第62話 都市の治安と南東区域
ギルドの中で10分ほど待ち、恨めしげに俺を見つめるフィーネが用意した金貨を受け取ると、俺はその足で政庁に向かった。
フィーネは今頃仕切りに生えていた先輩方からお小言を頂戴している頃だろう。
これを機に真面目に仕事をしてくれればいいのだが、あまり真面目になるとそれはそれで俺も困ったことになるから難しいところだ。
彼女には是非とも、適度に真面目な仕事をするようになっていただきたい。
政庁に到着した俺は総合案内所で窓口の場所を確認し、指示された窓口で納税通知書と金貨を渡して手続を済ませた。
政庁の窓口ではフィーネとしたような会話などあるはずもなく、速やかに処理を済ませて領収証を差し出す手際の良さは残念ながら彼女のそれとは比べものにならない。
前世での経験からそれなりに待たされることも覚悟していたのだが、政庁に入ってから出てくるまで10分とかかっておらず、思ったより早く本日の予定が終了してしまったことで持て余した時間を再び散歩にあてることになった。
「ふあ……、そろそろ帰るか」
日が傾き始めたころ。
そろそろ野菜だけでなく肉料理も食べたくなったので、肉類や調味料のほかフロルが必要としそうなものを適当に買い込んだのち、帰途に就く。
大通りから屋敷までは150メートルくらいの距離しかないが、途中で引ったくりと思しき男たちが俺の背後から走り抜けようとし、俺が振り向いて目立つように首から下げたプレートを見せつけると舌打ちして離れていく、といった出来事があった。
俺が冒険者でなければ、たぶん両手に持った荷物を丸ごと持っていくつもりだったのだろう。
俺の屋敷がある南東区域はスラムがある区域というだけあって、やはり治安が悪い。
ただしこの状況は領主の怠慢が南東区域に犯罪者を蔓延らせている――――という単純な話ではなかった。
俺はこの都市を4年も離れていたが、幼少期を南東区域にある孤児院で過ごしただけあって、このあたりのことについてかなり詳しい情報を持っている。
そのひとつが、ここの連中は絶対に大通りの近くで悪さをしないということだ。
引ったくりにしても、ちょうど俺がやられそうになった場所、南通りから100メートルほど奥に入ったところより東側(東通りを基準とすれば南側)だけが彼らの仕事場だ。
彼らがそのような行動をとる理由は極めて単純で、それは衛士による取締りや巡回ルートと密接に関係していた。
南東区域の惨状とは対照的に、この都市の治安は良好だ。
それは前世の日本、俺が住んでいた地域と比べても遜色ないほどに平和なのだ。
冒険者同士の争いや酔っ払い同士の揉め事などを除き、強盗や殺しどころかちょっとした暴力沙汰に至るまで発生しにくく、発生した少数の犯罪も当局が速やかに介入して解決する。
ただし、それは北西区域、北東区域、南西区域、そして大通りから100メートルまでの南東区域――――衛士が巡回する範囲に限った話だった。
南東区域は落伍者が行きつくこの世の地獄。
これが都市全体の共通認識だ。
罪なき市民たちは思う。
そこは落伍者同士が奪い合い殺し合う無法地帯。
こういった連中は、どれだけ念入りに掃討しても地下に潜るだけで根絶することはできないのだから、衛士の取り締まりもむなしく犯罪はなくならない。
だから市民は南東区域には行きたくないがために法を遵守し、仕事をし、税金を納め、そして南東区域から離れたところで生活を完結させるのだ。
しかし、南東区域の内側に入ると外側からは見えないものが見えてくる。
衛士が南東区域に限り毎日同じ時間に同じルートを巡回することも。
その巡回ルートより都市の中央寄りの地域では些細な犯罪も許されず、その巡回ルートより南東側では、取り締まりが行われないということも。
そのルートが大通りから100メートルくらい奥の裏通りであるということも。
内側に居れば簡単に理解できることだった。
とはいえ、流石に衛士に見つかるところで罪を犯せばそれを見逃す衛士はいない。
衛士の巡回ルートからさらに内側に100メートル程度の範囲――およそ巡回中の衛士の目が届く場所――がいわゆるグレーゾーンとして機能している。
南東区域以外で罪を犯せば許されない。
グレーゾーンは衛士に見つかった場合は罰せられる。
それより内側は――――ほとんどの罪が裁かれない。
これが都市の一般市民とは異なる内側の共通認識だ。
南東区域の内側深くに衛士の手が伸びるのは南東区域の外で罪を犯した者が南東区域に逃げ込んだときだけだから、やらかした者を南東区域から蹴りだすためにアングラな組織が自主的に衛士に協力することすらある。
彼らにとって南東区域に衛士を呼び込む者など邪魔でしかないからだ。
だから、南東区域の者たちは南東区域の外では善良であろうとする。
同じ罪を犯しても捕まる場所と捕まらない場所があるならば、当然捕まらない場所で罪を犯した方がいい。
結果として、南東区域以外の治安は極めて高い水準となる。
領主は南東区域をあえて締め付けないことで、都市全域を掌握しているというワケだ。
反吐が出るような理屈だが、南東区域以外の治安の良さはこうして作られていると思うと一概に否定することもできず、複雑な気分になる。
