだったんだしな……」
前回はクリスと組んだが正式にパーティを組んでいるわけでもないから、タイミングが合うかどうかは運次第。
この都市での初依頼がフィーネに流してもらって高額の依頼だったとはいえ、いつもいつも彼女に頼るわけにもいかない。
ならば、D級冒険者として分相応の依頼をひとつひとつこなしていくしかないだろう。
(これも英雄への一歩になると思えば、な)
かつて、あまりに遠くを望みすぎたせいか、つまずき、転び、傷つき、右往左往し、自分の立っている場所すらわからなくなった。
そんな経験があってこそ、小さな依頼でもコツコツと真剣に取り組もうと思えるのだから、俺の回り道もきっと無駄ではなかったのだ。
(おっと……感傷に浸ってる場合じゃなかった)
俺がぼーっとしている間に、何人もの冒険者たちが依頼を選んで受付の方に歩いて行った。
割のいい依頼から順番になくなっていくということを考えれば、あまりのんびりしてもいられない。
俺は自力で達成できそうな依頼を選んで依頼票の番号を頭に入れると、冒険者たちに続いて受付窓口の最後尾についた。
俺が選んだのは魔獣討伐の依頼。
領主が依頼する常設型の依頼で、魔獣の種類ごとに単価が定められているタイプの依頼だった。
ノルマや期限がない代わりに単価はやや安いが、魔獣の素材の売却益も考えれば割に合わないというほどでもない。
皮や牙などの良い値段が付きそうな部位を傷つけずに狩ることができるならば、これも一つの選択肢。そう言える程度の稼ぎになる。
魔獣の種類によっては肉や内臓も売れるらしいので、運搬設備が借りられそうなら手を出してみてもいいかもしれない。
冒険者と受付嬢という手慣れた者同士のやり取りのため、並んだ列はすいすいと進んで行き、数分で俺の順番になる。
「次の方、どうぞ」
受付嬢の言葉を受け、俺は依頼番号を伝えて冒険者カードを差し出した。
「D級のアレンです。常設の魔獣討伐を受けたいので、手続をお願いします」
「D級のアレンさん…………ですね。少々お待ちください」
チリリンと甲高い音が響き、周囲の視線が音の発信源に集中する。
ベルを鳴らしたのは、今まさに俺と話していた受付嬢だった。
「あの……?」
「少々お待ちください」
受付嬢はにっこり笑って先ほどの言葉を繰り返す。
疑問は受け付けないと言わんばかりの態度に、俺は言葉を継げずに押し黙る。
(なんだ?俺の前に並んでたやつらは、ベルなんて鳴らされなかったよな?)
俺のカンが警鐘を鳴らしている。
俺の経験もこれはきっとろくでもないことになるパターンだと訴えている。
「あ、すみません、ちょっと用事を――――」
「少々、お待ちください」
「…………」
受付嬢は俺が差し出した冒険者カードをしっかりと両手で胸に抱え込み、俺の逃走を封じている。
つまり、俺が逃げたくなるような何事かが進行中ということだ。
(なんだ?一体何が…………あっ!!)
ベルを鳴らされ、逃走を封じられるような何事か。
心当たりがある。
たった3日前、俺が受けた火山地帯の調査依頼。
C級の受託制限を無視して依頼を受け、大金をせしめたこと。
フィーネは大丈夫と言っていたが、もしや制裁の対象になったりはしないだろうか。
「お前がアレンだな。こちらへ来てもらおう」
「え、あ…………」
いつの間にか俺の隣には、冒険者がおいたをしたときに奥からのそりと出てくる厳つい男の姿があった。
幼少の頃、しつこく受付嬢に迫った冒険者が首根っこ掴まれて奥へ消えて行ったのを見たことがある。
そのとき奥へ引きずられていった冒険者の目は絶望に染まり、口は半開きになっていた。
これから彼の身に何が起きるのかと、中身が見た目相応ではないにもかかわらずトラウマになりそうな絵面だったため、今でも強烈な記憶として残っている。
なかなか動こうとしない俺の首根っこを掴んで、おっさんはギルドの奥へと歩いて行く。
引きずられる俺の視線は冒険者たちの間を彷徨い、一人の少年の顔にたどり着いた。
12歳くらいの、おそらく冒険者になったばかりなのであろう少年の顔にあるのは驚愕と恐怖。
きっと、あのときの俺もこんな顔をしていたのだろう。
(少年、キミは俺のようになってくれるなよ……)
そう念じると、俺はこれから待ち受ける苦難を思ってそっと目を閉じた。
「では、会議を始める」
「………………」
ギルドの奥の階段を上り、さらに奥に進んだところにある会議室で待つことしばし。
