第60話 都市への帰還




 どこへ向かうかなど示し合わせる必要はない。


 一歩でも遠くへ、一歩でも湖から離れた場所へ。


 ただそれだけを思って、俺たちは脱兎のごとく走り続けた。


 地を蹴り、風を切り、木々の合間を縫い、岩を飛び越え、決して振り返らずに街へ向かって駆け続けた。


 小道へ抜けても決して止まらず、坂を下るときも速度を緩めず。


 街が見えた時には二人とも息も絶え絶えというありさまだった――芋虫はとっくに気絶していた――が、むしろよくここまで走り続けたと自分を褒めてやりたい気分だった。




「魔導、馬車、先、行け」

「…………」


 返事をする余力もないのか、クリスはただ何度もうなずいて了解の意思を示すと、荒い息を吐きながら街の北側にある馬車の停留所に向かっていく。

 俺の方も一晩世話になった宿屋の食堂に集まっていた冒険者たちに、まくしたてるようにして影のことを伝えると、芋虫と荷物袋を背負ったままクリスの後を追う。

 なんとか魔導馬車の最終便に乗り込むと芋虫と荷物袋を床に放り出し、俺もそのまま床にへたり込んだ。

 幸い8人乗りの魔導馬車は本日最終便であるにもかかわらず俺たちのほかには2人しか乗っていない。

 床に寝転がってはちょっとどころじゃなく邪魔かもしれないが、今だけは勘弁してもらおう。


「助かったな……」

「ほんとだねえ……」


 ようやく息が整うと、ただ一言を呟いて自分たちの無事を確認する。


「なんだよあれ……。死んだかと思ったぞ」

「お互いよく無事に帰って来れたね」

「そうだな。お前がアレと戦おうって言い出さなくて本当によかった」

「ははは、流石に無駄死にする気はないよ。でも、都市に帰ったらすぐにギルドに報告しよう」

「ああ、あれは多分ヤバい奴だ。俺たちじゃ手に負えないだろうが、ギルドに報告すればきっとなんとかするだろ」


 他の乗客から奇異の目で見られていることなど気にもとめずに、俺たちは互いに見たものの感想を言い合った。

 流石に寝転がったままでは行儀が悪いので、座席に座って向かい合ってからだが。


「とはいえ、報告するにしても、早々に逃げ出したから情報がほとんどないな……。たしか、外見は真っ黒だったな?」

「そうだね。でも、妖魔の外見は大抵黒っぽいというから……。形もよく見えなかったよね」

「俺には人間の姿をしているように見えた」

「人型の妖魔なんて聞いたことないなあ……。見間違いじゃないのかい?」

「それは否定できないが……、見た限り人型、それと女だったと思う」

「ふーん……。あとは……?」

「…………」


 自分で言うのもなんだがロクな情報が出てこない。


「火山の麓にある湖に突如出現した黒い妖魔、体の芯が凍るような恐ろしい気配を放っており、姿はよく確認できなかったが人型にみえた……。うーん、これだけじゃまともに話を聞いてもらえないかもしれないね」

「信じるかどうかはギルドに任せるしかないさ。調査のために俺たちより強い冒険者を送り込んでくれれば、それでいい」

「それもそうだね」


 会話が途切れたタイミングで一気に眠気が襲ってくる。

 恐怖のあまり<強化魔法>の魔力操作を誤ったか、いつのまにか魔力が尽きかけていた。


(それどころじゃなかったとはいえ、これも反省点だな……)


 魔導馬車が通常の馬車より速いとはいえ、都市に着くまでにひと眠りする時間はある。

 俺は無理に眠気に抗うことはせず、抱きかかえた荷物袋に頭を乗せて目を閉じる。


「すまん、少し寝る……」

「おやすみ。といっても、僕も寝ちゃいそうだけどね」


 クリスの返事が聞こえてまもなく、俺の意識はゆっくりと沈んでいった。






 ガタン、と馬車の振動で目が覚める。

 のぞき窓から外をみると、ちょうど都市の南門に到着したところだった。


「クリス、起きろ。着いたぞ」

「……ああ、やっぱり寝ちゃったか。ふあぁ……」


 寝足りなそうに欠伸をするクリスに先立って馬車を降りる。

 日は暮れており大通りは家路を急ぐ人たちであふれているが、俺たちはまだ家に帰るわけにはいかない。

 人にぶつからないように小走りで冒険者ギルドに駆け込んでフィーネの姿を探したが、見える範囲にはいなかった。

 俺は空いた窓口に駆け寄って彼女の所在を尋ねる。


「すみません、フィーネはいませんか?」

「ああ、ごめんなさい。あの子、今日は早番だったからもうあがっちゃってるのよ」

「そうか……。申し訳ない、急ぎ報告したいことがあるので聞いてもらえませんか?」

「ええ、構いませんよ。一体どうしたんですか?」


 俺とクリスは今日の出来事を順番に説明していった。

 盗賊との遭遇、黒鬼との戦闘、盗賊のアジトの状況、そして湖の妖魔のこと。


 帰途での話し合いの成果か、説明がツギハギになることもなかった。

 うまく説明できたと思うのだが、湖の妖魔の話に差し掛かってから受付嬢が目に見えて困ったような顔になってしまった。


「恐ろしい気配、ですか……」

「ああ、もう見た瞬間逃げ出したくなるような恐ろしい気配だった。いや実際逃げてしまったんですが……どうかしましたか?」

「いえ……、えっと、そうですねー……」


 やはり信じてもらえないか。

 湖の妖魔の部分に関しては自分たちですらよくわかっていないことを説明しているのだから、あやふやでつかみどころのない話になってしまうことは避けられなかった。

 それでもせめて調査のために冒険者を派遣することだけはしてもらいたい。

 なんとか食い下がり説得するための言葉を頭の中で考えていると、隣の窓口で報酬を受け取っていた冒険者が不意に口を挟んできた。


「あー……、少しいいだろうか?」

「え?あ、どうぞ」


 突然声をかけられて戸惑ったが、断る理由は特にない。

 首にかけられたプレートをチラリと覗くと、そこには『C級冒険者』の文字があった。

 もしかしたら困っている俺たちを見かねて口添えをしてくれるのかもしれない。


「キミたちの言う恐ろしい気配の話だが、それはおそらく<威圧>だ」

「……それが妖魔の名前ですか?」

「いや、<威圧>はスキルの一種でね。これを持った相手にはあまりお目に掛かれないが、相手に恐怖感を与えて戦意を挫く効果がある。比較的弱い妖魔でも稀に使うといわれているスキルだ。まあ、つまり、言いにくいのだが――――」


――――キミたちは、妖魔のスキルに騙されてしまったのではないだろうか?


 俺とクリスの周囲だけ、時間が止まったような気がした。





 ◇ ◇ ◇





「くそ、なんだよ!そんなスキル卑怯だろ!!」

「いやー、まんまと引っかかっちゃったんだねー……」

「なんでそんな暢気なんだ!クリス、お前は悔しくないのか!」


 あの後、気まずそうに立ち去るC級冒険者を見送ったまま呆然と立ち尽くしていると、気を遣った受付嬢がそのまま依頼達成の報告を受理し、報酬の支払いをしてくれた。


 基本報酬と盗賊の情報で金貨2枚。

 盗賊の討伐と弓使いを生け捕りにしたことについての追加報酬が金貨1枚と大銀貨2枚。

 黒鬼の魔石の売却金額が大銀貨7枚。

 盗賊のアジトで回収した現金が、しめて金貨4枚と大銀貨29枚と銀貨808枚。

 盗賊から奪い取った金品は2割をギルドに納めることで所有権を主張できるので、それを納めた上での手取りがこの額だ。

 この2割はギルドが被害者への補償をするために活用するという名目だが、盗賊の被害者なんてほとんど殺されていることを考えるとだと思わずにはいられない。

 なお、盗賊のアジトで回収した武器や装飾品などは現在査定中で、後日追加報酬として支払われるそうだ。


 つまり、今回のたった1泊2日の冒険で俺たちは2000万デル以上の報酬を手に入れたことになる。

 盗賊のアジトで回収したボーナスが高額なのは言うまでもないが、それ以外の報酬も相場より大幅に高いのはフィーネのおかげか。

 俺とクリスで山分けして領主に税を納め、それでもなお一般人の年収以上の儲けが残る計算だ。


 心機一転、この都市で活動を再開して一発目にして文句のつけようもないほどの大成功。

 しかし、俺とクリスは報酬の大半をギルドの口座に預けると、そのまま南西区域の歓楽街にある大衆酒場でヤケ酒を始めていた。


「僕だって悔しいさ。でも、後悔したって仕方ないだろう?」

「それはそうだが、そうなんだが…………くぅ~~~~!」

「ほら、飲もうのもう!飲んで食べて嫌なことは忘れよう!」

「ああ、くそ!おい、エール追加!」

「あ、僕はワインをボトルで」

「……今日は好きに飲めばいいが、手に負えなくなったら捨てて行くぞ?」

「大丈夫だってば。アレンは心配性だなあ」


 夜はまだこれからで明日の予定もない。

 軍資金は潤沢で馬車の中でひと眠りしたためか体力もある程度回復している。

 ここまでお膳立てされているのだから、酒を我慢するのは不可能だ。


 俺とクリスは早いペースでグラスを空けていった。

 話題は尽きず、妖魔への愚痴から酒場の料理の品評会、互いの戦闘スタイルの分析からフロアを走り回る給仕の誰がタイプだなんていうところまで、脈絡もなくふらふらと移り変わっていき、現在は俺たちの出会いのきっかけでもあるナンパの話になっている。


