第59話 冒険している




 開戦一撃目の振り下ろしは、見かけによらず機敏な動きをする黒鬼によってあっさりと躱されてしまった。

 お返しとばかりに振り下ろされた黒鬼の右腕をこちらも余裕をもって回避することができたが、腕が叩きつけられた衝撃で地面が揺れる。


「やっぱ、そう簡単にはいかないか」


 図体が大きい。

 動きが速い。

 力が強い。


 人間と妖魔の単純なスペック差が、ただ腕を振り回すだけの攻撃に絶大な威力を与えていた。


「クリス!!妖魔って魔獣と何が違うんだ!?」

「ええ!?それ、今聞くのかい!?」


 たしかに、戦闘が始まってから聞くことではなかった。

 だが、どう見ても普通の生き物の範疇に収まっていない黒鬼には、特別な倒し方があってもおかしくないと思ったのだ。

 首を落としても死なないなんて言われたら、戦い方を考え直さなければならなくなる。


「魔獣と妖魔は成り立ちが違うだけで攻略法は変わらないよ!ただ、妖魔は強力なスキルを持ってることがあるから、油断しないでくれ!」

「つまり、強い魔獣ってことだな……っと!!」

「もうそれでいいよ!今はそいつに集中してくれ!」


 クリスの投げやりな説明を聞きながらも、俺は黒鬼と壮絶な攻防を繰り広げていた。

 片方が大振りの強撃を繰り出し、片方がそれを回避する。

 攻守が入れ替わるたびに、空気が切り裂かれ、大地が震動した。

 俺の剣は全て黒鬼に避けられ続けているが、それも悪いことばかりではない。

 黒鬼が俺の剣を避けるということは、俺の剣撃は黒鬼を殺すに足るということだ。


「ははっ」


 嬉しくて、楽しくて、思わず笑いが漏れた。

 化け物と殺し合いをしている最中だというのに、言い知れぬ高揚感が胸の奥から湧きあがった。

 物言わぬ黒鬼が、今まで続けてきた俺の努力は無駄ではなかったのだと、お前の剣は俺を殺せるほどに強いのだと認めてくれている気がしたのだ。


 そして何より――――


(俺は今、!)


 幼い頃から夢に描いた英雄への一歩。

 信頼できる仲間とともに強大な敵に挑むこの瞬間が、本当に楽しいと思えたのだ。


 ハイになっているだけかもしれない。

 後で思い返せば馬鹿なことを考えていたと反省するかもしれない。

 それでも今この瞬間、この気持ちは本物だった。


「おらあああっ!」


 幾度もの攻防の末、ついに俺の剣が黒鬼を捉える。

 しかし、太い左腕の中ほどまで切り裂きながら、その腕を切り落すには至らない。

 むしろ黒鬼はこれで俺の動きを封じたとばかりに、その右腕をひときわ大きく振りかぶった。


 たしかに、今までの俺なら窮地に陥ったかもしれない。

 俺の魔力が尽きて<結界魔法>を展開できなくなるか、黒鬼の体力が底を尽くまで我慢比べを強いられたかもしれない。


 でも、今は違う。

 黒鬼が腕を振り下ろし、パリンと結界が砕ける音に合わせて黒鬼の動きが完全に止まる、その瞬間――――


「はああああっ!!!」


 じっと耐えて様子を窺っていたクリスの剣閃が、黒鬼の右腕を根元から切り落した。


 黒鬼がよろめき、俺は強引に剣を引き抜いて自由を取り戻す。


 そして、最後の一振りを自身が放てる最高のものにすべく、グッと剣を握りこみ――――


「じゃあな、楽しかったぜ!」


 黒鬼の懐に飛び込んで袈裟懸けに振りおろした剣閃は、遂にその巨体を両断した。






 両断された黒鬼は、その体躯を地面に横たえると同時に黒い煌めきとなって霧散した。

 ただひとつ、ゴトリと地に転がった大きな魔石だけが激闘の証明だった。


「はー……、疲れた」


 体と心が疲れを自覚し、急激に体が重くなる。

 俺は疲労感に耐えきれず、剣を地面に突き刺してその場で座り込んでしまった。

 クリスは盾役の労をねぎらうとともに魔石を拾って俺に手渡してくれる。


「おつかれさま、アレン。しかしキミは危ない戦い方をするねえ……、見ているこっちがひやひやしたよ」

「<結界魔法>があるって言っただろ?最低限の安全はしっかり確保してたさ」

「そうかい?その割には疲労困憊って感じに見えるけど」

「ちょっと気が抜けただけだ」

「気分はどうだい?」

「最高だ」


 呆れたような仕草をするクリスの表情にも、満足感が浮かんでいたように見えたのは俺の気のせいではないだろう。

 俺もクリスに負けないくらい良い表情をしているに違いない。

 もっとも、俺が良い表情をしたってイケメンに勝てるわけではないのだが。


「まじかよ、本当に倒しちまった……」


 声のした方を振り向くと、手首足首を縛られて芋虫になっている盗賊の生き残りが小道の端に転がっていた。

 ゴロゴロと転がって移動することを試みたらしく、全身枯れ葉と土にまみれて呆然とする滑稽な姿が笑いを誘う。


「おう、まさか逃げようとしてたんじゃないだろうな?」

「逃げねえよ。あんな化け物と正面からやり合うような奴らに逆らうわけないだろ……。くそっ、やっぱり新入りに獲物の選定なんか任せるんじゃなかった。なにが『ガキ二人だから楽勝です』だ、バカじゃねえのか。今朝に戻れるなら俺の背中を蹴り飛ばしてやりてえ……。ああ、でもアジトに残ってたら俺も化け物に殺されてたのか……。もう完全に詰んでんじゃねえか、一体どうすればよかったんだ……」


 混乱の果てにすっかり回想モードに入ってしまった盗賊を見て冷静になった俺は、立ち上がって体や装備の状態を確認する。

 怪我は自分から転がったときの擦り傷のみ、装備は土で汚れているが問題なし。

 疲労も一休みしたら大分抜けたようで、ちょっと寄り道するくらいなら十分に耐えられそうだ。


「さて、じゃあお楽しみのボーナス回収といこうか」


 俺は荷物袋に魔石をしまい込みを肩に担ぐと、盗賊たちが駆けてきた林の中へ戻るように歩き出した。




 林の中を歩くこと十数分。

 俺たちは地形の起伏に隠された洞窟、それを利用した盗賊のアジトに到着した。

 アジトの近くにはが散乱して嫌な臭いを放っていたが、それらを素通りして芋虫の案内どおりに洞窟の中を進む。

 ボスの部屋を物色すると大量の銀貨や装飾品などが詰め込まれた宝箱を発見した。


「すげえ……。お前らよくこんなに貯め込んだな」

「へへっ、すげえだろ?」

「ほんとだね。一体どれだけの人が犠牲になったんだろうね」

「………………」


 正義感の強いクリスは目の前の銀貨の山よりも、この銀貨が集まる過程で犠牲になって人達のことが気になるようだ。

 先ほどまでの上機嫌はどこへやら、底冷えするような声に芋虫は黙り込む。


「お、大銀貨。あ、金貨まであるじゃないか。数は少ないが、これで当面の生活費には困らないな」

「………………」

「………………」


 クリスの芋虫を見下ろす視線がさらに冷たくなる。

 芋虫が口をパクパクしながら俺を凝視する様子は面白いが、こんなところに長居はしたくない。

 宝を回収したら速やかにずらかるとしよう。


「クリス、悪いが回収を手伝ってくれ。銀貨が嵩張るから俺一人だと厳しい」

「……わかったよ」


 ここで宝を回収することをやめても犠牲になった人たちは戻らないということは、クリスだって理解している。

 この宝の本来の持ち主には悪いが俺たちで大切に使わせてもらうとしよう。


 宝箱の傍らで膝をついたクリスは銀貨の山に手を突っ込み、銀貨を握るとジャラジャラと腰の不思議ポーチに突っ込んでいく。

 それは幾度となく繰り返されるが、ポーチは次々と銀貨を吸い込み続け、結局は最後の一枚まで飲み込んでしまった。


「もしかしたらと思ったが、ほんとに全部入ったな。重くないのか?」

「あー、どうだろう?少しずつ重くなってるような気がするね」

「そうか……。まあ、重くないならいいんだ、うん」


 たしかクリスは不思議ポーチの収納量は俺の荷物袋の倍程度と言っていた。

 しかし、今しがたクリスが詰め込んだ銀貨だけで俺の荷物袋の3倍くらいの質量はあると思われ、しかもポーチにはクリスの私物も入っていたはずだ。

 そして、それだけの量を収納しながら重さもほとんど感じさせないとなると――――


(いや、考えても仕方ないことだな……)


 仲間だからといって秘密をすべて共有する必要はない。

 不思議ポーチの入手経路はクリスの来歴とともに気になるところではあるが、クリスが話したいと思ったときに話してくれればそれでいい。

 そもそも来歴に関しては俺の隠し事の方が圧倒的に多いだろうし、俺がクリスを責めるのは筋違いだ。


「さて、宝が回収できれば、もうここに用はない。さっさと帰って宿で休もうか」


 クリスのポーチと違って金貨や大銀貨を詰め込んだ分だけ重さを増した荷物袋と芋虫を両肩に担ぎ上げると、アジトの出口に向かって歩みを進める。

 するとアジトの出口に近づいたところで、クリスに睨まれてからめっきり口数の少なくなった芋虫がしばらくぶりに口を開いた。


「すまねえ、こんなこと頼める義理じゃないのはわかってるんだが、少し水場によってもらえないか?さっきから喉が渇いてつらいんだ」

「水場?」

「アジトを出て西側を見ると、水の綺麗な湖があるんだ。そこの水はほんとにうめえんだぜ。あんたらも飲んでみるといい」

「西……ってどっちだ?」


 迂闊にも、お宝につられて方角を失念してしまった。

 黒鬼とやりあった小道が北東に向かって伸びていたから、そこからここまで歩いてきた道のりを考えると――――


「向かって左だ」

「左…………お、あれか」


 向かって左の方向に視線を彷徨わせると、木々の隙間から水場のようなものが見えた。

 見た目が綺麗だからってそのまま飲める水とは限らないはずだが、盗賊たちが普段から飲んでいたなら大丈夫なのだろうか。


「いいんじゃないかい?雨は降らないみたいだし、今から帰っても日が沈むまでは余裕があるし。…………ところでアレン、その芋虫をずっと担いでると疲れるだろう?それに水をやる役目は僕が代わってあげようか?」

「遠慮しておく。お前に任せると、報奨金が減りそうだ」

「そうかい?それは残念だ」


 本当に残念そうに眉を下げて先を歩いていくクリスを、芋虫は悪魔でも見るかのように凝視した。

 クリスのここまで言動からその性格が垣間見えることもあったが、クリスは悪を憎む心が人一倍強いのだろう。

 そういう価値観によれば、きっと盗賊という存在は許しがたいはずだ。


(ある程度自制が効くなら、別に悪いことでもないけどな……)


 芋虫に関しては、どうせギルドに突き出しても処刑されると思っているから無理に自分が手を下さないだけかもしれないが。


 クリスを追い、枯れ葉を踏みしめて湖に向かって歩いて行く。

 視界を遮る木々も少なくなり、湖も見えるようになってきたが――――


「…………?」


 水面の様子がどこかおかしい。

 何がおかしいかわからないのに、のどに引っかかった小骨のような違和感が湖に近づくほど蓄積していく。


 不意に、前を歩くクリスの足が止まった。


「クリス?」

「アレン、何か嫌な予感がする。引き返した方がいい」

「湖に何かあるのか?」

「わからない。けど、湖に向かって一歩近づくごとに嫌な感じが強くなっていく気が…………あれ、立ち止まったのに嫌な感じがもっと強くなった?」


 周囲をキョロキョロと見渡して『嫌な感じ』の原因を探しているクリスの横に並び、俺は湖を見据えた。

 クリスのスキルほど頼りになるものではないが、俺のカンもやはり湖がおかしいと訴えている。


「…………うん?」

「どうしたの?」

「いや、なんかさ。湖の水、黒くないか?」


 最初は向こう側の景色が水面に反射しているだけかと思っていた。

 しかし、そうだとしたら、こうも一面真っ黒になるものだろうか。


「え?」

「そんなはずは……。俺は今朝だってアジトから湖に水汲みに行ったんだ。そのときは何もおかしいところなんてなかった」


 芋虫は否定したが、それでも俺は湖の方をじっと見つめる。

 俺たちと湖との距離は50メートル程度。

 何かあっても対処できそうな距離であることが、立ち止まって様子をみるという中途半端な対応を許容してしまう。


 近づいて詳細を確認するか、水を諦めて街へ戻るか。

 迷っている間に、湖の中央に影が


 ずっと湖の方を見つめていたはずなのに、いつのまにかそこに存在していたそれ。


 湖から生えている、人間の上半身の形をした影。


 その顔は湖を覗き込むように下を向いており、ここからは確認できない。


 別に見たいとも思わなかったが、




 そんな俺の思いを知ってか知らずか、




 それはゆっくりと顔をあげようとして――――






 その正体を確認することなく、俺たちは一目散に逃げだした。



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