10人が『ロ』の字型に並べられた席に着き、その上座で会議の開会を宣言するのは俺をここまで連行したマッチョのおっさんだ。
(なにがなんだか、さっぱりわからん……)
このメンツの中で知っている顔はフィーネ、ラウラ、そして昨日窓口で対応してくれたフィーネの先輩であるイルメラの3人。
ラウラは暢気に手を振ってくれている。
フィーネは少し不機嫌そうで、イルメラはなんだか申し訳なさそう。
フィーネがしょげていないところをみると、もしや俺の懸念は杞憂かと思ったが、あいつは怒られる直前までこれから怒られるということに気づかないタイプだったと思い直し、再び気を引き締める。
残りの6人はマッチョ以外は見覚えのない顔。
厳ついマッチョと、その両隣に事務職と思われる男性、向かって左側にいるラウラの隣には魔法使いのような風貌の女性、反対側には冒険者風の男女。
会議を始めると言われても、このメンツで何を話し合うのか全く想像できない。
そもそも俺はいったい何のためにここに呼ばれたというのか。
「まず、D級冒険者アレンの受託制限違反と、当ギルド職員による違反幇助についてだが――――」
「………………」
何のために呼ばれたのか、なんて考えたバチが当たったのか。
俺の懸念は早速現実のものとなった。
チラリとフィーネに視線を送ると、彼女はおっさんの方を愕然とした表情で見つめている。
やはり自分が叱責されるとは思いもしなかったらしい。
フィーネの『大丈夫』に対する信頼度はこっそり下方修正しておこう。
しかし、それはそれとして。
フィーネは俺のために危ない橋を渡ってくれて、結果的に俺は難局を乗り切ることができた。
ここで彼女を巻き添えにしてしまっては些か義理を欠くと言わざるをえない。
(仕方ないか……)
俺は立ち上がり、全員に聞こえるようにはっきりと告げる。
「お待ちください。今回の件、フィーネに落ち度はありません。私が自分の階級をC級だと偽り、彼女を誤解させたのです」
「ちょっと!何言ってるのよ!」
「処分があるのであれば、全て私が受けることで許していただきたく思います」
「アレン!ふざけたこと言わないで!!あれは――――」
「フィーネ、静かにしろ」
厳ついおっさんの一言でフィーネが押し黙った。
彼女がこちらを睨みつけている気配がするが、俺は視線を合わせずにまっすぐに正面のおっさんを見続ける。
このおっさん、いや、この人の役職は席の配置を考えればおおよそ推測できる。
冒険者ギルドの幹部。
おそらく――――
「名乗っていなかったな。俺はドミニク・バルテン。この都市の冒険者ギルドの長をしている」
ギルドマスター。
言わずと知れた冒険者ギルドのトップだ。
当然この建物のどこかにはいるのだろうと思っていたが、まさかこの人がそうだったとは。
「お目にかかれて光栄です、ギルドマスター。しかし、私が言うのもなんですが、D級冒険者の規則違反に対してこの歓迎ぶりは些か大げさではありませんか?」
「規則違反を犯した者のセリフではないが……確かにそのとおりだ。それはついでであって、本題は別にある。それに、実を言えば受託制限に違反に関してお前たちを罰するつもりはない」
「それは、ありがたい話ですね」
「喜ぶのは早いな。なにせ、お前は受託制限違反だけでなく、階級詐称もしているという話だ」
俺は大きく息を吐き出した。
墓穴を掘ったことを悔いているわけではなく、誘導がうまくいったことに安堵してのことだ。
「ちょっと待ってください!アレンは階級詐称なんてしてません!」
フィーネは受託制限の件が不問になったことを幸いと、俺の容疑を晴らしにかかった。
しかし、残念だがそれはきっと通らない。
「フィーネちゃん、ちょっと黙っててー」
フィーネの抗議は意外にもラウラによって遮られる。
「ラウラさん!だってアレンは――――」
「アレンちゃんが階級詐称をしたかどうかなんて、もう関係ないの。してなかったとしたら、そこの筋肉はアレンちゃんの罪状を『ギルドマスターへの虚偽報告』に変えるだけよー?」
「そんな!?」
「アレンちゃんとギルドマスターの交渉は、もう終わったのよー。アレンちゃんはフィーネちゃんを巻き添えにしたくなかった。筋肉は身内から処分対象を出したくなかった。だからアレンちゃんが別の罪状を作っちゃえば、筋肉はそっちを咎める代わりにフィーネちゃんの処分をやめることができるってことー」
「なっ……!」
再びこちらを睨みつけるフィーネから視線を逸らし、俺はラウラを半眼で睨む。
意図を見抜かれて少し悔しいのもあるが、せっかくうまくいったのになぜわざわざフィーネを怒らせようとするのか。
にやにやと笑う鬼畜精霊は俺の視線など堪えた様子もなく、面白がってヒラヒラと手を振り返してくる。
きっと彼女は楽しければ何でもいいのだろう。
「人を悪人のように言わんでもらいたいものだ」
「えー?でも、実際そうするんでしょう?」
「さて、な」
フィーネがなおも食い下がるが状況は好転しそうにない。
時間稼ぎにも似た訴えは次第にトーンダウンしていき、遂に彼女は沈黙を余儀なくされる。
当然のことだ。
ヒラの受付嬢とギルドマスターでは、端から勝負になりはしない。
しかし、それでもフィーネの抗議は俺にとって無駄ではなかった。
俺はわずかな時間を使い、ギルド側の狙いを考える。
まず、ここにいる者たちが俺を糾弾するためだけに集められた――――ということはあり得ない。
受託制限違反という明白な罪状がある以上、俺を処分したいだけならこんな面倒なことをギルドマスター本人が出張ってまでやる必要はないからだ。
それと、フィーネの処分を回避するためというのもおそらく主目的ではない。
ギルドマスターの権限など詳しくは知らないが、この程度のことならギルドマスターの裁量でどうとでもなるだろう。
あり得そうなシナリオは俺の処分を見送る交換条件として俺に何かをさせようとしている、といったところだろうか。
(だが、ただのD級冒険者に過ぎない俺に何をさせようってんだ?)
依頼で稼いだ金貨の横取りなら処分として一方的にやってしまえばいい。
金は冒険者ギルドの口座に入っているのだから、俺にそれを防ぐ手立てはない。
俺の力を使いたいなら依頼として協力を求めれば済む話だし、そもそも俺にしかできない依頼なんてあるとも思えない。
それと、わからないことがもうひとつ。
先ほどから黙っている2人の冒険者のことだ。
男性の方はなぜか申し訳なさそうにしており、少女の方はフードが邪魔で表情はよく見えないもののかなり苛立っている様子。
俺が考えたシナリオのいずれかがアタリなのであれば、彼らがここにいる必要性がなくなってしまう。
ラウラは面白いことが起こると知って押しかけてきてもおかしくないし、隣の魔法使い風の女性はラウラが何か言うたびにオロオロしているところを見るとラウラの現在の契約者のようだから、同じく居てもおかしくない。
ギルドマスターの両側は事務職だろうから、おそらく会議の記録などの役割が振られている。
だが、2人の冒険者はラウラたちと違って、そういう理由でここにいるわけではないだろう。
ここにいる以上、彼らはここで行われる話に何らかの形で関与しているはずだが。
(処分、交換条件、冒険者……)
俺の視線は答えを求めてフラフラと辺りをさまよい、相変わらず申し訳なさそうな顔をしているイルメラを捉える。
(ああ、この人もか……)
冒険者二人だけではなかった。
イルメラも、この場における役割が見当たらない。
フィーネが見習いだった頃ならともかく、今更フィーネの先輩で教育係だから連帯責任というワケでもないだろう。
彼女はこの集まりにおいて一体どのような――――
「ああ、なるほど」
お姉様の顔と冒険者たちの顔を見比べて、俺は自身が置かれた状況にアタリをつけた。
全員の視線が俺の方に集中する。
無表情のギルドマスター。
不安一色のフィーネ。
これから起きることが楽しみで仕方ないという表情のラウラ。
楽しそうにしているラウラには申し訳ないが、シナリオを見破ったからと言って大々的に反撃というわけにはいかない。
処分の話もあるし、なにより気遣いをあだで返す結果になるのは俺としても避けたいところだ。
「どうかしましたか?」
ギルドマスターの右隣に座るメガネの男が俺の呟きを拾って問いただす。
丁度いい落としどころを考えるために少しだけ時間がほしかったが、もうこうなれば出たとこ勝負だ。
「いえ、私がここに呼ばれた理由を考えていただけですよ」
「ほう?規則違反に階級詐称までやっておきながら、ずいぶんな物言いですね」
「お褒めにあずかり光栄です。ところで、1つだけ伺いたいことがあるのですが……」
「……なんでしょう?」
俺の放言に少しだけ不機嫌になったメガネをさらに不機嫌にさせることを知りながら、俺は自分の予想が合っているか確かめるため、カマをかけた。
「火山の件、急がなくてよろしいのですか?」
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