「アレンはすごいね。かわいい受付嬢なんてみんな狙ってるから大抵相手にされないのに、一緒に食事するとこまでこぎ着けたんでしょ?脈ありなんじゃない?」

「いや、あれはほんとにそんなんじゃないんだって。食事だって、なんというか、あー……」

「そんなに照れなくてもいいのに。あんなにかわいい子を落とすなんて、男として誇らしいことじゃないか」


 フィーネとの関係は狙うとか落とすとか、そういったものとは少し違うところにあると俺は思っているが、俺がフィーネをナンパした理由を話せば自然と俺の過去のことも話さなければならなくなってしまう。

 だからこそ、どこまで話したものかと躊躇してしまったのだが、その躊躇がクリスの目には照れとして映ったようだった。

 酒が回った頭ではうまい説明など思いつかず、俺はその誤解を利用して話を流すことにした。

 難しいことは明日の自分に任せる。

 今は酒と料理を楽しむ時間なのだから。


「それよりも、お前の方こそどうなんだよ。正直、お前のツラならそれなりにいい女だって選べるだろうに、なんであんな飛び蹴り女なんかナンパしてたんだ?」

「…………アレン、やっぱり僕たちは女性の趣味が違うようだね」

「ふむ?」


 クリスは目を細め、ワイングラスをこちらに傾けて挑発するように笑みを浮かべる。

 こんな仕草がサマになってしまうのだから、イケメンというものは本当に羨ましい。

 フロアを走り回る給仕の少女がさっきからこちらのほうにチラチラと視線を向けているし、近くの別のテーブルで注文をとっている方も聞き耳を立てている。

 残念なのは、この2人の少女は先ほどの会話でクリスがタイプだと言った給仕の中に入っておらず、しかも片方は俺がタイプだと挙げた少女であるということだ。

 ちなみにクリスがタイプだと言った子は奥に引っ込んだきり戻ってこないから、クリスも先ほどから少しだけ残念そうにしていた。


「やっぱり、最初は棘があるくらいが素敵だと思うんだよね」

「最初っから同意できねえ……。優しい子の方がいいに決まってるだろ」

「いやいや、ツンツンしている女の子が自分にだけ優しくしてくれたら最高だと思わないかい?」

「あー……それはわかる。てか、意外と独占欲が強いのか?」

「好きな子には自分だけを見ていてほしいじゃないか。それともキミは、自分の惚れた人が他の男と仲良くするのを見て興奮するタイプなのかい?」

「そんなわけあるか!」

「だろう?けど、優しい子って誰にでも優しくしそうじゃないか。いろんな男が寄ってきそうで不安にならないかい?」

「ぐ…………」


 なぜか押し負けている。

 優しい子の方がいいに決まっているはずなのに、クリスの話を聞いているとなんだか自信が持てなくなってきた。


 いや、まて――――


「おい、ちょっと待て!あの女は『棘がある』なんて生易しい言葉で片付けられるものじゃなかったろ!?むしろ棘しかなかったぞ!」


 痛撃を受けて悶絶していた俺にサラリと暴言を吐きかけて去っていったこと、忘れはしない。

 バラには棘があるものだとしても、花が見えないほど棘のあるバラがあるとするならそれはただの剣山だ。


「アレン、今の言葉は取り消すべきだ。キミは彼女と大して話をしてないからそんなことを言うんだろうけど、ちゃんと話せば彼女の魅力が伝わるはずさ」

「話も聞かずに襲い掛かってくる女と何を話せと?」

「言ってくれるじゃないか。そもそもキミが――――」


 白熱した議論は酒とつまみを大量に消費しながらしばらく続いた。

 しかしながら、元々女の好みが異なる男二人でこの手の話しをしたところで明確な決着をつけることは不可能で、議論は当然のように平行線を辿ることになる。


「よし、なら僕にいい考えがある」


 クリスが唐突に切り出したのは、もう同じような話が何周したかわからなくなった頃だ。


「なんだ、いきなりどうした?」

「僕たちは、まず互いの好みの良さを理解すべきだ。アレンもそう思わないかい?」

「ああ、そうかもしれないな……?」


 一体、クリスは話をどこに持っていこうとしているのか。

 酔いのまわった頭を振り、クリスの視線の先を追う。


 そこには、歓楽街らしい雑多な喧噪が広がっていた。


「なら、ちょっと休憩といこう」

「娼館か……」


 俺とクリスがいる酒場は歓楽街のメインストリートに軒を連ねており、娼館の数はこの通りに面した店だけを数えても両手の指では全く足りないほどだ。

 通りは酒場や娼館の客引きやそれらの店を目当てにやってきた人々で溢れており、俺たちもあの中に交じれば休憩先は容易く見つかるだろう。


「おや、不満かい?」

「1年くらい前、客引きの娼婦にホイホイ釣られて、面倒事になったことがある。それ以来、客引きには乗らないことにしてるんだ」

「ああ、そういうことか」


 俺の表情に苦いものが浮かんだのを敏感に察したクリスに、俺は照れまじりに過去のやらかしを打ち明けた。

 しかし、クリスの意志は変わらないようだ。


「幸い軍資金は十分だし、ここはこの地域だと一番の歓楽街だって言うじゃないか。メインストリートの高級娼館なら、キミが心配するようなことにはならないと思うよ」

「なるほど。それもそうか」


 女を買うということについて感じるべき後ろめたさは雲散霧消して久しい。

 俺がクリスの誘いを断る理由はどこにもなかった。

  

 高級とされる娼館のうちランクが中くらいの店を選んだ俺たちは、クリスの提案で、クリスは俺が指名した俺の好みの娼婦に、俺はクリスが指名したクリスの好みの娼婦に、それぞれ相手をしてもらうことになった。

 シャワーを浴びて娼館の個室のベッドに体を横たえたところで果たしてこれで解決するのかと我にかえったりもしたのだが、舌なめずりしながら俺の上にまたがる妖艶なお姉様から与えられる快楽が些細な疑問を俺の中から消し去った。

 結局時間ギリギリまで相手をしてもらって十分に満足し、時同じく娼館から出てきたクリス鉢合わせると、二人で次の酒場へと繰り出した。

 冷静になれば俺とクリスの好みが違ったというだけのことで、議論に決着をつける必要などなかったのだ。


 俺たちはその後、解散するまでにさらに2軒の酒場を渡り歩き、適度と言えるラインを大幅に超えて飲み、食い、楽しんだ。

 クリスがどこで暮らしているのか聞きそびれたが、ギルドに通っていればそのうちまた会うこともあるだろう。






 足元がおぼつかないが頭痛や吐き気がするほどではない。

 頭がフワフワしているが荷物をなくすほどではない。


 俺は今、非常に心地よい酔い方をしていた。


「フロルぅー!ただいまあぁーーー!」


 荷物の中から鍵をなんとか取り出して玄関を開けると、夜中だというのに遠慮もせずに大声を上げた。

 行動が迷惑な酔っぱらいそのものだが、自分がそうなってみると酔って大声を上げるのはなかなかに気持ちが良い。


 時計の針が天辺をまわっているにもかかわらず、フロルは俺の声を聞いてすぐさま玄関まで駆けつけてくれた。

 そんな健気な家妖精を労おうと俺はフロルの頭に手を伸ばしたが、フロルはぎょっとして台所の方に引っ込んで行ってしまった。


「あ……れ…………?フロルー!」


 もしかして酒臭くて嫌われてしまっただろうか。

 だとしたらショックだ。


 俺は動揺し、玄関から動かずにおろおろしていると、フロルはグラスを持って俺のところに戻ってきてくれた。


「あ、水を持ってきてくれたのかー。フロルは優しいなぁ」


 夜中に酔って帰ってきた主人に水を差し出す完璧なお世話に感動しつつ、荷物袋と剣を外して床に置いてからフロルのくれたグラスを一気にあおる。


「くーっ!酔っぱらってるときに飲む冷たい水は最高だな!」


 火照った体に冷たい水が染みわたる。

 これだけ酔っていれば、一杯の水で酔いが醒めるわけもないが――――


「あれ?」


 妙に頭がすっきりする。

 火照りも治まり、体も自由に動く。

 まるで酒など飲んでいないときのようだ――――というか完全に酔いが醒めている。


「ああ…………」


 原因は一つしか思い当たらない。

 俺は空になったグラスに悲しみの視線を送る。

 庭に植えられている野菜や薬草の中に、酔いを醒ます効果を持つものがあったのだろう。

 フロルの持ってきてくれた水は、まさに『酔い覚ましの水』だったわけだ。

 今更気づいても心地よい酔いは戻ってはこない。


「ああ、フロルありが…………。あー……」


 フロルに礼を言っていなかったことを思い出して『ありがとう』を言いかけたが、そこにいたフロルは先ほどよりもずっとひどい表情でこちらを見つめていた。

 フロルは俺の表情を読んで、俺が『酔い覚ましの水』に満足しなかったことに気づいてしまった。

 何かをやらかしてしまったことは理解したが、どうすればいいのかわからない。

 そんな感情がありありと表れていた。


 俺としても残念な気分は少しだけ残っているが、もちろんフロルを責める気などない。

 フロルは俺のためにこれを用意してくれたのだ。

 その心遣いを俺は嬉しく思うし感謝している。

 だから、そんな捨てられた小動物のような表情をしなくてもいいのだが――――


(でも、これでいいのだろうか?)


 気にしなくていい、ありがとう。

 そう言ってしまうのは簡単だし、もし相手が自分の娘や年の離れた妹だったら間違いなくそう言うだろう。


 しかし、フロルは娘でも妹でもない。

 姿こそ可愛らしいが、屋敷の管理をはじめとした家の中のことに関する技術は素晴らしいものがあるし、家妖精の生態を詳しくは知らずともフロルがそれに誇りを持っていることは十分に理解している。

 だとしたら、このようなことも軽く流してしまうのではなく、フロルがより完璧な仕事をするために次はこうしてほしいということを伝えていくべきではないか。

 俺がフロルに求めるものをしっかりと示すべきなのではないだろうか。

 世話されている側が何を言っているのかと思わなくもないが、フロルが俺に喜んでほしいと思ってやっていることだからこそ、俺がどんなことを嬉しく思うのかをフロルに正しく伝えることが必要なのではないか。


「フロル!」


 沈黙を破る俺の声に、びくっと震えて下を向くフロル。

 フロルが俺に対してこのような態度をとるのは最初の夜以来だ。

 そんなフロルの様子をみて、やはり思ったことを隠さずに伝えるべきだと決意を新たにした俺は、まずは怒っていないということを教えるためフロルの髪をくしゃくしゃと撫でる。


「フロル、酔い覚ましありがとな。でも、俺は好きで酒を飲んで酔っぱらってるんだから、酔いをさましてくれる必要はないんだぞ?」


 より一層しょんぼりと俯くフロルを見て罪悪感が湧いてくるが、なんとか耐えきって言葉を続ける。


「別にフロルが悪いわけじゃない。俺がこうしてほしいってことをフロルに伝えていなかったのが悪いんだ」


 フロルが、バッと顔をあげて必死に首を横に振る。

 あなたは悪くない、私が全て悪いんだと言わんばかりだ。


 俺は一度フロルから手を離して装備を外し、玄関の鍵をかけると、フロルの脇に手を差し込んで俺と目線を合わせるように抱き上げる。


「じゃあ、どっちも悪いってことにしようか。それと、フロルにはこの機会に、俺がフロルにどうしてほしいと思っているか、しっかり話しておこうな。聞いてくれるか?」


 フロルは先ほどと対照的に、ぱぁっと表情を輝かせた。


「よーし、じゃあ、酒を飲み直しながらな!悪いが、酒の肴に簡単なサラダでも作ってくれるか?」


 床に下ろされたフロルは、こくこくと頷いて一目散に台所に駆けて行く。

 俺は荷物袋から買ってきた酒を一本取り出し、食堂横の応接室に座ってフロルを待ちながら飲み始めた。

 今日の飲み歩きで一番気に入った酒を屋敷で飲めるように買ってきたものだが、これはエールでもワインでもなく、ほのかに甘い果実酒だった。

 強い酒を飲めるのが男らしいなんて風潮もあるが、俺は酒なんて好きなものを飲めばいいと思っている。

 酒も女も結局は同じかもしれない。

 今後は他人の女の趣味にあれこれ口を出すことはやめにしよう。


 それからさほど時間をかけずに、フロルは葉野菜のサラダとフライドポテトを持ってきてくれた。

 サラダは俺の注文どおりで、フライドポテトはフロルのサービスだろう。

 芋の形はざく切りのナチュラルカットにしてあるが、俺の好みは残念ながら細長いシューストリングカット。


 1つめの話は、ポテトの形で決まりだ。



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