俺の屋敷がいわゆるグレーゾーンにあり、その恩恵を十分に享受できていないことも、もやもやとした気持ちを助長していた。
ちなみに、俺がグレーゾーンに居ても引ったくりから避けられた理由は俺が冒険者であるからだ。
衛士は内側に来なくても、冒険者は報復のために自ら仲間を連れて踏み込んでくる。
つまり、そういうことだ。
首から下げた冒険者の身分証は日の当たる場所ではときに色眼鏡で見られる要因となり、南東区域ではお守りとして機能する。
俺がこれを服に隠したり外に出したりするのは、そういう理由だった。
それはさておき――――こういうワケだから結構珍しいのだ。
「俺の屋敷の前で、どうかしましたか?」
南東区域にある俺の屋敷の前に、一般市民がいるというのは。
周囲をキョロキョロと見回しながら屋敷の様子を窺っていたどう見ても外側の人物は、俺に声をかけられると大げさなほどにビクリと驚いた。
「な、なんだ、誰だキミは!」
「人の屋敷を覗き込んでおいて、誰だはないだろう」
この挙動不審っぷり、きっとろくでもないことをしていたのだろう。
境界からさほど離れていないから油断していたが、考えてみれば外側の人間が内側で罪を犯さないという保証もない。
これは早急に防犯対策を講じなければならないか。
「人の、ということは……、キミがこの屋敷の主人か?」
「そうだが、だったらどうした?」
「いや、そうか。それはよかった……」
あからさまにほっとした様子の男は、どこかの店の従業員だろうか。
何か届け物を運んできたというワケでもないようだし、そもそも俺は配達を頼んだ記憶もないのだが。
「それで、何の御用ですか?」
「ああ、すまない。突然な話で申し訳ないが、この屋敷を売るつもりはないか?」
「…………ああ、なるほど」
屋敷を売るつもりはないか、と聞かれてピンときた。
この男はおそらく例の仲介屋の丸い店主の差し金だ。
慈悲深くも、屋敷を手放せなくて困っているはずのD級冒険者に救いの手を差し伸べてくださったのだろう。
「すまないが、この屋敷は結構気に入っていてね。手放す気はないよ」
「む?しかし、これほど大きな屋敷、地税の支払いも大変じゃないか?」
言ってくると思ったセリフをそのまま言われた俺は、ついにやにやと笑いを浮かべてしまう。
一泡ふかされた相手にやり返すというのは、なかなかどうして楽しいものだ。
「ああ、それならさっき払ってきたよ」
「…………は?」
「ほら、これが領収証だ」
トドメとばかりに、政庁で発行された地税の領収証をヒラヒラと右手につまんで弄ぶ。
「拝見しても?」
「構わないぞ?破ったり汚したりしたら、大通りには戻れなくなるけどな」
「………………」
ぎょっとしたような顔をするが、それでも領収証の確認は怠らないのは丸い店主が恐ろしいからか。
「本物のようだ……」
「そりゃな。なんなら、政庁で確認してきたらどうだ?」
しばし領収証を見つめたあと、悔しそうに呟いた男を少し煽ってやる。
「いや、それはいい……。しかし、死霊がいたということではなかったのか?」
ずいぶんと屋敷に詳しい男だが、素性を隠す気はないのだろうか。
領収証を懐にしまいながら、考えていた言い訳をそのまま告げる。
「ああ、いたな、そういえば。もう俺が退治したから安心していいぞ」
「……キミが死霊を?」
胡散臭いといわんばかりの表情で確認してくるが、相手をするのもだんだん面倒になってきた。
俺はこの会話を終わらせるためにドサリと荷物を地面に落とすと、男に向かって詰め寄って襟首をつかみ上げた。
「おい、それは俺に喧嘩を売ってんのか?あぁ!?」
「な、なんだいきなり……」
「俺が地税を払うだけの金を持っていて、死霊を退治できることがおかしいって言いたいんだろ?ああいいぜ、俺が稼げる冒険者だってことを証明してやるよ――――お前の命でな」
「な、そんなこと許されるわけ――――」
「ハッ!あんた、ここがどこだか忘れたらしいな?」
「ッ!」
酷薄な笑みを浮かべ、男を威圧する。
なにせ、ここは南東区域だ。
衛士の巡回ルートに近いグレーゾーンだから、内側の人間ならこんなところでやらかしたりしないが、外側の人間であるこいつにそんなことを知るすべはない。
南東区域は日夜犯罪が行われる無法地帯――――それが、外側の認識なのだから。
「わ、悪かった!もう帰るから、だから殺さないでくれ!」
「ああ、いいぜ。次から口に気を付けろよ」
首がとれるんじゃないかと思うほど頷く男を放り出すと、膝を震わせた男はそのまま尻もちをついて俺を見上げる。
俺は荷物を拾ってから、男の横を通り過ぎて屋敷の門を開けようとし――――言い忘れたことを思い出した。
「ああ、それともうひとつ」
「な、なんだ!?」
助かったと思って一息ついた男が振り向きながら裏返った声を上げる。
そんな男を見下ろし、俺は最後に一言だけ付け加えた。
「この屋敷はもう俺のものだ。必ず、店主に伝えておけ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます